エリスの新たなる武器
レオと別れ、再び山道をゆくエリスの足取りは救った命の重みとは裏腹に、どこか沈んでいた。
(あの時……私は、本当に何もできませんでした)
魔獣との戦いで痛感したのは、自らの無力さだった。
あの時、魔王の力が無ければレオを救えなかった。強大な力を引き出せる代償は、骨の髄を削るような激痛と、時に死すらも招きかねない危険な綱渡りである。
しかしこの先、他者を護るという同じような局面に立たされた時、その選択をせざるを得ないだろう。そのジレンマが彼女の胸を苦しく締め付けた。
だが、このままではいけない。変わらなければ、前に進めない。
――彼女の瞳には、焔のような一つの決意が宿っていた。
「魔王。私の戦闘能力についてなのですが」
《……先日の戦いでの不甲斐なさのことか?》
「はい。……やはり、このままではいけないな、と強く思いました」
エリスは歩きながら、そっと自分の細い腕を見つめて呟いた。かつては魔王の巨躯と互角に渡り合ったその腕は、今では普通の村娘よりも非力に見えた。
《ふん。ようやく現実を理解したか》
心中で、魔王が満足げな声を響かせる。
《お前の現在の戦闘スタイルは、“読む”ことと“流す”ことに特化しすぎている。確かに優れた技術だが、広範囲攻撃や複数の敵、あるいは“流す”には力が強すぎる蛮力の前では、為す術もない。ましてや、相手が人間以外――魔獣のような獣たちであれば尚更だ》
「はい……レオさんを助けた時も、そう感じました」
エリスの声には無力さと将来への不安、そして悔やみがにじみ、俯きながら拳を握りしめた。
《ならば、どうするつもりだ? 力もないくせに、人助けはやめないのだろう?》
魔王の問いかけは、からかうような口調だったが、その根底には本気の懸念が込められていた。
「……武器を使おうと思います」
《ほう?どんな武器をだ?》
「刃物はできれば避けたいです。敵対相手が人の場合、殺傷するためのものは、やはり……できれば手にしたくない。それに手入れも大変ですし、なにより重さで動きが鈍重になりかねません」
エリスはそう言いながら、改めて鬱蒼とした山林である周囲を見渡した。
すると、ちょうど道端に一本、風で折られたばかりらしい、彼女の背丈ほどもある樫の木の枝が落ちているのを見つけた。少し先端に角度があるものだが、ほどよい太さと弾力があり、しっかりとしていそうだ。
「これを使います。打撃だけでなく、払ったり、受け流したり……私の“流す”技術にも合っている気がして。それに、これなら歩く時の杖にもなりますので普段使いにも役立てそうです」
エリスはその枝を拾い上げ、軽く振ってみた。風を切る音が心地よく響いた。
《ほう……杖・棒術か。なかなか良い選択ではないか》
魔王の声には、稀に見る称賛の色が混じっていた。
彼女自身の戦闘技術をしっかりと自覚した上での武器選択だったからだ。
魔王は数千年もの戦いの経験から、あらゆる武器に関する知識を習得している。
そして今まさに棒という武器に考えを巡らせ、胸を張るように尊大な態度で告げた。
《よし、せっかくの機会だ! その心意気に免じて幾多の武技を極めた余が直接指南してやる。まずは基本から――》
魔王は珍しく乗り気になりながら、偉そうに教授しようと気合を入れたその時だった。
エリスは自然な動作でしっかりと棒を構え始めたのだ。
その左足は半歩前に出されて腰がわずかに沈む。両手は棒の中央やや後ろよりに位置し、間隔は肩幅ほど。右手はやや前に出て棒を導き、左手は身体に近く、支えとして、棒の先端は仮想の敵の喉元を正確に指している。
それは魔王の予想していた“素人の棒の構え”などではない。
――その構えは、長柄武器の扱いに長けた者だけが取る、完璧な“槍術の構え”そのものだった。
《…………?》
魔王は一瞬、言葉を失った。
彼の認識ではエリスは剣と体術を極めているが、槍や棒のような長柄武器を正式に学んだことはないはずだった。
エリスはその構えのままゆっくりと前方へ踏み出し、勇ましい声と共に棒を真っ直ぐ突いた。
「――はっ!」
その動きは無駄がなく、力強さすら感じさせるものだった。体重を前方に移動させ、腰の回転を利用した推進力が、棒の先端に集約される。
まるで、長い槍で敵の急所を衝くかのような洗練された、人間同士の試合で使用すれば危険なまでの突き方だった。
《……お前、その動きは?》
魔王の声には、疑念と驚愕が滲んでいた。
これは明らかに自己流の域を超えている。基礎的な型をしっかりと学んだ者だけが持つ、無駄のない力の流れがあった。
エリスは棒を下ろしつつ少し照れくさそうに、自然体で答えた。
「え? これは……槍術の、基本的な突き方ですよね?」
《……何故それを知っている?》
「ええ、私は……かつて、魔王軍の槍使いの方々と何度も戦いましたので、その動きを覚えていて。自己流ですが、真似をしました」
エリスはそう言うと、今度は踏み込みながら重心をずらすことなく棒を横に大きく、素早く薙ぎ払うような動きを見せた。続けて、棒を立てて円を描くように動かし、仮想の攻撃を受け流す技。
そして連続突きと同時に無駄のない洗練された移動法も披露した。
《な……!!!》
完璧なまでの動き方、そして力強さに懐かしいものを覚える魔王。
その声が雷のように轟いた。
《お前は、我が配下の槍術をここまで見事に模倣し、会得していたというのか!? ……なぜ今まで黙っていたのだ!?》
魔王の声は怒声というより、驚きと憤りとある種の感動が入り混じった複雑な叫びだった。
エリスは申し訳なさそうに頭を掻くような仕草と共に俯いた。
「で、でも……槍は重たいので非力な現状、使う機会が皆無と思ったのです。それに、これはあくまで槍術を応用した自己流ですし、ちゃんとした指導を受けたわけではないから、戦闘には不向きかと……だから、言わなかったのです」
彼女は焦りつつも頬をほんのり赤らめ、瞳を輝かせるようにして言った。
「それに、魔王軍の方々の槍術はとても美しかったんです。無駄がなく、力強く、そして……受ければ致命的でした。敬意を払って、真似させていただいているなんて、そんな風に言えるほどうまくはできないと思いましたから、気軽に披露するものでは無いと思い――」
《……この、馬鹿者がぁ!!!!》
「わわっ! す、すみません!」
あまりに大きな怒声のため振動が身体を駆けめぐり、反射的に意味不明の謝罪をしてしまうエリス。
しかし、その魔王の声はどこか熱を帯び、興奮に震えているようだった。
「その自己流ですら、ここまで核心を突いている! お前の“読む”能力が、彼らの技術の本質を戦いの中で見事に盗み取っていたのだ! 余が知っていれば今までの苦労もなかったかもしれないというのに!》
魔王は、エリスが無力さに嘆く様子を思い出し、頭をくしゃくしゃと掻き毟りながらもどかしさでいっぱいになった。
この潜在能力をもっと早く引き出してやれていれば――
彼の興奮は収まるところを知らず、心中での声はますます熱を帯び、早口になっていく。
《聴け、エリス! お前はとんでもない財産を自分でも気づかずに眠らせていたのだ! 我が配下の槍術隊は余が直々にその技術を鍛え、学ばせた為、その強さは並大抵の人間を凌駕するに違いない! その戦い方を読み、学び、会得していたお前は、すでに並の槍使いなど足元にも及ばない潜在能力を秘めている! これでお前の技術と槍術の心得が合わされば、無敵も同然――》
「あ、あの……魔王?」
エリスはその熱狂的な解説に少し押され気味になり、恐る恐る口を挟んだ。
「そこまで興奮されなくても……ちょっと、落ち着かれた方が……」
《落ち着けだと!? この状況で落ち着いていられるか!!!》
魔王の声は、さらに熱を帯びていくように大きくなっていく。
エリスは思わず目をぱちぱちさせた。魔王がここまで感情的になるのは珍しい。
《お前は理解しているのか? 我が槍術は、数千年もの時を経て、数多の戦いで磨き上げられた血と汗と涙の結晶だ! それを、たった一人の少女が敵ながらもここまで核心を理解し、再現しているのだぞ? これはもはや偶然や才能の領域を超えている! これは……これは……!!!》
魔王は言葉に詰まり、しばらく唸るような声を上げた後、熱く語り続けた。その言葉はすでに自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟くような形となっている。
なお、エリスは呆気に取られすぎて蚊帳の外にいるような感じすら覚え始めていた。
《ふふふ……ハハハハハッ!!! 面白い! 実に面白いぞ!!!》
「わ、わかりました、わかりましたから……! もう、少し静かに……! 頭の中が、声でいっぱいに……!」
エリスは思わず耳を塞ぐような仕草をした。心中で響く魔王の熱狂的な声は、時に物理的な轟音のように感じられるほどだった。
《……失敬。しかし、よくぞこのような力を隠し持っていたものだ》
魔王はようやく少し落ち着いたように、咳払いをする。
だが興奮は冷めないまま、さらに武人としての評価を口に出していくのだった。




