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誤算、そして窮地


 一行は荷車を押しながら山道をさらに進むと、急に荒れ果てた村へと辿り着いた。


「村? おかしいな、地図には載ってないよ?」

 

「人の気配も無いようだ。ここで何かあったのか?」


 地図を覗き込みながら不思議に思うミリアの前に立ち、周囲を見ながらレオンは剣の柄に手を置いた。

 

 かつては人々の生活があっただろう家々は朽ち果て、窓という窓は暗く虚ろに口を開けている。

 

 家の中にはひっくり返った椅子、錆びた鍋、ぼろぼろの人形――そういった所々に残された生活の痕跡が、ここで突然何かが起きたことを物語っていた。


「穢れた気配を感じます……早くこの場を離れないと」


 聖印を握りしめるクラリスは身体を震わせている。

 

 そんな中、エリスの頭の中では第六感が非常に強い警告を発し始めた。

 

 “引き返せ! これ以上進んではいけない!”と。

 

 それは今までの微かな違和感とは次元が違う、直接脳内で叫ばれるような、鋭く痛烈な警告だった。


「……待ってください!」


 エリスは思わず大きな声を張り上げると、三人は振り返った。

 その額には冷や汗がにじみ、足は自然と止め、自然と息が上がってしまっている。


「引き返しましょう……今すぐに!」


 この先には巨大で、凶悪で、貪欲な“何か”が待ち構えている。

 そう訴えるようなエリスの様子に、レオンは驚いたように眉をひそめた。


「え? だがここを抜けなければ目的地に行くのは難しいぞ? ここまで来て引き返す選択肢は……」

 

「そうだよ、エリス。どうしたの? 顔色が悪くなってるけど、具合が悪いの?」


 一刻も早くこの場を去らないと。

 焦るエリスは必死に説得を続ける。


「私の直感が警告しているんです。この先には、私たちでは太刀打ちできないほどの危険が待っている。数匹の魔物どころじゃない、もっと恐ろしい何かがいると」

 

「エリスさん……それは確かなことですか?」


 クラリスが真剣な表情で問う言葉に、確信に満ちた光を灯しながら、エリスは頷いた。


「今まで感じたことのないほどの悪意と瘴気……これは普通の魔物ではありません」


 エリスが冗談を言うような人間でないことは、短時間だけとはいえ、共に旅しただけで三人は理解していた。

 

 しかし、一方でレオンは悩んだように周囲を見渡した。


「だが、依頼はどうする? ここで引き返せば街の復興は遅れるし、何より依頼を放棄した後の罰則が……」


 ミリアも不安そうに付け加える。


「それに、もし本当に危険なら、先に街の人たちへ知らせないと!」


 四人は意見の相違に立ち往生し、もどかしい沈黙が流れた。

 

 だがその時――エリスの全身の毛穴が縮み上がるのを感じた。




「……来ます!!」




 エリスの警告と同時に、周囲の茂みや廃屋の影から気配を発し、その姿を現し始めた。


 低いうなり声、甲高い笑い声、鎧のようにごつごつとした外皮が擦れ合う不気味な音――猪や狼のような魔獣が数匹、一行の行き先を塞ぐように立ちはだかった。


「ふん、驚かせやがって……雑魚は引っ込んでろ!」


 レオンが即座に剣を抜き、飛び出してきた一匹の魔獣を大振りで切り裂いた。

 他の魔獣は即死した仲間の姿に戸惑い、後退りをし始めたが、高速で飛んできた短剣が額に深々と突き刺さっていく。


「通せんぼするなら容赦しないから。レオン! ちゃっちゃと片付けよう!」

 

 警戒な動きで魔獣に向かって駆けていくミリアにレオンは負けじと剣を振るっている。

 

 エリスはその光景を眺めているが、相変わらず脳内の警告は止まらないままだ。

 そして、エリスのそばに居るクラリスも補助として術を展開し始めた。


「大人しくしててください……ねっ!」


 蜘蛛の巣状の光が前方に展開され、残党である数匹に絡まり、その動きを封じ込めた。


「クラリス、お見事!」

「やるじゃん! おかげで楽に倒せる!」


 二人の剣と短剣が魔獣の命を刈り取ると、その姿は紫色の煙と化して、その場には何も残らなかった。




 

 エリスを除いた三人は、結果として難なく魔獣の襲来を打ち負かした為、気分を良くしていた。


「ほらね、大丈夫だよエリス。私たちとっても強いんだから!」

 

「心配なら後ろで見ているだけでいい。エリスもクラリスも、俺達が絶対に守ってみせるからな」


 強い自信を得た二人は胸を張りながら再び荷車を引きながら廃村を進んでいく。

 

 クラリスもエリスを支えながら「私も頑張りますね」と励まし、共に歩き始めた。


 しかし、エリスの表情は強張ったままだ。

 一歩、そして一歩と前に進むたびに、警告は強くなっていく。



 そして、ついにエリスの第六感が最大級の警告を発し始めた時。

 その手は無意識にレオンとミリアの腕を掴んでいた。


「えっ……?」

 

「お、おい、どうしたエリス」


 エリスの必死の形相にただ事ではない状況であることを察するレオンとミリア。

 

 二人が言葉少なに戸惑いを見せる中、エリスは再び第六感が察知した最悪の現況をそのまま言葉にした。


「背後に魔獣の大群が押し寄せています! すぐにこの場から離れないと!」

 

「なんだって!?」


 驚愕するレオンの声に触発され、一行の最後尾にいたクラリスがそのまま後ろを振り向くと、深い山林の中で大きな黒い影が蠢いていた。

 

 その影は、低い呻き声のような音と何かが擦れる音を発しており、その音の大きさが影の正体が魔獣の大群であることを物語っている。


「みんな! 前に進め! この村を抜ければヤツらもきっと追ってこないはずだ!」

 

「だ、駄目です!」


 エリスの必死の訴えは三人に漂う焦りの感情に押し潰され、聞こえないまま、一行は村を抜けようと進んでいく。

 

 しかし、その前方にも魔獣の群れが立ちはだかり、足止めを喰らってしまう。


 立ち塞がった魔獣の群れは、ゆっくりとその距離を縮めていく。

 

「こいつは、やばいかもな……!」

 

「どうしよう、数が多すぎるよ!?」


 レオンは再び剣を抜き、ミリアも短剣を逆手に持つと戦闘態勢に入った。


「神よ、どうかお守りください……!」 

 

 クラリスは祈りながら聖印を掲げ、透明な光の衣を一行に展開し始めた。

 強化の術らしく、全員の身体が少しだけ軽くなった感覚を覚えた。


 一方エリスは、第六感を最大限に活用した高速思考を展開していた。

  

(魔獣を倒すのではなく、逃げる方法を。囲まれていて、自分だけではなく全員生還するにはどうすればいい? 一点突破で駆け抜けるか、それとも) 


 エリスは愛用の棒を握りしめ、深く息を吸い込んだ。

 心拍数は上がっているが、呼吸は驚くほど整っている。


(いいぞエリス。その表情、その呼吸だ。必ずや、お前ならこの窮地を脱出できる)


 肩の上の魔王は何も言わず、心の中でエリスを鼓舞している。

 


 魔王はエリスに考えさせ、悩ませ、追い詰められることを期待している。

 そして、最終的にエリスが魔王の力に頼ることを望んでいた。

 

 しかし、それは単なる力への依存をさせるためのものではない。

 

 窮地を打開するための、一つの選択肢であることが前提の、歪んだ愛情だった。


「皆さん、西側の茂みが一番手薄です! あそこを突破しましょう! 私が囮になりますから、その隙に皆さんは逃げてください!」


 そのエリスの提案に、レオンとミリアが驚いて反論した。


「馬鹿言うなよ! そんな無茶が通るわけないだろ!?」

 

「私も一緒に戦う! エリスを置いて逃げるなんてできないよ!」


 焦る二人に対し、エリスの声には迷いがなかった。

 

「どうか私を信じてください! これが唯一……全員が生き延びる方法なのです!」


 その瞬間、魔獣の群れが一斉に襲いかかってきた。

 エリスは前に躍り出ると、棒を風車のように回し始めた。


「ここは……絶対に通しません!」


 エリスは水の流れのように動き、数匹同時に飛びかかってくる魔獣の攻撃を先読みし、瞬時に攻撃の届かない角度に身体を逸らした。

 

 空を切った魔獣の爪に対し、棒の鋭い横薙ぎでそれぞれの前脚、もしくは後脚を痛打していく。

 

 殺傷力は皆無。

 だが、四足歩行の生き物を一時的に戦闘不能にする方法として、体力の消耗をできる限り抑えつつ、最大の効果を得られるものだった。


「え……エリス? う、嘘でしょ? そんな動けたの?」

 

「な、なんだあの動きは……ここまで強かったのか?」

 

「エリスさん……凄い!」


 真の実力に呆然としつつあるレオン達に対し、エリスの必死の叫び声が響き渡る。

  

「さあ、早く行ってください! 私も後を追いますから!」


 エリスの顔つきは一変していた。

 

 先ほどまでの優しい村娘の面影はなく、ただ目の前の敵と対峙するためだけに存在する戦士の勇ましい姿になっていた。


 レオン達はエリスの姿に勇気づけられ、魔獣の包囲網を抜け出そうと駆けていく。

 

 しかし――


「グオオオオッ!!!!」


 地響きと共に巨大な魔獣が数匹、前に進み出た。

 

 その姿は他の魔獣たちとは比較にならないほど大きく、禍々しい瘴気をまとっている。

 かつてエリスが戦った時ことのある“変異種“と同様、魔王の力を糧にして変異した巨大生物だった。


「な……なんだよあいつは!?」

 

「あんなの勝てっこないよ……逃げなきゃ!!」

 

「神よ……我らをお助けください!」

 

 レオン達は方向転換をしながら、無我夢中に逃げていくが、魔獣の誘導に陥っていた。

 

 村を抜けることを阻止され、その奥へと追い込まれていくのを、後を追うエリスは気づき、声を上げた。


「駄目です! 皆さん、そちらは――!!」


 レオン達は必死に逃げていく。

 助かりたい。その唯一の希望を胸に抱いて。

 

 しかし、その希望もとうとう打ち砕かれてしまった。


「な……行き止まり……だと!?」

 

「ど、どうして!?」


 村の奥へと誘い込まれたレオン達は、その先が岩肌であることに絶望してしまう。

 登ることすら許されない、壁そのものが立ちはだかったのだ。


 レオン達に追いついたエリスは、現状を一目で理解し、魔獣達から逃げられないことを悟る。

 

 いつの間にか魔獣達が包囲網を狭め始め、岩壁を背後に一行は追い詰められてしまっていた。


「くっ……そおおおお!!!」

 

「やだ!あっち行ってよ!」

  

 レオンとミリアは飛びかかってきた魔獣に必死に応戦するが、その数は圧倒的だ。


 剣が跳ね、短剣が閃き、魔物の黒い血が飛び散るが、次の瞬間にはさらに多くの敵が迫ってくる。


 その光景は、魔獣が獲物をいたぶっているかのように見えた。

 追い詰められた者たちを少数の魔獣をけしかけ、消耗させていく。

 

 必死に応戦しつつも、次々と負傷させ、徐々に絶望させていく。

 

 そうしたことで放出される“負の感情”を、獲物に出来うる限り絞り出すことを意図しているようにも見えた。


 

 そして、後方に待機する巨大魔獣が圧倒的な威圧感を放つと、レオンとミリアの二人の足がすくんでしまった。

 

 その隙に魔獣の一撃がレオンを直撃し、吹き飛ばされた。


「レオン!」


 ミリアが叫ぶが、次の瞬間には彼女も魔獣の爪により脚を斬りつけられ、その場に倒れ込んだ。


「神よ……どうか我々に加護を……!」


 クラリスは必死に回復術を唱えるが、消耗した精神では、あまりにも効果がなかった。


 倒れ込んだ二人に対し、追撃をしようとする魔獣が飛びかかった。

 しかし、間一髪間に合ったエリスの強烈な一撃が数匹の魔獣を弾き飛ばした。


「はぁ……はぁ……!」


 エリスは大群を相手に孤軍奮闘しながらも、いつの間にか細かい傷を負っていて、疲労が蓄積していた。

 

 レオンとミリアは魔獣の攻撃によって負傷し、倒れている。

 

 もはや動けるのは自分だけ。

 必死に打開策を見つけるべく、再び第六感を働かせ始めるエリスの耳に、悲しみに満ちた掠れ声が届いた。


「ち……ちくしょう……!!」

 

「嫌だ……こんなの嫌だよ……」

 

「ごめんなさい……私が未熟なせいで……!」


 エリスが振り向いた先には、立つことすらままならず、悔しげに握り拳を作るレオン。

 蹲りながら脚の傷を庇い涙ながらに訴えるミリア。

 そして、自分の力不足を嘆き、悲嘆に暮れるクラリスの姿だった。


「――――ッ!!」

 

 三人の悲鳴を聞いた瞬間、彼女の中で何かが弾けた。

 そして、その身体は無意識のうちに飛び出して行った。


 

(この方法しか……無い!!)


 魔獣の群れ、そして巨大生物へと一直線に駆けていくエリス。

 自らが囮となることで、仲間たちへの攻撃を一手に引き受けることを選んだのだ。


「エリスさん!?」


 クラリスが悲鳴のような声を上げて制止しようとしたが、エリスはもう止まらなかった。


 エリスは振り向かず、魔獣の大群の真っ只中へと飛び込んでいく。

 

 無謀とも思える行動に、最後の悪足掻きをする獲物の姿を見出したのだろう。

 魔物たちの意識は、完全にエリスへと集中していった。

 

 

「戻れ! エリス!!」

 

「やめて……! やめてよ……!」


 レオンが叫び、ミリアは泣きじゃくりながら手を伸ばす。

 

 しかし、その声は既にエリスには届かない。

 

 動かない身体を前に、ただエリスが無謀に武器を振るうのを見ているだけしかできず、二人は苦悶の声を上げた。


 エリスは全方向から襲いかかる魔獣達の全ての攻撃を捌きながら迎撃し、その柔肌に赤い傷を作っていく。

 

 そして、いよいよ肉体的な疲労による限界を迎えそうになった時。

 魔獣がエリスにとどめを刺そうとにじり寄ってきた瞬間だった。


 エリスの紅い瞳は、静かな決意を灯らせた。



 

「……魔王」



 

 エリスの声は静かだったが、確固たる決意に満ちていた。



 

「どうか私に……力を!!」



 

 瞬間、いつの間にかレオン達のそばに座っていた魔王の笑い声が、心を通じエリスの頭の中に響き渡った。


 

 

《ククク……ハハハハハッ! よくぞ言った! では、存分に力を発揮して見せよ!》


 

 

 エリスの苦痛に満ちた叫び声が、魔獣の群れの中心で響き渡った。


 

 たとえ、勇者であることを知られたとしても。

 それによって、かつてのように存在を許されず、残酷な結末を迎えることになったとしても。



 それでも、皆を助けたい。


 それが、エリスの唯一の真実だった。



 そして、それは同時に、真の覚醒を呼び込む宣言でもあった。

 

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