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Flower ~この祈りは届きましたか?~

それはとても天気がいい春の日のこと。

片田舎の村にある教会に併設された孤児院で小さな赤ん坊の泣き声がするのは珍しいことではないが、1人のシスターがその泣き声がいつもと違う場所から響いていることに気付いた。

やがてその泣き声を辿って辿り着いた門の片隅に、置き去りにされていた籐で編まれた籠の中には白いたくさんの布が敷かれ、その布に埋もれるようにして全身を真っ赤に染め上げながら生まれて間もないと思われる赤ん坊が泣いていた。

シスターが見つけた時、籠の中に置かれた一厘のマーガレットだけが赤ん坊を祝福するようにそよ風に花弁を揺らしていた。



「メグー……」

白いマーガレットが咲き乱れる花畑の中で、聞き慣れた声に名前を呼ばれた少女が、一心に動かしていた手元から顔を上げる。

春の木漏れ日にキラキラと輝く金色の髪を揺らしながら辺りを見回し、少し離れた場所に予想通りの少年の姿を見つけてにっこりと微笑んだ。

「レスター、ここよ」

手を上げて少年に知らせるメグの姿を見つけて、少年が僅かに息を弾ませて駆け寄る。

おそらく村から駆けてきたのだろうと思われるその様子に、少しだけ申し訳なさそうにメグの眉が下がった。

「良かった、やっぱりここにいた!もう、1人で村の外に出ちゃだめだって言われてるだろ」

軽く睨み付けられてごまかすようにメグが笑う。

「ごめんね。でも、今日はお母さんの誕生日だから」

もう一度自分の膝の上に視線を落としたメグにつられるようにレスターもそこに目を向けた。

丁寧に編みこまれたマーガレットの白が可憐な花冠はもうほとんど出来上がっていて、その出来上がりの美しさにお母さんと呼ぶ孤児院の院長への、メグの気持ちが込められているようだった。

「そっか。うん、そうだね。あんまりお祝いも出来ないし。でもやっぱり危ないよ。最近、悪い人が国境に集まってきてるって言ってたし」

「うん……分かってる」

レスターの言葉にメグの表情が曇る。

つい数ヶ月ほど前にメグとレスターの村がある国は、豊かな広い森の所有権を巡って隣国と開戦した。

それに伴い国中に節制が求められ、普段から財政に余裕のない孤児院は国からの援助が減ってさらに圧迫された財政状況に陥っている。

そんな苦しい中、さらに2人が暮らす村は国境から近くはないが遠いとも言えない場所にあり、戦火が広がれば巻き込まれる可能性は十分にあった。

事実、ここ数ヶ月で仕事を求める荒くれ者の傭兵たちが何人も村を訪れて国境へと向かっていった。中にはろくでもないとしか言いようがない人間もいて、村人との小競り合いも数度起こっている。

レスターは小柄だが剣術の素質があり、昔は王都で兵士をしていたという近所のおじさんに剣を習っていて、そんな小競り合いの時にはたまに呼び出されて仲裁を行ったりしていた。彼が1人でメグを迎えにきたのも、彼なら大丈夫だと思われているからだ。

「さぁ帰ろう」

メグが花冠の端の処理を済ませたのを見計らって差し出されたたレスターの手に掴まり立ち上がる。

そのまま手を引かれて歩き出しながら、手に馴染む体温を確かめるようにレスターの手を握りなおした。

「メグ?」

立ち止まって不思議そうに振り返るレスターの目に不安そうなメグの顔が映る。

「ねぇ、ここも戦場になる?」

心細そうな声にレスターが一瞬困った顔をした。

けれどすぐに明るい笑顔になってレスターからもしっかりとメグの手を握る。

「大丈夫だよ。きっと、ここまでは戦火は広がらないから」

励ますような言葉に確証がないことを2人とも知っていたけれど、それでもそれを信じるようにメグは頷いた。

「その花冠、お母さんきっと喜ぶよ。メグの花だね」

再び歩き出しながら、嫌な空気を振り払うように明るい話題を口にした。

「うん、そう。知ってる?レスター。マーガレットはね、何年も咲くの。冬に枯れてもまた春には花を咲かせる、強い花なの」

「そっか。弱そうなのに実は強いって、本当にメグみたいだね」

「それってどういう意味?」

「頑固だってこと!」

レスターの言葉にぷくっと頬を膨らませて抗議するメグに、レスターの笑い声がこぼれた。



花畑から2人が帰ってきてから数日後の夜、騒々しさに眠っていたメグは目を覚ました。

「なぁに……?」

眠い目を擦っていると、部屋の扉が開いてレスターが現れた。

「メグ、良かった起きてて!早くみんなを起こして!敵がきたんだ!」

起き抜けに言われた言葉に面食らうメグにレスターが焦れたように近づいて細い肩を掴む。

「隣国の……たぶん雇われた傭兵達で、村を襲ってるんだ!」

揺さぶられてようやくはっきりしてきた頭で理解した言葉に、メグが青褪めた。

「早く、皆を起こして地下貯蔵庫に隠れて。本当にもうすぐ、やってきちゃうから」

急かすレスターに慌ててベッドから降りると、一緒に寝ていた孤児院の弟妹達を起こして回る。

メグもレスターも孤児院では年長組に入るから、下の子供達の世話は彼女達がしなくてはならない。

「待って、レスター!どこにいくの?」

全員が起きたのを見て、レスターが部屋を出て行こうとするのを見咎めたメグを彼が振り返る。

「ほんの少しでも時間を稼げるように、門に鍵をかけてくる。メグは皆を連れて早く貯蔵庫に行って」

「でも!そんなの危険だよ!?あ……レスター、どうしたの、その血!」

暗い部屋では分からなかったが、廊下の窓から差し込む光の中で見るとレスターの胸辺りはべったりと血に濡れていた。

「大丈夫、これは僕の血じゃない。お母さんの……」

こらえる様に言葉を途切れさせて俯いたレスターに息を呑む。

そういえばどうして院長ではなくレスターが皆を呼びにきたのか、ようやくその疑問を持つに至った。

「僕は大丈夫だよ。早く行って」

一呼吸置いて感傷を振り切るように再びレスターがメグを急かす。反論の言葉をつむぎかけて、けれどレスターの強い瞳に言葉を飲み込んだ。

「……ちゃんと後から来てね」

「うん」

頷いて今度こそ駆け出していくレスターを見送って、メグはぐずる弟妹を急かして地下貯蔵庫へと早足に向かった。

教会と孤児院共同の厨房の裏側は物置になっており、その奥まった場所の床にはひっそりと鉄の扉があった。扉の下は天然の洞窟を利用した地下貯蔵庫になっており、かなりの奥行きがある。

村の一番端に位置するこの教会に、近くの家から逃げてきた数人の村の住人たちを途中で見つけ、連れ立ちながら急いでメグは地下貯蔵庫に辿りついた。

「皆、はやく入って!」

重い扉を大人と一緒に何とか開いて、弟妹と村人達を急かして中へと追い立てる。そして扉が見つからないように出来るだけ荷物を移動させてから自分も中へ入って扉を閉めた。

中から閂をかけて人の気配を断つために出来るだけ奥へと進む。

地下の奥深く、それでも地上の喧騒と緊張はおぼろげに伝わり、皆が皆、叫びださないようにお互いの手を握り合ったり抱きしめ合ったりして息を殺していた。

メグも同じように弟妹の1人を抱きしめながら、暗い地下貯蔵庫の入り口をじっと見つめ続けている。

(レスター、早く来て。神様どうか、レスターを守って)

ずっとそれだけを祈り続けて、どれほどの時間が経った頃だろう。

ガツ、という音が響いて入り口の扉が激しく震えた。

パニックになりかけた声がいくつも上がる。その間にも何度も衝撃が扉を襲い、やがて閂が壊れて扉が開かれた。

差し込まれたランプの明かりに、闇に慣れた目が痛む。

「大丈夫ですか。私は国軍の兵士です。もう安心ですよ。賊は追い払いました」

顔を覗かせた兵士が確かにこの国の軍服を身に着けているのを、ようやく光に慣れた目で確認して皆が脱力した。それから、助かったのだと手に手を取り合って歓声を上げる。

けれどメグはそれに加わらず、件の兵士に駆け寄ってすがりつくように彼の服を握り締めた。

「レスターは……レスターはどこですか!?」



外に出てからメグたちは駆けつけた国軍の人たちから事情の説明を受けた。

最近、傭兵を雇った略奪行為を隣国が行っていたこと。それを察知して慌てて討伐隊が派遣されたこと。それでも数が多く傭兵たちは隊商に偽装もしていたためすべてに手が回らずに、情報を掴んで駆けつけてみたらすでに村が襲われたこと。結果、村の約半数の人が犠牲になったこと。略奪が目的のため、傭兵達は国軍が駆けつけると波が引くように逃げていったこと。

孤児院の院長も犠牲の中に含まれた。孤児院の一室で院長は背中を大きく切り裂かれて亡くなっていた。

悲しみに暮れる暇もなく村人総出で遺体を埋めるための墓を掘って、生き残ったシスターなどを中心として葬儀を執り行った。

駆けつけた軍人も手伝ってはくれたが、追い払えはしたものの逃してしまった傭兵達を、新たな犠牲を出さないように追いかけなければならなかったため、襲撃があった翌々日には村を去っていった。

メグは犠牲になった無数の遺体を1つ残らず探したが、その中にレスターの姿はなかった。

ぼんやりとしながらいつの間にかメグは、数日前に花冠を作っていた花畑に来ていた。

そこは傭兵たちが逃げる際に火を放ったらしく、踏み荒らされ草花は燃え尽きて、美しかった光景は見る影もなくなっていた。

「レスター……貴方はどこに行ってしまったの?戻ってくると約束したのに……」

メグの囁くような声と涙を、風が攫っていった。



こじんまりとした教会の聖堂は、定期的に掃除は行っているが窓から差し込む光の中に細かな埃が混じっていて、キラキラと反射している。

中の広さ、整然と並ぶ長椅子の木材の色、蜀台に付いている装飾……ここに来てから数年が経った今も、そんな小さな違いに時々違和感を感じることがある。

そのたびに仕方ない、と自分に言い聞かせた。

ここは自分が生まれ育ったあの場所ではないのだから、と。

「メグ?」

重い扉を開く音と一緒に響いた自分の名前に、両手を組んで祭壇の前で祈っていたメグは顔を上げて後を振り向いた。

「シスター・ルーチェ……」

「やっぱりここにいたのね。またお祈りかしら」

「はい……」

メグは僅かに影を帯びた微笑を浮かべながら近づいてきたルーチェに頷く。

メグたちの村を襲ったあの惨劇の夜から既に3年が経過していた。あの後、傷ついた村に孤児院を維持していくだけの力があるわけがなく、メグを含めた孤児たちは近隣の比較的大きな街の孤児院へと移らざるを得なかった。

同じように戦争が始まってから親を亡くした子供も増えていて孤児院は常に忙しく、ルーチェは手が足りない職員の補充要員として、王都から派遣されてきた幾人かの聖職者の中の1人だ。

蒼にも碧にも見える神秘的な瞳の歳若い……いまだ少女のメグがそう思うのもおかしいかもしれないが……綺麗な顔立ちの女性で、今はきっちりと髪を頭衣で隠しているが、それが美しい淡い薔薇色で豊かかつ艶やかであることをメグは知っていた。メグにも分かるほどに物腰や仕草も上品で美しく、それなりの富裕層の家に生まれ育った人間だと分かる。きっとドレスを着て宝石を身に纏えば、飾り気のない修道服よりもよほど美しく似合うだろうということも。

彼女を見るたびにどうして彼女のような人が清貧を常とするシスターなどをしているのかと思う。思うが、その事情を彼女に聞いたことはない。

言いたくないことは誰にだってあるものだし、聞かなくても訳ありなのはよく分かることだ。孤児院にやってくる兄弟姉妹の中にも同じように様々な理由を抱えた子供が多かった。そういう子から根掘り葉掘り事情を聞きだそうとしてはいけないと、メグは周囲の大人の態度から学んでいた。

生まれた時から孤児院で育ったメグはその距離の取り方が上手で、孤児たちの中では比較的年齢が高く歳が近かったのもあり、ルーチェとはそれなりに仲が良いといえるくらいの親交がある。

だからメグがよくここで独りで祈っているのもルーチェは知っていた。

「どうしたの?暗い顔ね」

心配するように顔を覗きこまれて、それから逃れるようにメグは俯いた。

「私を叱りにきたんですか?」

細い、けれど硬い声で訊ねるメグにルーチェは苦笑する。

「どうしてそう思うのかしら?」

「あの子を……泣かせてしまったから」

同じ村から……あの夜に両親を亡くして……ここに移ってきた血の繋がらない弟の名前を口にしながら、悔しそうにぎゅっと両手を握り合わせる。

「引っ叩いたのはやりすぎでしたけど、言ったことは謝りません」

――いくら祈ったって、レスターはもう死んでるに決まってる!

まだ生々しく耳に残る言葉を思い出すだけで悔しさと悲しさに目が潤む。

気が付けば思い切り彼の頬を引っ叩いて叫んでいた。

――レスターの死体はどこにもなかったわ!亡くなった人と同じにしないで!

それが亡くなった両親の遺体を弔った彼にどれだけ残酷に響くか分かっていた。分かっていて、止められなかった。

「貴方はレスターのことになると、とたんに不器用になるわね」

溜息混じりにつぶやくルーチェの言葉にきゅっと唇を引き結ぶ。

そんなメグを促して、ルーチェは一緒に並んでいる長椅子に腰掛けた。

「……レスターは生きてます。だって、レスターは強くて賢いもの」

縋るように呟くメグにルーチェはメグから視線をはずして、ルーチェ自身は会ったことのないレスターという少年のことを考えてみる。

孤児達の会話の中から拾い上げた情報はそれほど多くない。共通して話される内容としては、面倒見のいいお兄さんタイプで、ちょっとお人よしで、剣の才能があったこと。それから気が付けばメグといつでも一緒にいたこと。メグ達の村で起こった惨劇の夜にどこかに消えてしまったこと。

「……そうね。生きていないとは言えないわね」

ルーチェの言葉に否定の言葉を予想して知らず強張っていたメグの肩から少しだけ力が抜ける。

メグだってレスターが生きている可能性がとても低いものだということは分かっていた。それでも生きていると信じたいと思う。たとえそれがもう自分だけしか信じていないとしても。

「でも、生きていても辛いだけかもしれないわ。こんな世の中だもの、平穏無事には暮らしていないかもしれない。無事に暮らしていても、もうメグのことは忘れてしまったかもしれない」

ほっとしたのも束の間、続いたルーチェの声にビクリと身体が震えた。

もっと早くに決着が着くかと思われていた隣国との戦争は3年を経た今も収束せず、領土争いに収まらない問題を様々に増やしながら互いに一進一退を繰り返し、退くに退けなくなった両国は国境線沿い周辺で今も泥沼の戦いを続けていた。

長引く戦争は国を疲弊させて治安は年々悪化していくし、若い労働力は奪われていく。

「身体にも心にもたくさん傷を負って、今この瞬間にももう死にたいと思っているかもしれない」

続いていくルーチェの言葉に耳を塞ぎたかったけれど、塞いでも無駄だと分かっていた。メグ自身、それは何度も考えたことだったから。

「それでも……」

何とか押し出した自分の声はひどくか細く震えていたけれど、その自分の声に励まされるようにメグが顔を上げる。

「たとえレスターが今歩いている道が傷ばかり負っていく道だとしても、私はレスターに生きていてほしい」

自分のこの願いはエゴかもしれないとメグは思う。けれどレスターが生きているかもしれないというかすかな希望が折れてしまえば、自分が消えてしまうような気がした。

「もう一度、レスターに会いたい。帰ってきたなら、両腕を広げて迎え入れて、疲れているならゆっくりと休ませてあげたい。だから、たとえばレスターは今とても辛くて苦しいかもしれないけれど、これからレスターにいいこともあるかもしれないから、レスターにレスターの命を諦めないで欲しい」

声に出すほどに気持ちは強くなった。まっすぐにルーチェを見つめるメグの瞳が強い光を宿す。

「だから私はレスターが生きていることを願い続けるし、レスターが少しでも幸せであることを祈ります」

相変わらず頑固だな、と記憶の中のレスターが笑った気がした。メグはそれにそうよ、と心の中で胸を張る。

そして見つめるルーチェの神秘的な瞳がふと頼りなく揺らいだ気がした。

「そうね。もう一度……会えるかもしれないものね」

「はい」

はっきりと頷くメグにルーチェが淡く微笑んだ。

「ありがとう」

「……?」

唐突にお礼を言われてメグが首をかしげる。

「ふふ、お礼を言いたくなったの。気にしないで」

柔らかくも何か決意を秘めた微笑に分からないなりにメグは頷いた。

そして叩いたことは謝りなさいねと言って去っていくルーチェの背中を見送る。

そうして祭壇を見つめて再び目を閉じた。

「どうか……レスターに神様の祝福がありますように」



深く暗い森の中を彷徨いながら、自分の荒い呼吸の音がやけに耳に大きく響くような気がしていた。

傷ついた身体から流れ出す血が地面に滴り、止まない痛みに舌打ちをする。

大樹の根元に腰を下ろして幹に背中を預けながらも、手にした剣は手放さない。

その剣で脱いだ上着を裂いて即席の包帯を作り、傷に巻きつけて止血を施す。もう何度も繰り返した作業だから考えるより身体が覚えていた。

小さな傷ではないが、止血さえしてしまえばすぐ死ぬような怪我でもない。

疲れきった自分の体に少しだけの休息を許して彼は深呼吸をした。

ふと俯いた視界に白く揺れるものが映った。大樹の根元で頼りなく揺れる小さな野の花。まるで珍しくも貴重でもないその花に、彼は大切な少女を思い出していた。

目を見張るような華やかさはない、けれどしなやかな強さを持ったお日様の香りがする少女。

こんな深い森の殺伐とした戦場にも咲く花がある。それに励まされるような気がして少しだけ微笑み、再び戦いの中心へ戻るために立ち上がった。



「ありがとうございました」

さぁさぁと雨が降る日の朝、こじんまりと纏めた自分の荷物を手にして孤児院の門の前に立ち、振り返ったメグは司祭に向かって深く頭を下げた。

「頭を上げてください、濡れてしまいます。何もこんな日に出発しないでも」

顔を上げたメグは憂慮する顔の司祭に微笑みながら頭を横に振る。

「早く着いて早く向こうに馴染みたいですし、この時期の雨は大体午後には晴れちゃうことも多いですから」

「そう……そうですね。分かりました。では道中はくれぐれも気をつけて下さい。戦争が終わったとはいえ、まだ色々と危ないですから」

「はい、ありがとうございます。では……」

もう一度神父様に頭を下げて、教会が手配してくれた馬車に乗り込む。

しとしとと雨が濡らす道をガタゴトと揺れる馬車に揺られて進みながら、メグは色々なことに想いを馳せていた。

つい一月ほど前、長く続いた隣国との戦争が終わった。

詳しい話は一庶民でしかないメグには知りえないことだったが、隣国に攫われたのではないかと疑われていた行方不明のルティリカ王女様が王城へ帰還し、隣国の第2王子との結婚をもって停戦を結ぶことを両国に告げた。

問題のもとになった森については、所有権を隣国に譲る代わりに今後20年間はこの国に有利な交易条件で貿易を行えるようになったという。

けれどその話が市井に広まる頃、メグ自身はそれらの細かい話よりもある日突然いなくなってしまったルーチェを心配していた。訊ねてみるとルーチェは神父様の知り合いの娘さんだそうで、事情があって預かっていたけれど、家の都合で還俗して家に戻っていっただけだから大丈夫だと言われた。

ろくなお別れも言えなかったとしばらくむくれたが、続く自身の問題にそんなしんみりとした気分に浸っている暇もなくなった。

通常、この国の孤児院で育つ子供は16歳までは面倒を見てもらうことが出来る。里子などにもらわれていくことがなければその後は自分で住む場所と職を見つけて生きていかなくてはならないが、メグは現在15歳でまだ1年の猶予があった。

それでも、疲弊した国庫では戦争で増えた多くの孤児を養うだけの余裕がなかった。そうすれば出来る限り年長の者から孤児院を出て行くことになる。

メグは強制されたのではなく、自分から孤児院を出て行くことに決めた。というのも、メグはルーチェからあらかじめそのような事態になるだろうこと、そのために自分が生きていく技術を習得することを忠告されていたからだ。

色々と考えてメグは薬学を学んだ。教会は医者がいないような小さな村では時に医療施設の役割も担う。だから医療の知識とノウハウが教会にはあった。さらにメグが身を寄せた孤児院の神父は薬学に優れた医者でもあった。おかげでメグが孤児院を離れる決意をした頃には、それなりの知識と経験を積み重ねることが出来ていた。

そしてメグには元々生まれ育った村に戻るという目標があった。何も目立つもののない田舎の村ではあるけれど、あの村にはレスターと共に過ごした思い出がある。何よりもレスターが戻ってくるならあそこだと思ったから、メグは真っ先に彼を迎えるためにあそこで彼を待ちたいと思った。

戦争が終わった今、避難するように指示が出ていた場所にも国の復興計画に奨励されて少しずつ人が戻り始めている。途中で追い出さざるを得ないメグに神父は、復興地域の1つに当たるメグの村に教会を通じて住む場所を用意してもらい、教会お墨付きの薬師である証明書も発行してくれた。

自分はとても運がいいとメグは思う。レスターがいない日々は確かに辛いけれど、振り返るとたくさんの助力があった。彼のいない日々にただ腐らず折れず努力してこれたのは間違いなく彼らのおかげだ。

自分と彼らに恥じない生き方をしようと考えているうちに、ゆっくりと進む馬車の揺れと幌を叩く優しい雨の音につられて、いつのまにかメグは眠りに誘い込まれていた。



メグの乗った馬車は途中の村で一度停まり、夜をそこで明かして早朝にまた出発した。このままの調子でいけば夕方前には到着するとのことだった。

天気は相変わらずぐずついていたが雨の勢いはそれほど強くなく、降ったり止んだりを繰り返している。

やることもないメグは馬車に乗っている間に手持ちの薬を整理したり、乗り合わせた人とおしゃべりをしたりして過ごしていた。

「お譲ちゃん、晴れたよ」

御者の男性から声をかけられて馬車から外に顔を覗かせると確かに雨がやんでいる。厚く黒かった雲にいくつかの切れ間が出来て、そこからさぁっと柔らかな光が地上に降り注いでいた。めったに見ることの出来ないキラキラと輝いて揺れるその光に目を奪われながら、御者の男が感心したような声を上げる。

「お譲ちゃんは運がいいね。あれは神様の恩寵だよ。めったに見れないからな」

「はい、私も初めて見ました」

自然が見せてくれた奇跡のような光景にメグもぼぅっとなりながら、それがこれからの未来のような気がしていた。

空はまだほとんど雲が覆っているけれど、だからこそ差し込む光が美しく際立つ。もうすぐすれば雲も晴れるだろう。あの光を追っていけばいいのだと思うと、自然に笑みがこぼれていた。

そのまましばらく馬車が田舎道を進んでいく間に予想通り雲が風に散らされるように霧散して、夕方前の柔らかな日差しが地上を明るく照らす。季節は春の終わり頃…初夏に差し掛かる頃で、もっとも気候がよく美しい季節だ。

ようやくまばらに見覚えのある景色が見えてきて、馬車の幌の下から顔を覗かせたメグは懐かしさに目を細める。

やがてもうすぐ村に着くという頃、ふと視界に映りこんだ景色にメグは目を見開いた。

「おじさん、止めて!」

叫んで馬車が停まりきる前に慌しく床を蹴って地面に降り立つ。転びそうになるのをぐっとこらえて雨上がりの道を駆け出すと泥水が跳ねたが気にしない。

そして馬車から垣間見えた場所に辿り着くと、息を呑んで立ち尽くした。

「花が……」

目の前のなだらかな丘に風が吹くと、ざわりと音を立てて一面を覆う豊かな色彩が揺れ動く。

そこはかつて焼き払われてしまった場所だった。故郷の村を出るときも馬車から見えたこの場所は、最後の記憶では煤けて黒くなり草花は何もなくなっていた。

きっともう同じようにはならないだろうと思って、そこが大好きだったからこそ馬車から見たその景色は旅立ちをさらにひどく悲しい記憶にしていた。

けれど目の前には、以前と同じかそれ以上に無数の花が咲き乱れていた。確かにここでは見たことのない花もたくさん咲いていて、ほとんどがマーガレットだった以前とまったく同じではない。それでも息を吹き返したような大地の姿はメグの胸を強く感動で揺さぶった。

もしかしたらいくつかの花は誰かがここを偲んで植えたのかもしれない。そうであるのならもっと素敵だとメグは思った。自分以外にも、確かにあの頃の思い出を大事にしている人がいるということだから。

風が甘い香りを運んで花とメグの髪を優しく揺らす。穏やかな光に花弁や葉についた雨露がきらきらと輝いていた。

そしてしっかりとその光景を目に焼き付けて馬車に戻ろうと振り返った時、村の方から誰かが歩いてくるのを見つける。古ぼけた茶色のマントを纏ったその青年の腰には長剣が下げられ、大きめの布でつくられた鞄を背負っていて旅人だと分かった。傭兵や流れ者に多いその格好にメグはわずかに体を緊張させる。

昔、故郷の村を襲ったのは傭兵の集団だったし、その後も乱暴な流れ者と接する機会は幾度かあった。礼儀を知らない人間ばかりなわけではないと分かっていても、反射的に身構えてしまう。

その青年が顔を上げて、目が合った……両者の間にはそれなりの距離があったけれど、メグは確かに目が合ったと思った。そして自分でも分からないまま引き寄せられるようにその青年の方へと歩き出す。

青年はそのメグの姿に戸惑ったように立ち止まりかけ、けれどすぐに自らもメグの方に向かってくる。

やがて2人はお互いまであと1歩というところまで近づいて足を止めて見詰め合った。

「――…メグ?」

先に口を開いたのは青年で、戸惑いながら恐る恐るというようにその名前を口にした。メグは聞きなれない声と見慣れない精悍な顔に違和感を感じても、その瞳の色は変わらないと思った。

――もう一度会えたら最初に何を言おうかとずっと考えていた。

だから下から睨みあげるようにして考えていた言葉を口にする。

「ちゃんと戻るって言ったのに、帰ってくるのが遅いわ、レスター」

唐突に告げられた文句に青年……レスターは面食らって目を瞬かせてから苦笑した。

「うん、ごめん」

「待ってたのよ」

「うん……」

待っていたというメグの言葉にレスターの瞳が複雑な感情に揺れる。子供の頃よりずいぶん大きくなった手をメグに躊躇いながら伸ばしかけて、結局その手は頼りなく自分の体の横に戻った。

「――本当は」

少しの沈黙の後に、メグから視線を逸らしながら再びレスターが口を開いた。

「雨が降らなければ昨日のうちに、またどこかに出て行こうと思ってた。戻ってみたけれど、あそこはもう俺の居場所じゃないみたいに感じて。メグたちが移っていった先も教えてもらったけど、会うべきじゃないと思ったから会いに行くつもりもなくて」

「どうして……?」

レスターの言葉にメグが痛そうに胸を押さえて泣きそうな顔をする。

「俺は昔の俺じゃないから。あの夜に浚われていってから、たくさんの人を殺してきた。人殺しが好きなわけじゃないけど自分で選んでそうしてきたし、もう人を殺すことにも躊躇いを感じない。そういう人間が普通に暮らしてるだろうメグ達に会ったっていいことなんてないだろう。綺麗な思い出を汚すだけだ」

メグはそう語るレスターの声がとても乾いた声だと思った。血が流れすぎて干からびてしまったような。

俯いて視界に移りこんだレスターの手を見ると、ずいぶんと大きくなった手はすっかり剣を握る手をしていた。いくつか傷跡も刻まれている。きっと服で見えない場所の身体にもたくさんの傷跡があるのだと感じた。そして身体だけでなく心にも。

レスターの言葉にそんなことないというのは容易かったけれど、それではレスターには届かないと思った。メグは結局、これまで誰かに守ってもらいながら生きてきた。だから何か言わないとと思っても言葉がうまく出てこなくて、衝動のまま手を伸ばしてレスターの手を両手で握る。レスターの肩がかすかにびくりと震えた。

乾いたレスターの手は温かく、確かに生きていることを感じさせた。その熱に少しだけ焦っていた気持ちが落ち着く。

「――ずっとね」

緊張に乾く唇を小さくなめて、一呼吸を空けてから顔を上げた。離れ離れになった頃にはまだそう変わらない背丈だったのに、自分よりずいぶんと高い位置になってしまったレスターの顔をまっすぐに見上げる。

「レスターが生きていることを祈ってたの。だから、レスターはこれまでずっとすごく辛かったかもしれないけれど。たくさん、色んなことが変わってしまったかもしれないけれど」

握った手が離れていかないようにぎゅっと力をこめる。

「でも、きっとこれからだって変わっていける。この場所みたいに、前と同じにはなれなくてもレスターはいま生きてるから、なりたいように変わっていけると思う。だからレスターが生きていてくれて、私はうれしい。すごく、すごく、うれしい」

話してるうちに目の奥が熱くなって鼻の奥がツンとする。恥ずかしいと思いながらも鼻をすすり上げた。

「もう一度会いたかったの。みんなには諦めろって言われたけれど諦められなかった。生きていてくれてありがとう。……私は非力でレスターに何もできないかもしれない。けど、そばにいたいよ。もう置いていかないで」

力いっぱい、すがるようにレスターの手を握り締めながら必死に言葉をつづる。いつの間にかまた俯いてしまって、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。

「戦場で……何度か、もういいって、もう死んだほうがいいって思った」

レスターの言葉にメグの肩が大きくびくりと震える。

「でも、そんな時にはたいていどこかで花を見かけた。珍しくもない、小さな花だったけれど、見たらメグを思い出した」

弾かれたようにメグが涙にぬれた顔を上げて、大きく見開いた目に困ったようなレスターの顔が映りこむ。握られた手をレスターが握り返した。

「そしたら、なんだか叱られてるような気がしたんだ。しっかりしろって」

メグは胸の奥がぐっと熱くなる気がした。

(私の祈りはレスターに届いた?)

さらに涙が溢れてひくり、と嗚咽がのどを振るわせる。訊きたいのに声にならない。苦笑してレスターが溢れるメグの涙を空いている手で拭う。

「ずっと……本当はずっと戻りたかったんだ」

レスターの顔が少しだけ泣きそうに歪んだ。

たまらなくなってメグは両手をレスターの手から離して、代わりにレスターにしっかりと抱きつく。

「おかえりなさい……!」

メグが万感の想いで告げた言葉に、レスターはメグをしっかり抱きしめ返して小さくただいまと囁いた。


Fin

Flowerの歌詞の小説です。

piaproで進行しているコラボの曲のために書き下ろしました。

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