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❸ 神崎亘  作者: 内藤晴夢
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私は神崎亘(ワタル)

 就職のことなど深く考えることなく大学時代を惰性ですごし、教師になった私は雑用に追われる毎日を送っていた。


 教師の仕事が雑用といっているのではない。教育の名のもとに命令されるさまざまなしきたり。書類の山。クラブ活動、問題を起こす生徒達の対応、そして権利主張の強い親達の対応。学校か家庭かの責任のなすりあいなど、教育の本旨とは思えないようなことに神経と時間をすり減らさねばならないこの国の教育システムに問題があるといっているのだ。


 私の人生は意義あるものかと問われれば、「ある」と即答できない。教師の仕事は嫌々なったわけではない。教えることは嫌いではない。しかし、実際の仕事内容がこんなものであると知って居たならば、教師にならなかったかもしれない。


 今日も、受け持っているクラスの生徒が他のクラスの生徒を殴ったという連絡を受けた。


 幸い殴られたほうに大きな怪我はなかったが殴った生徒呼び出し、事情を聴かなければならない。どうせ些細な事が発端だろう。態度が悪いだの、軽くぶつかっただのと。ケンカを吹っ掛けるほうは喧嘩することを楽しんでいる


 家庭訪問でみた親の顔が浮かぶ。殴った少年の親はモンスターというほどではなかったが、両親が不在がちで、祖父とともにいることが多かった。家庭訪問の日程を決めるのに二転三転したことを思い出した。親のしつけが悪いからこういうことが起きるのだ・・と愚痴にも似た感情が泡のように浮かんでは消えた。


 子供のことよりも親の顔が先に浮かびその対応を心配するという自分の感情を卑しいとも思わなくなっていた。


「どうした山本。佐伯を殴ったと聞いたが。」


「・・・・・」


「理由があるなら話してくれ。」


「あいつは、神さんを馬鹿にしたよった。」


「カミさん?」


「そうじゃ。あいつは神さんなどいない。人が勝手に想像してつくったもんだといいった。じゃから、人間は自由じゃ、何をしてもいいなどといいよって俺のふだを破りよった。」


「ふだ?」


「そうじゃ。これじゃ。」


 それは小さな御守のような形をしていて、漢字でなにやら文字が書いてある。


「それは大事なものなのか?」


「そうじゃ。これは尊いもんじゃ。おれらを護ってくれるんじゃ。」


 どうやら御守かなにからしい。山本の家には確か大きな神棚があった。なにかの宗教に入っているのかもしれない。教師は生徒の宗教に口出しはできない。・・偉そうに先輩が教えてくれたのを思い出した。しかし生徒が大事にしているものを・・それがいかなるものであろうと破損する行為は、いいことではない。。


「わかった。確かに君が大切にしているものを破った佐伯の行為はよくない。私から話そう。しかし人を殴るのもよくないことはわかるだろう。今後はもう少し穏やかな方法をとってくれ。」


「先生。それはただの『もの』じゃない。」


「だとしても、君が罰をあてていいということにはならんだろう。今後は手をだすことはやめるように。」


 山本という少年は不満そうな顔をしながらも頭を下げて退出した。


 悪戯への復讐を神の罰とする考え方はおそらく独自の信仰からくるのであろう。とても危険な考え方だと思った。そのせいか私の説得の仕方も少々強引だと反省した。奇妙な宗教論争に巻き込まれるのは避けたかった。もっと生徒の意見を聞くべきであったのかもしれない。だが目の前の書類をとにかく片づけて、放課後のクラブ活動の指導をしなければならない。そんな思いもあった。


 私はすぐに山本の家に電話を入れ、保護者に来てもらうことにした。


 祖父が電話に出た。両親は仕事で忙しいということで、、祖父が15分ほどして面会に来た。


「ご迷惑をかけて申し訳ありません。」


 小柄な礼儀正しい老人だった。


「おふだを破られたことが原因だったようなんですが、息子さんは何か信仰をお持ちなんですか?」


「はあ。うちは代々、日本の昔からの神様をお祭りしているんですが、まあ、わしの影響でしょうか孫は神様を本気で信じておりまして、少々行き過ぎたところがあるのです。」


「そうですか。まあ信仰は自由ですし、お孫さんが大切にしているものを破った相手も悪いのですが、手を出すのはよろしくないので、一応本人には話しておきました。しかし私が叱るだけではお孫さんは納得していないので、おじいさまからも話しておいてください。」


「わかりました。」

 

「では申し訳ありません。本人に話しますので同席していただけないでしょうか。」


「は?」


「なんといいますか年寄りの爺のいうことだけですとなかなか聞かんもんですから、ぜひ。」


「あ、わかりました。それではいまちょうど休憩時間ですから呼びましょう。」


 最近の家族はだらしない。孫に説教の一つもできないのか。しかし、孫の方も反抗期であれば抑えがきかないというのもわかるないではない。その時はそう思った。


 だが後から振り返ってみれば、この老人の判断は正しかった。老人は子供に教えるとともに、若輩である教師の私にも教えたかったのだ。しかしこの時の私は家族の信仰問題に首をつっこみたくなかっただけだった。


 だらしないのは俺自身だった。


 祖父は孫の目を見ながら話した。


「史郎。お札を破られて腹が立つ気持ちはよっくわかる。相手にとってはただの紙切れじゃが、お前にとってはお前の依代よりしろじゃからな。お前が怒ったのも当然じゃ。」


 本人を弁護する祖父をみて、おいおいそれじゃ話が違うと思ったが、凛とした祖父の態度に介入できなかった。


「じゃが、その報いはお前がやることではない。お前は神か?」


「いえ。」


「ならばお前はむしろ、相手がなんらかの罰を受けるであろうことを哀れみ、護ってやらねばならない。相手には神はわからぬ、理解できぬ。お前が信じておることを理解できんのじゃ。そういうものが乱暴狼藉を働いたとて、怒りをその者らに向けることは正しいことであろうか?」


「いえ。しかし。腹は立ちます。」


「お前が腹立つのは、お前の自身が侵害されたと感じるからではないだろうか。」


「それは・・そうです。」


「お前のものが踏みにじられたと。」


「神さんと同じ気持ちになったからです。」


「神さんはな。人を愛しておるんじゃ。悪者を懲らしめようとしているんじゃない。なんとか救おうとされておられるんじゃよ。たとえ粗相を働いたとしてもな。バチは当たるんでのうてみな自業自得なんじゃ。巡りめぐって人にしたことが自分に返ってくるのじゃ。それは人が正しい道を歩んでゆくための仕組みじゃ。そういう仕組みを作ったのが神さんじゃ。神さんは仕組みをつくった。そういう意味では人がその仕組みによって報いを受けてもおいそれとは助けることができんのじゃ。決して、神さんが怒って罰すんじゃない。神さんはその仕組みを維持しながらもなんとか人を助けようと心を砕いておるのじゃ。それが神様の気持ちじゃ。」


「・・・・・・」

 子供は何か悟るところがあったらしく俯いていた。


「そうじゃ。俺は自分の怒りを神さまの怒りと勘違いしたんじゃ。」


「ん。よか。今日のことは水に流して仲良くしんしゃい。人は己とは違うんじゃ。特に今の世の中はな。お前が神さまを大事に想う気持ちは何ものにも代えがたい宝ぞ。爺はそんなお前を心から尊敬しておる。爺の手本ともなる人物になってくれ。」


「うん」


 俺は傍らで聞いていて、失踪した親父のことを思い出していた。俺の親父は俺が大学時代に突然姿を消した。親父は福祉関係の仕事をしながらこの祖父と同様熱心な信仰の持ち主だった。長い間組織だった活動には参加せずに一人で活動していた。

 あるときイスラエルから来た女性と知り合いになり、ちょくちょく旅行しはじめた。

 そのことが母親に知られて浮気と疑われ、家庭内の空気は一変。俺は知らぬ風をよそおったが、内心親父を軽蔑し、親父の信仰を笑った。家族の中で親父は孤立し、誰も口をきかなくなり、やがて失踪した。


 実はちょうど昨日。親父のものが入った段ボールのなかからノートがみつかった。日記のような、随想録のようなものだ。当時の親父の経緯が克明に記されていてた。備忘録というよりは、逐語記録の部分もあった。


 まるで親父は家族に詳細な事情を分かってもらいたかったようだった。


 祖父の言葉を聞いていて、親父のノートを読み返したくなった。

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