クラスメイト
「つまり犯人はこの座敷牢を通って被害者の部屋までたどり着いた、というわけです」
「となると、アリバイが消えるのはただ1人──」
「そう、あなたが犯人ですね。佐伯さん」
六郎は読んでいた文庫本を一旦閉じる。予想以上につまらなかった。第2の殺人で広げた大風呂敷を完全にたたみきれていないまま、真相解明に至っている。お気に入りの作家だったのだが、やはり当たり外れがあるということか。
六郎はミステリを読むときには、余計な頭を使わずワトソン気分で探偵の語る推理に没頭することをモットーにしている。しかし、今回の小説では途中でトリックに気付いてしまったため、探偵の推理も助手の驚きも、陳腐なものに思えてしまっていた。
時計を見ると午前3時。残りの分量からいって4時ごろには読了できるだろう。この後はシラを切る犯人を探偵が追い詰めていくという流れだ。この作家は探偵の話術には定評がある。独特の言い回しや若干皮肉めいた言い方などが六郎のツボにはまっていた。一旦休憩を、と思い六郎はリビングにコーヒーを入れにいく。
リビングの扉を開けると、母親がいた。ダイニングテーブルの上にノートパソコンを置き、仕事用の書類を作っている。六郎に気付き、振り返って言った。
「あんた、まだ起きてたの?明日が休みだからって夜更かしなんかしてたら肌が荒れるわよー」
「お化けが出るわよーみたいな言い方だけど、さり気無く歳が滲み出てるよ痛ッ」
ワイヤレスマウスが飛んできた。それも結構な速度で。
「誰が歳だってぇ?」
凄みのある声と目つきに六郎は「なんでもありません」と上官に告げる兵士のように姿勢を正した。
芦屋由美子──。今年で三十七歳になる由美子は六郎から見てもあまり歳を感じさせない。普段からTシャツにジーンズと全く着飾ることをしないが、二十台後半といっても十分通用する容姿をしている。茶色く染めた髪の毛は肩の辺りで揃えられている。切れ長の目は怒っていれば野獣を感じさせるほどだが、そうでなければ凛としているという印象を与えるだろう。
六郎はコーヒーを入れ、味を確かめる。なかなかに旨く出来た。苦味も熱さも六郎の好みとするベストな味わいだ。
「しっかし転校早々、あんたに彼女ができるとはねぇ」
ブフッという奇怪な音と共に、六郎はコーヒーを噴き出した。綺麗に整頓され、磨き上げられたキッチンに噴き出したコーヒーが点々と飛散する。幸い、背を向けたままの由美子は気付いていない。六郎はキッチンタオルを音も無く手に取る。
「有里紗とは、そんな関係じゃないよ」
そう言いつつも、目を素早く左右に動かし、見つけた液体を手早く拭き取る。音を立てずに、忍のごとく。
「なんとなく話し始めて、帰り道が一緒だったから本屋まで案内してもらってただけだよ」
壁についたほとんどのコーヒーを取り除くことができた。少し染みができているようにも見えるが、まぁ大丈夫だろう。そう思い、キッチンから立ち去ろうとする。
「ふーん、まぁいいんだけどさぁ。その汚れ、洗剤で落としてから部屋に戻ってね」
バレていた……。結局六郎はこのあと1時間ほどを、キッチンで過ごした。部屋に帰る頃には飲みかけのコーヒーはすっかり冷めてしまっていた。
朝──。
小鳥のさえずりとともにを覚まし、薄日の射すカーテンを開けると、まだ昇って間もない太陽が一日の到来を告げるように六郎の目に入ってくる……はずだった。
「は?」
目を覚まし、時計を確認すると11時を過ぎていた。自己主張の激しい日光を抑えきれていないカーテンを開けると、そろそろ最盛期を迎えようとする太陽がギラギラと六郎の目を突いてきた。
有里紗とは昼頃に会う約束をしている。六郎は急いで私服に着替えて有里紗から預かった手紙と、明け方読み終わった文庫本をかばんに入れてご飯も食べずに飛び出した。
須賀書店が見えてくる。六郎は息を切らしながら走っていた。初夏でも暑いものは暑い。額には汗が滲んでいる。須賀書店前に着くころには、六郎は両手を両膝につけて肩で息をしていた。
「六郎くん、そんなにあわててどうしたの?」
頭の上から声が降ってきた。顔を上げると間近に有里紗の顔があった。相変わらず至近距離まで迫ってくるやつだ。六郎は一歩後ずさりながら額の汗をぬぐい、改めて有里紗を見る。
白いレース生地のワンピースの下に黒いズボンを履いた有里紗はいつも以上に幼く見えた。低身長も相まって、どこに出しても恥ずかしくない小学生にしか見えない。このツーショトは少し危険なんじゃないか?と六郎は思った。
「あの本を読んでたら少し寝坊して……ひょっとして結構待たせた?」
「ううん、今来たとこ」
自分の家の前で今来たところも無いだろうと思ったが、以前から言いたかったセリフを言うことができたのだろうか、有里紗は自分の発言に対して恍惚とした表情を浮かべている。と思ったら急にハッとした表情を浮かべ、六郎のほうを見て言った。
「ところで、あの手紙の謎は解けたの?」
「ああ、うん。たぶん。ところで、有里紗は昼飯は食べた?」
六郎は有里紗の質問に対し、曖昧な返事を返しながら言った。有里紗は突然話題を変えられ、面食らいながらも首を横に振った。
「じゃあ、どっかで食べながら話さないか?さっき起きたばっかりで何も食べてないんだ」
六郎はお腹を押さえながらそういった。
須賀書店から歩いて数分の距離にある喫茶店。古めかしい入り口の横には『長寿庵』と書かれている。扉を開け中に入る。
ジャズが流れる店内で、いかにもマスターという服を来た初老の男性がグラスを磨いていた。若干大人な雰囲気に気圧されている六郎と対称的に、有里紗はマスターに挨拶をして奥に進んでいく。マスターも「やぁ、有里紗ちゃん、いらっしゃい」と渋みがかった声で言っている。どうやら顔見知りらしい。若干有里紗が大人っぽく見え……なくもない。
店の奥にあるテーブルに座り、それぞれご飯と飲み物を注文すると、有里紗が言った。
「それで六郎くん、あの手紙は誰からだったの?」
興味津々、という目である。大きな瞳はキラキラと輝いている。
「その前に、いくつか教えてほしいことがある」
「何かな?」
「朱陽高校では学校に持っていった不要物がバレた場合、どういう処置を受けるんだ?たしか生徒手帳には1週間の預かりの上、保護者を通じて返却となっていたが」
生徒手帳の校則欄は昨日確認しておいた。実際のところ、この校則をどこまで実施しているのか、それを聞いておきたかった。
「うちの高校はそのあたり厳しくて、見つかったらその通りになるよ。返却については……先生によるかな。直接本人に返す人もいるし」
「最近、ここ1週間で没収を食らったやつを覚えているか?」
学級委員の有里紗だ。このあたりは覚えているかもしれない。
「えっとねぇ、田代くんと二神さん、あとは武内くんかな」
数名のクラスメイトを挙げられたが、六郎はまだ顔と名前を一致させることが出来ていない。しかし、これで大体は掴めたはずだ。
「ねぇねぇ、これで何がわかるの?」
有里紗はお預けをくらった子犬のような目で六郎を見つめてくる。これ以上は待てんぞ、と言わんばかりだ。
六郎は一度考えを整理してから口を開いた。
「昨日席替えをしただろ?有里紗は一番後ろ窓側から二つ目の席」
「うん。六郎くんの隣」
「席替えをする前に、今の有里紗の席に座っていたのは、二神さんで間違いないか?」
「そうだよ。六郎くん、すごいね。もうクラスメイトの顔を覚えたの?」
六郎は首を横に振る。
「実はほとんど覚えていない。ちなみにその二神さんが没収されたのは、携帯電話だな?」
「えっ、どうして?」分かったの?という顔をする。
この有里紗の反応で抜けていたピースが埋まった。おそらくこれで間違いはない。
「えっと六郎くん、なんか置いてきぼりな感じがするんだけど……」
有里紗がそう言ったとき、タイミングよくマスターが現れた。
「お待たせいたしました」
マスターは二人の前に注文された料理と飲み物を置き「ごゆっくり」とだけ告げて立ち去った。
「とりあえず、食べてから話そうか」
六郎はそう言って、コーヒーの入ったグラスを手に取る。
「謎解きはランチのあとで、ってね」
昨日読んだミステリ小説の探偵のような貫禄で、六郎はコーヒーを口にする。
「ぐっ……ごほっごほっ」
本格ブラックコーヒーのあまりの苦さに六郎はむせ込んでしまう。貫禄も何もあったものではなかった。
せめてもの救いは、昨晩のように噴き出して、有里紗の白いワンピースをコーヒーで染めずにすんだ、ということだ。