『勇者論』に挑む少女は、かつての仲間と再会する
翌日、エリス達は魔術学院アルカナムへの道を歩いていた。
王都とはまた違った、落ち着いた石造りの街並みが広がっている。
どこからか漂ってくる古書とインクの香り、そしてかすかに感じられる活性化した魔力の気配。
道行く人々の服装も、学者のようなローブをまとった者や、学徒と思しき若者たちが目立つ。
学問の街という雰囲気が色濃く漂っている建物のようだった。
「すごい建物ですね……」
エリスは感嘆の息をもらすと、肩の上の黒猫に呟いた。
《確かに魔力の気配は豊かだな。……だが、どの程度扱うことができるかはまた別だ。この地で頂点に立つ魔術師をこの目で見てみたいものだが……》
魔王の声は強い興味を含んでいた。
武人である上、魔の長という立場だったことからも、魔法については並々ならぬ思いがある。
その上、ここは魔法都市の魔術学院という、さらに魔法に特化した人間が集う場所だ。
その実力を見てみたいと思うのも無理はないだろう。
「魔王、戦いに来たわけではないので、大人しくしていてくださいね」
エリスは苦笑いを浮かべた。
肩からウズウズと忙しなく身体を揺らす黒猫の姿が、いつもの偉そうに指図をする存在とは、まるで違うように見えたからだ。
――魔王も可愛いところがあるんですね
そんなことを口に出せばきっとぶちぶちと怒り出すのは目に見えている。
仕方ない猫ちゃんですね、とエリスは心の奥にそっとしまい込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇
学院に向けて歩いていると、建物の威容を誇る石造りの正門前に、ひと際目を引く大きな掲示板が立っているのに気がついた。
そこに記載されている内容は、エリスの求めていたもの。
【特別講義『勇者論』:勇者という英雄の実像を探る】
その文字を見た瞬間、エリスの足が止まり、心臓がドクンと高鳴った。
かつての己について、今日ここで公開討論が行われる。
「……本当に、行われるのですね」
その呟きは、かすかに震えていた。
掲示板の詳細を読むと、講義は学院の大講堂で行われるらしい。
しかし、一番下に小さく但し書きがついている。
――【本講義は、学院関係者のみの参加とさせていただきます】
エリスは少しだけ肩を落とし、ぽつりと呟いた。
「……だめです、か」
当然のことであった。
最高峰の頭脳や魔術師が集まる場所であることもあり、よそ者が簡単に入れる場所ではない。
エリスは名残惜しそうに掲示板から目を離し、通りがかりの学生たちが楽しそうに講義の話をしているのを一瞥した。
(やっぱり気になります。皆が『勇者』を……私のことをどのように思っているのか)
胸に手を置きながら俯くエリスに、魔王はあっさりと言った。
《気になるなら、無理にでも入る方法を考えればよい……例えば、知り合いから制服を借りるとか》
(そんなこと、できるわけが……)
初めてきたこの都市に、知り合いなんていない。
ましてや制服を借りれるような年頃の人間と、一緒に行動すること自体が少なかったから当然である。
エリスはため息をつき、もう一度街の景色を見渡した。
しかし、その時――
「え!? エリス!?」
聞き覚えのある、明るい声が学院の中庭に響いた。
エリスが振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
短い髪を元気そうに靡かせる、いかにも活発そうな姿。
以前とは違う灰色のローブを身に纏い、明るい瞳をした――。
「み、ミリアさん!?」
思わずエリスは声を上げた。
かつて、荷物運びの護衛依頼で共に旅をした短剣使いの少女。
剣士のレオンと修道女のクラリスと共に魔獣の群れに襲われ、エリスが魔王の力を使って皆を救った、あの時の仲間だ。
ミリアはエリスの正体を知っている。
銀髪金眼の勇者の圧倒的な力を見て、そして「内緒です」の約束を交わした、数少ない人物の一人だ。
「やっぱりエリスだ! どうしたの、こんなところで!」
ミリアは嬉しそうに駆け寄り、エリスの両手を握った。
その手の温もりは、初めて出会った時を思い出させ、懐かしい気持ちになった。
「え、えっと……私、魔法を学びたくて……」
「へえ、それでアルカディアに来たんだ! 私、この学院の生徒なんだよ。魔法が苦手で、実技専攻なんだけどね」
ミリアは照れくさそうに笑いながら、エリスの肩の上の黒猫に気づいて目を輝かせる。
「あっ、マオちゃんも一緒なんだ!久しぶり!」
《こ、こいつは……!》
魔王が慌ててエリスの肩から飛び降りようとするが、ミリアの方が早い。
慣れた手つきで黒猫を抱き上げると、嬉しそうに頬ずりした。
「わあ、相変わらずふわふわだねえ!」
《な、なにをする! は、離せ!》
魔王の抗議は、もちろんエリスにしか聞こえない。
必死に暴れるが、猫の身体ではどうしようもない。
エリスはその光景に思わず笑みをこぼし、本題に入った。
「あの、ミリアさん。掲示板にあった講義なんですけど……」
「講義? ああ、午後に開催される『勇者論』のこと?」
ミリアは魔王をそっと地面に下ろし、掲示板の方を見る。
エリスは少し躊躇いながら尋ねた。
「興味があって……でも、学院関係者しか入れないみたいで」
ミリアの表情が、少しだけ真剣なものに変わり、エリスの目をまっすぐに見つめる。
その目には、エリスの正体を知る者としての特別な感情が、一瞬だけ宿った。
「エリスは、参加したいの?」
「……はい」
エリスは正直に頷いた。
ミリアに嘘をつく必要はない。
この少女は、自分が誰なのかを知っている。
だからこそ、エリスは率直に答えようと思ったのだ。
「知りたいんです。皆が『勇者』を……私のことを、どう考えているのか」
ミリアはしばらく考え込んでいたが、やがて大きく頷いた。
「……わかった! 私の制服、貸してあげる!」
「え?」
「学院の制服を着ていれば、多分大丈夫。一緒に行こう! 私もその講義、すごく気になってたんだ。それに……」
ミリアは声を潜め、エリスだけに聞こえるように言った。
「エリスのお願いだもの。私にできることならなんでもするからね!」
「そ、そんな大袈裟な……」
「それに、正直にいうと勇者様本人が『勇者論』に参加するのも、面白いと思ったしね」
その言葉に、エリスは思わず苦笑してしまった。
確かに、それは少し皮肉で、奇妙な状況だ。
かつて勇者と呼ばれた自分が、今まさに「勇者」という存在について語られるのを、こっそりと聞きに行くのだから。
「立場偽装という、不正をするのは気が引けてしまいますが……」
「いいのいいの!私がついていてあげるから! それに、もし誰かに何か言われたら、私がちゃんと説明するし! ――勇者ってことだけは隠してね」
ミリアは片目をパチリと瞑り、エリスの手を握った。
エリスの胸が、熱くなった。
ミリアは、自分が誰であるかを知った上で、それでもこうして隣に立ってくれている。
そのことが、何よりもエリスを支えていた。
「よし、じゃあ早速行こう! 私の寮、ここから近いからね!」
ミリアはエリスの手を引いて、学院の奥へと歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇
ミリアの寮の部屋は、こぢんまりとしているが活気にあふれていた。
壁には短剣の装飾が掛けられ、机の上には冒険譚の本が積まれている。
「はい、これ。私の予備の制服」
ミリアが差し出したのは、学院指定の灰色の制服だった。
簡素ながらも、上質な生地で作られている。
エリスはそれを受け取り、着替えさせてもらった。
鏡に映る自分の姿は、まるで学院の生徒そのものだった。
黒髪をまとめ、灰色のローブを羽織った姿は、どこにでもいる普通の学生だ。
「すごく似合ってるよ!これで大丈夫、きっと誰も気づかない」
ミリアは満足そうに頷き、エリスの手を取った。
その目には、勇者の正体を知る者としての誇りと、友人としての優しさが同居していた。
「なんだか不安です。図書館にも行きましたし、制服を着ていてもよそ者だとバレてしまわないか……」
「うーん、言われてみれば確かに……でも方法は他に……あっ!!」
ミリアが思い出したかのように大きな声を出す。
そして自分の机をガサガサと漁り出し、取り出したのは小さな小瓶だった。
「あったあった!」
「それって……」
「これは《瞬色液》っていって少しの間だけ、振り掛けた箇所の色を変えることができるんだ! 色を指定することはできないけれど雰囲気を変えるには丁度いいと思う! ……とりあえず髪に掛けさせてもらうね!」
そう言って小瓶の蓋を開け、思い切り振りかけるミリア。
しかし、小瓶からは何も出なかった。
ミリアが少し振ってみると、全く音もしない。
使い切ってしまっていたのだ。
「こ、こんな時に……! 市場で買ってこなきゃ! 売り切れてなかったらいいんだけど……」
焦るミリアに、エリスが挙手をして静止する。
「ミリアさん。《瞬色液》なら私も持ってますよ」
「嘘!? な、なんで……?」
「えっと、先日市場で買ったんです。マオの毛布を豪華にして、ご機嫌を取ろうと思って」
魔王はバシッとエリスを叩き、苦情を示した。
その程度で機嫌が取れると思ったら大間違いだ、と言わんばかりの攻撃だ。
「ならよかった! じゃあ早速振りかけてみて!」
ミリアの目が輝いた。
エリスは瓶の蓋を開け、一呼吸置いてから、自分の頭の上にそっと振りかける。
液体が霧状に広がり、エリスの全身を包み込んでいく。
それは金色の淡い光を帯びていて、まるで彼女が光の中に立っているかのようだった。
「けほっ! ……うう、目に入ってしまいました……」
「使い方はそれであってるよ! 目の色も変えたい時は、無理やり瞬きすればいいからね」
霧の中でモゾモゾとエリスの影が動き、動揺しているのがわかる。
しかし、次第に光が収まると、そこには別人のような少女が立っていた。
黒かった髪は、太陽の光を閉じ込めたような明るい金色に変わっている。
赤かった瞳は、澄んだ湖水のような蒼色へと輝きを変えていた。
顔立ちは確かにエリスそのものなのに、印象があまりにも違いすぎる。
「わあ……綺麗……」
ミリアは息を呑んで、エリスを見つめた。
その表情は、まるで魔法にかけられたかのようだった。
エリスは鏡の中の自分を見つめ、少し困ったように笑った。
「これ……逆に目立ちそうな気がするんですけど」
確かに、黒髪赤眼のエリスも十分に印象的だった。
しかし、今の姿は学院の制服と相まって、まるで物語の中から飛び出してきたような、あまりに絵になる姿だった。
「でも、これならエリスだってバレないよ。それに、今日の講義に出てる人はみんな、エリスのこと知らないし」
ミリアはそう言って、エリスの手を取った。
その目には、新しい友人の姿に心を躍らせる少女そのものの輝きがあった。
「さあ、行こう! もうすぐ始まっちゃうよ!」
◇ ◇ ◇ ◇
学院の大講堂へと続く石廊下は、長く、静かだった。
天井から吊るされた魔導灯が、淡い光を床に落としている。
『勇者論』に参加するべく、歩くエリスの胸は期待と不安で高鳴っていた。
自分自身のことを、自分が知らない形で語られる。
それはある種の公開処刑のようにも思えた。
勇者だった自分が、どんな風に語られるのか。肯定されるのか、否定されるのか。
それとも、ただの過去の存在として、冷たく分析されるのか。
「エリス」
ミリアが、そっとエリスの手を握った。
「気分が悪くなったら、すぐに言うんだよ。そうしたら、私がちゃんと外に連れ出すから。気分転換にお茶でもしようね!」
魔獣に囲まれたあの日、エリスがミリアを命がけで護ったことを思い出す。
そして今は、ミリアが自分にできうる限りのことをして、エリスを護ろうとしている。
その強い意志に、エリスは心が温かくなった。
「……ありがとうございます」
エリスは瞳を震わせながら、深く頷き、ミリアの手を握り返した。
◇ ◇ ◇ ◇
大講堂の扉は、重厚な木製で、人の背丈よりもはるかに高かった。
両開きの扉には、アルカナムの紋章が金箔で描かれている。
エリスはその前に立ち、深く息を吸い込んだ。
かつて勇者だった自分が、今まさに「勇者」という存在について語られるのを聞こうとしている。
その内容が、もし自分にとって辛いものだったとしても。
――それを受け止めることが、かつて勇者と呼ばれた者の責任の一つなのかもしれない。
「じゃあ、準備はいい?」
ミリアが小声で尋ねる。
その目には、エリスの決意を支えようとする強い意志が宿っている。
「――はい!」
エリスは強く頷いた。
例え、この講義で自分に対し、どう思われても。
何を言われたとしても。
それを全て受け止めよう――
そして、どんな時でも正しくあろうと誓うのであった。




