第3話 贖罪という檻
荘厳なステンドグラスの前に立つ神官が、柔らかな微笑みを浮かべていた。
「――ですから、皆さん。自身と愛する者のために、償い続けてください。それが、救済であり、幸福へとつながるのですから」
教会の隅で、ルシアンとその家族は祈りを捧げていた。
高いついたての陰、それが彼らの定位置だった。
毎朝行われるミサには、町の者たちが皆集まってくる。彼らの視線を避けるように、教会が用意したついたての陰で、ルシアンたちは神官の説教を聞くのが常だった。
このついたては、町の人々とモルテーヌを隔てる、高く決して越えられない壁のようだった。
教会は、償いと救済を説く。
贖罪なくして赦しも幸福もないのだと。
罪を持たない人間はいない。だから、常に償い続けなければならないのだ。
子どものころから聞かされてきた説教に、ルシアンは疑問を抱いてはいない。
償い、清廉に生きよ。
その教えは正しいことだと思っている。
だから、処刑人として、罪人の首を落とすことは正しいことなのだ。
償いを放棄し、悪事に手を染めた罪人を処することは、モルテーヌの役目を全うし、清廉に生きることにほかならないと父も言う。そのとおりだと思う。
しかし、自分の手は汚れていると感じるし、怨嗟の言葉も浴びせられる。
それは、なぜなのだろう。
ちゃんと教えに従っている。償いのために、役目を遂行している。人々の心を乱さぬように、ひっそりと影のように生きている。
一体、何が足りないのだろうと思うのだ。モルテーヌに与えられる救済とは何なのだろうと。
町の人々が皆去ってから、ルシアンたちはゆっくりと教会を出た。
今日も曇天だった。冬の空はいつも重い。
「父上。僕はいつも贖罪について考えるんですが……償い続けていれば、贖罪がなったと、自分でも分かるときが来るものなんでしょうか」
ルシアンは隣を歩く父カレルに尋ねた。
カレルは立ち止まり、ルシアンを見つめる。
「それは、神が決めることだよ。我々はただ、お言葉に従うだけだ」
「終わりは見えないということなんですね」
「そうだな。この世は償いの場なのだから……。これも、説教の中でよく言われていることだ」
「はい……」
再び歩き始めたカレルの背に、ルシアンがもう一度問いかける。
「償い続けよと、毎日神官様に言われている我々と、贖対とは何が違うのでしょう」
「……全く違う」
振り返らず言ったカレルの声は固かった。
「贖対たちは、まだ償いが終わっていない。それなのに運命の相手と共に救済を得ようと抗う。だから、我々とは違う。あの者たちは罪人なのだ」
カレルは苦々しくそう言った。
贖対が現れると、空が裂けると言う。
ルシアンは見たことはなかったが、父は若いころに、それを見たのだという。重苦しい鐘の音がどこからともなく鳴り響き、稲妻が光り、空がひび割れ裂ける。まるで神が怒りに震えているような光景であるらしい。
しかし、贖対という言葉は、未だ贖罪が済んでいない者たちという意味でしかないという。それならば、ここにいる誰もが贖対ではないのだろうか。
贖対は、天配のように運命で結ばれた恋人同士でもある。そのことは、瞳の印が教えてくれる。だが、その者たちは贖罪が果たされるまで結ばれてはいけないと経典にある。
ところが、贖対であること自体が罪だという記述はないにも関わらず、彼らは罪人として処刑されるのだ。
カレルも昔、贖対の片方を斬首していた。
「確かに、教会は贖対を罪とは呼ばない。だが、彼らは決して結ばれてはいけないという禁忌を犯してでも互いを求め合うのだ。……その結果、世界が崩れ去ると知っていながらもな」
経典にはないその伝承は、ルシアンも知っている。
禁じられた贖対の二人が結ばれたとき、ひび割れるのは空だけではなく世界そのものなのだ。そして、無関係の多くの人々諸共に地獄に堕ちるのだという。
「ルシアン。地獄はあるんだ……」
背を向けたままのカレルの声は重く冷え切っていた。
ルシアンはごくりと唾を呑む。
「……では、父上。贖罪が済んでいないというところは我々と同じなのに、なぜ贖対は、そんなにも重いものを背負っているのですか」
ルシアンが恐る恐る尋ねると、父がゆっくりと振り返った。
その顔は、いつにもまして疲れているように見えた。そして、ルシアンではなく、どこか遠くを見つめているようだった。
しばらく沈黙したあと、カレルは低く呟いた。
「彼らは、犯した罪が重すぎるのだよ……」
*
「尼僧長様、このついたては片づけたほうがいいのでしょうか?」
先日、この教会に来たばかりの新任の尼僧が尋ねた。
町の人々が帰ったあと、教会内の掃除をしていたのだが、教会の隅に置かれた大きなついたてを見て、尼僧は首を傾げていた。
教会の者が使う勝手口の前に、そのついたては置かれていたため、出入りの邪魔になるのではと思ったのだ。
尼僧長は軽く微笑んで、首を左右に振った。
「ああ、イリーナさん、それはそのままでお願いします」
「はい。分かりました」
イリーナはそう返事をしたが、まだ不思議そうな顔をしている。
彼女は、教会が運営する孤児院で育った。教会のことならよく知っているはずだったが、このようなついたてを置いているのは初めて見た。
それはまるで、勝手口から出入りする者を、ほかの礼拝者から隠しているようだと思った。
「どのような方がお通りになるのかしらね……」
ついたてが、なにやら秘密めいたものに見えてきて、イリーナの胸がとくんと高鳴った。
――もしかしたら、とても高貴なお方が礼拝にいらっしゃるんじゃないかしら。
こちらの神官様は、とても高名なお方だから、貴族のお嬢様がお忍びで会いにいらっしゃるのかも。
ああ、素敵だわ。貴族のお嬢様って、とても可愛らしくて、きっと甘いお菓子のようないい香りがするに違いないわ……。
それとも、とても麗しいと噂の王子様かしら……。まるで、天の使いのように神々しいお方だという話を聞いたことがあるわ。
まあ、どうしましょう。王子様のお姿を見られるかもしれないなんて、なんて幸せなことかしら。
イリーナは、真っ黒で無粋なついたてをうっとりと眺めていた。
「イリーナさん、何をぶつぶつ言っているの。早く掃除してちょうだいな」
尼僧長に声を掛けられ、イリーナは我に返った。
幼いころからの妄想癖が、つい出てしまった。
頬を赤らめ、照れ笑いをしながら、スカーフを取った。蜂蜜色の髪がほどけるように肩へ落ち、窓からの光を受けて淡く輝いていた。
尼僧長のクスクスという笑い声を聞きながら、イリーナはスカーフで髪の毛をきつく縛りなおし、掃除を再開するのだった。




