エリスの意外な弱み
シルフィアとの戦いの痕は生々しく、所々で焦げた地面や切断された木々が、あの激闘を物語っていた。
そんな中を、エリスはゆっくりと歩きながら、愛用の木の棒を手に取り軽く振ってみる。
シルフィアとの戦いで得た経験は、確かにエリスの技術をさらに磨き上げることになっていた。
しかし同時に、限界も痛感させられた。
それは、棒術だけでは遠距離からの魔法攻撃には対処が難しいこと。
何か別の手段――牽制や遠距離攻撃ができるものが必要だということが理解できた。
「棒術だけでは、やはり限界がありますね。何か敵を牽制できるものを考えなければ」
エリスは考え込むように呟いた。
その時、肩の上の黒猫――魔王が、耳を微かに動かした。
《……確かに、お前の棒術は見事に成長した。だがシルフィアのような遠距離攻撃を使う魔術師相手には不利だな》
魔王は少し間を置き、慎重に言葉を選びながら提案した。
《そうだ……お前、魔法を使ってみるのはどうだ?》
かつて勇者であった頃から身につけていた戦闘センスと共感力は、きっと魔法を使うことにも大きな戦力になるだろう。
勇者の力を得た時の、予想だにしない光術の使い方からしてそうだ。
だからこそ、魔王は見てみたいのかもしれない。
普段から魔法を使えるようになった、エリスの戦闘スタイルを。
しかし、エリスはまるで聞こえなかったかのように、別のことを呟いていた。
「武器……何かいい武器はないでしょうか……遠くからでも気軽に使えるような……」
魔王は少し眉をひそめた。エリスの反応が不自然に思えた。
(聞こえていないのか? いや……さっきまで会話が成立していたはずだ)
魔王はもう一度、少し大きな声で言ってみた。
《エリス、魔法を使ってみるのはどうだ? 勇者であったお前は、光術が得意だったろう? あれは見事な力であったし、身体も覚えているのでは?》
エリスの足が一瞬止まり、わずかに身体が硬直するのがわかった。
「………………」
しかし、すぐに歩き出し、相変わらず聞こえていないふりをした。
「金銭的な面から投擲武器は厳しそうですね……弓矢も使いこなすのが難しそう……うーむ」
《…………》
魔王の赤い瞳が細められた。
完全に確信したのだ。
エリスは聞こえている。
だが、故意に無視しているということを。
(面白い……わざと聞こえないふりをすると?)
魔王は意地悪な気分になり、ゆっくりと、そしてはっきりと言った。
《……お前、魔法が使えないんだな?》
「ッ!」
エリスの足が完全に止まった。
目が見開かれ、明らかな動揺の色が浮かぶ。
肩の上の魔王を一瞥すると、すぐに目を逸らした。
その反応は、魔王の予想を完全に裏付けるものだった。
「な、何を言っているんですか魔王。そんなこと……」
《……ここまで嘘をつくのが下手とはな》
魔王の声には、少しばかり勝利の色がにじんでいた。
《なぜ魔法の話を避けるのか――それは、お前が魔法を使えないから。そうであろう?》
エリスは無言のまま、地面を見つめていた。
その様子は、言い訳もできず、ただ追い詰められた小動物のようだった。
《……不思議なものだ。魔法なぞ、練習すれば誰だって使えるはずだ。威力や効果は別とするなら、そこいらの子供ですら可能だ》
少なくとも、エリスが魔法を使用することができないイメージはない。
だからこそ、魔王にとって大きな疑問となっていたのだ。
長い沈黙が流れた。
風が木々の葉を揺らし、小鳥のさえずりが遠くで聞こえる。
逃げられない、と悟ったエリスは深く息を吸い、ようやく口を開いた。
その声はかすかで、ほとんど呟くようだった。
「――実は、勇者の頃から魔法は使えませんでした」
《なっ……!?》
今度は魔王の方が驚いた。
その声には、本物の驚愕が込められていた。
《し、しかし……お前は光術を使っていただろう!? あれは素晴らしい魔法だった!》
事実、魔王の力を借り、勇者に舞い戻った後でも相変わらずの強さを誇る光術を使用できていた。
模倣しただけでシルフィアの魔法すら軽く凌駕する、最強の魔法と言っても過言ではなかった。
しかし、エリスはうつむいたまま、衝撃の事実を告げた。
「光術は、魔法ではありません……勇者しか使用することのできない『技術』だそうです」
《魔法ではない、だと?》
「はい。魔法とは、根本的に違うものだと、かつて教わりました」
エリスは遠い目をして、思い出を語り始めた。
◇ ◇ ◇
それはかつて、エリスが勇者だった頃の話。
とある魔術師に、魔法を学ぶ機会があった時のことだ。
「魔法について簡単に説明を受け、実際に試してみたんです。そうしたら、とんでもない威力の光術が発現したのです」
試しに、遠距離に置いた目標物に火をつけるだけの想定だった。
しかし、光術によって目標物は超大な爆炎に包まれ、空高く燃え盛ったのだ。
とある魔術師は、その光景を見て、一言。
『何それ……知らん……怖……』
そう呟き、ふらふらとその場を離れてしまったのである。
聞いたところによると、その魔術師は三日三晩うなされてしまったそうで。
罪悪感でいっぱいになったエリスは、魔術師の枕元で平謝りをし続けるのであった。
◇ ◇ ◇ ◇
「魔術師の方には、大変申し訳ない事をしてしまいました……うぅ」
情けない声のエリスは補足するように続ける。
「どうやら勇者の光術は、魔法という体系から外れた未知の力らしいです。言い換えれば……未だ解明されていない、別次元の技であると」
《…………》
「勇者の力を失った後、どうしても光術を使いたくて、何度も練習しました。しかし、できませんでした。だから魔法なんて……もっとできないだろうと思いました」
《……………………》
「だから……魔法の話をすると……つい、耳を塞いでしまいました。すみません、魔王」
《………………………………》
魔王はしばらく黙っていた。
頭の中では、様々な情報が整理されていた。
勇者の光術が魔法体系外の力であること。
エリスが純粋な魔法を使えないこと。
そして、それをずっと隠してきたこと――。
すると突然、魔王の体が微かに震えた。
次第にその震えは大きくなり、ついに――。
《……ククク……フフフフフ…………!!》
笑い声が、エリスの心中に響き渡った。
それは抑えきれない笑いだった。
《そうだったのか……! 勇者と呼ばれし者が、まさか基礎魔法すら使えないとは……! フフフフフ……!》
「わ、笑わないでくださいよ」
エリスは悲しそうな顔で言った。
「私だって、できるものなら使いたかったんですから」
《いや失敬》
魔王はようやく笑いを収めるが、その声には依然として笑いの余韻が残っている。
《だが、これは面白い。実に面白い……!》
何かを思いついたのか、何度も自問自答する魔王。
そしてついに、その声が突然、真剣なものに変わった。
《いいだろう、エリス》
「……え?」
《この魔王、必ずお前に魔法を使えるようにしてやる》
エリスは目を見開いた。
「で、でも……勇者の身であった頃からできなかったんですよ? 今なら尚更……」
《だからこそだ!!》
魔王の声には、興奮と熱意が込められていた。
《魔の頂点に君臨した者として、これは面白すぎる挑戦だ! 勇者であった頃でさえ魔法を使えなかった娘が、どうやって魔法を会得するか――魔の王として、これほど燃える話はない!!!》
エリスは呆然としていた。魔王の態度の急変ぶりに、ついていけていないようだった。
「で、でも……魔法の才能がないって言われたこともありますし……魔術師の方に、『魔力の回路が通常と違う』って……」
《そんなもの戯言だ!!!》
魔王は鼻息荒く、即座に否定した。
《才能など、後からいくらでも開花させることできる! お前の“読む”能力や、驚異的な学習速度なら、魔法だって絶対に習得できる!》
「そ、そうですか……?」
エリスは魔王の勢いにたじろぎながらも、ひょっとしたら、もしかしたら、という希望を抱き始める。
魔王の言葉は、長年抱えてきたコンプレックスに光明を見出すものだったから。
「本当にできますか? 私でも……魔法が?」
《無論だ! ただし、一朝一夕にはいかん。基礎からしっかりと鍛え直す必要がある。魔力の感知から始め、少しずつ――》
「やりましょう! できるならば今からでも!!」
エリスは突然、勢いよく言った。
その目は輝き、今までの憂いなど吹き飛んだようだった。
「お願いします、魔王! 私に魔法を教えてください!」
《う、うむ……さっき迄の落ち込みぶりが嘘のようだが、それほどのことだったのか?》
エリスの急な熱意に、今度は魔王がたじろいだ。
「だって……ずっと……魔法が使えるようになりたかったんです」
それは、純粋な憧れだった。
道具を使わずに火を使うことも。
水分に困った時、大気中から水を生成することも。
ふと掃除するときに、風を巻き上げて綺麗にすることも。
光術では不可能である、応用ができることが羨ましかったのだ。
エリスは魔王に深々と頭を下げた。
「どうか、よろしくお願いします!」
《……ふん、任せるがいい》
魔王は気分よく、満足げに胸を張った。
《この魔王が直接指導するのだ。たとえ魔法音痴であろうと、必ず使えるようにして見せよう》
しかし、その直後、魔王は少し困ったような声を追加した。
《……ただし、どう教えればいいかはわからんがな》
「ええっ!? で、でも……さっきまで自信満々でしたよね?」
《理論は知っている。魔力の流れや、術式の構成は理解している》
魔王は少し照れくさそうに言った。
《だが、それを知らぬ者にどう教えるか……となると、話は別だ》
「…………」
《な、なんだその目は! ……ふん! 少し考えてみるから、しばし待ってろ!》
そして二人は歩き出し、次なる街への道を歩んでいく。
その最中で、魔法習得の練習ができることをエリスは期待を膨らませながら、これからの修行に思いを馳せた。
一方、魔王はというと、心中で早速魔法教育の計画を立て始めているようだった。
《まずは魔力の感知からか……だが、どう教えれば……》
《いや、まずは実践あるのみだ。とにかくやってみるのが一番だろう》
《だが、失敗した場合のリスクは……》
うんうんと唸りながら妙案を捻り出そうとする、普段見ることがない、魔王の姿。
棒術の時と同様、技術を伝授させようとする魔王は、いつも以上に楽しげで、やる気に満ちている。
――それは、見ているだけで微笑ましい姿であった。
そんな自分のために頑張る魔王にエリスは感謝し、微笑むのであった。




