エリスの類稀なる才能
その翌朝から、エリスはカムイと二人で早朝練習を開始した。
エリスが最初に教えたのは、基本的な構えと体重移動。
基礎から固るためである。
「まずは、自分の身体がどのように動くかを感じることから始めましょう。地面をしっかりと踏みしめて、重心を低く保つのが大切です」
「はい! やってみます!」
カムイは真剣な表情でエリスの言葉を一つ一つ噛みしめるように聞き、動きを真似る。
しかし、最初はなかなかうまくいかない。
全てがぎこちなく、正しく動くことができずにいた。
「うう……難しいです」
「大丈夫ですよ。誰でも最初はそうなんです。焦らずにゆっくりと、ですよ」
エリスはカムイの身体を支えながら、正しい動き方を手取り足取り教える。
その指導はとても丁寧で、カムイが理解するまで何度でも繰り返し説明した。
◇ ◇ ◇ ◇
練習を重ねるうちに、カムイの動きは少しずつ形になってきた。
エリスが教えたのは、理合いの技。
カムイのような少女でも、大男に立ち向かうことができる唯一の技術だからだ。
「相手が押してきたら、その力をまっすぐに受け止めないで、少しずらすんです。そして、相手の勢いを利用して、そのまま引き込む」
エリスが実際にカムイの手を取って、動きを見せる。
自分の意思とは関係なく動く身体に、カムイは目を見開いた。
「わぁ!? す、すごい……!」
カムイの目が好奇心で輝く。
その反応にエリスは微笑み、続いて構えた。
「さあ、次はカムイさんの番です。遠慮なく、思い切り技をかけてみてください」
「え? でも、エリスさんを傷つけたら……」
「大丈夫です。怪我しないよう受け身は取りますので。それに、一番大切なのは、実際に相手に技を掛ける感覚を身につけることです」
カムイは不安そうな表情を浮かべながらも、エリスの言葉に従ってゆっくりと手を伸ばす。
その動きは明らかにぎこちなく、力の入れ方も体勢も不十分だ。
しかしエリスは、そのおぼつかない攻撃を優しく受け止め、わずかに体勢を崩すような素振りを見せた。
「あっ! 今、少し動きました!」
「いい感じです! でも、もっと体重を相手に預けるようにすると、相手を崩しやすくなりますよ」
カムイが再び挑戦する。
今度はさっきより少しだけ力の入れ方が良くなっている。
エリスはまたもやわずかに身体を揺らし、カムイに手応えを感じさせる。
その様子を、魔王は興味深そうに見つめていた。
《なるほど……わざと受けている、というわけか》
(ええ。最初はよくわからなくても、相手を動かせたという実感が、やる気に繋がりますから)
カムイの攻撃はまだまだ未熟だが、その目は真剣そのものだ。
エリスが微妙に体勢を崩すたびに、カムイの顔に自信の光が差していく。
「エリスさん……次はもっと強くいきます!」
「勿論! 受けて立ちますよ!」
カムイがもう一度仕掛ける。
今度は先ほどよりも勢いがあり、体重の乗せ方も良くなっていた。
エリスはそれを感じ取り、少しだけ大きな動きで体勢を崩す。
「い、今のはうまくいった気がします!」
「はい、とても良くなってきました。では、次はこういう風に来られた時はどうするか、考えながらやってみましょう」
エリスは少しだけ受け方を変え、カムイに違う角度からの攻撃を意識させる。
それでもまだ辿々しい動きであったが、確実に一歩一歩前進しているのがわかった。
よくわからないながらも、とりあえず実行させ、実感させ、修正させていく。
エリスは第六感を駆使し、カムイに強く共感する。
そして、その動きの何が良かったか、何が悪かったかを指摘し、理解させていく。
――それは、等身大の師として、これ以上にない能力であった。
何度も何度も繰り返すうちに、カムイの動きは徐々に正確さを増していく。
最初はただ力任せだった攻撃が、次第に理にかなったものへと変化していく。
エリスはその成長に合わせて、少しずつ受け方を変えていく。
最初は大げさに体勢を崩していた。
次第に微妙な調整だけになり、ちょっとやそっとじゃ体勢を崩さない。
そして最終的には、カムイの技がしっかり決まらないと体勢を崩さないようになっていった。
「くう……なかなか掛かりません」
「でも、最初の頃と比べると、格段に上達していますよ。自分の成長を感じませんか?」
カムイは自分の手を見つめ、それから大きくうなずいた。
「はい! 最初は全然わからなかったけど、今は少しだけ、相手の力を感じ取れるようになった気がします」
その時、枝の上から魔王の声が聞こえた。
《――かつて世界の頂を極めた者が練習台になるとは、なんとも贅沢なものだな。勇者がこれだけ地面に転がされるのは、この世で誰一人、見たことがないだろうに》
エリスは顔を上げ、魔王を見つめて微笑んだ。
(ふふ、新鮮でしょう? カムイさんにとって、この方法が一番強くなれると思いましたから)
魔王はそっぽを向いたが、その目はどこか満足げだった。
《だが、確かにこの娘の成長速度は目を見張るものがある。お前の指導法も、悪くないのかもしれんな》
(そう言っていただけて、光栄です)
カムイが不思議そうにエリスを見つめている。
「エリスさん、マオちゃんがどうかしましたか?」
「ええ、私たちの稽古が気になっているみたいです」
「そうなんですか……ごめんね、マオちゃん! あなたのご主人様を練習台なんかにしてしまって!」
《ご……ご主人様だと……!?》
カムイが悪気なく放った言葉に、魔王は目を見開いた。
身体がぷるぷると震え、屈辱と思っているのだが、それを気づくことがないカムイは無邪気に手を振っている。
「はは……」
そのやりとりに、エリスは苦笑するしかなかった。
◇ ◇ ◇
再び稽古を開始したエリスとカムイ。
今度は実践を元にした、急に襲い掛かられたことを想定したものとなっていた。
魔王は少し離れた場所から、その光景を眺めていた。
《……随分と熱心に教えているな》
エリスの心中で、魔王は呟く。
棒術を習得する際に、徹底的に教え込んだ自身だからこそ思う。
エリスが物事を教わるときは本当に真面目で、些細な指摘ですら確実にこなし、ものにしていくのが得意だった。
そして、学んだことを自分の技術にできたとき、晴れやかな笑顔をするのが印象的だった。
そのとき魔王は思ったのだ。
――学ぶことが、本当に好きなんだな、と。
だが今回、人に教える立場となったエリスの姿を見て、別の印象を抱いたのだ。
人に教わる時よりも、人に教える時のエリスは、より眩しくて、楽しそうである。
まるで、それが天職のようにさえ思えるくらいに。
勇者の素質である、エリスの異常発達した“共感性“。
それを踏まえれば、教えるのが得意なのは腑に落ちるのだが、まさかここまでとは思っていなかった。
《この娘は……本当に、尽きせぬ驚きを与えてくれる》
――それは、エリスの新たな可能性を垣間見た魔王の、純粋なる喜びであった。
陽が傾き、宿の庭には黄金色の光が満ちていく。
そんな中、カムイの喜びの声が、静かな日没に響き渡っていた。
「エリスさん、今のどうでしたか?」
「はい、とても良くなっていますよ。特に技の掛け方がスムーズになってきました」
「やった!」
カムイの無邪気な笑顔に、エリスも思わず顔をほころばせる。
そしてエリスは、ふと自分が今置かれている状況の不思議さに思いを馳せた。
かつては世界を救うために戦い、魔王とすら互角に渡り合った勇者。
今はこうして、一人の少女に護身術を教えている。
(……まさかとは私が、とは思いましたが、こういう機会もいいものですね)
そんな思いが、自然と心の中に浮かんでくるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
練習が終わり、カムイが家へ帰った後の夜。
宿の一室でエリスが明日の練習内容を考えていると、魔王が珍しく話しかけてきた。
《エリス、一つ聞いても良いか》
「はい、何でしょう?」
《お前はなぜ、あそこまで熱心にあの娘に教えるのだ。単なる通りすがりの少女だぞ》
エリスは少し考え、それから静かに答えた。
「カムイさんの目を見て、かつて自分が見た、“ある人達“を思い出したからかもしれません」
エリスは、遠い目をしながら続ける。
「その人達は、誰かを守りたくて強くなりたいと思いながらも、強さを追い求めるあまり、本当に大切なことを見失ってしまいました。気づけば、何が自分の守りたかったものの優先順位が変わってしまい、後悔に暮れていた姿を覚えています」
《……力に溺れた者の末路としては、よくあることだ》
魔王の言葉に、エリスも同意するように頷いた。
「だからこそ、カムイさんには正しい方向で強くなってほしい。力に飲み込まれずに、優しさを忘れずに強くなってほしいと、そう思うのです」
《……ふん》
魔王はそれだけ呟き、それ以上何も言わなかった。
魔王は黒猫の姿で窓辺に座り、月明かりに照らされた街並みを見下ろした。
明日もまた、早朝の庭で二人の練習が始まるだろう。
そして、カムイは少しずつ、確かに成長していく。
その成長を見守ることが、今のエリスにとって大切な使命の一つになっているようだった。
エリスの唯一の師であると自負している魔王は思う。
教わる立場だった者が、教える立場になった。
そんな立場の変化を見ることが、こんなに感情が揺さぶられるとは思っていなかった。
だからこそ、弟子であるエリスの成長を、誰よりも間近で見てきたからこそ思う。
――立派になったものだな、と。
(……悪くない。悪くないな、こういうのも)
ただ、これはまだエリスの可能性の一つでしかない。
今後もきっと、己の想像する以上のことを見せてくれるのだろう。
そんな期待を胸にしながら、魔王は満足げに目を閉じるのであった。




