エリスは明かす。自分の正体を。
それから幾日かが過ぎ、エリスは診療所へ通い続けた。
リリィの正体がわかった今、エリスにはこの女性を放っておく選択肢はない。
魔王は相変わらず不満げだったが、エリスの決意が固いことを悟るとそれ以上は止めなかった。
《好きにすると良い。だが、お前の成そうとしていることの危険性は、理解しているな》
「ええ、わかっています」
やるべきことは一つ。
己の正体をリリィに話す。
ただ、それだけであった。
◇ ◇ ◇ ◇
ある夕暮れ時、診療所の営業時間が終わる頃のこと。
エリスはリリィを街はずれの小さな公園に誘った。
夕日が木々の梢を赤く染め、鳥たちのさえずりが遠くで聞こえる静かな場所だった。
「エリスさん、私をこんなところに連れてきて……どうしたのですか?」
「少し、リリィさんにお話ししたいことがあって」
二人は古びたベンチに並んで座り、家に帰る子供達の姿を眺めていた。
皆々が笑顔で遊びを終えるのを惜しむように、また明日と言い合いながら一人、また一人と公園を後にしていく。
日常の断片である光景。
エリスも、リリィも光景が好きだったのだ。
そして、公園に静けさが漂い始めた時。
エリスは深く息を吸い、口を開いた。
「先日、リリィさんが話してくれた、ずっと気にしている少女のこと……私、実は良く知っている方なんです」
「……エリスさん? 一体何を――」
「『永劫回帰の儀』の真実を、私は知っているのです』
「――ッ!」
リリィの表情が強張り始め、言葉が出なくなる。
「少女――いえ、勇者であった彼女が、その力を恐れられ、処刑されたあの儀式のことです。数多くの人を悲しみに堕としてしまったものです」
「……それは、誰から聞いた話ですか?」
深呼吸をして落ち着きを取り戻し、リリィはエリスに問うた。
しかし、その目元は震えている。
「……リリィさんは、監獄で汚れた勇者の身体を、丁寧に清めてくれました。冷たい水だったけれど、その優しい手の動きがとても温かく感じられた」
リリィの目が見開かれる。
エリスの言葉は、まるでそれを経験した本人であるかの語り口であったからだ。
まさか、この少女は――
いや、しかしあの時、確かに彼女は、勇者は――
生まれ出る可能性を否定しながらも、リリィは信じたくなってしまう。
そんなことを思うのは、愚かでしかないのに。
エリスはさらに、同様の語り口で続けた。
「ボサボサにほつれた銀髪を、時間をかけて優しく梳かしてくれました。勇者の末路を痛ましいと思ってくれて、泣きながら。何時間もかけて、一本一本丁寧に」
リリィの手が震え始める。
ベンチの縁を握りしめ、顔色が青ざめていく。
「そして、真っ白なドレスを着せてもらいました。『まるでお姫様のよう』と思えるような、素敵で、綺麗なものを。ドレスに負けないようにお化粧だって、精一杯してくれましたよね」
「やめて……やめてください……」
「あの少女――勇者は、リリィさんにしてもらったこと全てがどれほど嬉しかったかを、いつか伝えたかったんです」
「…………ッ」
リリィは立ち上がり、背を向けようとした。
しかしエリスは優しく、確かな声で続けた。
「だって、あの時ほど自分が人間として扱われていると感じたことはありませんでしたから」
もはや隠そうともしないその語り口に、リリィは確認するかのように問う。
声を震わせ、涙を頬に流しながら。
「なぜ……なぜあなたにそれがわかるの? あの時のことは……誰も知らないはず……」
「だって――」
エリスは立ち上がり、リリィの方を向いた。
夕日が黒髪を赤く染め、赤い瞳は深い慈愛に満ちていた。
「私が、あの少女――かつて勇者と呼ばれた者ですから」
リリィは一瞬、時間が止まったように感じられた。
常識で考えれば、あり得ないことを目の前の少女は言っている。
しかし、エリスの顔つき、声の調子、仕草の中に、確かにあの日の少女の面影が見えてくる。
「……ありえない。だって……勇者様は亡くなった。……炎に、包まれて」
「はい、確かに私は多くの人々の前で、清浄なる炎に焼かれました。……ですが、それでも私はここに居ます。こんな姿になって」
エリスは自分の黒い髪を軽くつまみ、微笑みながら続けた。
「信じられないのは当然です。でも、リリィさんがあの日、私にしてくれたこと――全て覚えています。そして、この命が終わるその時まで、絶対に忘れません」
「そ、そんなこと……そんなことって……」
リリィは狼狽えながらゆっくりとベンチに腰を下ろした。
その顔には、困惑や混乱が入り混じった複雑な表情が浮かんでいる。
エリスはかつての出来事を懐かしみながら、その語りを止めない。
「リリィさん。あなたはあの日、私に最高の贈り物をくれました。最後の瞬間まで、私を人間として尊重してくれた。それは、私にとって何よりも大切なことでした」
「でも私は……あなたを……! 見殺しに……!!」
リリィはエリスが赦しを施すことを拒絶しようとしている。
自分は赦されてはいけない。
これは、自分の罪だから。罰なのだから、と。
しかし、エリスはリリィの隣に座り、そっとその手を握った。
「リリィさんにお世話してもらったから、最期は笑顔で逝けたのです」
「あ……あ……!!」
かつてエリスが経験したリリィの優しさは、この地で確かに救われている人を生み出している。
今までも。
そして、きっとこれからも。
「リリィさんが今まで看取ってきた人たちも、きっと私と同じように感謝していますよ。私が保証します。最期の時を、優しさに包まれて過ごせたことが、何よりも幸福だったと」
その言葉を聞いた瞬間、リリィの心の防壁が音を立てて崩れ去った。
「あ……ああああっ!!!」
リリィの目から涙が溢れ、激しく泣き始める。
長年押し殺してきた感情が、一気に噴き出したのだ。
「ごめんなさい……! ごめんなさい……勇者様……! あの時、死にゆく貴女に私……何もできなくて……!」
「いいえ、リリィさんは精一杯のことをしてくれました。それに、今こうして看取り師として、多くの人々の最期に寄り添い続けている。私はそれを、誇りに思います」
エリスは泣き崩れるリリィを優しく抱きしめた。
そして、リリィが落ち着きを取り戻すその時まで。
エリスはそっと背中を撫で続け、『大丈夫ですよ』という意思を示し続けるのであった。
◇ ◇ ◇
夕日が二人を包み込み、長い影を地面に落とす。
「ありがとう、リリィさん。あの日からずっと、変わらず優しさを持ち続け、多くの人を看取ってくれて」
エリスの穏やかな言葉に、リリィの嗚咽が次第に収まっていく。
そして、顔を上げた時。
そこにはこれまでに見せたことない、穏やかさが浮かんでいた。
「私、今日のことは一生忘れません。絶対に」
「ええ、私もです。こうして再会できて、本当に良かった」
やがて夕闇が迫り、街灯がともり始めた。
二人は並んでベンチに座り、静かな時間を過ごす。
リリィの心に長年巣くっていた罪悪感が、少しずつ癒されていくのをエリスは感じ取った。
《見事だったぞ、エリス。この女の心の傷は相当深刻なものだった。……にも関わらず、ここまで癒すとは》
足元の黒猫が、満足げに尾を振っている。
リリィの落ち着きを取り戻した姿に、エリスは再び告げた。
「リリィさん、もうあの日のことは悔やまないでください。あなたはもう、苦しむ必要はないのですから」
リリィの目には、初めて本当の意味での安らぎが宿っていた。
長い間、リリィの苦しみを生んでいた後悔という名の重荷が、ようやく降ろされた瞬間だった。




