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少女は懇願する。たとえそれが魔王の策略だとしても。


 無数の禍々しい眼が、闇から浮かび上がる。


 低いうなり声、牙を鳴らす音、爪が地面を掻く不気味な音――それらが不協和音を奏で、森全体を不気味な合唱が包み込む。


 エリスとユーノを囲む魔獣の数は十数匹。

 いや、さらに多い。


 茂みの奥からも、岩陰からも、次々と姿を現す。


「お、お姉さん……!」

 

 ユーノの声は恐怖に震え、エリスの服の裾を握る小さな手が冷たくなっている。


「私の後ろに。絶対に離れないでくださいね」

 

 エリスの声は冷静だが、胸臓は激しく鼓動している。

 

 彼女の頭が高速で回転する。逃げ道はない。戦うしかない。

 ――だが、ユーノを守りながらこれほどの数と戦うのは不可能に近い。


 一匹の魔獣が機先を制そうと飛びかかった。


 エリスは流れるような動きでそれをかわし、棒の先端で魔獣の目元を鋭く突く。


 悲鳴と共に魔獣は後退するが、その隙に別の二匹が左右から襲いかかる。


「っ!」

 

 エリスは身を屈み込んで回避し、棒を風車のように振るう。

 

 右の魔獣の足を払い、左の魔獣の喉元を打つ。


 的確な打撃だが、致命傷には至らない。

 彼女の戦い方はあくまで非殺傷が基本だ。


「お姉さん、後ろ!」

 

 ユーノの叫び声に、エリスは咄嗟に身をかわす。


 背後から襲いかかろうとした魔獣の爪が、彼女の腕をかすめる。

 

 鋭い痛みが走り、血の気が引いた。


(まずい……この数では……)


 エリスの額に冷や汗がにじむ。


 呼吸は乱れ、棒を握る手に疲労の色が見え始める。


 ユーノを完全に守りながら戦うのは、体力と集中力を著しく消耗するのだった。


 

 三匹の魔獣が同時に襲いかかる。

 

 エリスは棒を素早く操った。

 

 最初の一匹の突進を流し、二匹目には体を捻って爪を回避。

 三匹目には地面を蹴って跳躍し、その頭部を強く打ち込んだ。

 

「まだまだ……この程度で倒れるわけにはっ!」

 

 エリスは微かに息を切らしながらも、確実に魔獣たちの攻撃を捌き続ける。

 

 真正面からの攻撃すらも受け流し、どのような攻撃であっても的確に無力化させていく。


 しかし、数の暴力には限界があった。

 

 五匹の魔獣が一斉に襲いかかると、エリスは二人の魔獣の攻撃を棒で受け流し、三匹目には体をかわすが、四匹目の爪が彼女の足をかすめ、五匹目がユーノに迫る。


「っ……離れてはダメです!」

 

 エリスはユーノを抱き寄せ、自身の背中で魔獣の爪を受け止める。鈍い衝撃と共に、鋭い痛みが走る。衣服が裂け、血の感触が広がる。


「あ……ぐっ……!」

 

「お姉さん、血が……!」

 

 ユーノの声は涙声に変わり、恐怖に満ちていく。


「大丈夫です……これくらい……!」

 

 エリスは無理に笑顔を作るが、顔面は蒼白だ。


 傷の痛みよりも、この状況への焦りが彼女を苦しめる。


 

《エリス、いい加減強情を張るのはやめろ! お前にはこの場を切り抜けられる唯一の手段があるだろう!?》


 魔王の声は、言葉通りに受け止めれば、エリスのためを思ったものだ。

 

 しかし、その声色には期待に満ちた響きがあり、その目論見をエリスは看破していた。


(魔王……やはり貴方は……!)


 エリスの心中で、深い失望が広がる。

 

 魔王がこの状況を楽しんでいる――いや、むしろ待ち望んでいたのだろう。


 エリスの胸に、やりきれない悲しみが込み上げる。

 

 『信じていたのに』

 

 その一言が、エリスの胸に悲しみとなって広がっていく。



 

 しかし、エリスの顔には怒りの表情は浮かばない。

 

 ただ、深い悲しみと諦めに似た表情が、一瞬よぎるだけ。


 怒りという感情は一欠片も存在しない。

 

 どんな理不尽にも、ただ悲しみとして受け入れるしかなかったのだ。



 

 三匹の魔獣が同時に襲いかかる。

 

 エリスは必死に応戦するが、一匹の攻撃を防いだ隙に別の一匹がユーノに迫る。

 咄嗟にエリスは棒を投げ捨て、ユーノを抱きしめながら横へ飛び、地面へと転がった。

 

 魔獣たちはその隙を見逃さない。

 一瞬にして距離を詰められるエリスは、その顔を上げ、瞳に決意の炎を灯した。


(――魔王)


 エリスの心の声は静かだった。

 そして、魔王はその一言の裏にある真意を読み取った。


《――その言葉を聞きたかった!》

 

 魔王の不気味な笑みを含んだ言葉と同時に、周囲の世界が変わった。


 

「がっ……!! うぐっ……グググッ……!!」


 

 エリスの周囲に黒い雷撃が展開されるとともに、引き裂かれるような激痛が彼女を襲った。

 

 あまりの痛みに蹲り、声を押し殺そうとするが、痛みのあまり思わず叫び声が漏れる。


 暴れ狂う黒雷は地面を穿ち、木々を薙ぎ倒し、魔獣たちを次々と灰にしていく。

 

 その光景に危機を察した魔獣たちはエリスから距離を取り、様子を伺い始めていた。

 

「お姉さん!」

 

 ユーノが心配して駆け寄ると、エリスは息も絶え絶えになりながら、必死にユーノを自分の下に引き寄せた。


「大丈夫……だから……私の身体の下に……隠れて……」

 

 エリスはユーノを守るように覆い被さり、自身の背中を魔獣たちに向ける。

 

 ちょうどその時、黒い雷撃を避けながら接近してきた数匹の魔獣が一斉に飛びかかってきた。


 鋭い爪がエリスの背中を引き裂こうとする瞬間――。


《――失せろ》


 魔王の強く響く言葉と共に、エリスの身体から黒い閃光が迸り出た。

 それは禍々しいながらも美しい、漆黒の閃光だった。

 

 雷撃とともに展開される閃光は周囲一帯を覆い、一定の距離まで近づいてきた魔獣達を容赦なく滅していった。

 

「ガアアアッ!」

 

 魔獣たちの悲鳴が森に響き渡る。

 

 黒い雷撃は様子を見ていた魔獣の脚を切断し、身体を貫き、その身を焼いていく。

 

 エリスが苦しんでいる間に、数十匹の魔獣がその存在をこの世から消失したのだ。


 

 エリスの黒髪が、根元から銀色に輝き始める。

 

 深紅の瞳は金色へと変わり、全身からは圧倒的な闘気が迸り、陽炎のように空気を歪ませている。


 傷ついた背中の傷はたちまち癒え、衣服の裂け目からは完璧な肌が覗いていた。


「お、お姉さん……?」

 

 ユーノは恐怖と驚嘆の入り混じった目を見開く。

 

 眼前で起こっている変化が理解できない。


「もう、大丈夫ですよ」

 

 銀髪の勇者エリスは、ユーノに優しく微笑んだ。

 

 その声には、神々しいほどの威厳と深い慈愛が宿っている。


 魔獣達は空気を歪ませるほどの闘気に怯み、震え上がっている。

 

 本能的に、眼前の人間が命を脅かす存在に変わったことを感知したのだ。


「手短に行かせてもらいますよ!」


 その瞬間、エリスの身体は純白の光に包まれ、眩い輝きを放ち始める。

 

 魔獣達はエリスがどれだけの強さを持っているかを無意識に察していた。

 

 しかし、逃げることはできない。


 逃げても無駄ということを理解していたからだ。


「グ……ガアアアアッ!!」


 恐怖に駆られた魔獣達はエリスへ一斉に襲いかかった。

 

 エリスは微動だにせず、その姿をまっすぐに見つめた後、ゆっくりと掌を前方へ翳した。


「――ふっ!」

 

 空気を震撼させる重い音が響き渡り、見えない衝撃が魔獣の群れを吹き飛ばした。

 

 そして、そのまま遠くの岩壁に叩きつけられた魔獣達は呻き声をあげながら絶命し、その姿を紫色の瘴気へと変貌させていく。

 

「数が多いですね……ならば!」


 エリスは間髪入れずに、強く両の拳を握り、そして両手を広げると、無数の光の粒子が空中に舞い上がる。

 

 そしてエリスは指をパチンと鳴らすと、それを合図に光の粒は意思を持つかのように魔獣達へと放たれていった。


 高速で放たれた光の粒子は周囲の魔獣を一匹ずつ、着実に貫いていく。


 貫かれた魔獣達は青白い炎に包まれ、その身を焼き払った。


「ウ……ウウウ……!!」

 

 残った魔獣達は狼狽えながらも、戦意を消失させずに大きく唸っている。

 

 しかし、攻撃を仕掛けてくる様子はない。


 返り討ちにあうことがわかっていたからだ。


 


 その様子にエリスは微笑み、深く息を吸い込むと、その全身はより強烈な光に包まれていく。


 まるで、大きな力を解放する前段階のように。


 

「――これにて、終局です!」


 

 言葉と共に気合を入れると、エリスの身体から爆発したかのように広がっていく光の波が、周囲一帯を一瞬で包んでいった。


 

 魔獣達はなす術もなくその波にのまれていき、最後の一匹までもが浄化され、森は静寂へと戻っていった。




 

「お姉さん……すごい……」

 

 エリスの側でじっとしていたユーノが思わず呟いた。

 

 先程まで殺気立ち、絶望するしかなかった眼前の光景が今では何事もなかったかのように静まり返っている。


 全てが終わり、緊張感が抜けたエリスは静かに息を吐いた。


「……ふぅ、終わりました。もう怖がらなくていいですよ」

 

 エリスはユーノの方に向き直り、優しく微笑む。


 しかし、その表情にはわずかな焦りの色が浮かんでいる。

 

 魔王の力による反動が訪れる前に街へ戻らないと。

 事は一刻を争う状況であった。


「お、お姉さん……大丈夫?」


「ええ、大丈夫ですよ。でも、日が暮れるまでもう少しですし、急いで帰らないと――落ちないように捕まっててくださいね!」


 そう言ってエリスはユーノをひょいと横抱きにし、獣道を全力で駆け始めた。


 斜面をそのまま滑っていけばすぐにでも街へ戻る事はできる。

 

 しかし、高所からの着地による衝撃がユーノに対する負担が大きすぎる上、最悪重い怪我をする可能性だってある。


 そう判断したエリスは、只々早く、全速力を持って下山をすることを選んだのだ。


 

 高速で下山道を突き進んでいくエリスの銀髪が靡き、その速度に突風が身体を貫いていった。



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