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空が裂けるとき、僕は君を殺す。――たとえ終わりが決まった恋でも、君を愛し続けるために。  作者: 外宮あくと


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第10話 祝福と断罪

 剣を握る手は、不思議なほど震えなかった。

 恐怖も、迷いも、すでに過ぎ去っていた。

 自分で決めたことだった。

 何度でも、耐える。それが贖罪だ。


 ルシアンは、ゆっくりと剣を振り上げ、そこで止まった。

 その瞬間、空に閃光が走った。

 鈍色の天蓋に無数の亀裂が刻まれる。

 やはり、ルシアンの耳に音は届かない。

 しかし、群衆が悲鳴を上げているのは分かった。

 裂け目の奥に、闇が覗いている。

 底のない、深い闇。

 そのさらに奥から、こちらを見つめる視線があるような気がした。


 風が吹き荒れた。

 台に頭を乗せたイリーナの蜂蜜色の髪が揺れた。

 細く白いうなじ。

 ルシアンは、息を止めた。

 鼓動を抑えるように、深く息を吐く。

 一点を見つめ、そして、剣を振り下ろした。


 一瞬が、永遠のように感じた。


 銀の刃が、白い首を断ち切る。

 切り離された首は、まるで眠りにつくような静けさで、下の籠へと落ちた。

 とん、と。小さな音がした。

 イリーナの身体が、ゆっくりと傾き、崩れ落ちる。

 その瞬間まで、世界には、何の音もなかった。


 そして、――戻ってきた。

 歓声。叫び声。笑い声。罵声。

 地の底で鳴り響く、重苦しい鐘の音。

 激しい雷鳴と、空がひび割れ裂ける大音響。

 立ち尽くすルシアンに、全ての音が叩きつけられた。


「贖対が死んだ!」

「世界が救われた!」


 人々は歓喜していた。

 贖対が禁忌を犯す前に死んだことで、世界の崩壊は免れたのだと。


 ルシアンは、ゆっくりと膝をついた。

 籠の中に手を入れる。

 まだ、温かい。

 イリーナの首を、そっと抱き上げる。

 閉じられた瞼。

 安らかな表情。

 まるで、ただ眠っているだけのようだった。


 ルシアンは、群衆に視線を送った。恨んでなどいなかった。

 彼らには、糾弾する資格がある。

 だが、それでも分かってほしいことがあった。

 

「僕たちは、贖罪のために生きた」


 ルシアンの声は震えなかった。

 イリーナの髪を優しく撫でた。

 頬を撫で、そして唇にそっと口づけた。

 初めて触れた柔らかさに、胸が震えた。

 愛おしさが溢れて止まらなかった。

 群衆がざわめく。空の裂け目はまだ閉じていなかった。


「……でも、この愛は罪じゃない。お願いだから――愛を、断罪しないでほしい」


 ありがとうと、確かにイリーナは言ってくれた。

 この世界は地獄だ。それでも、確かに一欠片の愛がある。


「僕の罪だけを断罪してほしい……」


 一瞬の沈黙。

 そして、怒号が爆発した。


「口づけだと! 冒涜だ! 禁忌だ!」


――違う。


 世界を壊しはしない。

 彼ら諸共に、下層に堕ちたりしない。

 二度と、同じ過ちは繰り返さない。


――守りたいんだ。愛も、世界も……。


「まだ穢すのか!」

「早く、空が割れるのを止めろ! 悪魔め!」


 石が飛んできた。

 ルシアンは逃げなかった。

 肩に当たり、鈍い衝撃を感じた。

 次の石が、額を裂いた。血が頬を伝った。

 そして、さらに石が降る。

 背に。

 腕に。

 脚に。

 衝撃が身体を打つ。だが、痛みは遠い。

 全て受け止めるつもりだった。


 ――分かってくれ……。


 一際大きな石が、ルシアンの頭を直撃した。

 体がぐらりと揺れた。

 ルシアンはイリーナの首を胸にきつく抱いたまま、仰向けに倒れた。


 空が、大きく引き裂かれていた。

 闇が見つめている。

 もう、石を投げるなと誰かが叫んだ。

 そして、ガラスが軋むような、世界そのものが悲鳴を上げているような音が響き渡った。

 

 無数の亀裂が広がっていく。

 世界が壊れるという悲鳴が上がっていたが、これは本当に崩壊なのだろうか。

 それとも――。

 闇の奥に、吸い込まれていくようだった。

 重さが、消えていく。

 寒さも、痛みも、すべてが遠ざかっていく。


 代わりに、温もりがあった。

 腕の中の温もり。

 確かに守ったという、この感触。

 左目の奥に、ほんのりと温かい熱を感じた。


 ルシアンは、目を閉じた。

 世界の音が、ゆっくりと消えていく。

 最後に残ったのは、静かな安堵だった。


――これでいい。


 そう思った。

 意識が、暖かな闇の中へ沈んでいった。






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