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勇者なんて、なれなくていい

 

《魔法都市まで、あと半日ほどか》


 魔王が肩の上で欠伸をしながら言う。

 エリスは地図を広げ、道なりに進めば夕方までには着けることを確認した。


「そうですね、もう少し頑張らねば」


 そう言って愛武器の棒を支えにして歩き出そうとしたその時だった。

 前方から、重苦しい物音と共に若い男の声が聞こえてきた。


「くそっ……!」


 エリスが顔を上げると、街道の真ん中で一人の青年が立ち往生していた。

 

 彼の周囲には、多くの積まれた荷物。

 大きな籠が二つ、それに布包みが二つであり、その全てを背負い、両手に抱えている。


 一人で運ぶには、だいぶ難しい量だった。


 

 青年は顔を真っ赤にしながら、崩れかけた荷物を必死に立て直そうとしている。

 苛立ちのせいで汗が額を伝い、呼吸も荒い。


《馬鹿な奴だ。一人で運ぶには相当の体力と時間を要する量だぞ》


 魔王の冷たい評にエリスは苦笑いしながら、青年に近づいていく。

 

「手伝いましょうか」


 エリスが声をかけると、青年は驚いたように振り返った。

 年は二十歳前後だろうか。がっしりとした体格だが、今は荷物の重さで肩を落としている。


「え?いや、大丈夫です。自分で何とか……」


 そう言いながらも、その腕は明らかに震えていた。

 次の瞬間、一番上の籠が傾き、中から果物がごろごろと転がり出す。


「ああっ!」


 青年が慌てて籠を押さえるが、バランスを崩して全体が崩れ落ちそうになる。

 エリスは素早く駆け寄り、崩れかけた籠を支えた。


「一緒に運びましょう。この量、一人では無理です」


「でも……」


「目的地はどこですか?よければご一緒させてください」


青年はしばらく迷っていたが、やがて観念したように頷いた。


「……この先にある商業都市の市場です」


 青年は地図上を指でなぞり、商業都市の道を案内する。

 エリス達の目的地とは途中まで同じなため、そこまでは問題なくお手伝いできそうだ。

 

 なんならこの荷物を共に運ぶ覚悟すら、エリスは持っていた。


「しかし……手伝ってもらうのはやはり……って、ちょ、ちょっと!!」 

 

 エリスは籠を一つ背負いながら布包みを一つ持つ。

 青年と分担した状態である。


「よいしょっと。さあ、行きましょうか!」


 やる気に満ち溢れているエリスに、青年はそれ以上断れなかった。

 むしろ断ったら悲しい顔をされる……そんな予想すら簡単にできたからだ。

 

 魔王は相変わらずエリスの肩の上で、退屈そうに青年を観察している。


「そういえばお名前の方を言ってませんでしたね。――私の名前はエリスと申します。以後、よろしくお願いしますね」


「あ……ユーラスと言います。よろしくお願いします!」

 

 エリスはユーラスに元気よく微笑み、歩き始めた。

 その太陽のような笑顔に、ユーラスは胸がどきんと湧き上がりながら、慌てて後を追うのであった。



◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 歩き出してしばらくした後のこと。

 ユーラスの緊張もほぐれてきたのか、ぽつりぽつりと話し始めた。


「ありがとうございます。本当に助かりました……俺、商人見習いでして。一人前になるには、こういう仕事もこなせなきゃいけないって、つい安請け合いしちゃって」


「商人さんだったんですね。旅人さんかと思ってました」


「まだ見習いですけれどね。……でも、いつかは立派な商人になって、できる限り困ってる人を助けたいと思ってるんです」


 ユーラスの目が少し輝く。


「勇者様みたいに、誰かのために何かしたいって思って。商人なら物資を届けたり、安く譲ったり、いろんな形で人助けができるかなって」


 エリスは少し驚いた。

 勇者を目指す者はこれまでにも出会ったが、商人の形でそれを叶えようとする者は初めてだった。


「勇者様に憧れてるんですか?」


「はい。子どもの頃から、あの方は特別だって聞いてました。魔王を倒した英雄で、誰よりも強くて優しくて。俺もあんなふうになりたいって、ずっと思ってたんです」


 ユーラスの声には、確かな尊敬の念が込められていた。

 しかし同時に、どこか悔しさも混じっているように聞こえた。


「でも、現実はそんなに甘くないんですよね。今回も、親切で引き受けた仕事がこんな状態で。しかも、これを運べって言い出したのは、俺が『困ってる人がいたら助けます』って言ったからで……」


 ユーラスの言葉に、次第に熱がこもっていく。


「以前からよくありました。助けてあげたのに、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだって思うことや、お礼がないこととか。むしろ『もっと早く運べ』って急かされるし。感謝されるどころか、これじゃまるで踏み台にされてるみたいで」

 

 ユーラスは歯を食いしばり、足を前に踏み出した。


「でも、勇者様はきっと、こんなことにはならないんだろうな。あの方は特別だから、みんなが感謝して、認めてくれる。俺みたいに、親切が裏目に出たりしないんだろうな」


 エリスはしばらく黙って歩いていた。

 魔王が心の中で囁く。


《……先日のように、またお前の話をするのか?》


(ええ。ユーラスさんが必要としているのは、勇者の『特別』さではなく、真実だと思いますから)


 エリスは静かに口を開いた。


「ユーラスさん、少しいいですか?」


「ん? 何かな?」

 

 愚痴をこぼし、俯きながら苦笑するユーラスの顔が上がり、エリスの方を向いた。


「実は私、勇者様のことを少しだけ知っているんです。旅の途中で、勇者様が訪れた街の方から、いろんな話を聞いたことがありまして」


「ほ、本当ですか!? よければ聞かせてもらえないかな?」


 ユーラスの目が興味で輝いた。

 本当に勇者のことが好きなんだろうな、と思いながら、今からその虚像を破壊してしまうことに、エリスは心の中で謝罪した。


「詩人や勇者様が立ち寄った街での聞き取りによると……本当は勇者様も、最初から『特別』だったわけじゃないそうです。人助けをすれば、感謝されることももちろんあったけれど――」


 エリスは少し間を置いた。


「それだけじゃなかったと、その方は言っていました。助けた人から、逆に恨まれることもあったそうです」


「え……?」


「『もっと助けるのが当然だ』と要求されることもあったそうですし、中には、その強大な力が欲しいあまり、命を狙う者までいたそうです」


「そ、そんな……ありえません! 勇者様は世界を救った英雄なんですよ!?」


 青年の声は、否定というより困惑に満ちていた。


「それは後の話。今言っているのは、魔王を倒す前のことです」


「あ……そうでした。すみません、興奮しちゃって」

 

「いえいえ。ですが、気持ちはわかります。勇者様の実力からして、魔王を倒す前も英雄のような扱いを受けていたのではないかと思うのは普通だと思います。――ただ、現実はそうじゃなかっただけで」


 事実を突きつけられたユーラスは呆然としながらも、エリスの話に耳を傾けている。


「人を助ければ助けるほど、それを『当然』と思う人が出てくる。感謝されるより、期待や要求の方が大きくなっていくこともあったって」


 エリスは穏やかに、淡々とした言葉で続ける。


 ――己が経験した現実を。


「そして、勇者様も必ずしも全ての頼みを聞けたわけじゃないそうです。助けたいと思っても、一人では限界がある。誰かを助ければ、その分、誰かを助けられないこともある。そんな時は、どんな選択をしても、誰かを悲しませてしまうから、迷う時も多かった」


 ユーラスの歩みが、少し遅くなった。


「だからこそ、勇者様は決して『特別』だったわけじゃない。彼女はただ、自分にできることを、その時々で精一杯やっただけ。それで、周りが勝手に『特別』だと思っただけなんだ、と」


「……それじゃあ勇者様は、ずっと辛い思いをしてたってことですか?」


「それはわかりません。事実なのは、それでも人を助けることをやめなかった。――それが、勇者様にとって一番大切なことだったから」


 エリスは少し間を置いて、続けた。


「勇者様に憧れることは、とても素敵なことだと思います。でも――」


 ユーラスを見上げ、寂しそうに微笑んだ。

 それは、かつて勇者だったからこそ、同じ経験をさせたくないという助言だった。


「称えられたい、尊敬されたいという気持ちが大きいのなら……勇者様を目指すのは、やめたほうがいいかもしれません」


「ど、どうしてですか!?」


「――それだけを目的にしていたら、きっと報われないからですよ」


 ユーラスはまだ信じているのだろう。

 人のために行動をしたら、必ず見返りがあると。


 しかし、世の中はそんなに甘くなかった。


「感謝されないこともある。期待に応えきれないで恨まれることもある。それでも人助けを続けたいのなら……目指してもいいと思いますが」


「そんなの……普通の人は耐えられないと思います。少なくとも、俺は絶対に無理だ……」


 

 ユーラスは肩を落とし、項垂れた。

 あの勇者でさえ、人助けをしても見返りがなかったのが普通だった。

 

 それどころか、恨まれることすらあるとは思ってもいなかったからだ。

 

 そんなユーラスの様子にエリスは励ますように言った。

 

「とりあえず、勇者様を目指すよりも、今できることから始めるだけでいいと思いますよ」


 その声は優しく、ユーラスの心に染み渡るように響いていく。


 ゆっくりとエリスを見上げた顔には、続きを催促しているような色があった。


「商人さんなら、商品を届けるだけでも誰かの役に立っている。信頼されて仕事を任されるだけでも、誰かの役に立っている。勇者様みたいに派手じゃなくても、ちゃんと誰かの役に立てているんですよ」


 ユーラスはしばらく考え込んでいた。


「……でも、それじゃあ勇者様みたいには、なれないですよね」


「――勇者なんて、なれなくていいと思いますよ」


 エリスははっきりと告げ、微笑んだ。

 

 勇者だったからこそわかる。

 その存在に、特別な意味なんてないということを。

 

「勇者様は勇者様で、あなたはあなたです。自分にしかできない形で、誰かの役に立てるんだったら、それはそれで素敵なことだと思います」



 ユーラスは言葉を無くした。

 その目には、何かを考えている複雑な光が揺れている。



◇ ◇ ◇ ◇

 


 街道は緩やかな坂道を下り始め、分かれ道が目の前に立ちはだかった。

 エリスの目的地と逆方向が商業都市への道であり、このまま荷物運びを手伝えば、魔法都市へ辿り着くのは3日後あたりになりそうだ。


 エリスの頭の中で、現在の資金や食糧は大丈夫かの確認が高速で行われていく。

 突然、ユーラスが足を止めた。


「あの、ここまでで大丈夫です。あとは自分で運びますから」


「え? ……でも、重いですよ?」


「……やっぱり、自分自身の力でやり遂げたいんです」


 ユーラスはエリスに分配していた荷物を受け取ると、肩にかけ、両手に持ち直した。


 その顔は、出会った頃の苛立ちとは違う、何かを決めたような表情だった。


「自分で引き受けた仕事は、自分でやり遂げなきゃいけない。言ったことは守らなきゃ、カッコ悪いですもんね」


 ユーラスはそう言って、ぎこちなくも笑ってみせた。


「それに、エリスさんの話を聞かせてもらって、考えが変わりました。俺は俺のやり方で、今できることから始めてみます。派手じゃなくても、誰かの役に立てるように、まずは一人前の商人になるのが先決だなって」


 エリスは嬉しそうに頷いた。


「それがいいと思います」


 ユーラスは荷物を抱え直すと、力強く歩き出した。

 その背中はまだ頼りないけれど、来た時よりずっと、しっかりと前を向いているように見えた。


 

 そして、声が届く範囲の端あたりまで歩いた後、急にユーラスは振り向いた。

 その顔には、もう当初のような悔やむ色はない。


「エリスさん、俺、頑張ってみるよ。立派な商人に、絶対になってみせる。――だから、もし次に会うことができたら、是非お得意様として扱わせてくれ!」


「――はい! 楽しみにしていますね!」

 

 別れを告げ、ユーラスが商業都市の道へと消えていった後、魔王がエリスの肩でくつくつと笑い始めた。


《お前の話を聞いて、あの若造は少しは現実を見たようだな》


「ええ。心が折れる前で良かったです」


《それにしても……「称えられたいだけなら、やめたほうがいい」とは、よく言ったものだ》


「称えられたいならもっと確実な方法がありますから。人助けにそれを求めるのは、あまりにも割に合わなすぎます」


 自分を犠牲にしてまで他者のことを助けたのに、それを反故にされる。

 そんなこと、常人ではおそらく耐えられないはずだろうから。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 

 しばらく無言で歩いていたが、ふと魔王が口を開いた。


《エリス、一つ聞かせろ》


「はい、何でしょう?」


《お前は……これまで味わってきた数々の苦難を思い返しても、なお「勇者でいて良かった」と思うのか?》


 魔王の声には、いつもの冷笑も、嘲るような響きもなかった。

 そこにあったのは、純粋な問いかけだった。


《裏切られ、処刑されかけ、毒を盛られそうになったこともあった。助ければ助けるほど、期待と要求が重くのしかかり、時には恨みさえ買った。お前のいうとおり、常人なら確実に人間不信になっているはずだ》

 

 エリスは少し間を置いた。

 その目は遠くを見つめ、その瞳には数多の記憶がよぎっているようだった。


 だけど、エリスの答えは、魔王の想定した通りのものだった。

 

「――はい。私は、勇者でいられて、本当に良かったと思っています」


 その答えに迷いはない。

 自分の真実を、ただ言葉にしただけであった。


《……なぜだ?》


「だって、あの時、多くの方に出会えましたから。支えてくれた方々、信じてくれた方々、そして――」


 エリスはそっと肩の上の魔王に目を向けた。

 そして、微笑んだ。


「――今、こうして一緒に歩んでくれる方にも出会えました。それだけで、私は十分すぎるほど報われています」


 エリスの微笑みは穏やかであるが、しっかりとした強い光を宿していた。

 それは、数多の理不尽を経験しながらも、決して折れなかった者のみが持つ輝きだった。


《ふん……相変わらず、愚かな答えをするのだな》


 魔王はそう言ってそっぽを向いたが、その声には隠しきれない満足がにじんでいた。

 問いに対するエリスの答えは、まさに魔王が期待していたものだったからだ。

 


 誰よりも純粋で、誰よりも強く、誰よりも優しい。


 ――それが、エリスという存在なのだ。



《ぼやぼやしていないで、さっさと行くぞ。明日には魔法都市に着きたいところだ》


「はい、魔王!」



 憎まれ口を叩く魔王だが、素直じゃないから本当にしょうがない。

 

 それを誰よりもわかっているからこそ、エリスは元気よく返事をし、笑みを深めるのであった。

 

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