贖罪を負う青年Ⅷ
一睡もせずに行ったレオの必至の看病のおかげか、エリスは倒れた二日後の夕方には、落ち着きを取り戻すことができた。
それでも全身は痛いし、動くことすらままならなかったが、ぬるま湯を飲み干しながらエリスはほっと一息つくくらいはできるようになった。
「……ふぅ、ありがとうございます。ようやく落ち着くことができました」
「……本当によかった。た、食べ物持ってきますね」
エリスの様子にレオもようやく肩から力を抜くことができたのか、彼女にお礼を言われたのが恥ずかしかったのか、そそくさと部屋の外へ出ていってしまった。
気を使わなくてもいいですよ、と言いかけたエリスだったが時すでに遅し。彼のいなくなった空間を眺めながら何から何までしてくれるその申し訳なさに、肩を竦めることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
その夜、さらに一段階、エリスの苦しみが和らいだ時のこと。
彼女はレオを枕元に呼んだ。
「レオさん……お願いがあります」
「なんでも言ってください! ……俺にできることがあれば、ですけど」
相変わらず敬語のレオに苦笑いしながら、エリスは続ける。
「先日の……魔獣と戦った時のことは、誰にも話さないでください。特に――あの銀髪の姿を見たことだけは絶対に」
レオは一瞬、理解できずに焦り始める。
「何故ですか? あなたは……あの魔獣を一人で倒した村の英雄です! なぜそれを隠す必要があるのですか!? 勇者さ――ッ!」
レオは敬語のままエリスの言葉を否定する。
しかし、エリスは少し苦痛に歪んだ顔で、そっとその口元に人差し指を立てた。
「……エリスで、いいですよ」
彼女の声は弱々しかったが、その意志は強固だった。
「それに……『勇者』は、もういないんです。みんなの見ている前で空に旅立ちましたから」
レオは言葉を失った。彼女が何を言いたいのかが自然と理解できたのだ。
勇者は儀式を経て、概念となった。あの“永劫回帰の儀”という名の処刑で。
少なくとも、民衆にはそう思われていることは間違い無いだろう。
だが、もし勇者が生きているという事実が人々に広まったとしたら?
「王都に私が生きていることを知られたら、また混乱が生まれてしまう。……それは、私の望むことではありません」
レオはその言葉を発するエリスの感情は理解している。
何故なら彼自身、王都が混乱の最中にある時に、逃げるように離れた立場だからだ。エリスが生きていることが知られれば、確かに予測不能な波乱が起きるのは間違いない。
エリスは寂しそうに微笑みながら、懇願した。
「だからお願いです。魔獣はレオさんが倒したことにしてください。私はただの囮にすぎなかった、と。そうすれば噂もそれ以上広がらないと思います」
レオの声は詰まった。
「あなたの武勲を俺が横取りしろと!? そんなバカなこと……!」
「できますよ。だって……それは、真実の一部ですから。あなたが必死に戦ってくれたから私にも、あの魔獣を倒すチャンスができた。ですから、あなたが魔獣を倒したというのは嘘じゃない」
「ですが……ッ!」
淡々と事実のように言うエリスの声は静かだった。
そして、最後は“わかってほしい“とお願いするように寂しげに微笑んだ。
そんな彼女の態度を見たレオは歯を食いしばった後、深く息を吸い、顔を上げた。
彼の目には涙が浮かんでいた。
「……わかった。約束します。あなたの望み通りにすると」
「ありがとうございます。あ、敬語も大丈夫ですよ。私は『エリス』ですから」
そう言いながらエリスはレオに満面の笑顔を向けた。
疲れ切っていたが、心からの安堵に満ちていた。
「わかったよ……『エリス』」
「わかってくれてありがとうございます……ふふ」
「……そ、そういえば宿代、代わりに払っておいたから。金は気にせずにゆっくりしていけよ。お前は……もう十分すぎるほど頑張ったんだから」
エリスは脳裏によぎる寂しい財布の中身と、宿代のことすっかり忘れていた自分が恥ずかしくなり、赤面してしまった。
「あ、ありがとうございます。ご厚意に甘えさせていただきますね」
◇ ◇ ◇
それから数日間、レオはエリスの看病のために毎日宿に通った。
魔獣に関してのことは、彼が村人に詳細を伏せながら【魔獣は自分が倒し、エリスは囮になって重傷を負った】とだけ説明し、見事に話をまとめていた。
村人たちはエリスに感謝し、回復を祈りながら彼女にお見舞いをし、そして贈り物をした。
果物やお菓子といった食料から、少しばかりのお駄賃、魔獣の血に塗れた服の替え(なんと全く同じ物。色合いですら、だ。レオの差金のように見えるが、エリスはあえて言及しなかった)まで渡されたエリスは、多大なる感謝を村人へ告げた。
一方、村人は魔獣を倒したレオの武勲を称えたが、彼はなぜか恐縮してあまり声高に主張はしなかった。
そして看病の合間を縫って、魔獣との戦いで破壊された広場の修繕も進めていった。
以前と変わらず、いや、以前以上に村のために働く彼の姿に、村人たちの信頼はより厚いものとなっていった。
エリスはベッドで体を起こしながら、時折窓の外から聞こえるレオと村人たちの会話や、修繕作業の音に耳を傾けながら静かに回復を待った。
レオが村人と交流する様子と以前よりも確かな自信を持って働く彼の背中を、そっと見守りながら。
◇ ◇ ◇
それからさらに数日が経ち、エリスの身体はほぼ回復した。
ある夜明け前の薄暗がりの中、エリスは僅かに残る身体の痛みを堪えながら宿を後にした。
怪我が治ったらおそらく魔獣との戦闘について聞きたがる人が押し寄せるだろう。しかし自分は旅人だ。これ以上迷惑はかけられない。
そんな想いを胸に、お見舞いに来てくれた村の人たち、宿の人、そして――レオに対して向けた感謝の手紙をベッドに置いてエリスは宿を後にした。
――しかし、村の出口近くまで来た時、彼女はぴたりと足を止めた。
誰かが立っている気配を感じたからだ。
「もう、行くのか?」
影からゆっくりと現れたのは、レオだった。彼はエリスの旅支度を見て、寂しげな笑みを浮かべている。
「レオさん……どうして?」
「お前なら、きっと誰にも告げずに朝早く出ていくと思ったからな。……最後に、ちゃんと見送りたかった」
レオは懐から一枚の封筒を取り出し、エリスに差し出した。
「……これは、俺の友人からの手紙だ。王都のこと、知りたがっているように見えたからさ」
「あ……」
「中身はお前が知りたいと思っていることが書かれているかもしれない。ただ見る、見ないは……お前が決めていい」
エリスは呆気に取られた表情で封筒を受け取った。
王都のことを知りたい気持ちは少なからずあった。自分がいなくなったことでどんなことがあったのか。レオの様子だけではわからないことがあるかもしれなかったから。
レオの表情は複雑だった。
「もしかしたら……知らなくてもいいことかもしれない。ただ……お前に選択の権利があると思う」
エリスは手紙をしばらくじっと見つめ、そっと鞄の中にしまった。
「ありがとうございます。よく……考えますね」
一瞬の沈黙が流れる。二人はお互いの顔を見つめ合い、おそらくもう会うことはないとお互い感じ取っていた。
「……達者でな、エリス」
レオの声がわずかに震えた。
「俺、お前のこと……絶対に忘れない」
「レオさんも……お元気で」
エリスは寂しげに微笑みながら、胸に手を当てた。
「あなたと出会えて、本当によかったです。あなたが村の人たちのために働く姿はとても輝いて見えました」
「エリス……」
レオは急に一歩踏み出し、突然エリスを強く抱きしめた。
それは感謝と別れの思いが込められた、温かい抱擁だった。
エリスも応えるように彼に抱擁を返した。
「約束するよ。これからも誰かのために生きて、この罪を償っていく。もう二度と……死のうなんて思わない」
「ええ……レオさんならきっと大丈夫。どうか、どうか平和で幸せな日々を送られますように」
そして、ゆっくりと抱擁を解き一歩後ずさると、レオは微笑みながら人差し指をそっと口元に当てた。
エリスが彼の命を助けた時に向けた、あの馴染みのあるジェスチャーだ。
(勇者のこと、絶対に秘密は守るからな)
その意志を込めた眼差しで、笑顔のままレオはエリスを見送った。
エリスは微笑みを返し、深くうなずくと背を向けて歩き出した。
朝もやの中、彼女の姿は次第にかすんでいき、やがて見えなくなった。
レオはその場にしばらく立ち尽くし、エリスの消えていった方角を見つめ続け、決意に満ちた声で呟いた。
「俺は生きるぞ。お前が教えてくれた通り、生きて償っていく。もう二度と死のうなんて思わないって約束したからな。……だから」
レオのその瞳には、かつての虚ろさや絶望はなく、確かな希望と決意の光が宿っていた。
エリスとの出会い、彼女の犠牲と優しさ、そして彼女が去る間際まで見せた深い慈愛――それら全てが、レオの心を癒し、新たな生きる道を示してくれたのだ。
「――いつかまた会おう、エリス。その時まで俺、頑張るよ」
彼はエリスの去った方角から背を向け、広場の修繕作業へと向かった。
その背中を、蒼く澄み渡る空から伸びる朝焼けが照らし、その姿は以前よりも確かに力強く、そして優しく見えた。
一人の少女が救った命を胸にして。
今ここに、一人の青年の新たな人生が幕を開けた。
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ここまでお読みいただいた読者の皆様、本当にありがとうございます。
作者の観葉植物です。
勇者を見捨てた、と思い込んだ青年の償いと救いのエピソードでしたが、ここで一旦の完結です。
同じような境遇の人物はこれから先にも出てきます。
その時、エリスと魔王、そしてその該当人物はどのようなやり取りをするのか……それぞれ違いを出しながらも、“贖罪とは何か““勇者とは何か“というテーマを元に、エリスという主人公の魅力を出していけたらいいな、と思っています。
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