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空が裂けるとき、僕は君を殺す。――たとえ終わりが決まった恋でも、君を愛し続けるために。  作者: 外宮あくと


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第8話 微かな灯り

 眠っていたのか、ただ茫然としていたのか分からない。

 ルシアンは肩を強く揺さぶられて、我に返った。

 目の前には父カレルがいた。


「大丈夫か……?」


 彼は、目の下に酷い隈を作っていた。

 壁にもたれて、膝を抱えているルシアンを、痛ましく見つめていた。


「……手を見せてみろ。手当してやる」


 カレルはしゃがみ、ルシアンの手を取った。

 その手は擦れて赤くなり、血が滲んでいた。

 ルシアンは、ドアを何度も叩いた。赦してくれと、イリーナに会わせてくれと、声が枯れるまで懇願したのだ。決して会わせてもらえないと、赦されないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。

 ルシアンは、そっと父の手を退けた。


「思い出したんです……」

「そうか」

「僕は、ずっとモルテーヌだったと」

「そうか……」

「……何度も、何度も……首を、落としたんです……」

「そう、だったんだな……」

「……イリーナの、首を」

「…………」


 カレルには、かける言葉が見つからなかった。

 重い沈黙が、二人の間に落ちた。

 二人は並んで座り、カレルは床を、ルシアンは天井を見つめていた。


「これでも、上がってきたんだと分かりました……でも、まだ遠いんですね」

「そうだな……」


 ルシアンは、ゆっくりとカレルに視線を向けた。


「父上は、いつからご存知だったのですか? ここが地獄の一階層にすぎないということを……」

「……前に贖対が現れたときだよ。お前が生まれる前のことだ……」


 カレルは俯いたまま、とつとつと語った。

 本来なら、誰もこの世界が地獄であると認識することはできない。自分が、前世で罪を犯した罪人だと気づくこともできないのだ。

 その中で、人々は償い続けなければならない。それが、この世界の厳然としたルールだった。

 カレルが真実を知ることができたのは、偶然だった。


 処刑前夜、処刑対象ではない贖対の片われの男が、モルテーヌの屋敷にやってきた。

 彼は牢にいたはずだったのだが、返り血を浴び、傷ついたその姿から強硬手段に出たことはすぐに分かった。

 男は、処刑を止めろと言った。殺すなら俺にしろと泣き叫んだ。処刑を止めなければ、家族を皆殺しにするとも言った。

 完全に道理を欠いた言い分だったが、本気であることは確かだった。

 カレルは、償いを放棄してはならない、思い直せと、懸命に説得した。

 だが、聞き入れられることはなかった。


「もうだめだ。耐えられない……。彼女が死ぬのを、もう見たくない。……ああ、ここまで上がってきた、でも、まだ先がある……。上がっても上がっても、まだ先が! お前は知っているのか? ここが地獄だと! 罪人を処刑する、お前自身も罪人なんだぞ! 無限に続く、この重層地獄の住人なんだ! お前も! 町の奴らも!」


 その後、追って来た兵士に、男は殺された。

 翌日、女の処刑は予定通り行われた。


 ここまで語って、カレルは大きく息を吐いた。

 男の目が、今も記憶に焼き付いている。

 黙って聞いていたルシアンが尋ねる。


「……男が死んだのに、なぜ処刑は執行されたのですか」


 贖対が処刑されるのは、彼らが結ばれてはならないという禁忌を犯す前に、確実に予防するという意味合いがある。

 それほどに、人々は世界の崩壊を恐れていた。

 しかし男が死んだとなれば、女の処刑には意味がなかった。


「……私に、処刑を止める権限はない。粛々と従うことしかできない。…………人々は、贖対を完全に消したかったのだろう……」

「…………彼らは、また落ちてしまったのでしょうか」

「そうかもしれない」


 カレルは、ルシアンの肩に手を置き、まっすぐにその瞳を見つめた。


「お前は間違えないでくれ。お願いだ」


 それは懇願だった。前回の贖対のようになってくれるなと、心から思っていた。


「処刑のあと、ベルゼ様から聞いたのだ。終わりはあるのだと。確かに先は長い。けれど、必ず終わりはあると言ったのだ」

「…………嘘かもしれませんよ」

「駄目だ、ルシアン! そんなことを考えるな! 彼は管理者だ。全てを語っていなくとも、嘘はつかない」


 カレルは、息子を抱きしめた。

 ルシアンが救済されることを、心から願っているのだ。

 その腕は温かかった。だからこそ、ここが地獄であることが、何よりも残酷だった。


「進むんだ。お前の償いは確実に積み重なっている。もっと苛烈な地獄から、ここまで上がってきたんだ。無駄にするな」

「でも…………苦しい。まだ、繰り返さなければならないなんて……イリーナを、また、何度も……」

「ああ、苦しいさ。だからこそ、償いとなる」


 父の厳しさは愛だと分かる。それでも苦しい。


「ルシアン、私はお前の父になれたことを誇りに思う。お前は自分に負けないと信じている」


 父の言葉が、ルシアンの心を叩いた。

 胸の奥底に微かに残っていた、遠い記憶を掘り起こされてきた。


――私はあなたの友になれたことを誇りに思っているんですよ。あなたは決して自分に負けない人だと信じていますから。


 かつての親友、前世で自分に仕えてくれた忠臣の言葉だった。

 ルシアンは、目を見開いてカレルを見つめた。

 もしも、白髪もなく皺もなく、健康で若かったなら――。

 ああと、声を漏らした。友までもが、この地獄に堕ちていたなんて。

 胸が詰まった。彼がここにいる、その責任の一端は自分にあると思った。

 自分のせいで地獄に堕ちたのに、彼はいまだに真心を与えようとしてくれているのだ。


「……カ……父上。ありがとう……本当に、ありがとう」


 涙を流しながら、ルシアンは頭を下げた。

 カレルは、ルシアンの折れそうな心に微かな灯りを灯してくれた。

 悪夢を恐れても、逃げてはならない。

 ルシアンは、明日、剣を握る右手をじっと見つめた。

 




「ベルゼ様」


 尼僧長は、神官ベルゼの部屋をノックした。

 どうぞという返事を聞いてから、中へ入っていった。


「どうしましたか?」


 ベルゼが柔らかい微笑みを浮かべて尋ねた。

 尼僧長は、ゆっくりとベールを取る。美しい金色の髪が肩から背に流れた。


「そろそろ、お暇を頂こうかと思いまして」

「そうですか。検分は終わったということですね」

「はい」


 尼僧長は、書き物をしていたベルゼに静かに語りかける。


「随分と甘いところもおありになるのだと、少し驚きました」

「甘い?」

「カレルを彼の側に置いたことです」


 ああと呟いて、ベルゼは微笑んだ。


「甘い、厳しいの話ではありません。必然だったのです。私は全てを支配しているわけではありません。秩序が乱れぬように、監視しているだけですから。彼らがこれまで選び取ってきた中で起きた、これは必然です。もしくは、神のご意思でしょう」

「そうでしたか。それは失礼いたしました」


 尼僧長は、軽く頭を下げた。

 金色の髪が淡く輝いていた。


「問題なしと報告させていただきます」

「よろしくお願いします。……もう、行かれるのですか?」

「いいえ。贖対の二人の行く末を見届けてから、帰ります」

「分かりました。明日、でしたね。処刑は」


 尼僧長は会釈をして、ベルゼに背を向けた。

 そして、扉の前で立ち止まった。


「これは、私の個人的な気持ちなのですが……私はイリーナを好ましく思っていました」

「そうですか。私もですよ。この世界にいる罪人たちは、皆等しく愛しい者たちです」

「……私こそ、甘いのかもしれません」

「あなたはこの世界に属する方ではありませんから、何を感じようと、どうなさろうと自由ですよ。どうせ、我々に運命を動かすことはできませんしね」

「では、お言葉に甘えて……少しだけ好きにさせてもらいますね」


 尼僧長は、静かに部屋を出ていった。

 その目には、憂いが滲んでいた。





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