4話 レナート
コハルは馬を駆っていた。
影法師の拠点からルナートまでは道が舗装されていて走りやすい。
これまでもノンストップで飛ばしてきた。
「もうすぐ到着よ、黒六」
ひひんと馬が鳴いた。
影法師の所有する馬は色と数で名前付けされる。
コハルの馬は黒の6番目だから黒六と呼ばれていた。
黒六は馬力はピカイチだが、雌なのに気性が荒くて暴れん坊の文字通りの──じゃじゃ馬だ。
また、自分が乗せるのは女の子だけという我が儘でもあった。
(あれは……)
前方に荷馬車が見える。道は細く一本しかないのですれ違う事ができない。
「黒六、止まって」
コハルは右手で轡を引っ張る。
引っ張られた黒六はぶるると唸るだけで一向に止まらない。
「ちょっと!!止まりなさいよ」
靴の踵でがつがつと馬の腹を蹴る。
しかし、黒六は何食わぬ顔でスピードを上げる。
「何考えてるの!?止まって、止まってください~」
コハルはぽふぽふと鞍の上で身体を揺らす。
もう馬車は目の前に迫っている。
「ぶつかる、ほんとにぶつかるから!!」
「ぶるおん、ぶるる」
黒六は更に加速して、
跳んだ。
驚異的な跳躍で馬車を飛び越える。
御者も荷引きのポニーも目を丸くしている。
もちろんコハルもだ。
「ははっ、あんた跳べたの?」
乾いた笑いをこぼすコハルに黒六はふるん、得意気に鼻を鳴らした。
「この街には?」
「依頼です」
ルナートの大きな門の入口。
門兵がコハルに来訪理由を聞いていた。
「そうか、では個人を証明できるものを出せ」
偉そうにしていた右の門兵が言う。
「これでいいですか」
「ん……冒険者か。ランクはD、まだ駆け出しのようだな」
「ええ、今年に組合に入りました」
しれっと嘘をつく。
魔物や魔族を討伐する者――冒険者だと証明するカードも偽装された物だ。
以前に冒険者組合に忍ばせているスパイに作ってもらった。
「よし、入っていいぞ」
「そうこそ、水と商業の街ルナートへ」
二人の兵士に見送られながら、コハルは英雄の潜伏する街、ルナートに足を踏み入れた。
「可愛い娘だな」
街を歩くコハルを見て誰かが呟いた。
さらさらと靡く髪は陽を浴びて光を放っている。
真っ白なワンピースは絹鼠色にあっていて見る人に清潔感を与える。
そしてコハルのツンとした表情が塩梅となり、装いの柔らかさを際立たせる。
(私が獣人だと分かったらどうなるかしらね)
指を立てて罵られるか、急いで逃げられるかもしれない。
石を投げられる可能性もある。
過激な人は斬りかかるだろう。
それ程までに人族と獣人の溝は深かった。
人族の約8割が信仰している宗教──主神教の教えでは主神が人族を生み出し、亜神が獣人とエルフ等、邪神が魔族と魔物を生み出したとされる。
だから人族は同族以外を下等種族とみなす。
彼らはコハル達には奴隷やそれに準ずる境遇しか認めない。
(くだらない、本当にくだらない)
コハルは遠い昔の事を思い出して顔を顰めた。
「ねぇー、そこの可愛いお嬢さん。見ない顔だね、この街の人じゃない?今から俺達と遊ばない?」
街の中心街へ向かっているたコハルにもっとくだらない男達が声をかけた。
「何とか言ってよー」
リーダー格の男が小さな肩に手をまわそうする。
イライラしていたコハルはキッと男を睨みつけ、
「くだらないッ」
ガツンッ。コハルは男の指先を踏み抜いた。
ボキッ。枯れ枝を折った時のような音がする。
「ぎゃああああ!!いでぇぇぇぇ!!」
「大丈夫ですか兄貴」
「今手当てを」
喚き立てる取り巻きの男達。
「クソッ、あの女はどこ行った!!」
さっきまでいた所には既にコハルはいない。
コハルは少し目を離した隙に逃げ出していた。
「あのアマ、ぜってー許さねえ」
コハルはまた新たに怨みを買った。
さっさと逃走したコハルは角に店を構えている本屋に隠れた。
(しばらくここで時間を潰したらあいつらも諦めるかな)
窓から手分けをして辺りを探している男達を確認する。
(見つかったとしてもぶっ飛ばせばいっか)
コハルは物心ついてから男に肌を触れされた事がない。
手を出してくる男は全員吹っ飛ばしてきた。
(私は私のものだから、誰にも渡さない)
コハルは胸に手を当てて自分に言い聞かせるように頷いた。
パタパタ。
窓際に張り付いていたコハルのそばで店主が羽根箒を振り回す。
買わんのならさっさと出て行け。店主の気持ちが言外に伝わってきた。
(どうしよう。今出て行くのはまずいし)
外では男達がコハルを探している。暗殺任務中だ、街で悪目立ちはしたくない。
「ごほんごほん」
店主の婆さんがわざとらしい咳払いをした。
「えっと、あの、えっと、そうだ、英雄の本とこの街の地図を下さい」
「英雄?ドラグニウス様かい?」
「はい、そうです。ありますか」
「あるよ。あそこに一冊だけな、他は全部売り切れてしもうた」
店主が箒で指し示した場所にあったのは、
「絵本?」
「ああ、そうじゃ」
本棚にあるのは『英雄ドラゴニウス』というタイトルの絵本。
著者はアリス=ヴァイスクローツ。
(主神教の聖女か)
出家した聖女はヴァイスクローツの性を受ける。
俗世から離れた聖女が本、それも絵本を書くなど珍しい。
(この人こんなのも書いてるんだ)
『英雄ドラゴニウス』の隣に同じ著者、題名は『少女の恨み』。
(なんか気持ち悪いな)
赤と黒の表紙は見る者に不快感を与える。
聖女は何かを恨んでそのために出家したのかもしれない。
そんな事が脳裏をよぎったが気にしない事にした。
コハルは英雄の本を手に取り、街のマップを探す。
目的の地図はすぐに見つかり、そのままレジに向かう。
「二つで3000シェルだよ」
「はい」
コハルはポケットから財布を出し、お代を払う。
金は影法師から経費として渡されていて、換えの武器や一週間分の食料を買っても余るほど貰っている。
「毎度あり」
「ありがとうございます」
コハルが紙袋に入れられた絵本を抱えて店を出ようとした時、
「ちょいと待ちな、あそこの奥にある裏口を使いなさい、ずっと真っ直ぐに進んだら川沿いにでるよ」
これまた羽根箒で指し示す。
店主はコハルの状況を察して抜け道を教えた。
「感謝します」
「気をつけなさい」
コハルは麦わら帽子を抑えて頭を下げる。
「さようなら」
そう言ってコハルは店を出た。