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エリスの理想。その名は“折衝“


 翌日、エリスの身体の疼きは落ち着き、普段通りの生活を送ることができるようになっていた。

 以前は数日発生していた痛みが、まさか一晩で治るだなんて。


「バルドルさんには感謝しないといけませんね。お金のお礼もそうですが、痛みも担ってくれましたから」

 

《最初に手を出してきたのは奴であり、敗北したのも奴だ。非難し、貶す権利はあれど感謝する必要は全くない》


 呆れるように返す魔王に苦笑しながら、エリスは街を練り歩いていく。

 

 目的地は――昨日バルドルと出会った酒場だ。


「昼間ですし、準備中でしょうから、お邪魔にならなければ良いのですが」

 

《難しければ開店する夕刻まで待つしかない。お前が金を落としたせいで食事は取れないがな》

 

「は、反省してますってば……」


 魔王としてもまた質素な食生活をしないといけない現状に思うところがあるのだろう。

 エリスは身を縮こまらせながら歩き、目的地へと辿り着いた。

 

 そこには、開店準備中という立札と、店内で掃除をしている店主の姿が確認できた。 


 期待に満ちた表情で、エリスは魔王と共に店内へと強い一歩を踏み出す。


 

◇ ◇ ◇


 

「ごめんくださぁい」

 

「んん?……おお、昨日のお嬢ちゃんじゃないか」

 

 店主は目を丸くし、歩き寄ってきた。


「あの後、店内では騒ぎになってな。まさかアイツがあんな豹変するとは誰もが意外そうな顔をしていたよ」

 

「そ、そうだったんですか。特に何かされたわけではなかったので大丈夫ですよ。……ただ、ちょっとお聞きしたいことがあるんです」

 

「バルドルについてか?」


 店主はバルドルの名前を知っている。

 

 それは、普段からそこそこ接触しているくらいの親密さがあるということ。

 エリスの表情は期待に満ち、興味津々で尋ねた。


「はい、そうです! どんな方なんですか?」


 店主はカウンターに入りながらグラスに水を入れ、エリスに差し出し、腕を組んで思い出しながら話していく。

 

「ああ、常連の一人だ。寡黙で無愛想、あまり容姿を見られたくないのか外套を着込んだまま酒を呷っている姿が印象的だ」

 

「ふむふむ」

 

「いつも隅っこの席に座って、一人で杯を傾けている。時々、ぶつぶつと仕事の不平とか、世間の不満とか愚痴をこぼしているな」

 

「どんなお仕事をされているか知っていますか!?」


 身を乗り出すように尋ねるエリスに店主は軽くのけぞった。


 エリスはつい勢い余ってしまったことに「す、すみません」と照れながら椅子に座り直す。


「仕事については尋ねたことはないな。ただ扱き使われている、報酬が安すぎる、とかなんとか言ってたような記憶はある」

 

「ふむふむ! 他には何かありませんか!?」

 

「そ、それ以外は特に。そもそも愚痴を言うのですら珍しいんだ」


 バルドル本人の情報はあまり得ることができないようだ。

 少し肩を落としながら俯くエリスだが、次に話題を変えた。


「先ほど豹変した、とは言いましたが、普段何か騒ぎを起こすようなことはなかったんですか?」


 店主の表情が少し柔らかくなった。


「ああ。口は悪いが酒代もきちんと払うし、他の客に絡むこともない。むしろ、たまに迷惑客がいる時には一睨みで黙らせたりしてくれるよ」


 エリスは思わず微笑んだ。

 それはまさに、バルドルの他者への配慮が感じられる行いだったからだ。

 

 店主は遠い目をしながら続けた。


「ただ、先日は驚いたよ。アイツがお嬢ちゃんに話しかけるなんてな。それも、突然跪くなんて……いったい何があったんだ?」

 

「ええ、ちょっとした因縁みたいなものです。でも結局……とても親切にしてくれました」

 

 跪いたのは黒猫相手だったのだけれど、とエリスは頬を指でなぞり、少し照れくさそうにした。

 

 店主は感心したように頷いた。


「へえ……魔族ってのは、見かけによらねえもんだな。ああ見えて、心優しいところもあるとは」

 

「魔族……って知っていたんですか?」

 

「……? もちろんそうだが。むしろ他の常連にも周知の事実だ」


 エリスは表情を輝かせながら、あんぐりした口元を手で隠すような仕草をとった。

 

 人間と魔族がこの場所では共存している。

 その事実に感激し、口を閉じることができなかった。


「魔族といえど敵対する意思のない奴は誰でも大歓迎だ。むしろガラの悪い迷惑客の方がタチが悪い、と皆も思ってるよ」

 

 バルドルは確かに、この場所で独自の居場所を見つけていたのだ。

 本人が自覚しているのか不明だが、周囲からそう見られていることだけは事実であった。

 

 魔王の声がエリスの頭の中で響く。

 

《どうやら、奴はここでそれなりの立ち位置を確立しているようだな》


 エリスは内心で頷き、さらに期待に胸を膨らませて別の話題に切り替えた。


「あの……バルドルさん以外にも同様の変わった方々は来ませんか?」

 

「この店にはいろんな客が来るけど、アイツのような魔族は来ないし印象的な客はいねえな。アイツの仲間を探しているのか?」

 

「そういうわけでは……ただ、このお店では人間と魔族が敵対していないというのがすごい気になっていて」

 

「人間と魔族の共存だなんて他でも聞く話だぞ?」

 

「えっ!? そうなんですか!?」


 再び身を乗り出すエリスに、苦笑しながら店主は続ける。

 

 その口調は何を当たり前のことを、と周知の事実を語っているようにしか見えない。

 

「なにせ主が討伐されて統率が取れなくなった魔族と、復興のために猫の手すら借りたい人間だ。敵対するだけ損しかない。まあバルドルは例外中の例外だとは思うが」

 

「し、知りませんでした……勉強になりました!」

 

「にしても、アイツのことを知りたがる人がいるとは。しかも嬢ちゃんみたいな子が。――もしかして、アイツに興味があるのか?」

 

「そ、そういうわけでは……あはは……」


 エリスは曖昧に笑ってごまかし、なんとか店主の追求をかわすのであった。

 


◇ ◇ ◇


 

 酒場を出た後、エリスは興奮気味に魔王に話しかけた。


「魔王、聞きましたか? バルドルさん、立派に人間社会に溶け込んでいるみたいですよ!」

 

《ああ、思っていた以上に順応しているようだったな。しかし、あの頑固一徹のバルドルが……》


 魔王の声にも、ある種の感慨が込められている。

 そして、順応しているのはバルドルではないと言う事実も魔王にとって衝撃であった。


「もしかしたら他にもバルドルさんのような方たちが、それぞれの場所で、人間社会に溶け込んでいるかもしれませんね」

 

 エリスの目は希望に輝いていた。

 しかし、魔王は考え込むように言った。


《否定はしない。余の配下には、バルドル同様、武人としての誇りを持つ者は少なくなかった。奴らが同じ道を選んだとしても、不思議ではない》

 

「それって、すごく素敵じゃないですか! かつては敵同士だったのに、今は……同じ場所で、それぞれの生き方をしているなんて」


 エリスは嬉しそうに両手を結んでいる。

 その声は明るく、心からの喜びに満ちている。


《……お前は、なぜそこまで喜ぶ?》


 魔王は少し呆れたように言った。


「だって!これって、まさに平和そのものじゃないですか!」

 

《平和?》

 

 エリスの熱を帯びた声に、魔王は少し驚いたように反復すると、その目は輝きを増した。

 

「かつては敵対していた方々が、直接対立することなく折衷案を見出し、共存の道を模索する。仲がいいとまではいかなくとも、均衡的な関係を維持できるようになる……それって私自身が一番に望んでいることなんです」


 エリスの声には、深い確信がにじんでいる。

 そういえばバルドルと戦う前は、やれ話が通じそうだの、話せばわかるだの言っていたな、と魔王は思い返した。


「武力でねじ伏せるよりも先に、まず理解と適応を通じて新たな関係性を築こうと模索していく。それを、バルドルさんが実践しているのを聞いて、すごく嬉しくて」

 

《…………》


 魔王は短い沈黙を置いた。

 エリスの言葉が胸の奥深くで静かに反響し、その価値観を揺るがされるような感覚を覚えた。


《……確かに、お前の言う通りこれは、一つの平和の形と言えるかもしれん》


 魔王の声は、珍しく穏やかだった。 

 エリスは同意されたことに微笑んだが、すぐに魔王の声は現実的な警告を含んだものに戻った。


《だが楽観視はするな。全員が全員、バルドルのように適応できるわけではない》

 

「ええ、それはわかっています」

 

《バルドル含め、余の配下には必ず、仇であるお前を本気で殺そうとする者もいるはずだ。お前の望むことを奴らに提示してみろ。きっとその優しさにつけ込み、油断を誘うだろう》


 魔王は厳しい現実を突きつけると、エリスは静かにうなずき、少しばかり苦笑いを浮かべた。


「その時は、よければ魔王も私を通じて説得してくれませんか? できれば、話し合いで解決したいですから」

 

《保証はできんぞ。特に、かつての余に盲目的に忠実だった者たちは説得など聞き入れるはずもない)

 

「それでも諦めません。だって、バルドルさんが証明してくれましたから」


 エリスの声は静かだが、強い意志に満ちていた。


 

◇ ◇ ◇


 

 いつの間にか、陽が空の一番高い位置から照らし出す刻になっていた。

 街は人でごった返し、それぞれが奏でている喧騒は、まるで魔の気配を感じないほどの平和を映し出している。


(この人々の中にも、もしかしたらバルドルさんのような魔族がいる)

 

 お互いが共存できるように、理解と適応を身につけながら。

 

 今回明らかになった事実により、エリスはまた一つ、世界を見る目が変わった。

 

 そして願わくば――どうか、どうか争うことの起きない世になってほしい。


 

「魔王、私の考えは傲慢だと思いますか?」


 

 エリスは魔王に一つ問いをした。

 

 その考えは、自身でも盲目すぎる理想であることは理解していたからだ。

 そして、その問いに魔王は忌憚のない意見として答えた。


《無論、傲慢としか思わん》


 現実的な意見を受けるが、エリスは微笑んだ。

 きっと魔王ならそう言ってくれると思っていたから。



 魔王は思う。

 

 エリスの理想は、互いの違いを認め、理解し合う世界こそが平和への道だという。

 それはあまりにも理想に過ぎず、現実離れした傲慢と断じるべきものだった。


 

(……だが、そんな理想も悪くない)

  

 

 知らぬ間に、魔王自身もエリスに対し、その理想を築くために動いている。

 

 お互いが理解と適応を持って、この関係を結んでいる現状なのだから。


 

 その皮肉を噛みしめ、魔王は小さく笑みを漏らすのであった。




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ここまでお読みいただいたこと、本当にありがとうございます。

作者の観葉植物です。


今回を持って【魔王の配下との邂逅】編が終幕となります。


勇者と魔王がいなくなった後、魔王の配下はどうなったか、を上手く描けていたら幸いです。


テーマは“折衝“。いわゆる価値観が違う、敵同士だった人達が折り合いをつけて接していくもので、主人公エリスの理想として設定しています。


彼女にとって人間も魔族も同じです。


だからこそ、お互いが潰し合うより、お互いを尊重し、折り合いをつけてほしい、という傲慢な理想を持っています。


しかし、そんな甘っちょろい考えを持ってこそのエリスです。

善性が形を成した存在であるエリスを、今後ともよろしくお願いします。

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