誰よりも大切な相棒
新たな街へ辿り着いたエリスには一つの決意があった。
「魔王、今日こそは買い物と補充だけをする日にしますからね」
鼻息をふんすと鳴らしながら、街の市場を前にエリスは期待に胸を膨らませている。
街々によって取り扱うものが違い、何が旅に役立てるのか、便利なのかを考え、購入するのがエリスは好きだった。
レオン達との依頼で懐は温まったとはいえ、万年金欠なことが多いエリスにとって、節約しつつ必要なものを買い揃えるのは楽しかったからだ。
《……ふん、好きにしろ。余は用事ができた》
そう言い残し、魔王は肩の上から降りると途中でどこかへ消えてしまった。
「あっ、はい! 先程の宿で落ち合いましょう! ……あまりの人混みに嫌気が差したのかな?」
そんな心配をするエリスだが、魔王は市場へ移動する最中に目にしたものに、興味があるだけだった。
それは、街の路地裏でひっそりと開かれている猫たちの集会である。
数匹の野良猫が集まり、日向ぼっこをしながら、会話を交わしている。
それぞれの縄張りや人間たちの動向について、そして、この街で起きている些細な物事を。
これも情報収集の一環であり、エリスの役に立とうと思う、魔王なりの善意であった。
《東の地区のネズミが増えたという報告? そんなもの適当にあしらっておけ》
《魚屋の親父に愛想良くすると、魚をこっそりくれるだと? ……そんな物乞いのようなことなぞできるか!》
《人間の娘に惚れてしまった? 何故それを余に相談しようと思ったのだ。……貴様、何か変なことを考えてはおるまいな?》
……側から見れば、情報収集としては些か内容が無さすぎるものであるようにしか見えないが、一応立派な情報収集である。
そして魔王は、始めは聞き役に徹していたが、その威厳ある佇まいからか、自然と猫たちの中心的な存在となっていた。
かつて世界を恐怖に陥れた魔王が、今では野良猫たちの愚痴に付き合うとは、なんとも皮肉な光景だった。
◇ ◇ ◇
猫集会が終わり、役に立たない情報を持ちながら、魔王は意味もなく街をぶらつき始める。
そこに、どこからともなく子供たちの声が聞こえてきた。
「わあ! かわいい黒猫さん!」
「すごくふわふわしてる!」
次の瞬間、魔王は子どもたちに囲まれてしまった。
撫でられることには心底不愉快だったが、今は無力な猫の姿。
抵抗もできずじっと耐えるしかなかった。
《くっ……この無礼な小僧共が……!》
そして、そのうちの一人の少年が傍に抱えた小袋から何かを取り出した。
「猫ちゃん、これあげる。美味しいよー」
差し出されたのは、甘く香ばしい香りのする、茶色い塊。
魔王は特に疑うこともなく、さっきからうるさい小僧共の機嫌を取るためにも、と口にした。
確かに甘く、ほろ苦い味がして美味であった。
《……ふむ、これは中々。まあ、人間の子供のくれたものとしては及第点である》
そう思った心とは裏腹に、あまりの美味さに機嫌よく小走りする魔王。
情報収集のことなど忘れ、エリスと待ち合わせた宿へと戻っていくのであった。
◇ ◇ ◇
エリスは買い物を終え、宿で戦利品を広げていた。
「見てください! 今日は干し肉が安かったんですよ。それと、手芸用品も補充したので、またお布団とか縫いましょうか。あちこちほつれが目立ってきましたし」
《……そうか》
エリスは嬉しそうに報告したが、魔王の反応はいつもと違った。
窓際でだらりと寝そべり、言葉少なに答えるだけである。
「魔王? どうかしましたか?」
《……別に》
エリスは首を傾げた。
普段なら
「そんなことより食事はどうした」
とか
「無駄な出費をするな」
など冷笑か愚痴の一つも言うはずなのに、今日はあまりにも素っ気ない。
しかし、時間が経つにつれ、魔王の様子は明らかにおかしくなっていったのだ。
最初は無口なだけかと思われたが、次第に呼吸が荒くなっているのをエリスは気づいたのだ。
「本当に大丈夫ですか? なんだか様子がいつもと違う気が……って熱ッ!?」
触った途端、その身体を纏う熱の高さに、エリスはつい驚きの声をあげてしまう。
明らかな異常が起きていることは明白であった。
「魔王……あなた、一体……!?」
《……大丈夫だ。少し休めば》
だが、その言葉とは裏腹に、魔王は身体を震わせ始め、ついには苦しそうな声をあげて嘔吐してしまった。
「魔王!?」
エリスの顔面から血の気が一気に引いた。
そして慌てて魔王を抱き上げると、街の病院へと駆け出した。
道中、エリスは抱えた小さな身体の熱さと震えに、胸が張り裂けそうな思いだった。
(嫌です、こんなこと、絶対に……! お願い、どうか……!)
エリスの目には涙がにじみ、顔は悲しみでくしゃくしゃになっていた。
これほどまでに心から祈ったことは、かつてエリスが勇者であった頃でもなかったかもしれない。
それ程までに、エリスは必死だったのだ。
◇ ◇ ◇
「君の猫さん、チョコを食べたね?」
「……チョコ?」
病院に着き、医者に診せると、その医者は魔王の状態を見て、不思議なことに笑い出した。
「チョコって……あの、趣向品である甘味物の?」
エリスはきょとんとした。
医者は頷きながら説明を続けた。
「猫がチョコレートを食べると、中毒を起こすんだ。命に別状はないと思うが、しばらく安静にしておいた方がいいよ。良い薬を出しておくから、ちゃんと飲ませてあげてね」
医者は席を外し、そして、苦そうな液体の入った小瓶をエリスに手渡した。
「ありがとうございます! 本当に……本当にありがとうございます!」
エリスは感謝の涙を浮かべ、何度も頭を下げた。
医者はその様子を見て、温かい眼差しを向ける。
「本当にその猫ちゃんが大事なんだね。君の様子からひしひしと感じるよ」
エリスは涙で曇った目を上げ、まっすぐに医者を見つめて答えた。
「ええ。――私にとって、誰よりも大切な相棒ですから」
◇ ◇ ◇
宿に戻り、エリスはすぐに看病を始めた。
水で濡らした布で魔王の身体を拭き、熱を冷まそうとする。
そして、医者からもらった薬を飲ませようとしたが、これがまた一苦労だった。
《ぐわっ!! な、なんという苦さ……! こんなもの、飲めるものではない!》
「だめです! ちゃんと飲まないと治りません!」
エリスは必死に説得し、ようやく薬を飲ませることに成功した。
魔王が苦い顔をしているが、エリスの表情は安堵に塗れている。
そして、しばらくして。
体調が落ち着いてきた頃、魔王は意外な言葉を口にした。
《エリス……すまなかったな》
エリスは驚いて魔王を見つめた。
「魔王、やはりあなた熱が酷いのでは?」
魔王が謝るなんて、よほど熱が高いに違いない。
そう思ったのか、エリスは心配そうに魔王の額に手を当てた。
どうやら、魔王の謝罪の真意を、完全に熱のせいだと解釈しているようだった。
(お、お前と言うやつは……!)
魔王は自分が軽率だったこと、エリスに心配をかけたことを詫びたかったのだ。
しかし、エリスの純粋すぎる心配癖の前に、その感謝と謝罪は無碍にされてしまった。
魔王は言葉にならない想いに、ただただ体が震えて身体を震わせるしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
数日後、魔王の体調は完全に回復した。
魔王は相変わらず窓際で日光浴をしながら、エリスが部屋の掃除をしているのを見つめていた。
(誰よりも大切な相棒……か)
あの時、病院でエリスが医者に言い切った言葉を思い出す。
あの声には迷いがなく、それはまさにエリスの本心から出た言葉だっただろうから。
《……ふん、悪くない》
魔王は思わず呟いてしまった。
もちろん、エリスに聞こえないように。
その時、エリスが薬の小瓶を持って近づいてきた。
「魔王、そろそろ薬の時間ですよ」
《……また、あの苦い薬か》
魔王は警戒して耳をピンと立てた。
しかし、今回は少しだけ抵抗が弱かった。
エリスが「誰よりも大切な相棒」と言ったあの言葉が、まだ心に響いていたからだ。
《ぐっ……苦いな、やはり》
その声に、エリスはただ安心したように微笑んでいた。
もちろん、魔王の変化には全く気づいていない。
なぜなら、エリスにとって魔王が自分をどう思っているかは関係ないからだ。
大切な相棒が元気になってくれたこと。
それだけで、何よりも嬉しかったのだ。




