カムイという名の少女
「あ、あの! すごく、かっこよかったです!」
木の影からひょっこり姿を現したのは、エリスよりも少し幼い少女。
年齢は十歳前後だろうか。
黒髪を肩で切り揃え、瞳には憧れと羨望が浮かび上がっている。
エリスは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに柔らかな笑みに変わった。
「ありがとうございます。もしかして、ずっと見ていらっしゃったのですか?」
「はい! ……すごいかっこいいなと思って!」
少女はこくんとうなずいた。
《……朝から熱心な観客がいたものだ。悪意はなさそうだが、用心に越したことはないぞ》
魔王が心中で呟く。
エリスも魔王と同じことを感じていたが、少女の純真な眼差しを見て、すぐに警戒心を解いた。
「かっこいいだなんて……本当に嬉しいです。今日は朝早くから起きていらしたのですか?」
「ええと……実は何日も前から、あなたがここで練習しているのを見ていました。ずっと声をかけたいと思っていたんですけど、なかなか勇気が出なくて……」
少女は恥ずかしそうにうつむいた。
そして、意を決したように顔を上げると、真っ直ぐにエリスを見つめた。
「でも、それも今日までです!! 是非、お知り合いになりたいのです!」
あまりのストレートな告白に、エリスは目を丸くする。
「えっ! ……ええと、もちろん、私は構いませんが」
少女は嬉しそうに笑うと、二歩、三歩とエリスに近づいた。
そして、その両手を伸ばし、エリスの手を包み込むように握った。
「よかった……! 私、カムイと言います! これからよろしくお願いします!」
その手の温もりと、真っ直ぐな眼差しに、エリスの胸の奥で何かが揺れた。
かつて誰かに憧れ、追い求めた日々があったことを思い出したエリスは、優しく微笑んだ。
「エリスと申します。こちらは相棒のマオ。よろしくお願いしますね、カムイさん」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
宿の一室でお茶をすすりながら、カムイはぽつりぽつりと自分のことを話し始めた。
カムイはこの街で母親と二人暮らし。
父親は数年前に病で亡くなり、今は母親が小さな布地屋を営んでいるという。
カムイの瞳に、強い意志の光が宿る。
「私は、もっと強くなりたいんです」
「……どうして強くなりたいのですか?」
エリスが尋ねると、カムイは少し俯き、それから静かに語り始めた。
「半年前のことです。母と市場に行った帰り道、酔っぱらった男の人たちに絡まれたんです。母は私を守ろうと必死でしたけど、私は……何もできませんでした」
カムイの声が微かに震える。
「ただ怖くて、震えて、母の後ろに隠れていることしかできなかった。もしあの時、私に力があれば……母を守れたかもしれないのにって」
部屋に沈黙が降りる。
エリスは何も言わず、ただカムイの言葉に耳を傾けた。
「それからずっと考えていました。どうしたら強くなれるのか、と。でも、武術を学ぶ場所も、お金もなくて……」
カムイは顔を上げ、真っ直ぐにエリスを見つめた。
「そんな時に、エリスさんを見たんです」
少しでも身体を鍛えるべく、日課の早朝散歩をしている最中のことだった。
朝早くから棒術の練習しているエリスを見て、カムイは雷に打たれたような衝撃を受けたのだ。
「その動きがすごく美しくて……この人に武術を教わることができればなんと幸せなことか……そう思いました」
魔王の声がエリスの心中に響く。
《なるほど。この娘もまた、強さを求めているのか》
エリスは深く息を吸い、カムイに向き直った。
「あなたのその気持ち、とてもよくわかります。かつて私も、誰かを守りたくて強くなりたいと思いましたから」
「では、武術を教えてくれるんですか?」
しかし、エリスは静かに首を振った。
「ごめんなさい。私の使っている棒術は、教えることができません」
「な、なぜですか? 私、頑張ります! どんな困難も乗り越えてみせますから!!」
表情を曇らせたカムイの焦りが、痛いほど伝わってくる。
エリスは嗜めるように微笑んだ。
「落ち着いてくださいな。棒術は素人がいきなり扱えるようなものではないんです。むしろ、使い方を誤れば、守りたい誰かを傷つけてしまう危険な武器にもなります」
「で、でも……私は……!」
カムイの目に涙が浮かび始める。
それを見たエリスは、一つ提案を行なった。
「でも、別の方法ならお教えできます――それは、素手で行う護身術です」
「護身……術?」
エリスの澄み渡る声がカムイを突き抜けていく。
強い意志がこもった気迫を前に、言葉がうまく紡げない。
「はい、護身術です。力のない者でも正しい理合を学べば、自分より大きな相手を制することができる――そんな技をお教えしましょう」
カムイの瞳から涙が溢れた。
それは、感謝と喜びの涙だった。
「ありがとうございます……ありがとうございます! エリスさん!」
カムイはもう一度エリスの手を握り、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。
魔王は机の上で、その光景を眺めていた。
その表情はどこか不満げである。
《……エリス》
(はい、どうしました?)
エリスが振り返ると、魔王は不機嫌そうに尾を振っている。
《お前に、師匠など務まると思っているのか?》
(え?)
《お前は確かに戦いの経験は豊かだろう。しかし、人に物を教えるというのは、それとは全く別の才能が必要だ。それを軽々しく引き受けるとは、無責任極まりない》
魔王の言葉は強く、同時に大きな説得力を持っていた。
それもそのはずで、エリスに棒術の基礎を叩き込んだのは他の誰でもない、魔王だったからだ。
しかし、エリスは優しく微笑みながら返した。
(大丈夫ですよ。きっと、なんとかします)
呑気な返事に、魔王は深くため息をつくのであった。




