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伝説の勇者 VS 魔王の配下


 荒涼とした岩山に銀髪の勇者が立ち、月明かりが銀糸のような髪を照らしている。

 黄金の瞳はバルドルを強く見据えていた。


(これが……勇者……! 魔王様を討ち滅ぼした存在であり、我ら魔族の天敵……!)

 

 バルドルの手の平には冷や汗が滲み始め、武人としての本能が、警告を発していた

 ――すぐに逃げろ。この相手には絶対に勝てない、と。

 

 バルドルの足は微かに震え、戦意ではなく恐怖によって動いていた。


「……くっ!」


 バルドルは歯を食いしばり、その震えを止めようとする。

 理性は敗北を認めようとしていた。逃げるのが賢明だ、と。


 しかし、武人としての血が激しく騒ぎ、意識を強くした。

 

 眼前に立つのは、魔王さえも倒した伝説の勇者だ。

 

 このような強者と闘える機会は二度と来ない。

 奇妙な興奮がバルドルの身を焦がし、そして闘気を燃やし始めた。


「――武人として、手合わせ願おう!」 

 

 バルドルは深く息を吸い込み、ゆっくりと構えをとった。

 それは武人である彼の、相手に対する最大の敬意の表明。

 

 エリスも静かに微笑むと、同様に構えた。まるでバルドルの願いを受け入れるかのように。

 

 そして――エリス自身も手合わせを願っているかのように。


「――いくぞッ!!」

 

 バルドルは地を這うような雄叫びを上げて突進した。

 そして間合いを詰めた瞬間、全魔力を込めた右拳を最大速度で振り抜き、エリスの顔面を狙った。


 しかし、エリスは避けようとすらしない。

 その黄金の瞳で、ゆっくりとバルドルの動きを追っている。

 

 そして――拳が顔面に迫った瞬間。

 エリスは左の掌をわずかに上げると、何の前触れもなくバルドルの拳は上方に弾かれた。


「な……!?」


 全力の拳を軽く流されたことに驚愕するバルドル。

 しかし、すぐに我にかえり怯む間も無く乱撃を繰り出した。


 横蹴りの連打からの左後ろ回し蹴り。避けられるのを事前に予測した、着地地点に向けた全てを貫くような正拳突きの乱打。

 そして、地面を強く蹴りながら勢いを乗せた飛び蹴りをエリスに向けて放っていく。

 

 しかし、そのすべての攻撃がエリスに読まれ、躱され、手で軽く受け流されてしまった。


「くっ!ならば……こうだ!」


 バルドルは後ろに跳躍して大きく距離を取ると、両手を広げて無数の光弾を生成する。

 しかし、攻撃に対する自信はあまり感じられない。

 勇者に通じるとは思っていないからだ。

 

 バルドルの表情には、必死の色が滲んでいた。


「今度は回避することはできんぞ! 受けてみよ!」


 周囲にばら撒かれた数百の光弾が一斉にエリスに向かって飛んでいく。

 五光十色の魔力の奔流が岩場を照らし出し、回避不能な全範囲攻撃だった。


(この数の光弾を即座に展開するだなんて、凄い! ――ですが)


 光弾はエリスの直前まで迫ると、まるで水が岩に当たるように散り、消え去っていく。

 魔力に反応する自動防御が完璧に機能していたのだ。


《一つ一つの魔力濃度が薄すぎる。勇者の絶対防御は、余の力ほどの重さがなければ越えられぬぞ》


 満足気な魔王の声が、エリスの心中に呟く。

 魔王の魔力弾ですら突破することが困難であった絶対防御に、バルドルの魔力が通用するわけがなかったのだ。


「ま、まだだ……まだ、終わらぬ……!!」

 

 バルドルは息を荒げ、膝をつきそうになるのを堪える。

 渾身の攻撃が全く通用しない。


 これが魔王を倒した勇者の実力であることを、圧倒的な力の差で思い知らされていく。

 

 しかし、憎しみと同時に否応なしに湧き上がってくる敬意の念。

 

 彼はその矛盾した感情に戸惑いながらも、なおも拳を握りしめた。

 武人としての誇りが、撤退を許さなかった。


「――では、次は私から」 

 

 そして、エリスが攻撃の開始を宣言した。

 バルドルの視界から彼女の姿が一瞬でぼやけ、空間が歪むような感覚が走る。


 次の瞬間、音もなくバルドルの眼前に立っていた。


(は……速……ッ!?)

 

 バルドルは咄嗟に防御姿勢を取るが、意味がなかった。

 

「……がっ………!?」


 眉間に強い衝撃を受け、意識が瞬間的に飛びそうになる。

 エリスの拳が、見えない速度で真っ直ぐ叩き込まれたのだ。


 そして、意識を取り戻した瞬間、バルドルの腹部に鉄槌のような一撃がめり込むように突き刺さった。


「ぐ……ぐふっ……!?」


 衝撃で肺の空気が全て押し出され、バルドルの意識が再び飛びそうになる。

 

 エリスの攻撃は止まらないまま、地獄の連撃を放っていく。


 バルドルの視界にはエリスの右拳と左拳が高速で映し出され、壁のように隙間なく襲いかかってきた。

 

 防御の上からでも意識を持っていかれそうになるほどの衝撃が彼の身体に響いていく。


(な、なんという速く、そして重い攻撃……!)

 

 前方の左右上下から繰り出される拳の嵐はバルドルの防御を弾き飛ばし、無防備な急所を正確に捉えていった。

 

 右拳が顎を捉え、正拳突きが顔面を打ち抜く。

 みぞおちを抉るような重い一撃が突き刺さり、身体の真芯に掌底が放たれた。


 一撃一撃がバルドルの意識を削り取り、戦意を粉々に打ち砕いていった。


「ぐあ……っ!?」


 エリスの拳は全て防御する意味がないほどの威力と鋭さを持っている。

 バルドルは感じた――この一撃一撃が、単なる物理的な衝撃ではなく、魂の深部まで響く何かであることを。


「これが……勇者の……実力……か!」


 バルドルは歯を食いしばりながら呟く。

 もはや痛みを通り越し、一種の諦念に似た感情が湧き上がってくる。

 

 これが、真の強者というものか。自分など、到底及ばない領域の力なのか、と。

 

 自分がどれだけ鍛え上げてきたか。

 どれほどの戦いを潜り抜けてきたか。

 それでもこの少女には敵わないのか。

 

 バルドルの自尊心は粉々に打ち砕かれていく。


「…………」


 エリスは何も言わずに、掌底をバルドルの腹部にそっと押し当てた。あまりにも静かすぎる攻撃に、バルドルの動揺が走る。

 

 そして、次の瞬間――強烈な衝撃がバルドルの腹部に放たれ、その巨体が軽々と吹き飛ばされた。

 

 受け身も取れないまま後方の岩肌に激突し、バルドルの身体を中心とした巨大な窪みが轟音と共に出来上がった。


「……まだ……だ……」


 バルドルは血を吐きながら岩肌から這い出てくる。

 

 魔族の再生能力が傷を癒し始めるが、その速度は明らかに遅い。エリスの攻撃はその再生能力を遥かに凌駕していたからだ。


「お前を倒さねば……魔王様が……!」


 バルドルはよろめきながら立ち上がる。

 しかし、その目にはもはや最初の戦意はなく、もはや義務感と武人としての意地だけで支えられているようだった。


 エリスはゆっくりと微笑んだ。

 その表情に哀れみはなく、ただ静かな決意のようなものが浮かんでいる。


「行くぞ……! 俺の全てを、受けてみるがいい!!」


 バルドルは全ての魔力を身体に纏い、凄まじい速度と共に突進した。

 その動きの素直さ、そして愚直さにエリスは微笑み、片手を前にかざした。

 

 バルドルの全魔力を込めた突進とエリスの片手がぶつかり合い、強烈な衝撃波が周囲に発生した。

 

 しかし、バルドルの勢いはエリスの力で押さえつけられ、ほとんど殺されている状態である。

 やがてエリスがその力を緩めると、その勢いを利用して華麗に回転しながらの裏拳を放った。


「あ……が……ッ!?」

 

 拳がバルドルの顔の側面を捉え、さらに追い撃ちとして顎を下から抉るように拳が放たれた。

 バルドルは意識が飛びそうになるのを必死で堪えるが、エリスの攻撃は止まらない。


「ク……ソォッ!」


 バルドルは攻撃に耐えながら、反撃の拳を捻り出した。

 エリスが攻撃している最中であれば、不意打ちと同様に機能するだろうことを確信していたからだ。

 

 しかし、エリスはその攻撃にも動じず、姿勢を低くしながら回避し、地面を大きく踏み締めた。

 

 そして、それがエリスの最後の攻撃の合図だった。

 

 エリスは再びバルドルの顎を狙って蹴り上げる。

 バルドルは意識を飛ばす寸前になり、足元がふらついた。

 

 エリスはまだ攻撃をやめない。

 渾身の正拳突きで一度、バルドルの腹部を撃ち抜いた。


 バルドルは全身が脱力し、もはや立っていられない。

 そして、エリスは最後の一撃として側宙をし、その軌道上で放たれた蹴りがバルドルの側頭部にめり込んだ。


「――――ッ!」

 

 バルドルは大きく吹き飛んでいき、その巨体が再び岩肌に激突した。


「……ぁ……」


 バルドルは立ち上がろうとするが、身体が震えて動かない。

 脳が揺さぶられた感覚があり、思考がまとまらない。

 視界はぼやけ、耳鳴りが響く。

 

 エリスは、うつむくようにしてバルドルの前に立ち尽くしている。

 それを見上げるバルドルは、不思議と恐怖を覚えていない。

 

 完全なる格の違いを思い知らされたのだ。

 敗北は火を見るより明らかであったため、むしろ清々するような心持ちであった。


「……俺の負けだ。殺せ」


 己が目的のために目の前の少女を殺そうとしたのだ。

 その少女に敗北した今、殺されても仕方ない。


 その決断に、バルドルに後悔の色は見えなかった。

 しかし、そんなバルドルの決断はエリスにとって不本意であった。


「殺すなんてとんでもない。――むしろ、感謝しかありませんよ」

 

 エリスの声が静かにバルドルへ優しく響いた。

 その言葉の通り、殺す意志なぞ全く見えない、感謝の思いに溢れた声であった。

 

「なぜだ!? 俺はお前を殺そうとしたのだぞ!?」

 

「……あなたは、周囲に犠牲者が出ないよう配慮してこの場所へ私たちを転移させた……そうですよね?」

 

「そ、それは……」


 否定のできない事実であった。

 

 バルドルは魔族とはいえ、武人の誇りを持っている。

 必要のない殺傷どころか、犠牲になる存在はたとえ人間であれ、絶対に避けるのを仁義として心に誓っていた。


「そして……あなたは現状、人間と敵対関係であるわけではない。あの酒場に溶け込んでいたのが何よりの証拠です。――違いますか?」

 

「…………」


 もはやバルドルは返答できなかった。

 

 明らかに理解されていることを肯定するのが馬鹿馬鹿しくなったからだ。

 

 エリスは拳を見ながら、先の戦闘を思い出すかのように話していく。


「そして……先ほどのお手合わせ。武人としての誇りを持ち、しっかりと私に向き合ってくれました。お陰で、私はまた多くのことを学ばせていただきました――だから」


 エリスは急に満面の笑みになり、姿勢を正した。

 それは、バルドルに対する敬意の表明であった。


「ありがとうございました!」


 真っ直ぐ深々とお辞儀をするその姿は、敗北者に向けたものではない。

 共に戦った者としか認識していない、ただ純粋な心からの感謝が滲んでいた。


 バルドルは完全に言葉を失った。

 

 その一言は、静かでありながら、尋常ではない重みを持ってバルドルの心に響いた。


 これは単なる儀礼的な言葉ではない。

 強者との闘いへの感謝、武人としての誇りへの感謝、そして命を懸けて闘うことそのものへの感謝が込められていた。

 

 エリスの黄金の瞳には、一切の虚飾や嘲笑いがなく、純粋な敬意だけが輝いていた。


(この……小娘は……)


 憎しみ、怒り、悔しさ――バルドルが抱いていた、先程まであった醜い感情はいつの間にか消え失せていた。

 

 今あるのは、武人としての礼節に、心の底から打ちのめされた清々しい敗北感のみ。

 

 これが真の強者というものなのだろう。

 

 力だけではなく、心もまた強くならなければ、本当の強さとは言えないのだろう。


 全ての敗北を悟ったバルドルは奇妙な安堵感に支配され、不思議と悪くない気分であった。


 



「俺は……全てにおいて負けたのだな。だが、不思議と悪くない気分だ」




 

 岩肌に大の字になりながら、バルドルは倒れ込んだ。

 

 エリスは静かに礼を解くとバルドルの元へと歩み寄り、手から淡い光を放出し始める。


 それは、人間も魔族も関係ない。

 ただ目の前の存在を癒す力だった。


(……なんだ、この温かさは。……心地いい)


 みるみるうちに負傷した部位が癒えていく感覚が、バルドルには感じたことのない温かさを持っている。

 つい表情が綻びそうになるくらいであった。


 そして、バルドルの負傷した身体が、完全に回復したのと同時だった。

 


 エリスの銀髪は次第に黒く、瞳の黄金の輝きは赤へと戻り始める。


 魔王の力が失われていくのが目に見えて理解できた。



 

 そして、エリスには魔王の力の代償による痛みが一気に押し寄せてくる。


 

 短い悲鳴が口から漏れ出すのと同時に、その華奢な身体は、糸が切れたかのように地面へと倒れ込むのであった。


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