風魔士は、勇者の力を目の前にして、さらに絶望する。
かつて、主をただ一人で討ち果たした存在が、目の前で力を解放している。
その光景を、シルフィアはただ呆然と見つめることしかできなかった。
噂には聞いていた。
魔王の力により、銀髪金眼の勇者へと変貌するその存在を。
しかし、実際に目の当たりにすると、全てが想定外であった。
その圧倒的な威厳と美しさ、そして強大な魔力の奔流は、想像をはるかに超えていた。
だからこそ、シルフィアは思わず息を呑んで呟いた。
「う……美しい……」
エリスは、まっすぐにシルフィアを見据えた。
その眼差しには、もはや痛みや苦しみはない。
傷は完全に塞がり、肌の色も元の美しい綺麗な肌色をしている。
静かに微笑みながら、シルフィアを見つめているだけだった。
「……っ!? か、簡単に勝てるとは思わないでっ!」
我にかえったシルフィアは、恐怖と焦りから風の刃を複数展開した。
集中することができず、形も速度もばらばらな魔法。
今のシルフィアにできる精一杯の武器であり、それをエリスに向かい、全て容赦なく、無慈悲に放っていった。
しかし、それら全てはエリスの眼前で不可視の障壁に阻まれた。
「な……なんで……!?」
回避するまでもない、とのエリスの態度に、シルフィアの全身に震えが走った。
《ふん。その程度の魔力では、勇者の防御は突破できぬ》
シルフィア程度の魔力の高さでは、到底勇者の完全防御を突破できるわけがない。
魔の頂点に君臨した者ですら、その厚き壁を突破することが難しかったから当然であった。
だからと言って、シルフィアは諦めるわけにはいかなかった。
「ま、まだ……まだまだこんなものじゃないよ!!」
シルフィアは、ただ必死に魔法を展開するしかなかった。
魔力のコントロールを忘れるほど焦り、ただエリスに向かって風の刃を放つのみの単純な攻撃しかできない。
その雑な攻撃は、相変わらずエリスには届かず、絶対防御の前に霧散するだけ。
そして――勇者は動き始めた。
「――はっ!」
片手で掌底をまっすぐに放ち、虚空で静止する。
その力加減は、そっと手を添えるくらいのイメージだ。
しかし、その動作で周囲の空気は巻き込まれ、壮絶な突風がシルフィアに向かって放たれた。
「ぎゃあッ!!」
足を踏ん張り、耐えることすらできないシルフィアは後方に吹き飛ばされる。
受け身も取れずに背中から落ち、悶絶しながら痛みに転がり回る。
「う……! ううう……!! 畜生……!!!」
なおも起きあがり、無駄な抵抗をしようとするシルフィアに苦笑するエリス。
そして、何を思ったのか両手に光を纏い、そして人差し指で虚空を薙ぎ始めた。
それは、シルフィアの魔法を実践しているかのようだった。
「ひっ……!?」
エリスの指の動きに合わせて、凶悪な光の刃がまっすぐに放たれていく。
その速度はまさに光そのもの。
シルフィアを狙うことなく、周囲の木々を容易に切り刻み、倒していく。
「えっと……こう、だったはず!」
次にエリスは大きく振りかぶりながら、拳に力を入れる。
収束していく光は眩く周囲を照らし、シルフィアはその濃度の高さを嫌でも思い知らされる。
そして、全身に震えが走った。
エリスのする攻撃の構えが見覚えのあるものであり、次に起きる光景が予測できたからだ。
「ひっ…………ひいいい!!」
シルフィアは悲鳴をあげ、顔を両腕で庇いながら前を見ることができない。
「――はぁっ!!!」
エリスは振りかぶった拳を全力で振り下ろすと、その直後に無数の光の刃が形成され、縦横無尽に飛び交い始めた。
その威力は岩盤ですら容易に割き、地面を砕き、周囲のあらゆるもの全てをバラバラにするくらいの強度を示していた。
しかし、シルフィアは未だ無傷だった。
まるで、エリスが暴れ狂う光の刃を制御し、一切の傷を負わないかのように。
シルフィアだけ、わざと避けていたのだ。
「あ……あ……」
もはやシルフィアに抵抗する気力はない。
腰が抜けて、エリスの攻撃を眺めることしかできていなかった。
「――では少しだけ、大人しくしてもらいますね」
その言葉と共に、エリスは両手をシルフィアに翳した。
あまりの速度に反応できないシルフィアは、その両手から放たれた2本の光の縄に腕を絡め取られてしまう。
「な……なに、これ……? ――ひっ!?」
シルフィアは、身体が脱力していくのを感じ始めた。
間違いなくエリスの力による影響だろう。
まるで、魔力が封印されていくかのようだった。
《封魔の術、だと? ……お前、そんなこともできたのか?》
(ええ、処刑される前に嵌めた腕輪を思い出しながら、真似てみました)
《そんなものも、真似ることができるのか……なんという才能だ》
エリスは懐かしみながら、シルフィアの魔力が欠乏していくのを確認していく。
少しの抵抗もできないように。
その精神を、全力で叩き折るかのように。
そして、エリスの作った『光の枷』に魔力を全て奪われたシルフィアは無力となった。
加えて、この枷は外すことができない。
エリスの術が消えるまで、今後も魔力が回復することはない。
その事実が、シルフィアをさらに絶望の淵に叩き落とした。
「これで、よし。――それでは、終局です」
エリスは一度両手を合わせ、力を入れると光が全身を纏い始めた。
そして、掌をシルフィアにゆっくりと向けると、無数の光の粒子が溢れ出た。
それらは空中で複雑に絡み合い、ゆらゆらと波打つ光の帯へと変わり、シルフィアの周囲を取り囲み始める。
一つ一つの光の粒子は、まるで夜空の星のように優雅な煌めきを産み始めた。
「あはは……なんて美しい…………」
シルフィアはもはや、その光景に見とれていた。
これまで見てきたどの魔法とも違う、圧倒的な純度と美しさ。
自身が操る風の刃の鋭さや効率性とは次元の異なる、まさに「光の芸術」と言えるような煌めき。
恐怖は一時的に忘れ、魔法使いとしての本能が、この完璧なまでの術式の美しさに感動していた。
その顔には思わず光悦に満ちた表情が浮かび、ため息のような息を漏らす。
しかし、エリスの術はそれだけでは止まらない。
光の波はシルフィアの周りでゆっくりと旋回し始める。
正面に、側面に、背後に――そして、上空含めて全方位を取り囲んでいた。
「ま……まさか! い、嫌……!」
シルフィアは我に帰った。
この美しい光の波が、自分に向けられた「武器」であるという現実を、遅ればせながら理解したのだ。
勇者の光術は、光の波を豪炎へと変換させるもの。
――今、この状況で同様のことをされたら、この身は塵も残さず消え去ってしまう。
「お、お願い……! やめて……!」
シルフィアの声には、先ほどの感動が一転して純粋な恐怖が滲んでいた。
待ち受けている確実な死。
その現実に、耐えられるはずがなかったのだ。
「――じっとしててください、ねっ!」
しかし、無常にも勇者の指が弾かれた。
「――――ッ!」
その小さな音を合図に、周囲一帯が清浄なる豪炎に包まれた。
爆発するような光と熱が森を覆い、シルフィアは思わず目を瞑り、絶叫した。
「いやあああああああっ! …………え?」
しかし、その炎はシルフィアの身体をあえて避け、周囲の地面や多くの倒木を焼き尽くすだけだった。
灼熱の風が髪を靡かせ肌を灼くが、直接的な痛みはない。
それは威力を示すための、巨大な脅し。
――しかし、その威力の程を如実に見せつける脅しのようなものに過ぎなかった。
「は……はぁ…………」
炎が収まり、ヘナヘナと崩れ落ちるシルフィア。
抵抗する気力も、恐怖に震える体力も残っていない。
美しい光景への感動と、塵と化すかもしれないという恐怖。
――その相反する感情の間で激しく揺さぶられた彼女の精神は、完全に疲弊しきっていた。
今はもう、ただ地面にうずくまることしかできない。
エリスがその前に静かに屈み込み、尋ねた。
「降参、しますよね?」
「…………ッ」
声も出せず、シルフィアは涙を浮かべながら、ただ何度も何度も頷いた。
その回答に、エリスは微笑み大きく息を吐いた。
こうして、二人の死闘が終わった。
――勇者エリスの、完全なる勝利という結果を齎して。




