二、白紙の入部届
ミス研の存続をかけた部員勧誘活動。その第一弾となるビラまきは大失敗に終わった。
そもそも生徒数が五〇〇名弱の朱陽高校の生徒数に対し、五〇〇枚のチラシというのは余りにも多すぎた。ターゲットは「新」と付けるのもそろそろ危うくなってきた一年生である。そのほとんどがもう何かしらの部活動に入っている。どこにも入部していない者は、どこにも入部する気がないという意思を持っている。七月の、さらにはテスト一週間前というこの時期に、部員募集のチラシを見て入部しようと思う者などいるわけがないのだ。
「さて、次の手を考えましょう」
ミス研の部長、彩は腕を組んで考えながらそう言った。
「まだ何かするんですか……」
彩の奸計にハマり、入部届にサインしてしまった六郎は、もはや彩の手足として働かされている。入部から一日経ち、今日もミス研の部室に集まっていた。
「そもそも、今日から本格的にテスト週間で、部活動は一斉停止のはずじゃ……」
今日からは運動部も文化部も総出でテスト勉強に専念するように、というお達しが教諭陣から出ていたはずだ。放課後のこの時間になり、いつもだったら聞こえていた野球部やサッカー部の喧騒、吹奏楽部の演奏などが、今日は聞こえてこない。いつも閑散としている図書室は今日から満席になるだろう。
「そんなのいいの。テスト前だけ勉強したって真の実力にはならないのよ。いざとなったら、この優しい先輩が手取り足取り教えてあげるわ」
彩が取るのは揚げ足ではないだろうか……と六郎は思ったが口には出さない。
「チラシも配ったし、学校のいろんな場所に(無断で)ポスターも貼ったし……」
「今なんか小声でヤバいこと言いませんでした?」
「気のせいよ」
もう口出しはすまい──と六郎は決心した。
「そういえば、今日は有里紗は?」
彩が不思議そうに尋ねる。六郎と有里紗はいつもセットで存在している、とでも言わんばかりに。
「有里紗は今日はちょっと用事があるみたいで……一人で行って、と言われました」
昨日から有里紗が怒っているように見えるのは気のせいだろうか。
「ふーん……」
彩が意味ありげに微笑みながら言う。直感的で破天荒な性格ではあるが、黙っていれば妖艶なる美人である。彩と二人っきりで部室にいることが、六郎の中で突然意識され始めた。
「じゃあ、傷心の芦屋くんを、お姉さんが慰めてあげないとね?」
一歩一歩、彩が近づいてくる。頬がほんのり紅く見えるのは夕陽のせいだろうか。
「いったい、何を?」
六郎は、はやる鼓動を抑えながら一歩後ずさる。彩はさらに近づいてくる。
「そんな芦屋くんに、プレゼント」
耳元で囁くように言った後、彩は六郎の手を握る。その手に何かを握りこませた。
「これは……」
六郎は握らされたものを見る。それは──。
「なんですか? これ……」
そこにあったのは、初めてこの部室を訪れたときに彩がつけていた仮面だった。オペラ座の怪人よろしく、な白い仮面である。
「今日はこれを着けて勧誘活動をしてきてね」
「からかってます?」
「大真面目よ」
「いえ、俺のことを」
「ああ……」
ああってなんだ──と六郎は呆れる。同時に、二度もハニートラップに引っ掛かりそうになった自分にも。
「大体、テスト週間に勧誘活動なんてしてたらすぐバレますよ。部員を集める前に活動停止、なんてことになったら目も当てられません」
「それもそうね」
やっとわかってくれたか──と六郎は胸をなでおろす。
「じゃあ、テキトーに歩いている一年生を拉致って来て、テスト勉強がしたければ入部届にサインしろって強要するのはどうかしら」
「それ、犯罪ですから」
念のため言っておいた。
結局この日は何も手を打たないまま、夕暮れが夕闇に変わる頃にお開きとなった。
六郎は帰り道を歩きながら考えていた。昨日今日と、彩に振り回されっぱなしである。テスト週間が終わるまでに、部員が確保出来れば良いが、出来なかったときは……。想像するだに恐ろしい。
しかしながら、何か策を講じようにも、現状は限りなく手詰まりに思える。ミステリ好きな人間でも、わざわざミス研に入ってミステリ談義を交わそうなどという奇特な者が、そんなにいるとは思えない。
彩や真志にはかわいそうだが、廃部の危機を免れる事は、不可能だろう──と六郎は思った。
そして、そんな六郎の予想は、翌日見事に打ち砕かれることになる。
翌日──。
昼休みの教室。有里紗は未だ怒ったようなふてくされた表情を浮かべている。六郎が話しかけても「うん」とか「すん」とか返すばかりで、会話にならない。
そこへ、唐突に割り込んでくる影があった。
「彩先輩……」
先に気付いたのは有里紗だった。以前なら、彩になついた小動物のように接していたはずだが、有里紗は彩を見た瞬間に表情が曇った。
彩はそんな有里紗を横目で見ながら、六郎に近づいてくる。
「芦屋くん。大ニュースよ」
「どうしました?」
六郎は有里紗に気を遣いながらも、そう聞き返した。
「さっき、部室に行ってみたら、部室の中にこれが落ちていたの」
六郎は彩が掲げた紙片に目をやる。これは──。
彩が掲げたもの、それは、入部届であった。今のミス研、主に彩が、喉から手が出るほど欲しているものだった。しかし──。
「白紙、ですね」
口を開いたのは有里紗だった。先程までの機嫌の悪さは、目の前の不思議な紙片によって払拭されたようだ。その意味を図るように、白紙の入部届を見つめている。
「そうなの。せめてクラスだけでも書いてあれば、これを置いていった人間を見つけることができるのに」
彩が悔しそうに言う。
「誰かのいたずらかなんかなんじゃ?」
六郎が言うと、彩の目が光った……ように見えた。
「もしそんないたずらをする人間がいたら、考えうる限りの拷問を加えたうえで正式に入部してもらうわ」
どうやら命の保証はあるらしい。
「これが部室の中に? 鍵はかかってなかったんですか?」
有里紗が尋ねた。
「もちろんかかっていたわ。たぶん扉の隙間から入れたんでしょうね。蝶番の上下のところから、薄い紙くらいなら入れられるし」
ということは、昨日の放課後から今日の昼にかけて、その入部届は部室に放り込まれたことになる。しかし誰が、なんのために?
もしこれが正式な入部希望者によるものであれば、四人目の部員ということになる。有里紗の機嫌さえ直れば、もともと六郎をミス研に連れていった本人が、入部を断るとは考えにくい。
有里紗を入れて五人。晴れてミス研は存続が確定する。
「有里紗、芦屋くん!」
彩がひときわ大きな声で言う。
「なんとしてもこの入部届を書いた人間を探しましょう。あと五日、どんな手を使っても構わないわ!」
白紙ですけどね……と六郎は心の中で突っ込んでおいた。




