少女は語る。毒を盛られた過去を。
――勇者の頃、毒を盛られていたことが多々あった。
エリスの突然の告白に、魔王の声には驚嘆と困惑が入り混じっている。
《毒を……盛られていた、だと?》
「ええ、しょっちゅう盛られてましたよ」
魔王の声には信じがたいという感情が込められているが、エリスは寂しげな表情で、さらに続けた。
「盛られ始めた初期の頃は、ぼーっとしたり、ふらついたりしました。けど勇者の力である自己治癒力が勝手に適応してくれて、結果的には強い影響はなかったのです」
それが度重なったことで、いつの間にかエリスの華奢な体には毒に対する完全な抗体ができていた。
勇者の絶対的な治癒力が無くとも、だ。
《……わからん。なぜそんなことが》
困惑する魔王は、人間の考えていることが理解できなくなる。
英雄である少女に、わざわざ毒を盛る意味とは。
普通なら、身体に重大な後遺症が残る可能性だってある。
――下手をすれば『死』の危険性もありえなくないのだ。
しかし、魔王は確認したかった。
何故、人間がそのようなことをしたのかを。
《――エリス、嫌なら答えなくて良い。……どんな者から盛られたのだ?》
無理に答えさせない魔王に微笑むエリス。
そして、懐かしそうな表情で語り始めた。
「……最初は魔王軍を信奉する、諜報員の方だった気がします。食べ物に毒を入れられて、三日ほど頭痛が治りませんでした。でも、その結果、彼の拠点の場所がわかり、壊滅させることができましたので良しとしました」
エリスは少し間を置き、思い出しながら続ける。
「それから、ある国の貴族の方にも……王位継承争いで邪魔と思われたみたいです。全然興味もないことでしたが、なぜか目をつけられたみたいで。確か、頂いたお菓子に毒が入っていて、ちょっとだけ目眩がしましたっけ」
エリスはいたって平静に、まるで他人事のように話す。
「あ、そうそう。旅先で出会った商人さんにも一度。私が持っていたお金を狙っていたみたいです。万年金欠なんですけれどね。でも、その毒入りのワイン、すごく高級な味でしたよ」
屈託ない笑顔を見せながら、あまりにも惨い裏切りの数々を並べ立てていく。
「あ、そういえば、助けたはずの村人からもらったご馳走に毒が入っていたこともありました。魔物に脅されていたみたいです。可哀想に、きっと辛かったでしょう」
時折悲しげな表情になるが、すぐに明るく付け加える。
「でも、どれもこれもいい経験でした。おかげで、毒の味がわかるようになりましたし、今ではむしろ風味の一つとして楽しめることができます」
並の精神なら、間違い無く人間不信になっていただろう。
しかし、エリスはまるで気にしていない。
裏切りの行為すら、そうしなければならなかった理由があると擁護し、尊重していく。
その言葉に、魔王はただ唖然とし、感嘆するしかなかった。
数多の毒殺の危機を、エリスは全て糧に変えていたのだから。
《……どれだけの苦労をしてきたのだ、お前は》
「苦労だなんて、大袈裟です。それなりに理由があったみたいですしね」
そしてエリスは、再び指を折りながら、いたって平静に語り始める。
「一番多かった理由は、『勇者であること』そのものでした。あまりの人外じみた強さに、魔王の手先だとか、きっと人間を裏切るだとか言われて……人間の未来のためという名目で毒を盛られることもよくありましたよ」
「勇者の力が欲しいという理由で、私の血や肉を……ええと『材料』にしようとする方々もいらっしゃいました。魔術の材料や、強力な薬になると信じられていたようで」
「あ、でも実際には何の効果もないですよ? ただの人間ですからね。でも、そう信じる方々には何度も……ええ、いろいろな形でアプローチされました」
「あとは……嫉妬からくるものもありました。他の魔王討伐隊の方や、その関係者の方々から……『自分が一番最強になるために目障りだ』という理由で」
「実験の対象にされることもありました。『勇者はどのくらいの毒に耐えられるのか』『自己治癒能力はどこまで働くのか』……そういう好奇心から」
「同情からくるものもありました。『こんな苦しい役目、早く楽にしてあげたい』という優しさからのものだったそうです」
あまりにも信じられない経験を語っていくエリス。
その顔には、怒りはない。
ただ平静なまま、酷い扱いを受けた現実を言葉にしているだけだった。
《……人間とは、なんたる身勝手なものだな》
魔王の声は怒りに震えていた。
かつて敵だったとはいえ、人間にとっては英雄である少女だ。
魔王を討伐する前とはいえ、その活躍は各地で知れ渡っている最中に起きたもの。
その恩を仇で返すようなことが、まかり通っていたとは。
魔王は長い沈黙の後、深いため息をついた。
《……お前はどうして人を信じられるのだ?》
「結局、一部の方がしたことですから。ほとんどの人は、私に優しく接してくれましたし」
エリスは怒りを見せる魔王に、微笑む。
「毒を盛る人だって、しなくちゃならない理由があったから。本当は優しい人たちばかりだと信じたいです」
魔王は憐れんだ。
この少女の信じていることを、無碍にするのが人間なのだ。
それは、かつての少女の経験が証明している。
これから先、おそらく同様に裏切られることは多いだろう。
《……しかし、今後も同様のことがないとは言えんぞ? 勇者でなくなったとはいえ、人助けを生き甲斐にするお前を、きっと搾取しようとする者が出て来るに違いない》
魔王の言葉は、エリスへの心配によるものである。
誰よりも大切な相棒。
己にそう言ってくれた少女だからこそ、その尊き自己犠牲を利用され、裏切られ、騙されることが腹立たしいのだ。
だけど、エリスの想いはただ一つでしかなかった。
「――それでも、私は信じたいです」
エリスの言葉には、不安や疑念が一切ない。
他者の善意を信じるどころか、盲信している。
それはきっと、エリスなりの処世術であり、今までそうやって生きてきたからでしかないのだろう。
――勇者が、勇者らしくあるために。
(全く……お前というやつは)
数多の裏切りと苦痛を経験しながら、なおも他者を信じる彼女の強さ。
――そして、真の純粋さに、魔王は言葉を失うのであった。
(数々の目を覆うかのような酷い仕打ちを経て、なおも純粋さを保つとは……)
エリスは夜空を見上げ、静かに呟いた。
「でも、どんな理由であれ、人を傷つけるのは良くないことですよね」
たとえ敵対しても、話し合いで解決できるものなら解決したい。
話し合いにおける折衝を以て、共存する。
それが、エリスの思い描く理想だ。
「だからこそ、私はこれからもできる限り、誰も傷つかない方法で問題を解決したいです――今回みたいに」
その瞳は、料理を振る舞ってくれたあの男――ギャレンを思い出しているかのようだった。
きっと、今後は悪いことはせずに正しい道を歩んでくれるはず。
そんなエリスの、愚かしいながらも純粋な願いに、魔王は心の中で呟いた。
(……お前が願うのであれば、仕方ないな)
らしくないと思いながらも、魔王もその考えに同意する。
おそらく目の前の少女に影響されたのだろう。
愚かしくて、甘ったるい考えに違いない。
だけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。




