稽古の成果
カムイの特訓を初めて、数日が過ぎた。
雨の日以外は欠かさず続けられたことにより、カムイの上達は目覚ましかった。
基本的な体捌きから受け身、そして簡単な関節技までを身につけていたのだ。
「はい、今の動きは良かったですよ。特に受け流し方が、より自然なものになっていました」
「本当ですか! やった!」
カムイの笑顔は、日ごとに輝きを増している。
最初は自信なさげに俯きがちだった少女は、今でははっきりと顔を上げ、しっかりとした足取りで歩くようになっていた。
その光景を見ていた魔王が、木の枝の上から呟く。
《……ふん。この娘、なかなか飲み込みが良いな。お前の指導も悪くない》
(褒めていただけて、光栄です)
エリスは微笑みながら空を見上げる。
朝日がまぶしく、今日も良い天気になりそうな日であった。
◇ ◇ ◇ ◇
「今日は私がとっておきのお店を案内しますね、エリスさん!」
「ふふ、楽しみにしてますね」
稽古の休憩がてら、市場を練り歩きながら昼の食事処を探す一行。
すっかりカムイも慣れたようで、エリスに対する接し方も、より距離が近いものとなっていた。
いずれ離れることになるこの関係だけど。
今だけは、この一瞬たりとも逃さないよう接したい。
カムイの行動からは、いつか訪れる別れの瞬間を忘れたいような、そんな振る舞いが見え隠れしていた。
そんなカムイの健気な姿に、エリスは微笑んでいる。
しかし、その時――
「やめてください! 離して!」
「うるせえ! 離せ!」
聞き覚えのある声に、カムイははっと顔を上げた。
「あの声は……まさか!?」
カムイが走り出すのと同時にエリスも付いていく。
そして、市場の裏通りで、とある女性が二人の男に囲まれていた。
一人は太った中年男、もう一人は痩せて背の高い男だ。
おそらく布地の配達をしていたのだろう。
その腕にもつ商品を掴みながら、男の一人は女性を威嚇している。
「おいおい……早く離さなきゃ素敵な布地がダメになっちまうぞ?」
「いいえ、離しません! これは、大事な商品ですから……!」
女性が必死に抵抗をしているが、男達にとっては取るに足らない抵抗でしかない。
思い切り布地を引っ張り、女性の身体は引き寄せられた。
「なら……力づくで奪うしかねえな!」
男の一人が女性を突き飛ばし、布地を奪おうとしたその時。
カムイの鋭い叫びが響き渡った。
「お母さん!!」
カムイは母親の前に立ちはだかり、両手を広げて男たちを睨みつける。
「あなた達は先日の――手を出さないでください!」
どうやらカムイにとって因縁のある者達のようで。
おそらく以前絡まれた酔っ払いの男達であることは容易く理解できた。
「あ? このガキ、調子に乗るんじゃ……」
太った男がカムイの肩を掴もうとする。
その瞬間、カムイの身体が自然に動いた。
エリスが何度も反復させた動き――相手の手首を掴み、重心を崩し、その勢いのままに引き寄せる。
「なっ!?」
太った男がよろめき、地面に手をつく。
大した力は使っていない。
ただ、相手の力を利用しただけだ。
もう一人の痩せた男が驚いて、カムイに掴みかかろうとする。
しかしカムイは冷静にその腕をかわし、そして掴んだ。
「えいっ!!」
そのまま関節を抑えながら身体を回転させ、勢いに任せて地面に倒し、制圧した。
「ぐわっ!」
痩せた男は地面に転がり、カムイに押さえつけられている。
「な、なんだこりゃ……!?」
痩せた男が起き上がろうとするが、カムイはすかさず手首を極める体勢に入る。
「……これ以上続けますか?」
カムイの声は震えていたが、その目はしっかりと相手を見据えていた。
「い、いでででででで!!! 離してくれ! 折れちまうって!!」
痩せた男は痛みに悶絶しながら懇願するが、カムイは離そうとしない。
離した時点で、反撃される恐怖がカムイにはあったからだ。
「このクソガキが……!!」
太った男は痩せた男を制圧しているカムイに殴りかかろうとする。
カムイが学んだ技術は所詮、一対一専用のもの。
複数人相手では、無防備を曝け出すことになってしまうのであった。
「っ……!」
迫り来る暴力に、カムイは短い悲鳴をあげるが、避けることはしない。
――必ずや、自分を護ってくれる存在がいることを、理解していたからだ。
パシッと軽い音と共に、太った男の拳は最も簡単に受け止められた。
それは、あまりにも華奢な手だった。
しかし、信じられない程の気迫を感じられるものだった。
「――あなたの相手は、私ですよ」
エリスは微笑みながら、男の拳を受け止めている。
そして、相手の指を軽く解き、親指から小指を強く握りしめた。
「いッ……いでででででで!!!!」
単純な握撃なのに、身体の芯まで響くような痛みに、男は悶絶してしまう。
なんとか痛みから逃れようと、パッと手を離し、距離を取った。
「こ……この女……!!」
怒りに震える男は強く拳を握り締め、勢いに任せてエリスに殴りかかった。
体格の大きさと見た目によらない速度から、普通なら避けることが難しい攻撃だろう。
しかし、エリスは難なく避けた。
そして、懐に潜り込むのと同時に、その片腕を両手で掴むと、男の勢いを利用して、全力で身体を跳ね上げた。
「――せいっ!!」
一本の腕を支点に、軽々と宙に舞った男は、そのまま地面に背中から落ちてしまった。
「……っ、が……あっ……!!」
太った男は呼吸ができずに苦しんでいる。
それを見た痩せた男が、カムイに制圧されたまま情けない声を上げた。
「わ、わかった! 降参! 降参するから……頼むから離してくれ!」
カムイは訝しげな表情になりながらも、手首をゆっくりと解放した。
痩せた男は、手首を押さえながら飛び起き、太った男を起こすと、そのまま肩を貸して逃げていく。
「ち、畜生が……!」
捨て台詞としか思えないその言葉には、怯えがたっぷりと含まれていて、這うようにして逃げ去っていった。
復讐することすら考えていない、その情けない姿。
カムイはホッとしながら、その背中を見送るのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その場に立ち尽くすカムイ。
その全身は小刻みに震え、呼吸は荒い。
しかし、その目には強い光が宿っていた。
「カムイさん!」
駆け寄ったエリスに、カムイは振り返る。
その顔は涙でぐしょぐしょだった。
「エリスさん……私、やりました……私、お母さんを守れました……」
次の瞬間、カムイはエリスに飛びつき、大声で泣き出した。
それは安堵の涙であり、成長の証だった。
「よく頑張りましたね、カムイさん。本当に、立派でしたよ」
エリスはそっと呟きながら、優しくカムイの背中を撫で続けている。
「あなたがエリスさん、ですね? 本当に……本当にありがとうございました!」
微笑みながら頷くエリスに、母親は深々と頭を下げた。
「カムイが護身術を教わっていることは聞いていましたが……でも、まさかこんな風に役立つ日が来るなんて……」
「お母さん、私、エリスさんに教わったことをずっと練習してきたんだよ。怖かったけど、エリスさんの言葉を思い出して、落ち着いて動けた……!」
カムイの瞳は誇らしげに輝いている。
「これからは、お母さんのことをずっと護ってあげるからね!」
「カムイ……」
カムイが微笑むと、母親の瞳は涙に震え、堪えきれずにその身体を抱擁した。
《……ふん、見事なものだ》
魔王の満足げな声が、エリスの心中に響く。
《カムイとやらは、お前の教えをしっかりと身につけたな。それに、最も大切なことを忘れなかった》
エリスは黙って頷いた。
魔王の言いたいことを、理解していたからだ。
《相手をいたずらに傷つけず、必要なだけの力で制する。それが、お前が一番伝えたかったことだ。――全く、天晴れなものよ》
エリスは微笑みながら、母親と笑顔で会話するカムイを見る。
そして、悟った。
――これで、私の役目は終わりですね、と。




