たとえ、少女が勇者であっても
エリスの銀髪はゆっくりと黒く染まっていき、戻っていく。
黄金の瞳も深紅へと収束していき、彼女の全身から放たれていた圧倒的な闘気は霧散していった。
魔王の力が消え去ったのだ。
そしてエリスはその場に跪き、激しい痙攣に襲われた。
「あ……がっ……!」
「エリス……!?」
エリスの悶え苦しむ姿に、レオン達は異常事態が起きたことを察した。
目の前の少女が、つい今まで元気な振る舞いを見せていた姿から一転、苦悶に満ちた雰囲気を見せ始めたからだ。
「え、エリスさん! ………熱っ!! な、なんですかこれ……!?」
クラリスが真っ先に駆け付け、うずくまる彼女の肩に手を置くと、衣服越しでもわかるくらいの高熱を帯びていることを瞬時に理解した。
「レオンさん! ミリアさん! 枕がわりの荷物……あと冷却できるものを早くっ!!」
「わ、わかった……!」
明らかな異常が起きている。
その事実にクラリスは背筋がゾッとし、急いでレオンとミリアに向けて必要なものを叫んだ。
「エリスさん……! どうか、元気になって……!!」
そして己は、先ほどエリスの光術によって癒えた精神力をできる限り注ぎ込んだ回復術を試みた。
クラリスの回復術の淡い光がエリスの身体を包み込んでいく。
「ううっ……!」
しかし、エリスは相変わらず苦悶しながら呻き声をあげ、痙攣が止まらないままである。
回復術は、本来なら身体の内外問わずに癒していく。
しかし、今はまるで効果がないようにしか見えなかった。
「か、回復術が効かない……!?」
困惑するクラリスにエリスは苦しそうな呼吸をしながらも、無理に笑顔を作ろうとした。
「だ、大丈夫です……いつもの……ことなので……自然に……治ります……っ……!」
しかし、その言葉は明らかに嘘だった。
エリスの額には脂汗が噴き出し、顔面は蒼白。
全身の筋肉が激しい痛みに耐えきれずに痙攣している。
立つことはまず無理で、横になっているだけでも苦しみが続く状態になっていた。
「いつものこととは言っても放っておけないよ……! 何か……何か私達にできることはないかな?」
ミリアは声を詰まらせ、目には涙が浮かんでいる。
レオンも同意見のようで、なにを思ったのか周囲を見渡しながら現在の自分たちの状況を確認し始めた。
魔獣の群れは一匹残らずエリスが壊滅させ、敵意の気配はまるでない。
周囲には隠れるような場所はないが、かえって見通しがいいので何かあった時にはすぐに対応できそうである。
「――とりあえず、今日はここで一晩休もう。ミリア、荷車から野営道具を出すのを手伝ってくれ。クラリスはそのままエリスを見ててほしい」
レオンが意を結したように言うと、ミリアとクラリスは無言で頷いた。
現状のエリスを庇いながら移動するのはリスクが大きすぎると判断したのだ。
ミリアはすぐさま荷車に向かい、野営道具を取り出した。
レオンは周囲から木の枝を手早く拾い集める。
棒状に捻った紙に火をつけ、着火剤として集めた木の枝の山に放り込んだ。
二人の慣れた手つきで、野営の準備が整っていく。
クラリスは変わらず回復術を続けていたが、その表情は変わらず困惑の色が浮かんでおり、嘆くように言った。
「やはりおかしいです……回復術は間違いなく体内に浸透しているはずなのに……!」
エリスの体調は一向に良くなるばかりか、さらに苦しみが増しているかのようにも見えた。
《当然だ。余の力の残渣は、お前たち人間の回復術などではどうにもならん。時間が解決するのを待つしかない》
エリスにしか聞こえない声で、呆れたよう魔王は呟く。
どうしようもない事実に、エリスはさらに苦しそうな表情を浮かべた。
苦痛に占められる身体はさらに熱を持ち、呼吸は浅く、速くなっていった。
◇ ◇ ◇
野営準備が整った後、三人はエリスを寝具に横たえ、焚き火を囲んで座った。
「ぐ……っ……!」
静かな夜の森の中で、エリスの苦悶混じりの荒い息遣いと焚き火の爆ぜる音だけが響いている。
眠ることもできずに、激痛のせいで休むこともできないのが、レオン達の目には気の毒に映った。
「……エリス、あれからずっと苦しそう……私達を守るために……」
エリスの様子に胸を痛めたミリアは呟くように零した。
それに反応したクラリスは、コップを両手で俯きながら、慎重に言葉を選びながら切り出した。
「先ほどから何度も試しましたが、なぜか回復術が効かないので医者に診てもらう必要があります。深刻でなければいいのですが……」
その言葉を聞いたレオンが、明日からのことを提案する。
「……エリスを担ぎながら移動するにせよ、万全を期して慎重に行くべきだ。街に着くのは早くて明後日くらいを想定しておこう」
「それまでに少しは良くなってくれればいいんだけれど……私にも何かできることがあればいいのに……」
ミリアは自分の無力さを嘆くように、エリスを横目に肩を落とす。
昼間のエリスの大立ち回りのおかげか、幸い魔獣の気配は全く感じれない。
この山に生息していた群れは全て消滅したと思っていいのかもしれない。
資材を街に送り届ける依頼についても期限は決まっていない。
そのため、エリスの体調を考慮しながらゆっくりと進行していくのが正しい選択であろう。
最低限の会話をして、エリスを除いた三人は再び沈黙してしまった。
焚き火がぱちり、と大きな音を立て、静寂が周囲を包んだ。
そんな中、暗い雰囲気を吹き飛ばそうと話を切り出したのはミリアだった。
「あのさレオン、勇者様って例の儀式で概念になったって聞いてたけど、間違いないよね?」
ああ、とレオンも頷きながら肯定し、深く息を吐いた。
「『永劫回帰の儀』だろ? 清浄なる炎にその身を投じ、肉体を消失することで概念となった、と。しかし俺は、エリスが勇者であるとしか思えない」
「私もそう思います。あの容姿と圧倒的な強さ、そして清浄なる豪炎……間違いなく勇者様だと思います」
三人は沈黙した。
それぞれが複雑な思いを抱えているのが伝わってくる。
本来ならば死んだはずの勇者が目の前にいるという事実。
しかし、その勇者が今、苦しみ喘いでいるという現実。
「きっと何か事情があるんだと思う。だから私、エリスが話したくないことは、聞かないようにしたい」
ミリアが静かに言い、レオンとクラリスも賛同するように頷いた。
助けてもらった恩、そして勇者とはいえ、エリスはエリスだと理解した三人。
だからこそ、何か事情があろうとも気にしないようにしたのだ。
しかし、その沈黙を破るように、エリスが微かな声で話し始めた。
「……ごめんなさい……皆さん……迷惑を……かけて……」
三人が驚いて声がした方向を見ると、そこにはエリスが細目を開け、苦しそうに呟く姿があった。
「エリス! 無茶しちゃだめだよ!」
ミリアの声を皮切りに三人はエリスに駆け寄った。
エリスはまだ激痛が全身を支配しているのか、痙攣を起こしながら時折喘ぎ声を漏らしている。
「勇者であること……隠すつもりは……なかったんです。ただ……どうか……詮索しないで……ほしいです……」
苦しげに訴えるエリスに、クラリスは心配事は全くないと安心させるようにその手を握った。
「勿論そのつもりです! 勇者であっても、そうでなくても、私たちを救ってくれたのはエリスさんですから!」
「お前は俺たちの命の恩人だ。そのことは絶対に忘れないし、お前の希望には全て応えるつもりだ」
レオンも真剣な表情でエリスを見つめ、跪きながら頭を下げた。
エリスは苦しげに微笑み、再び激痛に耐えながら蹲ってしまった。
「……みんなは休んでて。私、エリスのこと診ているから」
ミリアは水筒の冷水で布を濡らし、エリスの額から首元まで拭っていく。
そして生緩くなった布に再び冷水をかけ、何度も同じことを繰り返す。
高熱を発しているエリスが少しでも楽になるように、ミリアができる最大限のことだった。
「私、これくらいしかできないからさ」
クラリスのように回復術もできない、レオンのようにエリスを背負える力もない。
そんな自分ができることはこれしかない。
ミリアは悔しげな顔で苦しむエリスに対する無力さを噛み締めていたのだ。
「……わかった。だけど無理はするなよ。何かあったらすぐに起こしてくれ」
「ミリアさん、ありがとう。エリスさんのこと、よろしくお願いしますね」
「うん、わかった!」
エリスを診ながらの寝ずの番なんて、誰にでもできることであり、手を貸すことだって簡単なことだ。
だけど、二人はミリアの意思を尊重し、身体を休める準備を始めた。
(ありがとう……レオン、クラリス)
二人の気遣いにミリアは感謝し、再びエリスの様子を診る。
相変わらず異常に熱った顔を、なんとか楽にしようとあらゆる手段を講じていくのであった。
エリスの顔の横で丸くなっている相棒の黒猫は、その姿を目を細めながら眺めている。
まるで、エリスに対する献身を歓迎するかのようだった。




