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少女が抱く、強さへの渇望


 鍛冶のアイロニアを後にし、エリスと魔王は次の街へと続く、遠く広がる野原を歩いていた。

 そんな中、エリスは新しく手に入れた樫の木の棒を杖代わりにしながら、暇さえあれば棒術の基本と型の練習を何度も行っていた。


(基本、汎用的な動き、そしてあらゆる攻撃に対応できるよう、この棒一本でできること全てを習得しておかなければ)

 

 先日の戦いから得た経験と感覚を忘れないように、身体に刻み込むように。

 一挙一動をきめ細やかに、そして全力で行っていた。

 

《……エリス》


 エリスの耳に低く、唸るような魔王の声が響いた。

 

 この数日間、エリスが棒術の練習に没頭する中で彼はほとんど沈黙を守っていた。

 彼女が時折見せる、何かを追求するような熱い眼差しを静かに観察していたのだ。

 

「はい? 何ですか、魔王?」


 エリスは歩みを緩め、肩の上の黒猫がより話しやすい位置に来るように少し首を傾げた。


《数日前の鍛冶屋での戦いのことだが……改めて言おう。――よくやった、と》


「えっ?」

 

《あれほどの連戦による疲労にも耐え、最後まで己の技術を貫き通した。改めて賞賛に値する》

 

「えっと……その、いきなり褒められても……もしかして熱でもあるのでは」

 

《す、素直に受け取れ! 馬鹿者!》


 魔王らしくない賞賛の言葉に驚いたエリスはつい正気か確かめてしまう。

 彼女の言葉に急に冷静になって恥ずかしくなったのか、それともらしくないと思われたことが癇に障ったのか、魔王は怒りを示したため、エリスは前言を撤回した。

 

「は、はいっ!ありがとうございます! ……でも、あれは魔王の指導がなかったらできなかったことです。それに、皆さんが本気ではなかったかもしれないから……」

 

《謙遜するな。あの者たちは明らかに手加減などしていなかった》


 魔王の声がいつもより少し真剣味を帯びていることに気づき、エリスは黙り、うつむいた。

 

 エリスの身体にあの時の緊迫した感覚が蘇る。

 挑戦者達全員が、己から勝利を奪おうと真剣そのものの気迫だったのを思い出した。


《余は問う。エリス、お前はなぜ、そこまで強さを求める?》


 魔王の声が、静かに重々しく響く。

 エリスは顔を上げ、呆気に取られた表情を浮かべるとその質問の意味を考え始めた。


「強さを、求めるとは?」

 

《そうだ。先日のお前の戦いぶり――いや、あの戦い以外でもだ。余の力の反動に苦しみながらも力を請い、たとえ身体が極度に痛めつけられようとも他者を救おうとする。そして今、棒術の修練に没頭している》

 

「…………」

 

《そこには、ただの自己犠牲心や義務感だけではない、何か別の――強い“渇望”を感じる》

 

 魔王の言葉を静かに受け止めるエリスは歩みを止め、目を深く瞑り、そして遠くの山並みを見つめ始めた。

 どこか浮世離れしたような横顔は、強い意志に満ちていた。


「……私が、弱いからです」

 

《弱い? ……お前が?》

 

「はい。勇者の力がなくなった今、人助けをするためには力がまるで足りません。……レオさんだって、あなたの力がなくては助けることもできなかったでしょう。だから、強くならなければと思って」

 

《それは理由の一端でしかない》


 エリスの当たり前すぎる回答に対し、魔王は即座に否定した。


《弱い者ならば、強くなりたいと願うのは当然だ。しかし、お前のその追求の仕方は……並々ならぬものがある。それは、単なる強くなりたいという願望を超えている。余には“貪欲”とさえ映る》


 魔王の言葉に、エリスは驚いたように目を見開いた。


「貪欲……ですか?」

 

《例えばあの連戦、お前は明らかに疲労の限界に達していたが、それでも尚、戦いを止めようとしなかった。むしろ、次の相手を待ち望んでいるようにさえ見えた。それは己の技術を試したい、という以上の……何かを“渇望”しているように見えたのだ》

 

 深い考察めいた響きのある魔王の声に、エリスはしばらく黙り、自分の内面と向き合うように目を閉じた。

 

 風が彼女の絹のような長い黒髪を優しく揺らし、彼女は再び口を開く。

 

 その声はどこか諦めにも似た、穏やかな響きを帯びていた。


「……魔王には、全てお見通しですね。確かに私は“貪欲”なのかもしれません」


《その理由は他者を守るためか? それとも、己の存在意義のためか?》


 魔王が静かに問いかけると、エリスは言葉を探すようにゆっくりと話し始めた。


「それは、もちろんあります。でも、それだけじゃない。――私は、知りたいのです」

 

《知りたい?》


 ええ、とエリスは頷きながら己の拳をじっと見つめた。


「相手のことを。そして、その相手を通して、世界のことを知りたいのです。先日の戦いでは槍、拳法、斧、鎖鎌……それぞれの使い手の皆さんが、違う戦い方をしていました」


 彼女の目が輝き始める。

 それは、何か深い理解に到達したときの、知性的な輝きだった。


「それぞれ武器の特性を最大限に活かし、適した動きで私の間合いを崩そうとしていました。皆さんそれぞれが別の強さを持っていて、別の戦い方を持っていました」

 

《……ふむ》

 

「そして、彼らと戦うことで……その強さの本質を、読むことができた気がするんです」


 エリスの声には、興奮の色がにじんでいた。


「特性、呼吸、重み……それらを理解し、どう対処すべきかを考え、実行する。その過程で……彼らの戦い方だけでなく、その背景にある考え方までもが、少しだけ見えたような気がしました。――それはとっても、興味深くて」


 エリスの口調は、子供が新しいおもちゃを見つけた時のように興奮しながら深く息を吸い、さらに続けた。

 

「まるで、たくさんの本を読んでいるかのように。それぞれの戦い方が、それぞれの物語のように感じられて。それを“読む“ことが……とても楽しいのです」

 

《…………》


 魔王は沈黙した。彼の予想していた答え――他者を守るためや自己防衛のためというような、わかりやすい理由ではなかった。

 エリスの言葉はもっと深く、もっと根源的で、ある種の哲学的ですらあるものだった。


《つまり、お前は強さそれ自体を求めているのではなく、強さを通して他者や世界を理解すること……“共感”することを求めているのか?》

 

 魔王はゆっくりと、慎重に言葉を選びながら問うた。


「……そうですね。私は、誰かをただ傷つけるための強さはいりません。でも、誰かを守るための強さ、そして理解するための強さは欲しいのです」


 途方もないことだとはわかっている。

 だが、それでも目的のために、エリスは力を望むのだ。

 

 より深く“読む”ために。

 より正確に“理解する”ために。

 そして、より深く“共感する”ために。

 そのためにはまず、自分自身が“強く”なければならない。

 

「相手の強さに触れ、理解するためにはそれ相応の強さが必要です。――だから、私は強くなりたい」

 

 長い沈黙が流れた。風の音と、遠くで響く小鳥のさえずりだけが、二人の間に流れる時間を計っている。

 

 自然の音が周囲を占める中、魔王が深い感嘆の息を吐いた。

 

《……ふん、余はつくづくお前という存在に驚かされる》


 魔王の声には、ある種の尊敬にも似た感情が込められていた。

 一方、らしくない魔王の言葉に、再びエリスは呆然とした顔をする。


《お前のその渇望……それは、単なる戦闘欲や支配欲ではない。知と共感への渇望だ》

 

「知と共感への渇望……ですか?」

 

《余は今まで数多の強者を見てきた。強さを求める者たちのほとんどは、己の欲望や野望のために強さを求める。他者を支配するため、認められるため、あるいは恐怖から逃れるためだ。――しかし、お前は違った》


 そう、エリスはどのような強者とも違ったのだ。

 傍目からはただの村娘にしか見えないようなこの一人の少女が、勇者の力を失ってなお、幾多の強者すらも凌駕するような意思を持っている。

 

 魔王にとって、その事実が驚嘆に値したのだ。

 

《他者を理解するために強さを求める。それは……余の千年の人生で、初めて出会う種類の“強さへの渇望”だ》


 魔王の言葉に、エリスは少し照れくさそうに俯いた。


「そんな、大袈裟です」

 

《大袈裟ではない。なぜなら、その渇望には終わりがないからだ。世界には無限の強さがあり、無限の戦い方がある。お前はそれら全てを知り、理解したいと言ってるのと同義だ》

 

「……ええ。可能であれば、そうありたいです」

 

 エリスはゆっくりとうなずいた。

 魔王の声には、ほのかな哀れみと、羨望が入り混じっていた。

 

《ならばお前の道は、生きている限り永遠に続く。そして、それはある意味で……最も過酷な道のりかもしれん》

 

「覚悟しています。それがたとえ辛く苦しい道のりだったとしても、きっとたくさんの出会いと発見があるでしょうから」


 エリスは静かに微笑み、再び歩き出した。

 その背中は、疲労で少しばかりよろめいていたが、瞳は強い光を宿していた。



◇ ◇ ◇

 

 

 魔王はしばらく沈黙し、エリスの横顔を見つめていた。

 彼女の言葉は、彼の千年に及ぶ常識を静かに、確実に覆していった。


《――フフフ、面白い。実に面白い》


 やがて、魔王は小さく笑った。

 その笑い声には、何か新しい決意のようなものが込められていた。


《余はお前という存在をもっと知り、理解したいと思った。これが、共感というものか》

 

「それならよかったです。かつての私と同じですから、これでお互い様ですね」

 

《ああ。これからも存分に貪欲であれ、エリス。そして余にも、その発見の一端を味わわせてくれ》

 

「ええ、約束します!」


 そして、再び魔王は深く沈黙した。

 


 エリスの言葉は魔王の千年に及ぶ常識を静かに覆すと同時に、彼の内で長く燻り続けていた一つの欲求――復活と世界支配のそれとは全く異なる欲求に、強き灯をともした。


(……この娘の身体を“器”として乗っ取り世に顕現する? ふん、何と陳腐な目的であったか)


 彼はそっと己の内なる野望を見つめ直した。

 

 このまま長い時を経て力を蓄え続け、いずれこの少女の身体を奪い、再び世界に君臨する。

 確かにそれは一つの目的であった。


(しかし、それ以上に……この未知の存在を掘り下げ、その果てにあるものは何か――知りたくなるのは武人の常だろう)


 エリスという存在が内に秘める可能性。

 

 それは、単なる武の極みではなく、世界のあらゆるもの全てを“読む”という、彼ですら完全には理解し得ない稀有な才能の萌芽であった。


(ならば……余はエリスという原石を磨き、その潜在能力の全てを引き出してやるとしよう。それが今後、余にとって最大の愉悦となるに違いない)


 思い定めた魔王はエリスの肩の上で、人知れずほくそ笑んだ。


(今後の旅路では、様々な経験をさせてやる。甘やかさず、時には千尋の谷へと突き落とすような試練も必要だ。追い詰められ、極限の中でこそ、人間は真の力を発揮するものだからな)


 魔王はすぐさま計画を練り始めた。

 

 現状、エリスがに己に対し信頼を寄せていることは間違いないだろう。これは自惚れではない。

 

 そして目の前の少女は他者の危機には率先して前に出るのは分かりきっている。

 純粋無垢であり、善性が人の形をしているような存在だからだ。


 ならば、そのような状況になるよう言葉巧みに誘導し、極限状態に陥らせればいい。

 

(己の力に気づかせ、鍛え上げ、そして……やがては余の眷属――いや、そんな矮小な存在ではなく、まさに隣に並び立つ者へと磨き上げてみせよう)


 遥かなる未来の光景が、魔王の脳裏に鮮やかに浮かんだ。

 全ての潜在能力を解放したエリスと、再びあの玉座の間さながらの舞台で相対する己の姿。

 

 武器を交え、魔力をぶつけ合う。

 それは復讐戦ではなく、互いの全存在を賭けた、武人として至高の歓びに満ちた闘いである。


(そして仮にその戦いで、余が再び敗北を喫したとしても……それはきっと悪くない結末だろう。自らが磨き上げ、最大の理解者であり、好敵手となった者に討たれる――武人にとってこれ以上本望なことはない)


 それは、遥か先に待ち受けるかもしれない、ただの可能性でしかない。

 だがそれでも、その光景を想像するだけで魔王は強い感動を覚え、身震いが走った。

 

《さて、次に向かう街は確か港町だったな。のんびりしている暇はないぞ、エリス》

 

「あっ、はい。急にやる気になりましたね」


 エリスは怪訝そうな表情を浮かべつつも、足取りを軽く加速させた。


(もしかして美味しいお魚さんが食べたいのでしょうか? ……干物ばかりでしたし、街に着いたらご馳走を食べてもいいかもしれません)


 呑気なことを考えるエリスだが、それでもその内容は相変わらず魔王に対する心遣いに満ちていた。

 しかし、その思いとは裏腹に、現実では真逆のすれ違いが起きている。

 

 そして、彼女は知る由もなかった。

 ――肩に乗る黒猫が抱く“歪んだ愛情”と、それに基づくこれからの数多の試練を。


 

(エリス……お前という“芸術”が、どんな色彩に染まっていくのか、存分に見せてもらおう)


 

 魔王はエリスの黒髪を揺らす風を感じながら、密かに牙をむくような、邪な笑みを浮かべていた。



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作者の観葉植物です。


これにて「新たなる力を求めて」編が終了となります。


魔王の力なしには戦えないエリスが、生身でも戦えるように武器を調達し、鍛え、実践するシリーズでしたが、いかがだったでしょうか?


最後は不穏な締め方になってしまいましたが、読者の皆様に失望されないような展開にすることができるよう頑張ります!



いつも応援、評価、⭐︎をいただきありがとうございます!

今回のエピソード含め、何か感じるものがあれば感想やレビューしていただけると嬉しいです!いただいた場合は喜びます!めっちゃ泣きます!



どうぞ今後もよろしくお願いします!

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