贖罪を負う青年Ⅵ
広場には魔物の存在を否定するかのような深い静寂が訪れていた。先ほどの轟音と狂乱が嘘のように、風の音さえも吸い込まれるような重い沈黙が支配する。
空中には微かに瘴気の残り香と、聖炎の清浄な燃え滓のような粒子が漂い、闇と光が奇妙に混ざり合った戦いの余韻を伝えていた。
崩れ落ちた岩壁の影が長く伸び、夕闇が迫る空は茜色から深い藍色へと移り変わりつつあった。
遠くで虫の音が聞こえ始め、静寂の中にゆっくりと日常の音が戻り始める。
エリスは静かに剣を地面に置くと、ゆっくりとレオの方へと歩み寄った。
その黄金の瞳は、地面にひざまずくレオの魂の奥底までを見透かすように輝いていて、彼の全ての罪悪感、後悔、苦悩、そしてほのかな希望の灯りまでもをありのままに映し出し、浄化していく。
レオは歩み寄ってくる勇者の存在と、寂しく微笑むその姿に罪悪感が頂点に達した。
とてもその顔を真正面から見ることができずに、頭を地面につくくらいにまで下げ、地面に跪いた。
「……俺は、貴女に許されないことをした……! 申し訳、なくて……でも……!」
レオは声を詰まらせながら、涙ながらに謝罪の言葉を並べた。彼の心は激しい自責の念で張り裂けんばかりだった。
「あの時監獄で、儀式で、ただ命令だからと……見て見ぬふりをした! ……何もできずに……貴女を死なせて……ッ!」
その言葉は、エリスの胸の奥深くで静かに眠っていた処刑場の記憶を微かに揺さぶった。
冷たい石の床。重苦しい空気。兵士たちの複雑な表情。そして、清浄なる炎の灼熱。
しかし、その記憶はもはや痛みを伴わない、遠い過去の絵画のようなものだった。
エリスは彼の前にしゃがみ込み、相手の目線の高さまで降りた後、優しく、誰にも抗うことのできない力強さで言った。
「死んでしまうことだけが、償いじゃないですよ」
彼女の声は静かなながらもしっかりとした響きで、レオの罪悪感の壁をそっと、確実に溶かしていった。
「あなたが今、この村でなさっていること……魔獣から人を守り、誰かのために働いていること。――すべてこの目で見せていただきました」
エリスの金色の瞳は、レオのすべての罪悪感と後悔を受け止め、包み込んでいった。
「あなたが人助けをすることで救われる人が、これからもきっと現れます。だから、簡単に死んではいけません。精一杯生きて、できる限り多くの人を救ってあげてください。それを覚えておいてくだされば――」
エリスはほんの少し間を置き、慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
「――私は、貴方を赦します。もう、あなたは自分を責めなくていいんです」
その言葉はレオの心の奥深くにまっすぐと届き、彼の中で錆びついていた罪悪感の鎖を静かに、確実に断ち切った。
レオは涙で曇った視界で銀髪の少女の優しい笑顔を必死に見つめた。それは処刑場で見た、彼女の最期の笑顔と完全に重なった。
しかし、今そこには“死”の潔さではなく、“生”への確かな励ましが込められていた。
「……はい!」
彼は涙を拭い、力強くうなずいた。
声は涙で震えていたが、そこには確かな決意が宿っていた。
「……もう、絶対に死ぬなんて思いません! 生きて……償います!」
その瞳に曇り続けていた陰りが、少しだけ晴れていく。
絶望の淵で一条の光――生きて贖罪を果たすという新たな道が示されたのだった。
「ふふっ、それにしてもレオさんが無事でよか……ッ!!」
その瞬間、エリスの銀髪はみるみると黒く染まり、瞳の金色も真紅へと戻っていった。魔王の力が抜け落ちていくように、超人的な力が急速に失われていく虚脱感が全身に迸った。
そして――魔王が警告していた通りの、激烈な反動がエリスを襲いはじめたのである。
「ひっ……!……ぐっ……ぃ……!」
全身の細胞が悲鳴を上げ、骨の髄までを錐で抉られるような激痛。魔力の奔流が通り過ぎた後の肉体は、まるで引き裂かれたように脆弱で、痛みに満ちていた。
彼女はよろめき、片手を地面についたが耐えきれず、地面に蹲った。顔面は一瞬で蒼白になり、額に脂汗がにじむ。
呼吸は浅く荒く、視界が霞んで吐き気を催す。
全身の力が一気に抜け、同時に全ての神経が灼熱の痛みで焼かれているかのようだった。
「……あ、あの……大丈夫ですか……!?」
レオが心配そうに駆け寄り、手を差し伸べようとする。彼はエリスの明確な変調と苦痛に気づいた。
エリスは無理やり笑顔を作り、ゆっくりと手を振った。
「だ、大丈夫……気にしないで、ください……ッ!……すぐに……収まりますからッ……!」
エリスの嘘は明らかに見え透いていた。
その声は震えて唇は紫色になりかけており、全身が微かに痙攣する度に、口元から微かな喘ぎ声が漏れ出していた。
心中で、魔王が冷ややかながらもどこか心配そうな口調で言った。
《……宣告した通りだ。この強烈な反動はしばらく続く。治るまではまともに動けると思うな》
エリスはその言葉を聞き、覚悟を決めたように地面に手をついてゆっくりと立ち上がろうとする。しかし、激しい痛みのせいでそれも叶わなかった。
レオは咄嗟に彼女の体を両手で抱き起こした。
そして同時に思った。
こんなにも小さな身体で、こんなにも軽い少女が、あの凄まじい力を奮っていた存在だったのか、と。
絶句しながらも彼は絞り出すように声を出した。
「無理をしてはいけません! 宿まで送ります!」
「……すみません……お言葉に甘えさせて貰います」
エリスはレオに身を任せ、抱き抱えられながら宿へと向かった。
彼が一歩ずつ地面を踏み締める度に起こる揺れが、全身に突き刺さる痛みを生じさせていく。
彼女の顔は苦痛に歪み、冷や汗が止まらずにいた。
宿に戻る道すがら、村の人々が家の戸を開けて外の様子をうかがっていた。
魔物の咆哮が止み、不気味な静寂が訪れたことを訝しんだようだ。
そして、レオに支えられながら歩くエリスと彼女の明らかに変わり果てた虚弱な様子を見て、複雑な表情を浮かべた。
村人らは戦いの詳細を知らない。
ただレオが無事で、見知らぬ少女が服を血で染め、明らかに傷ついていることがわかったのは確かであった。




