少女は勇者に関する書籍を読み、心を揺らす
“英雄譚考究室“に再度入室したエリスは、改めて書架を見渡してみる。
蔵書数も多く、絵本から分厚い辞書のような評論本まで種々多々保管されている。
しかし、どれも埃がかぶっているように見え、利用者がほぼいないことを物語っていた。
《……先ほどの女の言っていた通りだな。勇者という存在自体、既に魔法都市では忘失されようとしているのか、それとも――》
そう言った魔王の声からは失望の色が見える。
自分を討ち果たした唯一の存在。
その偉大なる存在は、誰よりも賞賛されていなければならない。
誰よりも敬愛されていなければならない。
だからこそ、書架整理されそうになっている現実に、魔王は失望していたのだ。
(魔王……)
エリスは珍しく落ち込んでいる魔王を撫でながら、書架を眺め始める。
そして、気になった本を一つ手に取り、パラパラとめくり始めた。
一冊目は――『勇者伝承』
辞書のような分厚さだが、金色の文字と装飾がいかにも研究用の書物であることを感じさせている。
エリスは表紙をめくり、内容を読み始めた。
しかし――
「…………ッ!?」
パンッ、と音を立てながら、急にエリスは本を閉じた。
その勢いのせいで、埃が舞い、けほっと軽く咳き込んでしまう。
《……おい、なぜ内容を読まない?》
(えっと…………)
誤魔化すように魔王から目を逸らすエリス。
その表情は、『内容を見なかったことにしたい』と語っているようだった。
《いいからさっさと開け。そんな忌諱するような内容ではないだろうに》
(……わかりました)
再びゆっくりと本を開き、パラパラと内容を読んでいく二人。
続けていくと、何故かエリスは顔を真っ赤にして俯いた。
一方、逆に魔王の目尻は下がっていった。
その内容は――
“勇者は神の一撃にて生まれた。そして、すぐに歩き始め、言葉を発した“
“利発で容姿も美しい、何より誰が見ても感動するその銀色の髪は、全ての人間を魅了していった“
“とある幼少の日、村を襲った大竜を一撃で撃退。その時、銀髪は月明かりのように輝いたという。そして、この頃から勇者の力は覚醒し始めていった“
“さらに幼き頃の話、魔力の暴走により湖を凍らせた。その後、自らの力に恐怖し、数日の間、言葉を発さず“
――その内容の、あまりにも熱狂的な称賛は、著者が冷静さを失った証なのかもしれない。
もはや伝記というより、讃美歌の様相を呈していた。
《……どうした、エリス。具合でも悪くなったか?》
「…………」
《それにしてもまあ、凄まじい伝承ばかりだな。特にこの国境紛争を解決した話、流石の余もお前を見直すしかなくなってしまうが……なぜ俯いているのだ?》
「……………………」
恨めしそうに魔王をみるエリスの顔は、なぜか焦点があっていないように見える。
《おっ、右頁の下部を見てみろ。“勇者と魔王の戦いは季節が変わるほどに長く続き、天地を揺るがす激闘だった。最後は勇者が魔力を全て使い果たし、魔王の心もろとも浄化した“……素晴らしい魔法だな? ん?》
(……魔王、楽しんでますね)
本の内容はまるで信じるに値しない、出鱈目もいいところだった。
そもそも勇者の戦闘は、見たことがある者がほぼいない。
一人で旅をし、戦い続けた為、戦闘に関することが記載されていた場合、虚実であることはほぼ間違い無いだろう。
(つ、次の本はどうでしょうか?)
続いて手に取ったのは――『凱旋と旅立ち―勇者最後の日々』
(……魔王を倒した後のことが書いてあるのでしょうか? どれどれ……)
“魔王を倒し、凱旋の道すがら、彼女が通った街はすべて活気を取り戻した。病人が癒え、争いが止み、枯れた畑には再び作物が――“
パンッ、と再び勢いよく本を閉じてしまうエリス。
またしても出鱈目すぎる内容。
むしろあからさますぎるくらい、過剰に脚色されているんじゃ無いかと思うくらいだった。
《待て、内容を深く読み解けば、もしや想定外の事実が記載されているかもしれん。もう一度内容を読ませろ》
魔王は真面目そうにエリスに進言する。
しかし、その肩は震えており、いかにもエリスをおちょくろうとしているようにしか見えない。
「はぁ……」
エリスはため息をつきながら眉間を摘む。
この先の展開が既に読めてしまっていたからだ。
気を取り直して次々と読み漁っていく。
三冊目――『星になった勇者―不朽の伝説』
“勇者は今、星となり、夜空から世界を見守っている。流星は彼女が誰かを救うために――“
(次です)
四冊目――『銀閃の勇者賛歌』
《勇者を祀りあげるための讃美歌が書いてあるだけだな。全くもって話にならん》
(……次です)
五冊目――『聖剣と勇者―神話化された戦士の軌跡』
“魔王城に続く断崖絶壁の橋は、長年誰も渡れぬと言われていた。しかし勇者が足を踏み出した時、霧が晴れ、虹が架かり、彼女の歩む先には確かな道が現れた“
「…………次です」
六冊目――『伝説と真実の狭間で―勇者研究の現在地』
“近年の実証的研究により、『銀閃の勇者』にまつわる多くの逸話が後世の創作である可能性が指摘されている“
(ッ! 魔王、これ……!)
《他の書籍よりはマシではあるな。続きを読ませろ》
(はい! えっと……)
そこには、なぜ出鱈目な記載が多い書籍が、これだけあるかの説明がされていた。
“勇者が各地方で活躍したことの記録は、数多くの評伝が存在する“
“いずれも自らの地域性を反映した、独自の英雄像を描き出している“
“なお、内容に関してはほぼ全てが真実かどうかが確認不可“
“なぜなら、評伝を作成する中で聞き取りをする際、情報源が脚色することなど当たり前に起きていたからだ“
“これも、勇者という存在を崇め、讃えたいという民衆の心理が働いているのかもしれない“
「…………」
書かれていた内容が、エリスの心に影を落とす。
出鱈目な記載が多い原因が、自分にあったからだ。
《……お前は、多くの人間に慕われていたのだな》
(……そうなのでしょうか)
《ああ。だからこそ、過剰なまでに神格化される。劇的に粉飾され、一方的に礼賛される》
書籍を胸に抱きながら、エリスは目を瞑る。
かつて勇者だった頃の、多くの人々を助けた記憶が蘇っていく。
どの記憶も、助けた人の満面の笑みが彩っていた。
(私は……自分がしたかったから、そうしただけなのに。神格化とか、崇拝とか、礼賛なんて……)
見返りなんて求めてなかった。
ただ、助けた人々が笑顔になってくれる。それだけで十分だった。
だけど、本人の想いとは裏腹に、民衆はエリスに恩返しをしたいと願ったのだ。
うまくいかない現実にもどかしくなり、書籍を抱く力がさらに強まる。
そして、悲痛な表情をするエリスに、魔王は呟いた。
《だが、それはお前のした行いが、人間の心に深く響いたからだ》
(魔王……)
《――だから、誇るがいい。お前のしたことは、何よりも正しかったのだ》
珍しく素直に慰めてくれた、魔王にエリスは感謝し、その頭を撫でる。
小さく唸りながら、魔王は目を細めた。
◇ ◇ ◇ ◇
数十冊の本を読んでみたが、ほとんどが勇者の功績を讃えるものばかりだった。
しかも内容は出鱈目ばかりのもの。
“英雄譚考究室“の利用者が少なくなった理由も、今では理解できる。
(次で最後にしましょうか。えっと……ッ!)
最後に手に取った書籍の題名は――『「永劫回帰の儀」の検証と考察』
《あの儀式が、第三者からはどう見えたかが書いてありそうだな……読んでみる価値はありそうだが、お前の好きにするがいい》
魔王はそれ以上、エリスに催促しない。
あの時のことを、思い出させるのも酷であると判断したからだ。
(……読みましょう。私も、気になっていましたから)
そうしてエリスは、書籍を開いていく。
本がやけに重く感じ取れるのは、おそらく気のせいではなかっただろう。




