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高校生ホームズの推理メモ  作者: るどるふ
序章「名無しのラブレター」
2/20

名もなき詩

 有里紗はモテる。六郎は今日、二つの出来事に遭遇し、その事実に気づいた。


 朝──。


 長い長い通学路。学校までの直線道路が果てしなく続いている。


 六郎が初めてここを通った時に感じた絶望の念は、どうやら多くの生徒が共有しているものらしかった。周りを歩く生徒の多くが前を見ては俯き、また前を見ては俯きを繰り返している。校章をみると、そのほとんどが一年生だ。


 六郎の通う朱陽高校ではブレザーの胸元に刺繍されている校章の色が、学年によって異なる。今年は三年生が赤、二年生が青、一年生が黄色といった色分けになっている。色は学年とともに持ち上がりだそうで、現在二年生の六郎は卒業まで青色、ということになる。


 昨日転校してきたばかりの六郎にとっては、一年生よりもこの通学路に対する経験が浅い。しかし六郎は、すでにこの道路に対する対策を講じていた。


 昨日の放課後、書店で購入した文庫本を取り出す。お気に入りの作家の処女作であり、未読であることをずっと気にかけていた小説だ。本当はもう一作、気になっている作品があった。まぁそれも近々読めるだろう、そう思いながらページをめくる。昨日の夜、第一の殺人事件が起きたところだ。いったい、名探偵はここからどんな洞察をするのか。六郎はミステリ小説が繰り広げる、深淵な謎の世界へと、その身を投じて──


「本読みながら歩いてると怪我するよ」


 唐突に声をかけられた。見ると、有里紗が横に立っている。いつの間にそこにいたのか。まったく気が付かなかった。二つに結んだ髪の毛が今日も無邪気に揺れている。


「おはよう。本読みながらじゃなくても、コケて怪我したやつを知ってるぞ」


 昨日の朝、神社でコケて膝を擦りむいた有里紗を揶揄する。


 有里紗はこれでもかというくらい、ふくれっ面になりながら言った。


「人の失態をいつまでもそうやってチクチクと刺し続けるのはいけないよ!六郎は人を思いやる心が足りてないんだよ。ちゃんとカルシウムとってる?」


 カルシウム不足は高校二年生の平均身長を軽く30センチは下回る有里紗に対する、完全なブーメランであるが、そこに突っ込むと火傷をすることになりそうで、六郎は口をつぐんだ。


「あ、その本。今読んでる最中?」


 有里紗が六郎の手元を覗き込んでくる。相変わらず顔が近い。ふと、殺気を感じて六郎は振り返る。


 ──まさか、な。


 昨日の放課後、本屋での出来事である。通学路が同じだということが分かり、「名探偵の転校生に街を案内してあげよう」と有里紗が言い出した。転校初日から女子同伴で帰宅するとはどんなご身分だ、そんな大名みたいな生き方を教えた覚えはない、と母親は言うだろう。と思っていたら下校途中に母親に出くわし、一言一句同じことを言われた。それはさておき──。


 極度の活字中毒である六郎にとって、新しい街の書店は真っ先にその位置情報や蔵書数を押さえておきたいところだった。有里紗に「どこか案内してほしいところはある?」と言われ、六郎は間髪入れずに「本屋」と答えていた。


「本屋さんかぁ……あるにはあるけど。電車で二駅先に大きいのが」


 六郎は絶望した。この街には本屋がないのか。打ちひしがれている六郎に有里紗が言った。


「無いことは無いけど……行ってみる?」

「あるなら早く言ってくれ。どんな小さなどんな品揃えの悪い本屋でも、あるに越したことはない」

「確かに小さいけど、品揃えは大丈夫だと思うよ?」


 有里紗は歯切れ悪くそう言った。




「ここは、天国か?」


 六郎の前にはマイナーからメジャーどころまでのミステリ小説が詰まった本棚があった。作者が同じで翻訳者の違う洋書も綺麗に並べられていられる。外見は小さな本屋だったが、ミステリの品揃えは大規模書店に決して負けていない。


 恐るべし、須賀書店。ん──?須賀書店?六郎は横にいる有里紗の顔をじっと見る。


「ここって、もしかして有里紗の家?」


 六郎がそう言うと、有里紗はバツの悪そうな顔をして首を縦に振った。なんと、出会って二日目で家を訪ねてしまったのか──六郎が具合の悪い思いを抱いたその瞬間、ドンッと大きな音がして本棚が揺れた。


「誰だぁ、貴様は?」


 どすの聞いた太い声が真横から聞こえる。最大限の威嚇の主を確認しようと、声のする方へ顔を向けると──モンスターがいた。もとい、モンスターのように目を光らせる男が立っていた。拳が本棚に刺さっている。さっきの音はこいつか……と思うまもなく、男は六郎に詰め寄った。


「貴様は、誰だ?」


 もう一度、倒置法を使わずに男は尋ねた。単純に名前を聞いているのではないことは明白だ。この男は、俺に殺意を抱いている──と六郎は直感した。どうする、逃げるか?たたかう、なんてコマンドはないぞ。


「ちょっと、お兄ちゃん、何してるの!」


 横から有里紗が割って入る。


「──お兄ちゃん?」


 と、たしかに有里紗は言った。この男が──?


 目の前にいる男はどう見ても2m弱の身長がある。どう見ても小学生くらいの有里紗とは似ても似つかない。目元も違う。有里紗は大きく、キラキラした目をしているが、この男は細く、それでいてギラギラした殺意をその目に宿している。なんだこれは──DNAはどうなっている?


 六郎は未だ現状が飲み込めないまま、DNA塩基配列の悪戯が生み出した二人を交互に見る。


「この人は芦屋六郎くん。私のクラスメイトで、お客さんよ!」


 有里紗が言った。まだ買うとは決めていないが、こうなれば何も買わずに出ていくのはだいぶ気まずい。恐るべし、本屋の娘。


「ごめんね、六郎くん。この人は私のお兄ちゃんで、ここの店員さん。」

「ほんとに客か?有里紗に良からぬ思いを抱く馬の骨なんじゃあ……」


 バスッ──と大きな鈍い音が響く。有里紗が手に持った鞄を、兄の腹めがけて振り抜いていた。

 ぐあっ……と声を吐き出して兄と呼ばれた男は地に伏せる。


「もうっ、いいからお兄ちゃんはどっか行ってて!」


 ──さっきの鞄より、シスコン兄にはその言葉の方が響くだろうな、と六郎は思った。


 その後、すごすごと退散していくモンスターを尻目に、六郎はお目当ての本を探した。もう一つ、以前から気になっている本があったが、それは有里紗が購入した。


「読み終わったら交換しようね」


 有里紗が笑顔で言ったとき、六郎は背後に殺気を感じた。振り返ると須賀兄がこちらを睨んでいた。天国と思われた本屋がモンスターの巣食う洞窟に思えて、六郎は落胆した。


 翌朝、通学路には六郎と有里紗の二人。先ほど感じた視線が須賀兄のものに思えたが、気のせいだ──と六郎は首を振る。


「まだ序盤だけどね。有里紗はあの本、どこまで読んだ?」


 六郎は読みかけの本を閉じて有里紗に言った。


「私は昨日の夜読み終わったよ。」

「え、もう?」


 思わず声に出た。どうやら有里紗の読書スピードはかなり早いようだ。有里紗が買った本は濃厚な情景描写や難解な推理が売りのミステリ作家の小説だったはずだ。分量もかなり多い。


「じゃあおれもできるだけ急いで読むよ」

「大丈夫だよ。ミステリは自分のペースで読まないと。ホームズの名が泣くよ」


 別に俺はホームズの名を冠しているわけでもなんでも無い──と六郎は思う。芦屋六郎、名前の中にシャーロクをもつ少年。有里紗はこのことをかなり気に入っているようだ。六郎としては、昨日有里紗が口にした『シャーロッ君』という恥ずかしすぎるあだ名だけはなんとか回避しなければと思っている。ただ、それだけのことで転校二日目、ここまで仲良くなれたことは、少し嬉しくも感じていた。


 いくつかのミステリ談義を交わしているうちに、長い長い直線道路はその端を覗かせた。校門をくぐり、下駄箱の前に着いたとき、二つ目の出来事が起きた。


「あ──」


 引き戸式になった下駄箱を開けたとき、有里紗が不意に声を上げた。

 どうした?と覗き込むと、有里紗の靴の上に一通の封筒が置いてある。色や形状から見て間違いない、これはラブレターというやつだ。


「なかなか、古風だな」


 手紙を前に動きを止めている有里紗に、六郎は言った。有里紗は六郎の方を向き、えへへと、どう見ても作り笑いの表情を浮かべて手紙を鞄にしまった。


「私、ケータイとか持ってないから」


 有里紗が見当違いの発言をしたことが少し可笑しかった。


「六郎くんはこういうのもらったことある?」


 有里紗が下駄箱の前に立ったまま、六郎に尋ねた。


「残念ながら、無い。有里紗はよく貰うのか?」

「二年になって、六通目」


 これは驚いた。と同時に自慢かとも思ったが有里紗の困惑気味な表情を見て、六郎はその思いを撤回する。


 ──困っているのか。確かに貰うだけ貰ってはい終わり、ではない。返事を期待するものも多いだろうし、どう返事をしたらいいかも悩むところではあるだろう。どう断るかも──と考えて、六郎は思い直す。


 ──いやいや、すでに有里紗には彼氏がいて、それで困っているのかもしれない。……彼氏、いるのか?


 六郎は有里紗をまじまじと見る。どうみても小学生並みの身長と、大きな瞳。二つに結んだ髪の毛が頭の後ろでぴょんと跳ねている。傍目から見ると確かに美少女だ。いまさらながらに六郎は『有里紗はかわいい』ということを認識した。ラブレターの六通くらいは貰っていてもおかしくないだろう。


「彼氏がいるのか?」


 六郎は平静を装って聞いた。出会って二日目の少女の色恋に、何を動揺しているのか、自分でも不思議なくらいだ。


「ん?いないよ?」


 そう有里紗が答えたとき、六郎は確かに安堵を感じていた。


「でもこういう手紙を貰うと、返事を書くのもどうしたらいいか分からなくて。この人はたくさん考えてくれて書いているんだろうし」


 確かに──と六郎は思う。内容もそうだがさっきの手紙、封筒や中の便箋を選んだり、いつどうやって渡すのかも、相当悩んだのだろう。それに対し、きちんと返事を書こうとする有里紗も相当悩むのだろう。傍から見れば羨ましかったり、鼻で笑うようなことなのかもしれないが、当事者たちには大きく、重い出来事なんだろう。六郎は自分の下駄箱を開けた。


 ──中に手紙が入っていた。


 いや、手紙と言うにはあまりに雑なものだった。学校から配られたプリントの裏面に、ペンで走り書きがしてある。


『転校早々須賀さんに近づきやがって 調子乗んなよ』


 有里紗はモテる。六郎は実感した。手紙は有里紗に見えないよう、クシャクシャにしてポケットにしまった。


 教室に入り、自分の席について六郎は頭を抱えた。──困ったことになった。転校してきてすぐに敵を作ってしまうとは……。今は実害はないが、これがエスカレートして嫌がらせが始まる、なんてことにならなければいいが。さて、どうしたものか。


「さて、どうしようか、六郎くん」


 放課後になり、有里紗が声をかけてきた。差し出された手には封筒が乗っている。朝貰っていたような封筒ではなく、細長い茶封筒だ。


「これなんだけど──」


 有里紗が封筒を六郎に渡してくる。


「なんだ、またラブレターか?」


 見た目からそうではないと思ったが、有里紗の反応は予想外のものだった。


「うん、そうっぽいんだけど……宛名も差出人も書いてないんだよね、これ」


 有里紗は中から一枚の紙切れを取り出す。白いメモ用紙だ。達筆なボールペン字でこう書かれていた。


『ごめん、週末は会えそうに無い。また来週、あれがかえってきたら話そう。』

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