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港町にて、今日も魔王は猫らしい

 数日の道のりを経て、エリス達は港町「ポートブルー」に足を踏み入れた。


 潮風の香りが路地裏まで漂い、遠くでカモメの鳴き声が響いている街には、路を行き交う忙しそうにしている人々ばかりである。


 そんな中、エリスと魔王は特に目標もなく歩いていた。


「潮風の匂いが気持ちいいですね、魔王」

 

 黒髪が風に揺れ、深紅の瞳を輝かせながら優しさを纏う少女と、その足元を気ままに歩く気高い漆黒の猫。

 その黒を基調とした組み合わせが生み出す不思議な調和が、通りすがりの人々に思わず微笑みを浮かべさせるのであった。

 

《……ふん、またじろじろと見られているな。余が珍しい動物でもなかろうに。無礼な者どもだ》


 エリスにしか聞こえない声で魔王が不快げに呟く。

 

 しかし本能だろうか、時折道端に落ちている小石や小枝にじゃれついたり、陽光の暖かい場所を見つけてはのんびりと伸びをしたりと、側から見ればただの猫にしか見えない。

 

 特に日向ぼっこは、猫の身体になってからの何よりの楽しみの一つとなっているようだったが、それは決して口には出さない。


《……これは余の意思ではなく、この猫の身体の仕業である。覚えておけ、エリス》

 

「ふふっ、わかりました」


 エリスは小声で返し、口元を手で覆ってこっそり笑った。

 魔王の本音と建前のギャップは、どんなに罵倒されても可愛いとしか思えないほどの威力があったから仕方がなかったのだ。


 

◇ ◇ ◇ 


 

 街の中心街には大きめの市場が開かれており、磯の香りが鼻腔を強く刺激し始める。

 同時に水揚げされた魚類の生臭さと、火が通った食料の匂いも漂っており、思わず魔王は鼻をひくつかせた。

  

「港町だから魚も豊富ですし、猫ちゃんが住み着くにはいい街なのかもしれませんね」

 

《猫扱いはやめろと言ってあろう。余は魔王だ》

 

 エリスの呟きに肩の上の黒猫が不満げに耳を動かすが、魚の匂いを懸命に嗅ごうと鼻を動かすその姿は猫そのものだ。

 彼の抗議にエリスは苦笑し、お詫びに何か買ってあげようかと懐の財布を取り出そうと思った時である。


「わあ、真っ黒な猫さん!きれい!」

「目が赤くてかっこいい!」

「この子、お姉さんがお世話してるの?」


 道端で遊んでいた子供たちが珍しい二人組に気づき、好奇心旺盛な表情で近づいてきたのだ。


「うん、そうだよ。少し気難しい子だけれどね」

 

《おっおい! やめろエリス!》  

 

 興奮した子供達の姿にエリスは微笑み、魔王を肩の上から地面に下ろす。魔王は必死に地面に降りまいと身体をくねらせ暴れるが、なすすべもなかった。

 

 そこで彼を待ち受けていたのは――ある一人の少女が、持っていた猫じゃらし(鳥の羽根がついた簡単なもの)をささっと動かす姿だった。


「ほーらほらほら、こっちだよー」

《こ、この無礼者! 余に何を――》


 魔王は内心で激しく抗議するものの、猫の目は本能で猫じゃらしを追ってしまい、瞳孔が丸く開く。

 そして、ついにはぴょんぴょんと跳ねてしまう自分に激しく動揺する。羽根の動きに完全に釣られてしまっていたのだ。


「あははっ!猫さん、楽しそう!」

「かわいいー!」


 子供たちの笑い声が響く。彼らの純粋な喜びの感情が、エリスの心にも温かく染み渡った。


《く……屈辱……ッ! 余が……余が猫じゃらしなぞの誘惑に……!》


 魔王は悔しさで全身の毛を逆立てるが、次の瞬間、別の子供が転がした毛糸のボールを無意識に追いかけてしまう自分にさらに絶望する。

 

 爪を立ててボールを転がす感触が、なぜか心地よい。


「ふふっ」


 それを見ていたエリスは、思わず笑みを零した。

 

 そして、憤慨してプルプル震える黒猫の前にしゃがみ込み、そっとその顎を撫でた。

 彼女の指先は驚くほど器用に、猫の気持ち良くなるポイントを知り尽くしていた。


《な、何をするエリス……!?》


 最初は激しく抵抗する魔王だったが、エリスの巧みな撫で方に抗議の声は次第に弱まっていく。

 ついにはごろごろと気持ち良さそうな音を喉の奥から鳴らしてしまった。


《……な……!? こ、この音は……余が……!? まさか……このような恥ずかしい音を……!》


 自分で自分の声に驚き、我に返った魔王はさらに激しく恥ずかしさと怒りで沸騰する。

 その音を聞いた子供たちはさらに大喜びで、一斉に撫でようと手を伸ばしてきた。


「あ、私も! 私も撫でたい!」

「すごくふわふわしてて気持ちよさそう!」

 

《さ、下がれ! 触るんじゃない!》


 魔王の抗議も虚しく、子供たちの小さな手が次々と彼の毛並みを撫でていく。

 そのうち、魔王は半ば諦めたように目を細め、むしろ心地よさそうな姿勢を取るようになった。


 そして、魔王が子供たちの玩具にされてから数分。

 根を上げた彼の、助けを求める声がエリスに響いた。


《エリス! は、早くこの小僧どもをどうにかしろ!》

 

「はいはい。――さて、猫ちゃんはそろそろお昼寝の時間なので、お姉さんもさよならするね」

 

「えーっ! もう行っちゃうの?」

 

「ふふ、これからちょっとお買い物の用事があるんです。でも明日以降もしばらくこの街に滞在する予定だから、もしよければまたこの子と遊んであげてね」


 エリスは小慣れた様子で諭すように子供達に説明し、納得させていく。

 子供達は不満げだったが『明日また遊ぼうね!』と名残惜しそうに手を振りながら次の遊び場へ駆け出していった。


 エリスは微笑みながら見送ると、地面で肩を落としている魔王に向き合った。


《……エリス、お前と言うやつは》

 

「ごめんなさい、でも、とっても可愛らしかったですよ、魔王『様』」


 エリスは微笑みながら敬意を忘れずに「様」づけで呼んだが、その程度で機嫌を治すものか、と頑なにそっぽを向く魔王。本気で機嫌を悪くしているようだ。

 

 だが、エリスは彼の機嫌の治し方を知っていた。


「それにしても……お腹が減りましたね。先日の鍛治の街でいただいた豊富な資金もありますし、美味しいお魚でも食べに行きましょうか、魔王『様』」

 

《……!? ……し、仕方ない。付き添ってやるとしよう》


 まだ目を合わせまいとする魔王だったが、その尻尾は美味しい魚への期待にゆらゆら揺れ始めている。

 

 現金なんですから、とエリスは苦笑しながらも肩の上の魔王に目を配りながら市場を練り歩いていくのであった。

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