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バルドルという存在について


「痛たた……今日は本当に疲れました……」


 バルドルから貰った銀貨で泊まることができた宿の一室で、小綺麗なベッドに倒れ込むようにして横たわるエリスが、そう呟いた。

 全身の筋肉痛は相変わらずひどく、少し動くだけで鋭い疼きが走る。

 

 ベッドの縁に座る黒猫も少し疲れた様子で沈黙しながら毛繕いをしている。

 

「そういえば……魔王はバルドルさんのことをよく知っていましたね。よければもっとあの方のことを教えていただけませんか」


 その言葉はただ純粋な興味からだろう。相手を“知る“ということを何よりも欲するエリスは期待に目を輝かせている。

 

 魔王もその期待を無碍にすることは難しかった。渋々と過去を思い出しながら、説明していく。

 

《……バルドルは余の配下の中でも古参だ。その忠誠心と武人としての腕前は本物だったが……》


 魔王の声には、少し遠い目をしているような、懐かしむような意図が込められていた。


《今回お前が見た通り、他者に影響のある魔力の使用法はからきし苦手としていた。むしろ魔力で自己強化する、豪快な戦い方を好んでいたな》

 

「確かに……すごい力をお持ちでした」

 

《余は奴のその単純明快さ、純粋さを評価していた。正々堂々とした力のぶつかり合いを信条とする、まさに武人そのものだったからな》


 エリスの胸に、深い尊敬の念が湧き上がった。


「確かにバルドルさんは力の差に恐怖しながらも、正面から戦ってくれました。あの誇り高き闘志、私は感銘しました!」


 鼻息荒く語るエリスの言葉に魔王は目を細め、その声が少し厳しくなる。


《しかし……奴は本来、お前が見たような気の利いた男ではない。人間など所詮は劣った種族と信じ、その存在を露ほども認めようとしなかった》

 

「え? そうだったんですか? ……信じられません」


《……余もそこが奇妙な点だと思っている》


 魔王の言葉は、先のバルドルの行いとは明らかに矛盾しており、エリスは気になってしまう。

 少し考え込むような口調で魔王は続ける。


《奴が酒場で静かに酒を呷り、店主と会話を交わし、お前に恥をかかせまいと配慮する。さらに……周囲の人間に犠牲が出ないよう自分の魔力を消耗させる。――そんなバルドルを、余は知らん》


 それは、立派に人間社会に溶け込んでいるような配慮である。

 エリスは黙って魔王の言葉を聞き入った。


《考えられるのは、奴があえて人間社会に溶け込もうとしている……もしくは溶け込まざるを得なかった事情があった、ということだ》

 

「どういうことですか?」

 

《魔王なき世界で生き残るためには、人間社会の生活様式や習慣を学び、順応する必要がある》

 

「つまり、バルドルさんは生き残るために人間社会に溶け込み、そのおかげで変わったと?」


 エリスはベッドの上で少し体勢を変え、考え込みながら自分の意見を魔王に告げる。

 その言葉に肯定も否定もせず、魔王も推測であること前提の話を進めていく。

 

《奴は武人だ。たとえ敵であれ、認めるべきものは認めずにはいられない性分だからな。人間の中に敬意を持つことができる部分を見出したのかもしれぬ》

 

「……どんなところに敬意を持たれたと思いますか?」

 

《弱者をいたわる心、不必要な殺生を好まない姿勢、そして犠牲者を出さない配慮もそうだ。余程のことがない限り人間が持っている普遍的な側面、といったところか》


 魔王の推測には説得力がある。エリスは口には出さないが、目の前にいる魔王にもそう感じることがあるからだ。

 

 かつて人間を恐怖に陥らせようとしていた存在である魔の長。

 それが、力を無くしたとはいえこうして会話し、ときには協力し、お互いに敬意を表してくれる時もある。


 だからこそ、エリスにとってバルドルが過去とは別の存在になったと言われても、不思議ではなかったのだ。

 

「バルドルさん自ら、人間のことを理解しようと努力してくれているかもしれないだなんて……素晴らしいです」

 

《甘いぞ、エリス》


 魔王は呆れたようにため息をつき、感激するエリスに冷や水をかぶせるような言葉を告げる。


《たとえ奴が人間社会に多少の理解を示そうとも、余が復活し、人間征伐の号令をかければ、迷うことなくそれに従うだろう。それがバルドルという男だ》

 

「……そうでないことを祈るばかりです。だって、根はすごく真面目で、優しい方だと思いますし」

 

《お前がそう思うのであれば否定はせん。だが、油断はするな。次に会った時は再び殺し合いになることも覚悟しておけ》

 

「ええ、それは勿論です」


 エリスはしっかりとうなずいた。

 

 敗北を喫したとはいえ、勝者の自分に対し魔王の力の痛みをも一部代わってくれたほどの優しさを持つ人なのだ。


 きっと分かり合える日が来るはずだ。

 

 エリスは、ベッドの上で遠い目をしながら、そう強く信じている。


 


 その表情を見た魔王は、ある提案をした。

 

《エリス、そんなに奴のことを知りたいのであれば、明日また酒場に行くのはどうだ》


「バルドルさんと出会ったあの酒場に、ですか?」

 

《店主も客も奴を常連のように扱っていたように見えた。ならば普段の奴の貴重な情報を得られるかもしれんぞ》


 エリスはその提案に驚き、身体を思い切り魔王の方へ向けた。


「魔王……!それ、いいです!賛成です!是非、行きましょう!」


 エリスは期待に心落ち着かない身体をもどかしく感じ、早く明日にならないかと待ち遠しくなる。

 枕を抱きながらそわそわと身体を揺らしていると、魔王の厳しい声が走った。


《ならば早く身体を休めろ! その身体では酒場に行くのすら重労働になる。資金も少ない中、この街に長居できないのを忘れるな!》

 

「は、はい!お休みなさい、魔王」


 魔王の言い分は尤もである。

 急いで布団に入るエリスは全力で身体を休めようと努め始めるが、期待に昂る身体はなかなか言うことを聞いてくれなかった。


「ねえ、魔王。バルドルさん、お金をどうやって工面していたと思いますか?」

 

《……早く寝ろ》

 

「ですが、寝つけません。お話ししていたらきっと自然に寝れると思いますよ?」

 

《…………ならば、先にお前の意見から言ってみろ》


 根を上げた魔王に優しく微笑むエリス。

 お互い横になりながら、囁くようにそれぞれの意見を挙げていく。


「今は復興の真っ只中ですし、建築関連のお仕事とか? すごい力持ちですし似合ってそうです」

 

《……悪くはない意見だが、奴にそんな技術があるとは思えん》

 

「んーそうですか。あっほらほら、次は魔王の順番ですよ。意見を挙げてくださいな」

 

《……可能性としてまず排除すべき意見を挙げてやる。まずかつての魔王軍は資金を溜め込む習性はなく、そこから持ち出した可能性は無い。そして奴の性格からして盗みなどもあり得ないだろう》

 

「なるほど……では用心棒という選択肢はあり得ますか?」

 

《……否定はせん。むしろ魔獣が跋扈している場所に対する護衛率先して討伐しに行ったりすることも可能性としてはある。昔から、必要あれば同族すら叩き潰す男だったからな》

 

「……そう、ですか。なら、人助けを……していた、可能性、も……」

 

《想像しにくいが、あり得ない話ではない。あれだけの配慮を見せていたほどだからな》

 

「…………」

 

《ただ人助けをするにも、自発的に行うより助けを求められたから行う、という方がしっくりくる。奴が率先して他者に声をかける姿は想像できん》

 

「…………」

 

《…………? おい、エリス。次はお前の――》


 反応がないエリスを疑問に思ったのか、魔王はその顔を覗き込む。


 そこには、すでに夢の世界へ旅立った一人の少女の寝顔があった。


《……まったく、自分から始めた話だというのに》


 寝顔だけ見ればどこにでもいる村娘の少女にしか見えない。

 

 しかし、この少女と関わった者たちは、皆、その価値観を揺さぶられ、そして覆される。

 それは人間だけの話ではない。バルドルのような魔族でさえ例外ではなかった。


《きっとお前にとっては、人間も魔族も同一なのだろうな》


 それは、この少女の魂に刻まれた揺るぎない信念なのだろう。

 

 なぜなら、魔王自身が一番理解していることであるからだ。

 

 かつて敵対している同士であり、お互いの存在を賭した死闘を繰り広げた仲だった。


 それが今では、時には師のように教えを求め、時には対等の存在として接し、時には飼い猫のように愛でようとする。

 

 まるで過去のことは関係無しに、種族を超えた交流をしたいと望んでいる。――他者を“知りたい“という欲求と共に。


《その信念、この旅の中で歪むことがなければいいがな》

 

 この先、魔王の目的を果たすには、この少女に数々の試練が待ち受けるに違いない。

 それでもきっと、この少女は乗り越えるはず。そう信じている。

 


 だから今だけは、少しでも休息を取ることができれば。



 魔王は少女の毛布を口に咥えた。

 そして、布団から零れた首元まで寝冷えしないよう引っ張り上げ、整える。

 

 少女の規則的な寝息に混じる小さな息漏れが聞こえた。

 そして、もぞもぞと寝返りを打ちながら、何かに感謝するよう微かに微笑んだ。

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