表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空が裂けるとき、僕は君を殺す。――たとえ終わりが決まった恋でも、君を愛し続けるために。  作者: 外宮あくと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/11

第11話 春を告げる

 ピルルルルルル……チリリリリ……

 春を告げるヒバリの澄んだ鳴き声が、高い蒼天から降り注いでいた。

 雪解け水が流れる小川はまだ冷たかったが、空気は柔らかく緩んでいた。

 窓から、早朝の光が優しく差し込んでいた。


「ルシアン! 起きてちょうだい」


 遠くから届く母の声で目を覚ました。

 ルシアンは、寝過ごしてしまったと慌てて立ち上がった。

 クローゼットからシャツを出し、素早く着替えた。

 そして、ふと、自分の部屋はこんなに狭かったかなと首を傾げた。壁のしみにも、覚えがなかった。


「ルシアーーン! 早く手伝って!」

「はい。今、行きます」


 急いで階段を下り、勝手口から納屋へと向かった。

 納屋の戸を開くと、小麦粉の入った大きな袋が積んであった。

 剣はどこだったかと探したが、見当たらなかった。

 日々の鍛錬を怠れば、剣技はすぐに廃れていく。毎朝の練習を欠かすわけにはいかないのだ。それなのに、ない。

 ルシアンが茫然としていると、すぐ後ろから声がかかった。


「ほら、ぼうっとしてないで、そこの小麦粉を運んでちょうだい。朝のミサまでに仕込みを終わらせなきゃいけないんだから」


 まったくもう、と母がぼやいていた。

 そうだった。

 うちはパン屋だった。

 毎朝、生地を捏ね、パンを焼いて売っているのだ。

 ルシアンは、小麦粉を一袋担ぎ上げ、厨房へと入っていった。






 朝の光が、ステンドグラスをまばゆく輝かせていた。

 家族や、町の人々と共に並んで座り、ルシアンはそのステンドグラスを見つめた。

 懐かしいような、不思議な気分だった。

 厳かな祈りの時間。

 神官の、胸にしみ込むような低く穏やかな声が教会の中に響いていた。


「――ですから、皆さん。自身と愛する者のために、償い続けてください。それが、救済であり、幸福へとつながるのですから……」


 両手を広げ、柔らかい笑みを湛えて、神官は集まった町の人々を見つめていた。

 ミサが終わり、皆が帰っていく中、ルシアンは神官へと歩を進めていた。


「ルシアン?」

「すみません、母さん。少しお話をしたら、すぐ帰りますから」


 仕事があるんだから、早くしてよと言いながら、母は教会をあとにした。

 ルシアンは、神官を振り返った。


「どうしましたか?」

「あ、あの……」


 神官の説教を聞いていた間、どうしても尋ねなければならないと思っていたのに、彼を前にするとそれが何だったのか、ルシアンは分からなくなってしまった。

 神官は相変わらず、微笑みを浮かべている。


「……そうそう、実はこのあと、天配の方々の結婚式があるんですよ。今日は本当に良い一日になりそうです」

「天配の……結婚式」


 ルシアンの心臓がドクンと脈打った。

 天から認められた運命の恋人。

 その言葉に、甘く胸が締め付けられた。


「ベルゼ様。天配として結ばれた二人は、その後、どうなるのですか?」

「彼らは赦され、祝福され、来世で天への道が開かれます」


 ルシアンは、心の中でベルゼの言葉を繰り返した。

 赦されるという言葉が、なぜか切なく感じた。

 人は罪を背負った生き物だから、ずっと償い続けなければいけないと教えられてきた。そして、教えのとおり、償いのために生きてきたつもりだ。

 赦されていいのかという思いが、ルシアンの中にはあった。

 しかし同時に、赦しを切望してもいた。


「天に行ったあとは、どうなるのですか?」

「新たな無垢な魂となって生まれ変わります」

「……無垢な、魂……」


 甘美な衝撃だった。

 ベルゼが、くすりと笑った。


「ルシアン、どうしたんですか? 経典にも書いてあるではないですか。もしかして、ちゃんと読んでいないのですか?」


 少しからかうように言われて、ルシアンの頬が赤く染まった。

 考えてみれば、確かに経典にその記載はあるし、学校でも習ったことだった。

 なぜ、今さら驚いてしまったのか分からなかった。


「すみません。今日は、なんだか朝から変な気分で……」

「そうですか」


 ピルルルルルル……

 ヒバリの鳴き声が微かに聞こえた。


「さあ、今日の仕事が待っているのでしょう。もう、お行きなさい」

「はい」


 ルシアンは教会を出た。

 温かく、日の光が降り注いでいた。

 いつものようにパンを焼こう。

 新しいパンのアイデアを考えよう。

 一口頬張れば、幸せを感じるような、そんなパンを焼いてみたい。

 ルシアンは、軽やかな足取りで家へと向かった。


 ベルゼは、目を細めてそれを見送っていた。全てを知る者として、最後まで見届けようとするかのようだった。

 あのとき、神の目に何が映り何を思ったかは、計り知れない。ただ、人もベルゼも、神の意思に従うのみだ。

 これまでと同じように、ベルゼはこの世界の住人たちを見つめ続けていくだけだ。







 ピルルルルルル……チリリリリ……

 せわしなく羽ばたきながら、ヒバリが高く舞い上がっていく。

 帰り道で、ルシアンは、その姿を目で追いながら頬を緩めた。

 まるで、空から降ってくる光の粒のような声だと思った。


「お花はいりませんか。春のブーケはいりませんか」


 花売りの声が聞こえた。

 少女の声だった。

 ドクンと心臓が跳ねた。

 早く振り向きたいのに、体が思うように動かない。

 ルシアンは、ぎこちなくゆっくりと振り返った。


 春の花が溢れかえった篭を持った、一人の少女がいた。

 蜂蜜色の髪が暖かな光の中で、淡く輝いて見えた。

 その姿を見た瞬間、左目の奥が、焼けるように熱くなった。


――ああ、僕は知っている。この熱も、この人も……。


 ルシアンは少女を見つめたまま動けなくなった。

 少女もまた、彫像のように固まっている。

 花籠を抱えたまま、ルシアンを見つめていた。

 その瞳が、揺れた。

 まるで長い夢から目覚めたように見開かれる。

 ブーケを一つ取り、遠慮気味に差し出した。


「今朝、摘んだばかりのお花です。……贈り物に、いかがですか」


 かすかに震える声だった。

 その一言で、胸の奥に、何かが蘇ってくる。

 それは、失ったはずの温もり。

 ルシアンは、一歩、彼女へと近づいた。

 なぜ、こんなことを言うのか、自分でも分からなかった。


「全部、くれないか……」


 少女は目を潤ませて頷いた。

 差し出されたブーケをルシアンは、両手で受け取った。

 指先が、触れた。

 それだけなのに、胸の奥が、温かく満たされていく。

 理由は分からなかった。

 けれど、それでよかった。

 少女は、柔らかく言った。


「……ありがとうございます」


 空は、どこまでも高く澄んでいた。

 このまま、世界は静かに続いていくのだと、ルシアンは思った。


 春の日差しが、眩しかった。

 ピルルルルルル……

 ヒバリは、なおも高く昇り続けていた。

 まるで、帰る場所を知っているかのように。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ