一、入部届の書かせ方
七月に入った。
六不思議の事件から二週間が経った。太陽はますます勢力を増し、日に日に遠慮というものがなくなってくる。輪をかけて、朱陽高校に通う生徒たちの精神を蝕んでいく行事が近づいてきていた。
「六郎くん、転校してきて初めての定期考査の準備は完璧かね?」
芦屋六郎は今にも南中しそうな太陽に向けていた恨めしげな視線を、声をかけてきた少女に向ける。
「準備なんて何もしてないよ」
「そう言うと思って、この私が一生懸命作ったテスト対策用ノートを持ってきたんだよ!」
その少女、須賀有紗里は、これでもかというドヤ顔を浮かべながら、キャンパスノートを六郎の目の前にやる。大きな瞳はキラキラと輝いている。
六郎は無言でそのノートに手を伸ばす。あと少しで掴める、というところで有里紗がヒョイとノートを上に掲げる。小学生くらいの身長しかない有里紗だが、さすがに座ったままでは六郎の手も届かない。
有里紗は後ろで二つに結んだ髪をぴょんぴょんと跳ねさせる。あの髪自体に意思があるのではないか、と六郎はときどき思う。
「ふっふーん、欲しい? 欲しいよね?これが欲しかったら……」
「要らん」
「今から私が言うことを……ってええっ?」
この世にこんな不思議なことは無い、とでも言うように、大きく口を開けている。夏の虫が総出で入り込んでいきそうだ。
「要るよね、要るさ、要るはずよ!」
「見事な三段活用だが、対価が必要なら要らん」
有里紗が気を落とし、しゅんとする。心なしか後ろ髪も垂れ下がったように見える。
「ひどい、話すら聞いてくれないなんて……。いつから六郎くんはそんな冷酷冷徹礼儀知らずになったの?」
酷い言われようだが、有里紗がわざわざ作った、と自称するほどのものだ。その対価はよほど面倒な頼まれごとに違いない、と六郎は思った。
有里紗は優しい。その優しさゆえ、他人の厄介事も自分のことのように考えてしまうところがある。そして、六郎がこの学校に転入して一ヶ月弱。すでに二回も六郎は首を突っ込ませられた。
「冷酷冷徹は知らんが礼儀はあるつもりだ」
「親しき中にも礼儀あり、だよ。話だけでも聞いてくれないかな?」
そこまで言われては突き放すのも悪い気がしてくる。いつの間にか断るすべを失った六郎は、またしても要らぬ世話を焼くはめになった。
放課後──。
「これは、どういうことだ?」
ミス研の部室。六不思議事件のときに何度か訪れた部室だ。中央に置かれた長机の両脇には、部員が二人しかいない割に、五つもパイプ椅子が置かれている。
「彩先輩は困っているんだよ」
彩先輩──ミス研の部長、辻戸彩は一番奥のパイプ椅子に座り両腕を組んでいる。長いストレートの黒髪に吊り上がった瞳は、彩が美人の部類に入ることを証明している。
「そう、私は困っているの」
「今聞きましたよ。一体、これはなんですか?」
六郎は目の前に置かれた一枚の紙片──入部届と書かれたわら半紙をヒラヒラと目の前に掲げて揺らした。脇にはボールペンまで置かれている。
「えっとね六郎くん、足りないの!」
足りないのは有里紗の説明だ、と六郎は思った。
「そう、我がミス研には、部員が圧倒的に足りていないのよ」
「そういえば、そんなこと言ってましたね」
現在、ミス研の部員は二名。部長で三年の辻戸彩、役職は知らないが二年生の吉田真志。
朱陽高校では部活動の開設、年度毎の存続には五名以上の部員が必要だ。では、ミス研はなぜこのような部室をもらっているのか。それも、六不思議事件のときに教わった。
昨年度、ミス研の部員として在籍し、不幸にも転校を余儀なくされた三名の部員。その名前を、学校に提出する書類から抜かずに申請を出したらしい。
普通であればそんなもの、認められるはずがない。が、しかしミス研は今こうして正式な部活動として活動できている。これはひとえに学校側の管理の杜撰さと、部長である彩の神経の図太さのおかげであろう。
そうして、禁忌を冒し廃部を免れたミス研の部長が、こうして六郎を呼び出し、あまつさえ入部届まで書かせようとしている。考えられる原因は、ひとつ。
「学校にバレたんですか?」
彩はニヤリと笑みを浮かべた。
「さすが、ホームズ君、名推理だ。有里紗がシャーロッ君と呼ぶだけのことはある。六不思議の時も思ったよ。君こそまさにミステリの申し子。ミス研に入るために生まれてきた存在だということがね!」
片手を俺に差し出し、もう片方の手を胸元で強く握りしめる彩を見ながら、六郎が言った。
「俺の存在理由はあと一年半で終わるんですか。あと、辻戸先輩ってオカルト専門じゃなかったですか?」
近年ミステリの枠も多様化を極め、オカルトも推理もすべてミステリに分類されるようになってきている。彩は幽霊やらUFOやら、そちら方面だったはずだ、と六郎は思い出す。
彩が大きく咳払いをして、言った。
「とにかく! 私たちは非常に困っているの。部員が足りないことがバレたらミス研は即廃部よ。そうさせないためにはあと一週間で三人の部員を集めなくてはいけないの」
「一週間というのは、どこから?」
「明日から一週間はテスト前の勉強期間で、全ての部活動が活動休止になるわ。その間は、先生たちのチェックも無いらしいの。だから、テスト明けまでに五人揃っていれば……」
「見事ミス研は存続が確定するってことだよ!」
最後は有里紗が大きな声で締めくくった。
「テスト週間だからといって、先生たちの目がかいくぐれるんですか?」
六郎が尋ねた。彩がそれに答える。
「実は、今回の部活動に対するチェックも、暗黙理に行われる予定だったらしいわ。それを、高橋先生が教えてくれたの。ミス研を失くすのは惜しいから頑張ってくれってね」
高橋先生は六不思議の一件以来、人が変わったように明るくなったようだ。その一端を担ったミス研に、せめてもの温情を与えてくれたのだろう。
「で、俺に入部しろと?」
俺は再び、白紙の入部届に目をやる。
「有里紗とあなたが入部してくれれば部員は四名。あと一人で目標に達するわ。だから……お願いします!」
彩が深く頭を下げる。いきなりの低姿勢で六郎は大きく慌てた。
「あ、いや、辻戸先輩……そんな、頭を上げてください」
六郎がそう言うと、彩はゆっくりと頭を上げた。その顔を見て六郎はぎょっとした。切れ長の瞳に、大きな涙が浮かんでいる。いまにも溢れんばかりの雫が、瞳の奥を揺らしていた。
「ダメ……かな?」
「あ、いえ、ダメというわけでは……」
涙を見て、六郎はますます焦る。彩がたたみかけるように、六郎の手を握る。
「芦屋くんしか、頼れる人がいないの。だから……」
彩は六郎の手にボールペンを掴ませ、入部届の方に押しやる。六郎は何が何やらわからないまま、入部届けに必要事項を書かされていった。
すべての項目の記入が終わる。彩は素早く入部届を引ったくり、ポケットに押し込んだ。
「はい、じゃあ芦屋くん。今からあなたはミス研の部員よ。つまり、わたしの部下」
「はい?」
急にしおらしさが無くなり、そんなことを言い出した彩に、六郎は面食らった。
「えっと……辻戸先輩?」
「時間がないわ。有里紗と芦屋くんは今から校門の前でこのチラシを配ってきてちょうだい。少しでも興味がありそうな人がいれば首に縄つけてでも連れてきて」
デカデカと『部員募集!』と書かれたわら半紙を大量に渡される。背中を押され、六郎は部室を追い出される。何が何やらわらからないでいると、隣に立つ有里紗が口を開いた。
「……馬鹿」
その後、怒ったような拗ねたような表情のままの有里紗と一緒に、受け取り率の非常に悪い、時期外れの手製チラシを配った。
哀しげな夕陽が、その姿を遠くの山の向こうに隠そうとしている頃になって、ようやく六郎はハメられたことに気づいた。なんの策略も謀略も無い、単なる色香に騙された六郎は、怒りをぶつける矛先も持たぬまま、夕暮れの校門前で途方に暮れる。
そんな六郎を見て有里紗はもう一度言った。
「……馬鹿」
期末テストまで残り七日。部員数、三名。




