図書館にて、少女は勇者の論考を見つけ出す
『魔法について学びたいなら、とりあえず図書館に行ったほうがいい』
市場で複数の人から聞いた情報により、エリスと魔王は、学術図書館の前に立っていた。
《いかにも、人間の知識が数多く詰まってそうな建造物だな》
「ええ、図書館というのは初めて入るのですが……こんなに巨大なものとは」
エリスは深呼吸を一つして、重い木製の扉を押し開けた。
◇ ◇ ◇ ◇
中は想像以上の広さだった。
天井まで届く書棚が幾列も並び、その間を螺旋階段や空中通路が幾重にも渡っている。
白亜の柱が並ぶ重厚な入口には「閲覧は自由。ただし書物を敬え」と古風な文字で刻まれている。
静けさの中に、微かな紙の香りと、時折パラパラと頁を捲る音だけが響いており、エリスはなぜか緊張してしまう。
《ふん、魔術師どもは本が好きだな。そんなことをするより練度を上げねば無駄だというのに》
(そ、そうなんですか? 本を読んでさらに魔法が上手に使えるようになるのかと……)
《いいか、エリス。そもそも魔法というものはな――》
魔法に関する怒涛の説明が、エリスの脳内にびっしりと埋め尽くされていく。
しかし、エリスには意味不明なものばかりで、すぐに目が回り出してしまった。
《……ゴホンッ! と、とにかく本を探すとしよう。もしかしたら、余の知らない魔法理論についての論文があるかもしれん》
魔王はエリスの肩から飛び降りると、猫の足音も立てずに近くの書棚へと歩いていった。
「あっ、ダメダメ! 猫ちゃんは自由に歩き回らないで、飼い主さんと一緒にね。じゃないとお外に行くことになりますからね?」
《なっ!? は、放せ! 持ち上げるんじゃない!!》
司書の女性がひょいと魔王を持ち上げ、エリスに手渡す。
猫が入ってもいいとはいえ、流石に自由にさせるは無理だったようだ。
(大人しくしててくださいね。とりあえずあちらの魔導書の列を見てみましょうか)
◇ ◇ ◇ ◇
「魔導基礎理論……魔素の循環について……属性変換の原理……」
エリスは書棚の背表紙を指でなぞりながら、魔法の基本書を探す。
しかし並ぶ書物の量は膨大で、どこから手をつければいいのか見当もつかない。
セシリアから借りた理論書は、彼女の丁寧な注釈のおかげで何とか読めた。
しかし、いざ自分の力だけで学ぼうとすると、その壁は想像以上に高く感じられた。
「基礎、基礎、基礎……うーん、見当たらないですね」
エリスは深呼吸して気持ちを落ち着け、初心者向けの書物を探していく。
魔導書の列に無ければ、別の場所だ。
とにかく探してみるしかない。
「……本当に広いですね」
《うむ、ここまでの蔵書数とは、全て読み終えるだけでもかなりの余興を過ごせそうだな》
来所する前とは違い、少しだけ興奮の色を隠せない魔王。
知識の山がこれだけ目の前にあることが、学ぶことが何よりも好きな彼の琴線に触れたのだろう。
エリスは苦笑しながら、歩みを進めていく。
図書館は文字通り、迷路のように入り組んでいた。
螺旋階段を上がり、通路を渡り、時折すれ違う研究者らしき人々に道を尋ねながら、エリスはどんどん奥へと進んでいった。
属性理論
魔法の詠唱による体内への影響
魔術師の就職先一覧
魔法が生み出した生活の基盤
………
魔法が使えない者に対する魔法の練習方法についての本はこれっぽっちもない。
これだけ本が陳列されている、というのに。
「ぜ、全然見当たらないですね……」
《……すでに魔法が使える者に対する教本ならいくらでもあるようだが、余の知識よりも浅いものでしかないだろうな》
魔王は自慢するように鼻息をふんと鳴らす。
キョロキョロと書棚を見渡しながらも、背表紙に書いてある単語がどれも見知ったことばかりのようで、少々退屈そうなそぶりを見せている。
すると、エリスは何かを見つけ、ふと足を止めた。
《……何やら不思議な気配のする場所だな》
そこは図書館の中でも、最も奥まった一室だった。
窓はなく、薄暗い中に、エリスの足音だけがやけに大きく響く。
周囲の書棚は他の場所よりも古びていて、埃を被った背表紙が並んでいる。
照明もまばらで、人の出入りも少ない場所であった。
エリスが何気なく手に取った一冊の背表紙には、金文字でこう刻まれていた。
『勇者伝説考――その起源と変遷』
エリスの指が止まる。
気づけば、その手は次の本を引き抜いていた。
『永劫回帰の儀録――公式記録と証言集』
さらに次。
『銀髪の救世主――勇者の軌跡を辿る旅』
次々と手に取り、内容を流しで読んでいく。
エリスの目には、そこに並ぶ全ての本が「勇者」について書かれているように見えた。
エリスと魔王が図書館の奥まった一角に辿り着いた時、そこには他の書架とは異なる、どこか厳かな雰囲気が漂っていた。
古びた木製の扉には、金色の文字でこう刻まれている。
“英雄譚考究室 ― 勇者伝承・神話・史実の交差する場所― 入室には司書の許可が必要です“
司書の許可、という文字に慌ててエリスは司書のいる場所に向かう。
――勝手に入ってしまったことで、追い出されないか不安になりながら。
◇ ◇ ◇
「英雄譚考究室への入室許可ですね。ではこの腕章を装着してください。――くれぐれも、お持ち帰りにならないようお願いしますね」
エリスが渡された腕章を腕に装着すると、銀縁眼鏡をかけた司書の女性は、寂しく微笑んだ。
「それにしても珍しい。あの部屋に興味があるだなんて。ここ最近は利用者も少なく、書架整理を行おうと思った矢先なのです。是非、勇者様に関して学んでいってくだされば幸いです」
その饒舌ぶりから、勇者に関してなんらかの想いがあることをエリスは察する。
「ええ、じっくりと学ばせていただきますね」
エリスはぺこりと頭を下げ、再び先ほどの部屋に歩いていく。
魔王はそのやりとりに、揶揄うような態度を向けた。
《勇者について、か……おそらく事実でないことばかり書かれているだろうが、それを受け止める覚悟はあるのだろうな?》
エリスは微笑み、肯定するように頷いた。
「勿論です。例えそれが事実でなくとも……人々が『勇者』についてどう思っていたかを見出せるかもしれないから」
それが例え、賞賛や崇拝といった、読むだけで照れ臭くなるものでも。
罵倒や非難または疑惑・懐疑といった、悲しくなりそうな論評でも。
はたまた、賛否両論であったとしても。
それら全てを、しっかりと受け止めよう。
――エリスはそう心に強く誓い、堂々と“英雄譚考究室“に入室するのであった。




