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婚約破棄された悪役令嬢、実は王国一の有能でした

作者: ふたーなる
掲載日:2026/09/23

「アリシア・フォン・グランベル。お前との婚約を破棄する!」


 王宮の大広間に、王太子レオンハルト殿下の声が響いた。

 ざわ、と周囲が騒めく。当然だろう。

 今日は殿下の十八歳の誕生日。王国中の有力貴族が集まる祝宴の場で、突然、王太子が公爵令嬢との婚約破棄を宣言したのだから。

 しかも、その公爵令嬢というのは私だ。


「……婚約破棄、ですか?」


「ああ!」


 殿下は堂々と胸を張った。


「俺はもう、お前のような冷酷な女を王妃にするつもりはない!」


「冷酷な女……」


 私は思わず自分の顔に触れた。


 そんなに怖い顔をしているだろうか。鏡を見る限り、普通だと思うのだけれど。


「アリシア様!」


 殿下の隣に立っていた少女が、悲しそうな声を上げた。淡い桃色の髪。白いドレス。大きな瞳。神殿で聖女に選ばれた少女――マリア様だ。


「私は……アリシア様に嫌がらせをされました」


「……」


「教室で何度も睨まれて……」


「睨んでいません」


「階段から突き落とされそうになったこともあります」


「それもしていません」


「私の私物を壊されたことも……」


「していません」


 私は淡々と答えた。

 マリア様が泣きそうな顔になる。

 すると殿下が怒鳴った。


「まだ嘘をつくのか!」


「嘘ではありません」


「マリアが嘘をついていると言うのか!」


「そうは申し上げていません」


「では、何だ!」


 私は少し考えた。


「証拠を見せていただけますか?」


 その瞬間大広間が静まり返った。


「……何?」


「私がマリア様をいじめたという証拠です」


「マリアがそう言っている!」


「それは証拠ではなく、証言ではありませんか?」


「同じことだ!」


「違います」


 私は周囲を見渡した。


「階段から突き落としたのであれば、目撃者がいるはずです」


「……」


「私物を壊したのであれば、その品物が残っているはずです」


「……」


「教室で嫌がらせをしたのであれば、同じ教室にいた方々がご存じのはずです」


 誰も何も言わない。私は首を傾げた。


「いないのですか?」


「……アリシア」


 殿下が低い声を出した。


「お前は本当に、可愛げのない女だな」


「よく言われます」


「そういうところだ!」


 殿下が叫ぶ。


「そういうところが嫌なんだ!」


「なるほど」


 私は頷いた。


「では、殿下」


「何だ!」


「私が嫌いだから婚約を破棄する、ということでしょうか?」


「……っ」


 殿下が言葉に詰まった。


 私は別に怒っているわけではない。

 ただ、確認しただけだ。


「もしそうでしたら、証拠など必要ありません」


「……」


「婚約者が嫌になったから別れる。それだけの話です」


「お前……」


「ただし」


 私はマリア様を見る。


「私がしていないことまで、罪として扱うのはおやめください」


 マリア様は俯いた。

 そして、ぽろりと涙をこぼす。


「……怖いです」


 その瞬間。


「アリシア!」


 殿下が私を睨んだ。


「やはり、お前は反省していないな!」


「反省する理由がありませんから」


「このっ……!」


 殿下は拳を握った。

 けれど、私はもう十分だった。これ以上話しても意味がない。


「わかりました」


「……何?」


「婚約破棄を受け入れます」


「え?」


 今度は殿下が間の抜けた声を出した。


「私は、婚約破棄を受け入れます」


「お前……本当にいいのか?」


「はい」


「王太子妃になるんだぞ?」


「存じています」


「それを捨てるんだぞ!」


「捨てられたのは私のほうでは?」


「……!」


 殿下の顔が赤くなった。


 私は一礼する。


「それでは、これにて失礼いたします」


「待て!」


「まだ何か?」


「お前には罰を――」


「証拠のない罪については、お断りします」


「……っ」


 私はそのまま踵を返した。


 背中に、無数の視線が突き刺さる。


 同情。


 好奇心。


 そして、嘲笑。


 おそらく明日から、私はこう呼ばれる。悪役令嬢。王太子に捨てられた女。

聖女をいじめた悪女。

 まあ。


「どうでもいいわね」


 王宮の廊下を歩きながら、私は小さく呟いた。


 不思議なほど、心は穏やかだった。もっと悔しいと思っていた。泣くかもしれないと思っていた。


 けれど、


「……お腹が空いたわ」


 最初に出てきたのは、それだった。


 今日は朝から忙しかった。


 王太子妃になるための勉強。


 領地から送られてきた書類の確認。


 王宮に提出する予算案の修正。


 外交に関する講義。


 そのうえで、この夜会である。


「夕食、まだだったわね」


 私は窓の外を見る。


 王都の夜景が広がっていた。


 きらきらと灯る街明かり。


 行き交う馬車。


 夜遅くまで開いている店。


 私は十五歳のころから、王太子妃になるために勉強してきた。


 礼儀作法。


 政治。


 経済。


 外交。


 領地経営。


 王妃として必要になることは、ほとんどすべて教えられた。


 それも今日で終わりだ。


「……そう考えると、悪くないかもしれないわね」


 王太子妃にならなくていい。


 朝から晩まで勉強しなくてもいい。


 常に完璧な令嬢でいる必要もない。


 私は初めて、肩の力が抜けた気がした。


 そして屋敷へ戻る。


「お嬢様!」


 玄関を開けた瞬間、侍女のエマが飛び出してきた。


「大丈夫ですか!?」


「何が?」


「婚約破棄です!」


「ああ」


 私は頷いた。


「されたわね」


「そんなあっさり!」


「だって、もう終わったことでしょう?」


「ですが……!」


「お茶をお願い」


「お茶より先に泣いてください!」


「なぜ?」


「普通は泣くところです!」


「そうなの?」


 エマが頭を抱える。


 そこへ。


「アリシア」


 父が現れた。


「お父様」


「……すまなかった」


「どうして謝るのです?」


「もっと早く殿下の動きに気づくべきだった」


「お父様のせいではありません」


「しかし――」


「私は平気です」


 父はしばらく私を見つめた。


「本当に?」


「はい」


「王妃になりたくはなかったのか?」


「……」


 私は少し考える。


「わかりません」


「わからない?」


「王妃になりたいから努力していたのか。王妃になることになっていたから努力していたのか」


 自分でも、よくわからなかった。


「ただ」


「ただ?」


「勉強したことは、無駄にはならないと思います」


 父は目を細めた。


「……そうだな」


 そして、優しく笑った。


「ならば、好きに生きなさい」


「はい」


 その夜。


 私は久しぶりに、何の予定もない朝を想像しながら眠った。


 ――翌朝。


「お嬢様!」


 エマの叫び声で目が覚めた。


「何?」


「王宮から使者が来ています!」


「殿下から?」


「違います!」


 エマは青ざめていた。


「国王陛下からです!」


「……陛下?」


 私は首を傾げた。


 婚約を破棄されたばかりの公爵令嬢を。


 なぜ国王陛下が呼ぶのだろう。私は急いで身支度を整えた。

 そして王宮へ向かった。


     ◇


「アリシア・フォン・グランベル」


 国王陛下は、私を見るなりそう言った。


「昨日の婚約破棄については聞いている」


「はい」


「お前は、後悔しているか?」


「いいえ」


 即答した。


 陛下は少し驚いた顔をした。


「そうか」


 そして。


 机の上に、一冊の分厚い帳簿を置いた。


「ならば、これはどうだ?」


「……帳簿?」


「王国の税収に関するものだ」


 私は帳簿を開いた。


 一枚。


 二枚。


 三枚。


 数字を追う。


 そして。


「陛下」


「何だ?」


「この数字、おかしくありませんか?」


 陛下の口元が、わずかに笑った。


「やはり気づいたか」


 私は顔を上げた。


「これは――」


「そうだ」


 国王陛下は静かに言った。


「王国の金が、消えている」


 婚約破棄された翌日。私の人生は、思ってもいなかった方向へ動き始めた。


「そうだ。つまり横領だ」


 私は顔を上げた。


「規模は?」


「まだ調査中だ」


「どれくらい前から?」


「半年ほど前からだ」


 私は書類をもう一度見る。


「陛下」


「何だ?」


「私に調べさせていただけませんか?」


 陛下が目を細めた。


「理由は?」


「暇だからです」


「……」


 陛下は数秒黙った。そして笑った。


「気に入った」


「え?」


「お前を王宮財務局の臨時顧問に任命する」


「そんな簡単に?」


「お前は十年以上、王妃教育を受けてきたのだろう?」


「はい」


「ならば、それを使えばいい」


 私は少し考えた。


 そして頷いた。


「わかりました」


     ◇


 仕事は、思っていた以上に面白かった。


「この帳簿を見せてください」


「は、はい!」


「こちらの数字は?」


「ええと……」


「では、これは?」


「……」


「なるほど」


 最初は誰も私を信用していなかった。


 当然だ。


 昨日まで王太子妃候補だった公爵令嬢が、突然、財務局にやってきたのだから。


 しかし。


「この書類、作成した人を呼んでください」


「はい!」


「こちらも」


「はい!」


 数字を調べる。


 人を調べる。


 帳簿を照らし合わせる。


 少しずつ、不自然な流れが見えてきた。


 税金が消えている。


 その金は商会へ流れている。


 商会から、とある貴族へ金が渡っている。


 そして、その貴族は。


「……宰相閣下?」


 私は呟いた。


 王国の中枢にいる人物だった。


 その日の夜。


 私は陛下に報告した。


「間違いありません」


「証拠は?」


「こちらです」


 私は書類を並べた。


「税金の横領です」


 陛下は黙って書類を見ていた。


「よくやった」


「ありがとうございます」


「アリシア」


「はい」


「お前は、本当に王妃にならなくてよかったのか?」


「はい」


「そうか」


 陛下は少しだけ寂しそうに笑った。


     ◇


 それから一か月。


 王宮では大騒ぎになった。


 宰相の不正が発覚したのだ。


 関係者が次々と捕らえられた。


 横領されていた金も回収された。


 王国の財政は大きく改善した。


 私はその功績によって、正式に財務顧問として働くことになった。


 そんなある日。


「アリシア!」


 廊下で声をかけられた。


 振り返る。


「殿下」


 レオンハルト殿下だった。


 隣には聖女マリアがいる。


「久しぶりだな」


「そうですね」


「……元気そうだな」


「おかげさまで」


 殿下は少し気まずそうにしている。


「実はな」


「はい」


「俺は、お前を誤解していた」


「そうですか」


「お前は、冷たい女だと思っていた」


「よく言われます」


「だが、違った」


 殿下は苦笑した。


「お前はただ、何でも一人でやっていただけだったんだな」


「……」


「俺はお前の努力を何も知らなかった」


「そうですね」


「すまなかった」


 私は頭を下げる殿下を見る。


 以前なら。婚約者だったころなら。私は彼の隣に立つために、何とかしようとしたかもしれない。

 でも今は違う。


「顔を上げてください」


「アリシア」


「もう終わったことです」


「……そうか」


「はい」


 私は微笑んだ。


「どうか、マリア様を大切になさってください」


 マリアが驚いた顔をした。


「アリシア様……」


「私から言えるのは、それだけです」


 私はその場を去った。


     ◇


 数日後。


 私は陛下に呼び出された。


「アリシア」


「はい」


「一つ頼みがある」


「何でしょう?」


「私の息子をどう思う?」


「殿下ですか?」


「ああ」


「……正直に申し上げても?」


「もちろんだ」


「子供っぽいと思います」


「やはりか」


 陛下は頭を抱えた。


「では、もう一つ聞こう」


「はい」


「私のことはどう思う?」


「立派な国王陛下だと思います」


「そうか」


 陛下は嬉しそうだった。


「では、最後だ」


「はい」


「私の妻にならないか?」


「……」


 私は固まった。


「陛下」


「何だ?」


「冗談でしょうか?」


「本気だ」


「……」


「嫌か?」


 私はしばらく考えた。


 国王陛下は、私よりずっと年上だ。


 しかし、私は彼を尊敬している。


 仕事をしていても、私を一人の人間として扱ってくれる。


 私の意見を聞いてくれる。


 失敗すれば叱る。


 成果を出せば認める。


 そして何より。


 私が私のままでいることを許してくれる。


「陛下」


「うむ」


「私は、王妃教育を受けてきました」


「知っている」


「ですが」


 私は微笑んだ。


「王妃になりたいとは、一度も思ったことがありません」


「……そうか」


「ただ」


「ただ?」


「この国のために働くことは、嫌いではありません」


 陛下は静かに笑った。


「ならば、答えは急がなくていい」


「ありがとうございます」


「これからも私の隣で働いてくれ」


「はい」


     ◇


 それから一年。


 私は王宮で働き続けた。


 財政改革。


 領地制度の見直し。


 税制の改善。


 商人との交渉。


 気づけば、私は王宮になくてはならない存在になっていた。


 そして。


 ある日のこと。


「アリシア」


「はい」


 陛下が私を呼ぶ。


「そろそろ決めたか?」


「何をでしょう?」


「私の妻になるかどうかだ」


 私は笑った。


「まだ聞いていらっしゃったのですか?」


「当然だ」


「……では」


 私は窓の外を見る。


 王都が見える。


 人々が歩いている。


 店が並んでいる。


 馬車が走っている。


 この国には、まだまだ問題がある。


 けれど。


 だからこそ。


「私でよければ」


 私は陛下を見る。


「よろしくお願いいたします」


 陛下は目を見開いた。


 そして。


「そうか」


 嬉しそうに笑った。


     ◇


 それからさらに数年が経った。


 私は正式に王妃となった。


 不思議なことに。


 王妃になるつもりなどなかった私が。


 誰よりも王妃らしく働いているらしい。


「アリシア様!」


「何?」


「今年の予算案ですが!」


「そこは去年と同じで」


「ですが!」


「去年の失敗を忘れたの?」


「申し訳ありません!」


 王宮の廊下を歩く。


 侍女たちが忙しそうに走っている。


 窓から差し込む朝日が眩しい。


 私は足を止めた。


 昔のことを思い出す。


 婚約破棄された夜。


 誰もが私を悪役令嬢と呼んだ。


 冷たい女。


 高慢な女。


 聖女をいじめた女。


 私はそんな人間ではなかった。


 ただ、不器用だった。


 完璧であろうとしすぎていた。


 だから、人の気持ちに気づかなかった。


 それでも。


 あの日、婚約破棄されたことを後悔してはいない。


 むしろ。


「人生、何が起こるかわからないものね」


「何か言ったか?」


 隣から声がした。


 国王陛下だ。


「いえ」


「そうか」


「陛下」


「何だ?」


「今日の予定ですが」


「ああ」


「午前中に商会との会談。その後、地方からの陳情を三件。午後は隣国の使者との会談です」


「……多いな」


「王様ですから」


「君は?」


「私も同じ予定です」


「そうだった」


 二人で笑った。


 そのとき。


「お父様!」


 廊下の向こうから、子供が走ってきた。


「走るな!」


 陛下が叫ぶ。


「転ぶぞ!」


「大丈夫!」


 子供は笑いながらこちらへやってくる。


 私はしゃがみ込んだ。


「おはよう」


「おはようございます、お母様!」


 私はその頭を撫でる。


 ふと、思う。


 もしあの日。


 婚約破棄されなかったら。


 私は王太子妃になっていただろう。


 王妃教育を受けたまま。


 王太子の隣で。


 きっと、それなりに幸せだったのかもしれない。


 でも。


 今の私は知っている。


 人生には、予定通りにいかないことがある。


 そして。


 予定通りにいかなかったからこそ、手に入るものもある。


「お母様?」


「何?」


「嬉しそうです」


「そう?」


「はい」


 私は笑った。


「そうね」


 私は幸せなのだと思う。


 婚約破棄された。


 悪役令嬢と呼ばれた。


 すべてを失ったと思った。


 けれど。


 あの夜。


 私が失ったのは、未来ではなかった。


 ただ一つの未来が消えただけだった。


 その代わりに。


 私は、自分で選べる未来を手に入れたのだ。


 だから私は、今日も歩いていく。


 自分の足で。


 自分の意思で。


 誰かに決められた「幸せ」ではなく。


 私自身が選んだ人生を。


 ――そして今日も、王宮の仕事は山積みだった。


「アリシア」


「はい?」


「仕事がまだ残っている」


「わかっています」


「なら、行こう」


「はい、陛下」


 二人並んで歩き出す。


 窓の外には、青い空が広がっていた。


 今日も、この国は平和だった。



ありがとうございます。

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