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エリスは知る。リリィという女性の正体を。

 三日後、エリスは約束通り診療所を訪れた。


 擦り傷と打撲は軽微だったおかげかほとんど癒えている。


「おや、随分と回復が早いようですね」


「はい、おかげさまで」


 老医師の診察を受けるエリスだが、その関心は、部屋の隅で淡々と医療器具を整理するリリィに向いていた。


 相変わらずの無表情、しかしその動作には高い技術が宿り、無駄がない。


(あの瞳……やはり、気になります)


 リリィの瞳は、深い悲しみに囚われている。

 それも、失望が入り混じった、大きな後悔を引きずっているものだ。

 

 エリスは治療が終わると、リリィが患者のいる奥の病室へ向かうのを待ち、自然な流れで後を追った。


「リリィさん、何かお手伝いできることはありませんか?」


 リリィは少し驚いたようにエリスを見つめ、すぐにまた無表情に戻る。


「お気遣いありがとうございます。でも患者さんにお手伝いさせるわけには行きませんし、大丈夫です」


 その声は優しいが、どこか遠く、壁があるように感じた。

 


◇ ◇ ◇ ◇


 

 それから数日、エリスは様々な口実を作っては診療所に通い続けた。


 手伝いを申し出たり、綺麗な花を見つけ、持っていったり。

 時には街で買った果物を差し入れたりもした。


 そして極め付けには、更なる治療を求めた。


「長く旅をしていたせいか、至る所に痛みが残っていまして……特に肩や腰の筋肉痛がなかなか取れないのです」

 

「そうでしたか。では、少し手技療法をして差し上げますね」


 リリィの手は優しく、エリスの疲れた筋肉をほぐしていく。


 その手の温もりに、エリスは覚えがあった。

 しかし、思い出そうとしても、脳裏には靄がかかっている光景しか浮かばない。

 


《よくもまあ、これほどまでに下手な嘘がつけるものだ。お前の身体はとっくに完治している》

 

(でも、これがリリィさんに接触する口実になっていますので)

 


 呆れる魔王に、エリスは苦笑しながらリリィの施術を受けていく。


 エリスには、確かに長旅による筋肉の疲労や節々の痛みが少なからず存在した。


 ただ、治療する必要すらない些細なもので、自然に回復するのを待っても良かったものだ。



 

 そんな些細な痛みも、リリィの手によって万全の調子になっていった。


「エリスさんに施術をする時、なぜか仕事のようには思えないんです。感情の触れ合いというか、接するきっかけになっているというか……不思議ですよね」


 リリィの的を得た推測に、エリスはぎくりとする。

 

 救いなのは、この触れ合いをリリィも歓迎しているように見えることだった。

 

 最初は戸惑っていたリリィも、次第にエリスの存在に慣れていったようで。


 エリスが訪ねてくるたびに、無表情な顔にも柔らかさが宿るようになっていった。



◇ ◇ ◇ ◇


 

 ある雨の午後、診療所がひっそりとしている時間帯のことだった。


 エリスが待合室の椅子で本を読んでいると、リリィが隣に座った。


「エリスさん? 筋肉痛はもう良くなったと思うのですが……まだ何かお身体の具合が良くないのですか?」

 

「ええと……その……」


 エリスは言葉に詰まる。本当の理由を話すわけにはいかない。


「実は私、リリィさんの働く姿に、興味を持っていまして」


 リリィは少し驚いたように眉を上げた。

 

 看取り師の話を聞きたがる人は珍しい――そう言っているかのようだった。

 

「……興味なんて持つものじゃないですよ。死に触れすぎている立場が辛気臭いとか、あまり関わりたくないとか、距離を置かれることが多いので」

 

「そんなこと、ないですよ」

 

「でも仕事の内容からして、仕方のないことです。……エリスさんはなぜ興味をお持ちに?」


 エリスはうつむき、言葉を選ぶ。


 真実は言えぬまでも、偽りない気持ちを伝えようとした。


「最期を看取る……その役目を、尊敬しているからです。誰かの終わりに寄り添うことほど、大切なことはないと思いますから」


 リリィの目に、初めて感情の揺らぎが見えた。

 

 その意思を逸らすためか、気を紛らわすためか。

 リリィは窓の外の雨を見つめながら、静かに口を開いた。


「私は多くの患者さんを見送ってきました。苦しむ人、怖がる人、諦める人……それぞれの最期があります」


「それは、とても大変な仕事ですね」


「でも……どんなに多くの人を見送っても、忘れられない人が一人、いるんです」


 エリスの胸が高鳴った。


 直感が、これが重要な内容だと告げている。



「――もしお聞きしても良いのであれば……その方は、どんな方ですか?」


 

 リリィは寂しげに微笑みながら深く息を吸い、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。


 

「――その方は、ちょうどエリスさんと同じ年齢ほどの少女でした」


 エリスは、己の心臓の音がやけに五月蝿く感じていた。


 緊張しているのだろうか、それとも、第六感が何かを告げているのかもしれない。


「その少女は、どんなに苦しくても、辛くても、決してそれを見せない笑顔を持っていました。……その子が悪いことなんて、一切ないのに」


 リリィが今にも泣き出しそうな声で、辛い過去の記憶を呼び覚ましていく。


 一方、エリスは己の膝に置いた掌が、いつの間にか汗ばんでいることに気づいた。

 

「無理に笑っているわけでも、強がっているわけでもない。人の為に行動したのに裏切られて――あまつさえ、その生命が失われるその時にも……決して微笑みを崩さなかった」


「その少女は……亡くなられたのですか」


「亡くなった、なんて生優しいものではありません。

……生きていることが罪とされ、最後は火炙りにされました」


 その言葉に、エリスは天井を仰いだ。


 リリィが嘆いている少女のことを、私は知っている。


 だって、その少女は――


「私、その子が最期を迎える前に、お化粧や飾り立てをしてあげたんです。――きっと少しでも罪悪感を抱きたくなかったんでしょうね、その時の私は」


「……リリィさん」


「あの子は、私のしたことに笑顔を向けてくれた。私は、あの笑顔が忘れられない。今でも胸が苦しくなるのです」

 

 エリスの記憶が蘇る。


 それは、遠い昔の記憶のような過去の出来事。


 『永劫回帰の儀』を迎えるため、監獄で数ヶ月過ごした後のこと。


 

 その優しい手は、汚れた身体を拭いてくれた。

 

 その優しい指は、もつれた銀髪を丁寧に梳かしてくれた。


 その優しい心は、高貴という言葉がまるで似合わない自分に、真っ白なお姫様のようなドレスを着せてくれた。


 

(そう……だったんですね)


 

 勇者の末路なんてこんなものだ、と寂寥感が支配した心を、温かな光で照らしてくれたのが、この人だったのだ。

 

 

 エリスはゆっくりと顔を上げ、リリィの目を真っ直ぐに見つめた。


 そして確信した。

 

 ――この女性こそ、あの日、処刑前の自分を清め、整え、最期の時を看取った侍女であることを。


《なるほど、そういうことか》

 

(……魔王も気づいたんですね)


 リリィは続ける。


「あの子は……笑顔ではありましたが、きっと苦しんで逝ったに違いありません。私は何もしてあげられなかった。ただ、見ていることしかできなかった」

 

 リリィの声が震え、握りしめた指の関節が白くなる。


「私が誰かに『こんなことはおかしい』と一言でも言っていれば。『他に方法はないか』と相談していれば。いっそのこと、職務を放棄してあの場から連れ出していれば……」


 リリィの目に涙が浮かぶが、こぼれ落ちることはない。


 長年、感情を押し殺すことに慣れてしまったかのようだ。


「……結局、私は命令に背いたことによる処遇が怖かったんでしょうね。自分可愛さであの子を見捨てた。あの子は、私なんかよりも生きるべき人間だったのに……後悔は尽きません」


 それが、リリィが看取り師という職業に就こうと思ったきっかけだった。


 せめてもの贖罪として、多くの人を最後まで寄り添い、看取ることで、罪滅ぼしをしようと思ったのだ。

 


 エリスの胸に激しい痛みが走る。


 リリィが自分を責め続け、その罪の意識からこの過酷な仕事を選んだことを悟った。


 リリィは今、深い後悔の念に苛まれている。


「……その少女は、リリィさんのことを恨んではいないと思いますよ」

 

「そんなこと……わかりません。だって、あの子はもう……」


 雨音が、診療所にいつまでも響く中、リリィの寂しげな声が室内に消えていった。

 


 

 エリスは拳を握りしめ、そして決意した。


 リリィの心の傷を癒す方法を探そうと。

 

 何とかしてリリィを救いたい。


 

 ――その思いだけが、胸の中で強く輝いていた。

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