3話 準備
格子越しから差し込む朝日がコハルを起こした。
「…………うゃ」
寝ぼけ眼を両手で擦る。
コハルは朝は苦手で頭が回り始めるまで時間がかかる。
数分間ぼーっとしていたら段々と意識が覚醒してくる。
ぱちっぱちっ。
頬を叩き完全に目を覚ます。
とろんとしていた琥珀の瞳はいつものきりっとしたつり目に。
ゆらゆら揺れている尻尾もこころなしかピリっとしている。
(今日は仕事だ)
英雄ドラゴニウスの殺害。
それがコハルに与えられた任務。
詳細を確認する為にウキョウから貰った用紙を取り出す。
(うわっ、難しい字がいっぱい……)
コハルは文面を見て思わず顔を顰めた。
昔から人を殺める方法しか学んでこなかったので最低限の文字しか読めないからだ。
文を読む時は声に出して読む。
その方が頭に入りやすい。
「英雄ドラゴニウス。
ルナートの三番街の宿屋『ひとときの安らぎ』に潜伏。
部屋から出ることはほとんど無く宿のオーナーに生活に必要な物は全てを部屋に持ってこさせている模様。
ごく稀に街の大きな水路で水切りをしているという情報もある」
(これだけ?)
ターゲットの情報が少なすぎる。
コハルは念密に作戦を練って行動するタイプだ。
(こんなんじゃ作戦も立てられない)
これはコハル自身で情報収集する必要がある。
幸いドラゴニウスが潜伏しているルナートはかなり大きな街なので本屋や情報屋が多い。
(ルナートまでは馬で三時間くらいよね)
正午までには街で情報収集を始めるのが理想なので、早めに用意を済ますことにした。
影法師の規則で食事は各自の部屋で食べる事になっている。
犯罪集団だから血の気が多い者ばかりで目が合うだけで決闘ということもよくある事だ。
昨日も些細な事で因縁をつけられて決闘に発展した。
決闘はどちらかが死ぬので後腐れが最も少なく影法師内では推進されている。
「あいつはどうかしている」
コハルはウキョウの顔を思い浮かべて悪態をつく。
ウキョウという人物はいい言い方をすれば合理的、悪い言い方をすれば非情な男だ。
決闘で片方が死んでも見向きもせずに勝者を褒める。
仕事のミスは許さない。ミスをする者を残しておいたら組織の不利益になるから。
(そしてこの御飯ね)
朝食の食器には身体を動かすのに最低限必要な量の食事しか盛られてない。
献立はいつもと同じ、硬いパンに野菜くずと肉の欠片が入ったスープだった。
だが、今朝のメニューには普段は無いものがあった。
トレーの端っこ、『こはる』と書かれたマグカップに申し訳程度の山羊のミルクが入ってる。
(英雄暗殺の任務があるからかな)
コハルは小さい頃、ウキョウにもっと美味しいご飯が食べたいと言ったことがある。
その時は彼に「いいかい、コハル。人間という生き物は余裕があったらいけないんだ。食事を沢山とって、心に余裕が生じて、油断して失敗をしたり、君達に必要の無い余計な欲が生まれる。僕はそうならない様に食事を最低限にしているんだ」と反論された。
ウキョウはしょぼんとしていたコハルに「君が大きくなって死地に赴く時には一品追加しよう」とも付け足した事を覚えている。
(もしかして、このミルクが追加の一品?)
疑わしげに臭いを嗅ぐ。普通の山羊の乳は独特な深みのある臭いがする。コハルはコップを持ち、ミルクを舐めた。
(美味しい)
きちんと餌を与えている搾乳用の山羊のミルクは生臭くない。
寧ろ牛乳よりも味が濃くて栄養価も高い。
コハルはちびちびとミルクを飲みほした。
(無くなっちゃった)
残念そうに空のコップをのぞき込む。
右目はコップの底で塞がり、左目は床の上の食事を写した。
(このまず飯だけはどうしょうもないのよね)
嫌がらせかと思う程に固いパンと冷えたスープ。
普段はパンをスープに浸してふやかして食べるのだが、美味しいミルクを飲んだ後に不味い物をできる限り食べたくない。
コハルはスープだけを飲んでパンはポシェットに隠した。
朝食の次は身支度を行う。
コハルは手櫛で髪を適当に梳いていた。
腰より少し短い絹鼠色の髪は直ぐに指をスルッと通すようになる。
髪とは対照的に尻尾のブラッシングは時間をかける。
コハルの唯一の自慢点だからか、ゆっくりと丁寧に毛並みを整えていく。
猫獣人の中では尻尾は毛並みが美しく柔らかなものが良い尻尾とされている。
尻尾さえ気をつければ他は割とどうでもいいと考えるのが猫獣人だ。
(よし、完璧ね)
ブラッシングを終えたコハルの尻尾はふさふさで艶めいて、それでいて気品が溢れている。
コハルは水瓶に自分の姿を写して満足気に頷いた。
部屋の洗濯ロープに干していたタオルを引っ張り取る。
昨日身体を洗った時に使った物だ。
これを濡らして固く絞る。水滴が落ちなくなったら顔を撫でるように拭いた。
だいたい綺麗になったと思うと持ってきておいた乾いたタオルに顔を埋める。
(これも今日が最後かも知れないな)
毎日していた身だしなみも最後かと思うと哀愁を感じる。
コハルはため息をついて着替えを始めた。
小さなクローゼットを両手で開け放つ。
その中には運動着が数着と潜伏用の服がいくつか入っている。
そこには黒を基調とした夜戦用の服、ぴっちりとした素材の潜伏暗殺用などがある。
コハルはその中でも場違いなお洒落な純白のワンピースを選んだ。
ルナートはそこそこ大きな都会だから今回の依頼では街に溶け込めることが重要視される。
(あんまり好きじゃないんだけどな、これ)
肩が露出するデザインで、所々フリルがついている。
ふわりとした膝下までのスカートは引っかかりそうで落ち着かない。
コハルがワンピースを着て、つば広の麦わら帽子を被ったら、猫耳と尻尾も隠れ、お洒落な人族の町娘にしか見えない。
服を着たら武装を始める。
スカートをたくし上げ、真っ白なふとももにサバイバルナイフ用のホルスターを巻き付けた。
相手に匂いをつけて探知する為の木製のアロマペンダントを首から下げる。
意匠を凝らしたふくろうが彫られているそれは強い衝撃を与えると精油が飛び散る仕組みになっている。
愛用の小太刀はポシェットにしまう。
コハルは柄がはみ出てるが気にしない事にした。
どうしてもこのポシェットが使いたいのだ。
つぎはぎだらけのこれは影法師に来る前から持っていた。
捨てようと思った事も幾度もあったが捨てられなかった。
何故だかこれだけは捨ててはいけないような気がしたのだ。
そんなポシェットを肩にぶら下げた。
コハルは水面に写った自分を眺める。
写っているのはアクセサリーにも気を使った爽やかで涼しげな女の子。
つば広の麦わら帽を深めに被り、ポシェットを背に回す。
最後に黒い腕輪の上からパステルカラーのスカーフを巻く。
(この部屋にもおさらばね)
ぐるりと狭い部屋を見渡す。
殺風景で寒くて淋しい部屋だったがここを見るのも最後になる。
(たぶん、私はこの依頼で死ぬ)
ウキョウはコハルが死ぬと思っている。
いや、正確には、死ぬ事前提で暗殺の仕事を斡旋した。
世界最強と戦闘になるかもしれない。影法師内で最も近接戦闘に長けているコハルでも返り討ちに会うことは目に見えている。
(あの男からしても私は価値がなくなったのね)
合理主義のウキョウは使える戦力をみすみす逃すようなことはしない。
(最近、強い娘が入ったからかな)
先月、魔族以外で魔法が使える唯一の種族──エルフの女の子が連れられてきた。
生意気で愛想の無い獣人より、従順で希少なエルフの方がいいに決まっている。
(まぁ、いっか)
ウキョウにヘコヘコと従属するくらいなら英雄と一刀交えて殺された方がマシだ。
ドラゴニウスに傷をつける事ができたらいい冥土の土産になる。
部屋を出ようとした時。
ふと、コハルの目がある点で止まった。
入口の扉。縁の木材に定規のように横線が幾つも彫られている。
コハルは毎年一回この線を扉に刻んでいる。
それは13歳の時から頭の上の耳でかさ増しをしているので不正確になっている。
(ふふん、いい事思い付いた)
ポシェットから小太刀を引き抜く。
踵をぴったりと合わせ真っ直ぐにドアに背をつく。
耳の上に手を置き大体の身長を測って、ガリッと深めにそこを抉った。
(なんて書こうかな?)
せっかくなので一言書き置きをしてやることにする。
(…………そうだ!)
がりがり。とコハルは拙い字でドアに一文を添えた。
(よし、もう出発よう)
コハルは納刀し、部屋の敷居を跨いで外に出た。
明日から書き溜めが尽きるまで毎日投稿します。
読んでくれた読者の皆様が「おもしろい」と思っていただけたら嬉しいです。