学園六不思議考案事件 起
わけのわからない不思議の考案だと言われて連れて来られた先で、またもわけのわからない湯呑みの持ち主を探す手伝いを頼まれた。
どういうことだ、と六郎は有里紗を見る。有里紗は何を言うべきか迷ったあと、口を開いた。
「ミス研って部員はお二人なんですか?」
有里紗の興味は既に見当外れの方向へ向かっていたようだ。
「ふっふっふ。何を隠そう、我らが朱陽高校では、部員が五名に満たなければ部を存続させることはできないのだよ。知らなかったかね、有里紗女史」
何故か急にキャラ付けを始めた彩が言った。ということは、ここにいない部員が少なくともあと三名いるということか──六郎がそう思ったとき、それまで黙っていた真志が口を開いた。
「幽霊部員だけどね」
「部活には来ないの?」
有里紗が真志に尋ねる。真志は顔を上げて彩を見た。代わりに話してくれ、という風に。
「部長の私から説明するわ。彼らは部活に来たくても来れない状況にあるの。いくら彼らがそれを願っても、そうやすやすと無慈悲な現実が変えられるものではないのよ」
彩が重々しく言った。六郎が尋ねる。
「入院でもしているんですか?」
それを聞いて、彩が悲しみに満ちた声で言った。
「転校よ」
「「へ?」」
有里紗と六郎は同時に声を上げた。転校ということは、彼らはもう朱陽高校の生徒ではないはずである。当然部員の数にも入らないはずだが──。
「悲しい事件だったわ。去年のミス研は当時の三年生が卒業してもぎりぎり存続可能な五人が残る予定だったの。でも、急にそのうちの三人もが、転校すると言い出した。残されるのは私と真志。これでは部として存続できない。だから、私は禁忌を冒し、彼らを幽霊部員にしたの」
ごくり──と音を立てたのは六郎か有里紗か、二人は黙って彩の続きを待った。しかし、次に口を開いたのは真志だった。
「転校していった奴らを名簿から抜かずに、学校に提出したの、この人が」
六郎と有里紗は同時に彩に視線を戻す。彩はこれでもか、というくらいドヤ顔を浮かべていた。
「彩先輩、それはまずいでしょう……」
有里紗が信じられない、という顔をしている。その名簿が通るほどに学校の管理がザルなのか──と六郎は思った。
「こんなはずじゃなかったわ。四月の新入生歓迎の部活紹介で、たくさんの一年生を獲得できるはずだったのに……」
聞き慣れないワードだが、なんとなく想像がつくイベントだ。「四月に全校生徒を集めて、各部活が五分くらいの出し物をするの。それを見て一年生は部活を選ぶんだよ」と有里紗が教えてくれた。
「事前の準備は完璧だった。私のトークで、会場の一年生たちは皆、深淵なるミステリワールドの虜になるはずだったのに……」
「オカルトマニアが話すオカルトトークの虜になるかどうかはともかくとして、順番は確かに悪かったね」と、真志が言った。
「そうだったね、たしかにあれは凄かったよ」と続けたのは有里紗だ。
六郎は会話の輪に入れず、有里紗に説明を要求した。
「えっと、他の部の順番は忘れちゃったんだけど、ミス研の前が演劇部、その前が茶道部だったの。その演劇部の出し物が凄くて、茶道部の出し物を即興で真似て演じる、っていう内容だったんだけど……」
たどたどしく説明する有里紗の代わりに、彩が口を開く。
「茶道部やったお茶の入れ方の作法からその説明、所作に至るすべてを完璧に演じていたわ。小道具に関しては自前だから違うところもあったけど、演技に関してはほぼ完璧なコピーだったわ」
六郎は大体の経緯が飲み込めてきた。要するに、演劇部の出し物はウケたのだ。次のミス研が霞むほどに。一度火がついた熱は五分で鎮まるものではない。ミス研の出し物中、他の生徒たちは、演劇部すごかったねトークに花を咲かせていたのだろう。
「だから、今このミス研は廃部の危機に立たされているの。まさに首の皮一枚、繋がってる状態ね」
転校していった人間を部員としてカウントしているのは、すでに離れてしまった首と胴体を接着剤で無理やり繋ぎ留めているようにしか思えなかったが、六郎はそれを口にはしなかった。有里紗も同じ思いらしく、半分呆れ顔になっている。
「テコ入れとして、部長の私みずから汚れ役を買っているというのに……」
「彩先輩、何をしているんですか?」
有里紗が尋ねると、彩は先程のオペラ座の怪人よろしく、な仮面を取り出した。
「これを付けて勧誘活動を行っているわ。ここ最近は毎日ね。部長の私がこんな涙ぐましい努力をしているのに、この後輩は全く協力をしようとしないのよ」
「そんな仮面つけて部室棟を徘徊したって、新入部員が集まるどころか、誰も寄り付かなくなるよ」
真志が彩に対して常にタメ口であることが気になるが、六郎はもうひとつ、気になることがあった。
「その仮面をつけ始めたのは最近ですか」
「ええ、ここ一週間くらいよ」
「湯のみが部室前に置かれたのは?」
「一昨日ね」
なるほど──と六郎は思う。それであれば、湯呑みがミス研の前に置かれていたことも頷ける。
「なにか分かったの? 六郎くん」
有里紗が尋ねる。六郎は少し間をおいてから話し始めた。
「まずこの湯呑みだが、これは演劇部のものだろう。茶道部や職員室にも湯呑みはあるだろうが、内側を見ても使われた形跡がない。ということは飾りか、小道具として使われているものだろう。湯呑みを飾っている部活はないだろうし、校長室とかにはあるかもしれないが、それがここにあるとは考えにくい」
有里紗がフンフンと頷く。
「この湯呑みは演劇部から持ち出された。理由があったのか、置き忘れたのかは知らないが、それを誰かが見つけた」
「その誰かはこれが演劇部のものであることを知っていた。部活紹介で見ていたからな。これは、茶道部のコピーをした出し物の際に使われた湯呑みだろう」
彩が「ほぅ……」と嘆息を漏らす。
「この湯呑みを持ってきたやつ、仮にAとする。Aは湯呑みを届けようと思って部室棟を訪れた。しかし、各部活の前には看板というか表札というか、そこが何部かを表すものがない」
真志が読んでいた本を閉じて、六郎の方を見る。
「そんなとき、辻戸先輩、あなたがこの部室へ入っていくか、あるいは部室から出ていくのをAが目撃した」
「「なるほど……」」
彩と真志が同時に言った。二人は六郎の推理に合点がいったようだ。
「え、どういうこと?」
有里紗だけが、話の結末が見えず困惑している。
「私の、仮面か」
「そうです。あなたはここ数日、その仮面をつけて部室棟を徘徊していた。それを見たAは、まさかあなたがミス研だとは思わない」
有里紗があっ、と声をあげる。ようやく理解したらしい。
「そうか、その人はこの部室を演劇部だと思って……」
「おそらくは。傍から見てもその仮面は怖い。直接渡すのが躊躇われたAは湯呑みを部室前において去っていったんだろう」
六郎は自分の考えを話し終えた。いつの間にか高かった陽は傾き、赤い光がカーテン越しに部室を染めていた。遠くから、吹奏楽部の楽器の音が聞こえてくる。一瞬の部室の静寂。それを破ったのは彩だった。
「すごいな、これがホームズ君の実力か」
「シャーロッ君ですよ、彩先輩」
「芦屋です」
さきほど交わしたやり取りが繰り返された。違うのは、さきほどは全く興味がなさそうに本を読んでいた真志が、一転興味深そうに六郎をまじまじと見ていることだ。
「ちなみに付け加えると」
六郎はそれを言うかどうか迷っていたが、ものはついでだ、と思い再び口を開いた。
「部活紹介で使われた湯呑みをAが覚えていたということは、紹介順を覚えていた有里紗も、出し物を横で見ていたはずの辻戸先輩も吉田も、これが演劇部のものだとわかっていたんじゃないのか?」
六郎は有里紗を見る。有里紗は精一杯シラを切ろうと目を泳がせるが、それが逆に六郎の発言を全力で肯定していることには気づいていないようだ。
「その通り。これが演劇部のものだってことは分かってたわ」
有里紗の代わりに彩が肯定した。その表情には笑みが浮かんでいる。
「でも、どうしてそれがうちの部室の前にあるかは分からなかった。有里紗がホームズみたいな男の子が転校してきた、なんて言うから、六不思議の件の前にちょっと実力を見たかったのだけれど、想像以上だったわ」
有里紗が小声で「ごめんね」と告げる。
「何のためにそんなことを?」
「これよ」
彩が再び机の上に、取り出したものを置く。それは──
「「日記帳?」」
六郎と有里紗が同時に言った。彩が取り出したそれは少し年季の入った赤い日記帳だった。文庫本より少し大きめで、表紙には筆記体で“Diary”と書かれている。
「六不思議について調べようと部室を漁っていたらこれが出てきたの」
「六不思議に関係があるんですか」
有里紗が彩に聞く。彩は黙ってうなずいたあと、説明を続けた。
「たぶんこれは、六不思議考案者の日記よ。これを見るまでは、七つ目の不思議なんて適当に決めればいいと思っていたわ。でも──」
彩が言い淀む。有里紗が尋ねた。
「何か、あったんですか?」
彩は少し間を置き、意を決したように口を開いた。
「これを書いた人は、もうこの世にいないかもしれないの──」
窓の外はすっかり暗くなりつつあった。初夏だというのに、部室に入る風が肌寒く感じられる。一瞬の静寂のあと、口を開いたのは真志だった。
「幽霊部員、だね」