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救世主、現る


「う……ああああッ!!!!」 


 エリスの苦痛に満ちた呻き声が廃村の廃墟に反響し、不気味に響き渡った。

 

 その悲痛な叫びは、周囲に潜む魔の者たちをさらに興奮させた。


「グルルルル……!」

 

 地面に悶えながら倒れ込むエリス。

 対する異形の者達は、弱った獲物を追い詰めていく捕食者のように、ゆっくりと包囲網を狭めていく。


「エ、エリス!!」


 ミリアが悲鳴を上げたが、恐怖で全身が硬直し、震える指先すら思うように動かせない。

 

 その足元には、折れた愛用の短剣が無様に落ちていた。


 「くそっ……俺の身体……なんで動かないんだっ………!」


 レオンは歯を食いしばり、激痛で震える自身の身体をさらに震わせていた。


 剣士としての誇りが、目前で苦しむ仲間を助けられない無力さに苛立ちを募らせる。


「女神様……どうか……エリスさんをお守りください……!」


 クラリスは聖印を握りしめる手の指先が青白くなり、必死の祈りを捧げていた。


 

 しかし、その祈りも虚しく、魔獣たちはさらにエリスに迫っていく。

 そして、一匹の餓えた魔獣が機先を制そうと、うずくまるエリスに飛びかかった。

 


「――――ッ!!!」


 声にならない強烈な悲鳴が廃村に響き渡った。

 そして、それを合図に、他の魔獣たちも一斉に群がった。


 

 魔獣たちが我先にと、少女の身体を貪ろうと、生きた山が形成されていく。

 

 その光景はまさに鳥葬のようだった。

 

 魔獣たちの唸り声、牙を鳴らす音、獲物を捕らえたことによる歓喜の遠吠えが不気味な合唱を奏でる中、さらに周囲の魔獣が集結していく。

 

 その勢いは、エリスが持っていた愛用の武器である棒を弾き飛ばし、宙に舞った棒はレオン達のそばに落下した。

 

 空虚な音を響かせた棒は、魔獣の渦に巻き込まれているエリスの抵抗する力が皆無になったことを証明していた。

 

「やめて……やめてよぉ……!」


 ミリアは目を覆いながらも、指の隙間から恐る恐る凄惨な光景を見つめ、涙と鼻水で顔を濡らしていた。

 

 その肩は小刻みに震え、唇は恐怖で青ざめている。


 

 レオンは無言のまま地面を拳で叩き、無力感に打ちひしがれていた。


 

「エリスさん……エリスさん!!」


 

 クラリスは目を強く見開き、涙を止めどなく流している。

 

 握りしめた聖印が、無力な祈りに応えるように微かに温もりを放っていた。


 

 優しき仲間の少女が抵抗する術を失い、目の前で無惨に喰い荒らされていく。

 

 その光景は三人にとって、絶望を感じるには十分すぎるほど凄惨なものであり、三人から溢れ出ていく絶望という名の“負の感情”は密度と濃度を深めていく。

 

 それを、巨大魔獣は光悦した顔で、ゆっくりと味わっていた。


 

 

 しかし、次の瞬間――状況が一変した。


 

 

 魔獣の山となった中心から黒い閃光が迸り、空気を震わせるほどの衝撃とともに、魔獣たちを弾き飛ばしたのだ。


「グギャアアアアアッ!!!」

 

 そして、黒い雷撃のような未知の力がエリスの周囲を駆け巡り、なおも近づこうとする魔獣たちを薙ぎ払い、焼滅させていく。

 

 その力は禍々しくも美しく、暗黒の炎のように舞い踊りながら、あらゆる接近を拒絶した。


《控えよ、下郎》


 魔王の言葉は力となり、具現化した黒い雷撃が地面を抉りながら禍々しい火花を散らして魔獣たちを次々と屠っていく。

 

 運よく逃れられた魔獣たちは唸り声を上げて後ずさり、その圧倒的な力を本能で理解し、恐怖で慄いていた。


「な……なんだ……あれは……?」


 レオンが目を見開き、信じられない光景を呆然と見つめる。眼前で展開される現象は、彼の理解をはるかに超えていた。


「え、エリス……? 生きてるの……?」


 ミリアは涙でぼやけた視界を必死に拭う。

 その声は希望と恐怖が入り混じり、震えていた。

 

 クラリスは祈りを捧げる手を止め、息を呑んでその光景を見つめていた。

 まるで聖なる力による破邪の光を見出しているかのように。


 

「がっ……!!……グッ……うぅっ……!!!」


 

 エリスの苦痛に満ちた喘ぎ声がなおも続いていく。

 

 その声は次第に大きくなり、身体を包む黒雷が次第に白銀の光へと変容し始め、銀糸のような光が黒髪の中から溢れ出していった。

 

 深紅の瞳は黄金へと変わりゆき、全身から発せられる神域じみた闘気が周囲の空気を震わせ、空間を歪ませていく。



 

 だが、そんな光景をよそに、一部の魔獣が新たな動きを始めていた。

 

「グゥルルルル……!!!」

 

 エリスを襲うことを諦めた一部の魔獣の群れが、次の獲物として、動くことのできないレオン達に目を向け始めていたのだ。

 

 涎を多量に地面へと滴り落とし続けるその姿が、レオン達を震え上がらせた。

 

「こ、こっちに……来るってのか!?」

 

 レオンが身体を動かそうと必死になるが、震えのせいで何もできないままだ。

 

 剣士としての訓練が、怪我と本能的な恐怖の前に無力であることを痛感し、つい歯を食いしばる。


「嫌だよ……お願い、殺さないで……!」


 ミリアも折れた短剣を拾おうとするが、足が竦んで動けない。

 その声はかすかに震え、希望を見失いかけていた。


 

 抵抗すらままならないレオン達の姿を見た魔獣達は、“負の感情”を吸収しながら舌舐めずりを始め、ジリジリと近づいていく。

 

 獲物が恐怖に慄く姿を愉しむように、その姿をゆっくりと観察するようだった。

 

 しかし、そんな魔獣の意に反するかのように、一人の影がレオン達の前に立ちはだかった。


「…………ッ!」


 そこには、涙を拭うこともせずに両手を広げ、二人を庇うために前に出たクラリスの姿があった。

 

 一人だけ怪我をせず、動ける状態であった彼女が選んだ行動。

 

 それは逃げることではなく、自らを犠牲にしようと盾になることだった。

 

 無論、無意味であることはクラリスも理解していた。

 

 身体の震えもそのままに、歯をがちがちと鳴らしながら魔獣達を睨みつけている。

 

「クラリス!?」

 

「馬鹿! お前だけでも逃げろ!」


 その言葉に応えないまま、クラリスはただ黙って二人を庇うように両手を広げている。

 

 魔力が尽きかけ、結界すら張れない彼女は武力すら持たないただのひ弱な人間である。

 

 その姿が滑稽に見えたのか魔獣達は下卑た笑みを浮かべ、地面を踏み締めた。


 そして、いよいよ一人の魔獣が抜け駆けをするように、クラリスへと飛びかかった。


「…………!」

 

 クラリスは最期まで抵抗する意志を見せながら、死を覚悟した。

 

 その刹那のことだった。



 

 ――暖かな一陣の風が、周囲に吹き渡った。




「…………え?」

 

 クラリスは、呆然としたように短い言葉を吐き出した。

  

 襲い掛かろうとした魔獣は粉々に砕け散り、血の霧が夕焼け空に舞い上がったからだ。


 その動きはあまりにも速く、誰にも何が起きたのか理解できないままである。



 そして目の前に現れたのは、銀の髪を靡かせている神の使いのような少女。

 

 ――たった今、魔獣を一撃の手刀で塵にした、かつての勇者の力を発現させたエリスの姿だった。


「あ、貴女は……一体?」

 

 クラリスは銀髪の少女をエリスと認識していない。

 ただ、自分達の救世主であることは不思議と理解していた。

  

 一方のエリスは三人の危機に間に合った事を認識し、ほっとした表情を浮かべている。


「……っ!? 危な――!?」

 

 エリスにとって死角である背後から、十体ほどの魔獣が凄まじいスピードで走ってくる。

 

 クラリスが思わず、悲鳴のような叫び声をあげるのと同時に、エリスは魔獣達にくるりと向き直った。


 

「やりすぎてしまうかもしれませんが……よっと」


 

 ポツリとつぶやいた言葉と共に、エリスは片方の掌に込めた光術を地面に押し付ける。


 光がひび割れのように走っていく。

 その道筋はまるで、極大の魔法陣を描いているかのように、地面に刻まれていった。

 

 魔獣達は地面の変容に足を取られ、体のバランスを崩してしまう。

 大きな隙が生まれたのだ。


「――――ッ」

 

 次にエリスは深く腰を落とし、拳に力を集中させていく。

 

 拳は淡く蒼白い光を放ち、込められた闘気の異常な密度により周囲の空気は歪んでいく。

 

 大気は震え、周囲全てを呑み込むような圧力が展開されていった。


 

「――はぁっ!!」


 

 そしてエリスは拳で大地を抉り、流れる形で天を衝くように、大きく振り抜いた。

 

 すると、超大な衝撃波が前方一帯を掬い上げ、地面が轟音と共に吹き飛んでいった。

 

 山肌を大きく削り、地形を大きく変えるような旋風がほぼ全ての魔獣達を塵芥のように消し飛ばしていく。



「ギャアアアアアアアッ……!!!」



 その光景は、まさに暴風のようで。  

 巨大な土煙が舞う中、多くの魔獣の断末魔が虚空に消えていった。


「先ずはこれでよし、と」

 

 魔獣達の気配がほぼ消失したのを確認したエリス。

 その黄金の瞳は戦果を確認すべく周囲を見渡していく。

 

 そしてその瞳は、呆然としながら動けずにいるレオン達を捉えた。


「皆さん、お怪我はありませんか」


 エリスはレオン達に近づきながら片手をかざすと、淡い光が三人を包んでいく。

 

 優しく包むその光は疲労を回復し、傷を癒し、魔力すらも元通りにしていく。


 むしろ幾分か身体が軽くなったような気さえしてするくらいだ。

 

 まさに常識から外れている、この世のものとは思えないような力だった。

 

「え……りす……?」


 ミリアが震える声で呟くも、その言葉は疑問というより驚嘆に近かった。

 

 目の前にはかつての仲間だった村娘の面影はない。


 ただ、夕日に照らされて輝く、美しい銀髪を靡かせている少女の姿のみがあった。


「エリス、お前……いや、貴女は……」


 その瞳、その髪色、そして――この強さ。

 まさか、この人は。

 

 レオンは言葉を失いつつも、エリスの姿を見ながら、とある存在と同一なのではないかという予感を浮かばせていた。


 そして、クラリスも何か大事なことを思い出したかのように、レオンと同様、震えながら叫んだ。


「あ……あ……! エリスさん、まさか貴女は!!」

 

 その声は、ある確信を得ているかのような、喜びに震えるものだった。 


 

 しかしエリスは、そんな三人に対し、以前同じようなことがあった時と同様、とある仕草をした。

 

 その仕草は、口元に人差し指を立て、片目を閉じながら優しい微笑みを浮かべるもの。

 

 ――内緒ですよ。

 

 そう語りかけるような、三人の疑問に対する答えのようにも感じられた。


 

 しかし、戦闘はまだ終わっていない。


「ギャオオオオオオッ!!!」

「グググ……!!!」

「ウオオオオッ!!!

 

 地形を変えるほどの衝撃波を受けながらも、いまだに生きている三頭の巨大魔獣が、怒りと共に地響きを立てて突進してくる。


 それぞれが岩のような皮膚を持ち、目に見えるくらいの禍々しい魔力を放っている。


「や、やだ……こっちに来る……!」

 

「くっ……まともに勝てる相手じゃない! 今すぐ逃げよう!」


 その体躯の巨大さ、そして可視化できるほどの魔力の濃度に一瞬にして格の違いを思い知らされるレオン達。

 

 傷は回復したとて、その威圧に腰が抜けてしまい、言葉は出ても逃げることは不可能である。


 

 しかし、エリスはそんな三人に背を向け、巨大魔獣達の方へと向き直った。

 


「ほんの少し待っていてくださいね。大丈夫、すぐ終わりますから」



 無謀にも程がある行動に、制止しようとミリアは叫ぼうとする。

 

 

「ま、待ってエリ――」


 

 しかし、ミリアの声は途中で止まってしまった。

 

 巨大魔獣達へと歩いていくエリスに、確たるものが見えたからだ。


 

 ――その存在が近くにいるだけで、勇気や希望を抱くことができる。


 ――大丈夫、という言葉をそのまま信じるに値するよう確信できる。


 ――敗北の二文字は見えない程の、絶対的な強さを感じ取れる。



 そして――どんなことがあっても、不安を感じさせることのない笑顔を保っている。


 

 

 エリスの姿は、まさしく『勇者』という存在を体現していたのだった。


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