第5話 運命の罪人
ルシアンは刀剣屋を訪れていた。
愛用の剣を研ぎに出している間、一時的に使う剣を買いに来たのだ。
この頃、二日に一度は処刑が行われていた。剣が無くては、仕事にならなかった。
昨日の処刑のときに、ルシアンは剣の刃を傷めてしまった。
頸椎の間を正確に狙えば、楽に首を落とせる。骨ごと断つのは至難であり、一刀で落とせなければ罪人を苦しめるだけだ。だから、ルシアンはいつも慎重に狙いを定めて首を落としていた。
だが、昨日はいつになく失敗してしまった。
振り下ろす瞬間に、剣の軌道を誤ったことに気付いたが、もう止められなかった。
二度、三度と剣を振るうよりはと、ルシアンは渾身の力を込めて首を断ち切った。
全体重を乗せた重い一刀は、頭を乗せた台を砕き、処刑台の床にまで達した。
いつもは出さない獣のような叫びを上げて首を落とす様は、鬼気迫るものがあったのだろう。
「怖いねえ。まるで死神だ……」
揶揄するような声が聞こえたが、自分の失敗で、余計な苦しみを与えてしまったかもしれないことを罪人に詫びるように頭を下げ、ルシアンは無言で処刑台を下りたのだった。
刀剣屋で普段使っているものと引けを取らない、良い剣を見つけた。
ルシアンは購入した剣を持って店の外に出た。
すると、場違いな少女が道の真ん中に立っていた。食料品の入った篭をさげ、地図を見ている。少女の背中が不安げだった。道に迷ったのだろう。
声をかけるか、ルシアンは迷った。
道案内なら簡単だ。だが、自分が声をかけたら、少女は恐れおののくのではないかと思ったのだ。
ふと、向かいの飲み屋の窓越しに男が二人、少女を指さしてニヤニヤと笑っているのが見えた。かなり酔っぱらっているようだった。その一人が立ち上がった。
ルシアンは、ふうとため息をついた。
彼らに絡まれるよりは、自分のほうがましなはずだと言い聞かせて、ルシアンは少女に近づいた。
「君……」
少女が振り返った瞬間、ルシアンの呼吸は止まった。
心臓が、強く脈打つ。胸の奥を、甘く鋭い痛みが貫いた。
知っている、と思った。
この蜂蜜色の髪も、澄んだ瞳も、見るのは初めてのはずだった。だが、忘れようのないものを見るような感覚が、全身を縛りつけていた。
脳裏に、断片的な映像がよぎる。
血に濡れた台上。
振り下ろされた剣。
そして、落ちていく蜂蜜色の髪。
ルシアンは、無意識に息を呑んだ。
なぜ、そんな光景が頭に浮かんだのか分からない。
それが記憶なのか、悪い夢の残滓なのかも分からない。
ただひとつ、確かなことがあった。
自分は、この少女を知っている。
それも、ずっと前から。
胸の奥で、何かが軋んだ。
懐かしさと愛しさ、そして、どうしようもない後悔が、同時に込み上げていた。
ルシアンは、少女から目を離すことができなかった。
不意に、左目に熱を感じた。ちりちりと燃えるような感覚だった。
思わず目を手で押さえていた。
同時に、少女も右目を押さえていた。
彼女の細い指と指の間から、真っ赤に燃え上がるような瞳が見えた。
心臓が破裂するのではないかと思った。
一瞬の閃光が走り、鈍色だった世界が鮮やかによみがえったような気がした。
ああ、とルシアンの喉から声が漏れる。
天配という言葉が、甘く脳を焼く。
もう、この手を離すことはできないと思った。
*
小高い丘の上に二人は立っていた。
別れ難く、少し歩こうと誘ったルシアンに彼女は黙ってついてきた。
名前を聞くと、イリーナと答えた。
美しい名だと思った。教会で神に仕える彼女にふさわしい名だ。
彼女が付けていたグレーの頭巾は簡易的なもので、正式な場で身に付ける厳かなベールとは違っていたが、一目で尼僧なのだと分かった。
地面に落ちたそれを拾ってから、ルシアンはずっと頭巾を握りしめていた。
自分も名乗らなければならないと思った。しかし、家名を言ってよいものかと迷う。
イリーナのきらきらとした目が、じっと自分を見つめている。
彼女に嘘はつきたくないとルシアンは声を振り絞った。
「僕は、ルシアン・モルテーヌです」
「…………モルテーヌ」
彼女の目に侮蔑が浮かぶのが怖くて、ルシアンは目を伏せた。
だが、返ってきた言葉は、予想外のものだった。
「償いの先頭に立つお方だったのですね……」
イリーナの目には一切の濁りが無かった。
ルシアンの胸が、また熱く燃え上がってくる。
疑ってはならない。
彼女は、自分の天配の相手なのだ。
「罪人は死をもって罪を贖うべしと経典にあります。その罪人の贖罪の手伝いをするモルテーヌの方々は、神の教えを守る敬虔な信徒、神の使いなのだと、私は思います」
神の使い。ルシアンの人生で、初めてかけられた言葉だった。
驚きに言葉がでない。
ただ、イリーナを見つめるばかりだった。
そして、胸の高鳴りも一向に収まらなかった。いつの間にか頬を流れていたものが、後から後から溢れてくる。
ずっと澱のように溜まっていた惨めさが消えていくようだった。
「でも、お辛かったのですね……。こんなに手が震えている……」
イリーナの手がそっとルシアンの手を包んだ。
その温かさに、ルシアンは全てを赦されたような気がした。
天から認められた運命の恋人。天配を得るということは、贖罪を果たしたということなのだとルシアンは思った。
「イリーナ、貴女こそ神の使いだ。貴女という天配に出会えるなんて……僕は、僕の胸は、今、幸せでいっぱいです」
「私もです。貴方に出会えて、本当に幸せ。貴方に会うために、私の人生はあったのだと思うの……」
二人は互いの手を握り合い、じっと見つめ合うのだった。それだけで心が満たされていた。
どのぐらいそうしていたのか、上空を飛ぶ鳶の影がさっと横切って、二人は我に返った。
同時に、気恥ずかしさから手を離した。
こんなとき、どんな話をすればいいのかルシアンには分からなかった。家族以外の女性と二人きりになったことなど一度もなかったのだ。
悩んだ挙句に出てきたのは、愚にもつかない言葉だった。
「き、君はどんな食べ物が好き?」
イリーナがきょとんと首を傾げた。
ルシアンの顔が真っ赤に染まる。
気の利いた話など、できるはずもなかった。
「えっと……果物なら、なんでも好き」
イリーナも頬を染めながら答えた。
どちらからともなく笑みを浮かべた。
これから、少しずつ彼女を知っていけばいい、そう思った。
そして、父と教会に自分たちのことを報告しなければと思った。
天配を見つけたのだから。
ルシアンは、イリーナを伴って屋敷へと帰った。
彼女は、モルテーヌ家の邸宅を見上げて目を丸くしていた。
「ま、まるで王宮だわ……」
胸の前で手を握り、子どものように瞳を輝かせる彼女に、ルシアンはくすりと笑った。
庭を進んでいくと、ガゼボから人が出てきた。
父カレルだった。
「……ルシアン? その方は?」
いぶかしげに眉をひそめている。
ルシアンの頬が、緊張に紅潮した。
「父上、見つけたんです! 僕の天配の相手です!」
「天配……。そんな、馬鹿な……」
恐ろしいものを見るような顔でカレルは呟いた。
祝福してくれるものと信じ込んでいたルシアンだったが、父のその反応に胸がざわつき始めた。
ちらりと隣のイリーナを見ると、彼女も笑みを消していた。
「ち、父上。本当なんです。僕たちは、出会った瞬間、運命の相手だと分かったんです。瞳の印も……」
「ルシアン。教会へ行こう」
皆まで聞かず、カレルは言った。
父に言われずとも、教会へは行くつもりだった。イリーナの還俗を申請するためだ。
だが、父が教会へ行くと言っているのは、違う意味があるような気がした。
胸騒ぎが止まらなかった。
「父上……祝福してくれないのですか……」
「赦してくれ……ルシアン……」
そう呟いたきり、カレルは沈黙してしまった。
黙々と馬車の用意をし、そして、ルシアンとイリーナを連れて教会へと向かったのだった。
馬車の中は、重い空気に支配されていた。
カレルは腕を組んで、ずっと目をつぶっている。
その向かいに、ルシアンとイリーナが手を握り合って座っていた。
時折、不安げに見つめてくるイリーナに、ルシアンは大丈夫というふうに頷いてみせるのだが、それは自分に言い聞かせているようなものだった。
自分たちは天配なのだ。
神官なら、きっと祝福してくれるはずだ。
大貴族と平民の天配も祝福されたのだから、処刑人と尼僧でも祝福されるはずだ。されなければおかしいじゃないかと思う。
馬車は走り続け、教会へと到着した。
カレルに続いて、ルシアンたちも馬車を降りた。
教会の正面に神官が立っていた。
まるで、ルシアンたちの到着を待っていたかのようだった。
日が暮れ始めていた。夜がもうそこまで来ている。
どうして、こんなに不安を感じなければならないのかと思う。
神官へと近づく足取りが重くなっていった。
「……空が少し騒ぎ始めたものですからね。そうですか、あなた方でしたか……」
神官が、悲しそうに目を細めてそう言った。
イリーナが、ぎゅっと腕にしがみついてくる。泣きそうな顔でルシアンを見上げていた。
ルシアンは立ち止まり、イリーナを抱きしめた。
彼女を奪われる。そんな気がしたのだ。
「ルシアン、イリーナ、あなた方は天配ではありません。贖対なのです」
神官ベルゼが静かに言った。
そして、地の底から響くような重い鐘の音が響き、夕闇の空に亀裂が走った。




