第1話 空が裂ける
「また、僕は君を殺す……」
処刑台の下で、ルシアンは空を見上げていた。重たい雲に覆われた、鈍色の空を。
この空は、じきにひび割れ、ズタズタに引き裂かれるだろう。
その光景を、ルシアンは幾度となく見てきた。
「……一体、何度目なんだろう」
空が裂ける。
比喩ではない。空間そのものが引き裂かれるのだ。
ある瞬間、稲妻の閃光と轟音がとどろき、高天に無数の亀裂が走る。
そのとき、人々は青ざめて膝をつき、ただ天を仰ぐしかない。
それは、『贖対』が現れた印だった。
世界を滅ぼしかねない罪人。
天から贖罪を課された二人の人間を、そう呼ぶのだ。
空を裂く亀裂は、彼らの存在を人々に報せるものであった。
冬の風は冷たく、石畳は薄く凍りついている。
ルシアンは処刑台の周りに集まっている町の人々を見回した。
群衆の息が白く立ち昇る。視線は一斉に台上へ集まっていた。憎悪と好奇、自分でなくてよかったという僅かな安堵。それらが入り混じった顔で、贖対の一人が連れてこられるのを待っていた。
もうじき、贖対の処刑が行われる。
執行するのは、処刑人ルシアンである。
ルシアンは手袋を外し、指をゆっくりと曲げ伸ばした。震えはない。
幼いころから剣を握ってきた。何度も、罪人の首を落としてきた。
それが、彼の務めであり、償いだった。
だが、今日は、その勤めを果たせるのか、ルシアンには自信がなかった。
石畳を走る馬車の音が聞こえてくると、群衆がざわつき始めた。彼らの興奮が徐々に高まっていく。早く殺せ、早く償わせろと叫ぶ声が聞こえてきた。
ルシアンは左目を押さえた。その奥に燃えるような熱を感じる。
ドクドクと鼓動が早まっていた。
罪人が、もうすぐそこまで来ているのが、その熱で分かった。
ゴーンと、重く低い鐘の音が大きく響き渡った。
人々は両手で耳を覆い、その場にしゃがみ込む。
一瞬の静寂のあと、高天に閃光が走り、バリバリと音を立てて裂けた。不規則に、縦横に裂け目が走り、その奥に漆黒の闇が覗いていた。
ステンドグラスのような空の破片が、今にも落ちてきそうだった。
世界が崩れる、そんな恐怖に取りつかれ、ヒステリックな声が至るところで上がっていた。
「贖対を殺せ! 悪魔を殺せ! 償いを!」
ルシアンの鼓動がさらに早くなる。
その顔からは血の気が引き、呼吸もままならない。
覚悟を決めたはずだったのに、不意に手が震え始めた。
複数の足音が近づいてくる。
役人が罪人を連れて来たのだと分かるが、ルシアンは顔を上げることができなかった。
ひと際強い風が、ルシアンの黒い外套をまくり上げた。
連行されてきたのが誰だかは分かっている。
蜂蜜色の髪をした、何度失っても忘れることのできない少女。
「執行時刻だ」
冷たい声が浴びせられ、ルシアンは唇を噛みしめる。
償いのときが来てしまった。
処刑対象が誰であるかを知りながらも。
それでも、剣を握らなければならなかった。
再び、ゴーンと重苦しい鐘の音が響き渡った。
こんなことなら、出会えないほうがよかった。
でも、僕らは何度でも出会う。
それなら――結末が同じだとしても、僕は諦めない。




