第三者から見た、勇者の実像
山道を進む一行は、まるで観光にでも来たかのような、のどかでのんびりとした雰囲気に包まれていた。
「――ってわけでさ、俺の師匠は本当に厳しくてね、毎朝暗いうちから冷水を浴びせてくるんだよ。『どんな環境でも全力を出せるよのが最強の剣士だ!こんな冷水に動じるな!』ってね」
レオンは大声で笑いながら、かつての剣術修行時代の苦労話を披露していた。
ミリアは笑いながら、はしゃいで言った。
「それで?それで?今のレオンにその成果は出ているのかな?」
「もちろん! 今ではどんな季節だろうが裸で寝ることができるようになったぞ! 師匠には本当に感謝してるよ!」
「……ま、まあレオンが感謝してるならそれでいいと思うよ。うん」
眩しい笑顔で堪えるレオンにミリアの顔は引き攣り、少々後ずさりをする。
そんなやり取りにクラリスは優雅に手を添えながら、静かで落ち着いた微笑みを浮かべていた。
「修行というものは、時に厳しいものでもあります。でも、それがあるからこそ、人は強くなり、成長できるのでしょう」
「そうだよな!クラリスもよく分かってる!」
「なんか都合よく受け止めてない?大丈夫?」
エリスはそんな和気藹々とした会話を聞きながら、常に周囲に気を配り、警戒を緩めずにいた。
彼女の鋭い第六感は、魔獣や魔物の気配を敏感に探っており、何かあった時にはすぐに戦闘態勢に入れるようにしている。
しかし、今のところ何も異常は感じられない――少なくとも表面上は。
(もしかしたら、本当に杞憂だったのかもしれません……心配のしすぎだった?)
エリスは内心でほっと息をついた。
だが、なぜか胸の奥底でざわつく不安感は消えない。長年の戦いで培われた直感が、何かを見逃すなと警告しているようだった。
「わあ! きれいな花! 見たことないや!」
ミリアが突然、道端に咲く可憐な青い花の群れに駆け寄った。
無邪気に花を摘み取り、注意深く観察しながら鼻に近づけて深く香りを嗅いだ。
「あら、珍しい。これは『勇者の涙』と呼ばれる花ですね」
「勇者の涙?」
勇者、という単語にエリスの思考が一瞬止まった。
かつての自分に何か関係するものなのか、と息を飲むエリスをよそに、クラリスが花に関する解説を始めた。
「最近発見された新種らしく、勇者様が魔王討伐をしたことに歓喜したための涙から生まれたと言われています。勇者様の涙はこの世に生きとし生けるもの全てを癒し、病気すらも治してしまう素晴らしいものであると言われておりますので、他にも勇者様が関係する新種があるそうですよ。ちなみに、この透き通るような青色は、勇者様の清らかな心を表しているそうです」
怒涛の解説を聞き入る魔王は目を細め、何やら楽しそうな声でエリスに告げた。
《ふむ、どうやらお前の涙はさぞ素晴らしいものだったらしいな。聞いた限りの効能があるのであれば色々なことに活用できると思われるが……ん? どうしたエリス。何を顔を真っ赤にしている》
明らかに嘘を並び立てられ、しかも過剰に勇者を持ち上げるかのような内容にエリスは居た堪れなくなってしまう。
エリスは魔王を倒した直後に涙を流した記憶がない。
そもそもただの体液にそんな効能があるだなんて、化け物扱いされてるみたいで複雑な気分であった。
つい警戒を解いてしまうくらいに動揺してしまったエリスをよそに、レオンは感心しながら遠い目をして言った。
「へえ、そうなんだ……やっぱ凄かったんだな、勇者様って。俺、彼女の強さに憧れてて、魔王の決戦がどれほど凄まじい戦いだったか見てみたかったよ。見るだけで学びが大きかっただろうなあ」
その言葉を聞いたミリアは表情を突然曇らせ、目尻を潤ませる。
「でも勇者様、『永劫回帰の儀』の時、怖くなかったのかな? 清浄なる炎で焼かれたって聞いた時は信じられなかった。私だったら絶対に苦しすぎて泣き叫んだだろうし……きっと誰も助けてくれなかったことが寂しいと感じちゃったと思う」
彼女の声は次第に小さくなり、最後はかすかな泣き声のようになった。
「……勇者様は概念となられ、きっと今も私達を見守り続けてくださっています」
クラリスはミリアに寄り添いながら頷き、そして続けた。
「しかし、一方で私達は彼女の偉大な力に甘えすぎていたという自覚を持たなくてはなりません。だからこそ、私達は勇者様への感謝を忘れずにもっと強く、より良く生きていかなければなりません」
祈るように手を組みながら紡いだ言葉に、ミリアは深く頷いた。
エリスはクラリスの言葉に思うところがあるのか、俯いてしまった。
あまりにも大袈裟すぎると思うくらい、自分がしたことと違っていたからだ。
無論、クラリスが悪いということは全くない。
しかし、エリスはただ、他者が平和に生きてくれることだけを望んでいただけであり、甘えすぎていたとか、感謝を忘れるなとか、そういったことは一切望んでいない。
肩の上の魔王が微かに動くと、その存在が突然重く感じられた。
《誇れ。お前のやったことは、それだけ偉大ということだ》
魔王の声が、静かにエリスの心の中に響く。
しかし、いまいち実感を覚えることができなかった。
(誇れといっても……私は自分ができることをただ、実行したに過ぎません)
そう思いながら寂しげな微笑みを浮かべるエリスに、突然ミリアが向き直る。
そして、涙で潤んだ目を大きく見開いて尋ねた。
「ねえ、エリスは『永劫回帰の儀』について勇者様がどう思っていたと思う?」
レオンとクラリスも興味深そうに、真剣な表情でエリスを見つめた。
「……『永劫回帰の儀』について、ですか?」
誰かに尋ねられるとは思っていなかった。
忘れもしない、勇者としての最期を迎えたあの儀式のことを。
あの身が爛れるような、灼熱の痛みが思い出されたかのように全身が疼き始める。
エリスは少し戸惑いながらも深呼吸をして、心を落ち着けた。
(この身に起きたことでありますが、変に勘ぐられないよう他人事のように話した方がリスクは少ない。――ですが)
しかし、エリスは自分でも不思議なくらい、正直な気持ちを語りたい気分になっていた。
「……私は、勇者様に後悔は無かったと思います」
エリスは慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。
「勇者様は常に誰かのために、何かのために、自分のことは後回しで行動していたと聞いたことがあります」
かつて旅をしていた時のこと。勇者であった時のことを思い返しながら、丁寧に紡ぎ出す。
「勇者様がなぜ、そこまで自己犠牲をしたかについては……きっと何よりも困っている人を助けるのが好きだったんだと思います。それが、自分の存在意義だと思っているくらいに」
それは、今も変わらないエリスの行動原理だ。
寂しく微笑みながら遠くを見つめるようにして、エリスは続ける。
「たとえ苦しくて、辛くても、多くの人のためになるなら、自分がこの世から消えても構わない――そう思っていたからこそ、『永劫回帰の儀』も真っ直ぐ受け入れたのだと思います。……最期まで笑顔を崩さなかったのも、それを裏付けている気がします」
その語る内容は、あくまで他人事のようではあるが、エリスの本心そのものであった。
「……」
「…………」
「………………」
エリスの深みのある言葉に、三人は強く感銘を受けたように黙り込んでしまう。
それに気づいたエリスは、ハッとしながら狼狽えてしまった。
「あ、あのっ! なんか、すみません……変なことを言って……」
その言葉に、ようやくクラリスが涙をぬぐいながら沈黙を破った。
「エリスさんのおっしゃる通りです。勇者様は恨みもせず、憎しみすら抱かずに概念になられたと思います。あの『永劫回帰の儀』が何をもたらすか――常人では理解できなくとも、きっと彼女には人々の為になることがわかっていたのでしょう」
レオンも感銘したように腕を組み、深い感慨を持って言った。
「……確かに、勇者様の強さの裏には、計り知れないほどの自己犠牲や苦悩があったんだろうな。ただ強いだけじゃなくて、心も強かったんだ」
ミリアは涙を拭いながら、震える声で言った。
「私、勇者様のこともっと深く考えてみる。強いだけじゃなく、とても優しくて強い心を持った人だった。けれど、あの儀式を受けた理由は未だに納得できないからさ」
エリスは三人の真剣な反応にほっとすると同時に、胸が熱くなるのを感じた。
勇者としての全てを包み隠さず話したわけではないが、少なくとも本当の気持ちに近いことを伝えられた気がしたからだ。
◇ ◇ ◇ ◇
その後、一行は山道を進みながら勇者について深く語り合う中、エリスは少し後ろに下がってその様子を見つめていた。
三人の会話を聞きながら、その胸にある一つの感情が渦巻いていたのだ。
(仲間、とはいいものですね)
それは、エリスにとって静かな感動であった。
勇者であった頃――彼女は常に一人だった。
確かに多くの人々の応援はあったが、実際の旅路では苦しくて、悲しくて、辛いことが何度もあった。
それでも誰にも弱音を吐けず、常に前を向いていなければならなかった。
だって、彼女は“勇者“だったから。
人々の希望であり、弱い姿を見せるわけにはいかなかったから。
苦しみや悲しみを顔に出すのは、勇者という存在が人々の中から薄れ、一人孤独になったその時でいい――そう自負していたからだ。
いつの間にか歩幅が小さくなっていたのか、三人と距離が広がっていた。
そのことに気づいたミリアは振り返り、明るく手を振った。
「エリス、どうしたの? もっと近くでお話しようよ!」
レオンも温かい笑顔でうなずいた。
「そうだぞ。せっかくの仲間だし、君の意見はすごい参考になる。色々と聞かせてくれ!」
クラリスは優しく微笑みながら言った。
「エリスさん。貴女が勇者様について語ってくれたおかげで、私はまた一つ学びを得ました。できればこの旅の中でもっとお話をして、もっと学ばせてくださいな」
エリスは呆然としながら三人の言葉を受けていた。
自分の本心をただ語っただけであるのに、こんなに感銘を受けてくれるとは思っていなかったからだ。
そしてエリスは、皆が自分との会話を望んでくれていることに対し、胸が熱くなるのを感じると、満面の笑みを浮かべた。
「――はい! 喜んで!」
エリスは歩調を速め、三人の輪に加わった。
三人との会話は楽しくて、嬉しくて、少し戸惑いながらも、その心を豊かにしていった。
もしかしたら、この先に危険が待ち受けているかもしれない。
だとしても、エリスはこの瞬間を心から楽しみ、大切にしたいと思った。
今、この瞬間の温もりは紛れもない本物だから。
(魔王……ありがとう。私が仲間を得るきっかけを作ってくれて)
エリスは静かに微笑みながら、仲間たちの笑顔を見つめた。
これがたとえ一時的なものだとしても、この幸せな時間を大切にしよう――エリスは心に誓ったのだった。
肩の上の黒猫は微かに耳を動かしたが、何も答えなかった。




