エリスは疑う。魔王の真意を。
街の喧騒が遠のき、やがてエリスの足取りを包んだのは深い山森の静寂だった。
陽光は木々の葉間に細い光の柱となって差し込んでいる。
しかし、その美しさとは裏腹に、森の中にはどこか不気味な空気が漂っていた。
エリスは慎重に、そしてなるべく早く足を進めながら、鋭い視線で周囲を見渡す。
その耳は微かな物音にも反応し、わずかな気配も見逃さない。
その第六感は常にあらゆる物事を予測し続け、常に警戒を怠らない。
(この森……確かに何かがおかしい)
エリスの心の中で、警戒の念が強まっていく。
鳥のさえずりが少ない。小動物の気配もほとんど感じない。
これは捕食者が近くにいる証拠だ――そしてこの場合の捕食者とは、明らかに魔獣である。
《どうしたエリス。早く小僧を探さないと、夜になってしまうぞ》
肩の上の魔王はそう言うと、リラックスした様子で満足げに尾を振った。その態度はまるでこの状況を楽しんでいるかのようにも見えた。
「ええ、わかっています」
エリスの返事は短く、しかしその心中は複雑だった。
魔王があまりにもあっさりとこの任務を承諾したこと、そして今の落ち着きぶり――その全てが彼女の疑念を強めていった。
(魔王は、先日とまた同じようなことを考えていたりするのでしょうか? ですが……何故そんなことを?)
この旅の当初、魔王は自分を復活の際の“器“として利用すると宣言していた。おそらくそれは今も変わらないはずだ。
しかし先日同様、わざと窮地に追い詰め、殺そうと仕向けているのだとしたら元々の目的と矛盾している。
ならば他に目的があるはずだ。
魔王が、私を命の危機に陥らせてでも叶えたい目的が。
そこまで考えた後、エリスは心の中で首を振った。
今は目の前の行方不明の少年を最優先するべきであり、無駄な考えをしている余裕はない。
頭に焼き付けた特徴をした少年の姿を見つけるべく、その脚は山の奥深くへと進んでいった。
◇ ◇ ◇
耳を澄ませながらしばらく進むと、小川のせせらぎと共に微かな少年の泣き声が耳に飛び込んできた。
その方向へ急ぐと、川岸の岩陰で小さな影が見えた。
(見つけました……!)
岩陰には、母親の説明通りの特徴をした少年がうずくまっていた。歳は十歳くらいで茶色の髪を持ち、青い上着を着ている。
肩を震わせて泣くその姿はあまりにも無防備で哀れであり、エリスは驚かせないようゆっくりと近づき、優しく声をかけた。
「ユーノくん、ですね?」
その声に突如顔を上げたユーノと呼ばれる少年は、涙で目元が少々腫れ上がっていた。
長い間、恐怖で泣いていた事が伺えるその姿に、エリスは胸が痛んだ。
「う、うん……お姉さんは、誰?」
「君をお母さんから迎えに来てほしいと頼まれました、ただの旅の者ですよ」
ユーノの涙で濡れた目に、安堵が見え始めた。
エリスに対する警戒を解いたようで、その容姿に微笑みながらユーノの前にしゃがみこむ。
そして、持っていた布で泥汚れが付着した上着を優しく拭っていった。
「ほ、本当? お母さん、怒ってない?」
「ええ、大丈夫です。お母さんはあなたのことが心配でたまらなそうでした。……ところで、薬草は無事に見つけられましたか?」
ユーノは悲しそうに首を振った。
「ううん……まだ見つかってないんだ。お母さんがいつも必要としている、星の形をした葉っぱなのに……」
「星の形をした葉っぱ、ですか……それなら、二人で探してみませんか? きっとすぐ見つかりますよ!」
エリスはユーノを励ますように優しく問いかけると、ユーノの目に希望の光が灯った。
「えっ……手伝ってくれるの? 一つだけじゃなくていくつも必要なんだけど……」
「勿論、あなたのお母さんを助けるために、ここに来たんですから」
そうしてエリスはユーノと共に、薬草を探し始めた。
ユーノ曰く、薬草は川岸の岩に生えていることが多いとのこと。
エリスは無闇矢鱈と探すよりかは可能性が高い方がいい、と判断し、川岸を注意深く探し始めた。
「あっ、見つけました!」
エリスの鋭い観察力は、すぐに目的の薬草を見つけ出した。
岩の割れ目にひっそりと生えているその植物は、確かに星の形をした銀色がかった葉を持っていた。
エリスは慎重に薬草を摘み取り、ユーノに手渡すとその顔にようやく笑顔が戻った。
「ありがとう……お姉さん! お母さん、いつもこの薬草がなくなると苦しそうなんだ」
「では早くお母さんの元へ戻れるよう、早々に必要数を集めないと、ですね!」
「うん!」
エリスはユーノの純粋な笑顔に胸を打たれ、絶対に母親の元へ安全に返すとさらに強く決意した。
しかしそんな想いとは裏腹に、彼女の第六感が鋭く警告を発する。
森の気配が変わり、魔獣達の気配が近づいてきたのを感じとったのだ。
《……この薬草、微かだが魔力を感じるな。どうやら川岸をさらに進んだあたりにもあるようだが》
「…………!」
その言葉は、山の奥へとさらに進んでいくのと同義だった。
魔獣達の気配を感じるのにそんなことをするのは愚の骨頂であり、むざむざ魔獣達の餌になりにいくようなものである。
やはり魔王はわざと窮地に陥らせようとしているのか?
そう思うエリスだが、その後に続く言葉は予想を覆すものだった。
《だが無理するなよ、エリス。お前も感じている通り魔獣達の気配が濃くなっている。別の道を進み、探すのも一つの手だ》
(………あれ?)
危険であることをわざわざ伝えてくれるということは、善意あっての言葉なのかもしれない。
そう思ったエリスは疑ってしまったことに罪悪感を覚え、魔王の言葉に応えた。
(……そうですね、下山しつつ群生しているような場所を探しましょうか)
《ならば余は引き続き薬草から発せられている微量の魔力を掴むことに専念してやろう。ありがたく思え》
(……はい!ありがとうございます、魔王!)
エリスの心には疑念が消え、協力してくれる魔王の心遣いに深く感謝した。
その純真な姿に、魔王はいつものように呆れながらそっぽを向く。
しかし、エリスは知らなかった。
彼女から見えないように、魔王は静かにほくそ笑んでいたことを。




