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贖罪を負う青年Ⅴ


 魔獣はエリスの無視したかのような態度にさらに激昂し、残った腕を振り回して周囲の岩を粉砕し、魔力が込められた塊となり暴風雨のようにエリスに襲いかかっていく。

 勇者の“自動防御”をも貫通するかのような禍々しさを持つ攻撃だが、エリスは軽々と回避していった。

 

 魔力塊が彼女の銀髪を揺らし、ドレスの裾を翻す。しかし、一撃たりとも彼女の身体に触れることはない。


《百の攻撃も人類を超越した速度と第六感の前には絶対的に無意味だ》


 心中で魔王が感嘆の声を上げる。

 彼の声にはかつての好敵手であり、今は力の供給源であるエリスへの称賛が込められていた。


「グオオオオッ!!」

 

 魔獣はエリスの動きに焦り、最大の咆哮と共に突進を開始する。

 巨体が地響きを立てて迫りくるその衝撃は倒れたレオをも巻き込む勢いだ。

 魔獣の全身からは捨て身とも言えるような全力をかけた殺気が迸った。


「…………」

 

 エリスは微かに息を吐くとその場に静止した。

 彼女の黄金の瞳は、迫り来る巨悪を冷静に見据えている。その眼差しには恐れや動揺は微塵もなく、あるのはただ成すべきことを成すという静かな決意だけ。


 魔獣は突進の攻撃範囲にエリスを捉えた瞬間、再び大地を震わす様な咆哮を上げた。

 ――そして、それが戦闘開始の合図となった。


 魔獣との距離がゼロになる瞬間。エリスの姿勢が代わり、“構え”と呼ばれるものになると次の瞬間、魔獣の巨体の各部が一瞬にして無数の衝撃に襲われた。


 エリスは魔獣の突進を肉眼では捕捉不能な速度でかわすと同時に、超高速の掌底を魔獣の体躯の各所――関節や急所へと正確無比に、そして執拗に打ち込んでいた。

 一撃一撃には掌一点に集中した驚異的な力が込められており、魔獣の硬い皮膚と筋肉をものともせずに破壊していく。


「グギャアアアッ!!」

 

 魔獣は痛みの咆哮を上げるが、その口元の牙をエリスの短い跳躍と同時に奮った貫手で打ち砕かれる。

 黒い血と涎が飛び散り、彼女の粗末なドレスに大きな染みを作った。


 エリスは流れるように攻撃を続けていく。

 彼女の動きは回避と攻撃が完全に一体化しており、魔獣の爪の払いをかわし、返しとして手刀でその爪を指ごと断ち切った。

 悶絶する魔獣に対し、流れるように回り込んだエリスは脇腹へ蹴りを入れる。その蹴りは一撃だけのように見えたが目視することが不可能な速度で三撃、四撃と正確無比に同じ一点を打ち抜いた。


 鈍い音と共に魔獣の分厚い皮膚と筋肉がへし折られ、巨体がのけ反る。

 魔獣は再生もままならぬ状態で、全ての武装を解除されたことに本能的な畏怖を覚え始めていた。


 魔獣は後ずさりし、距離を取ろうとする

 しかし、エリスはそれを許さない。

 

 彼女の足が地面を蹴った。

 音もなく、彼女の姿が魔獣の背後に移動する――筋肉と魔力による超高速移動である。


 魔獣が畏怖の念と共に振り向くより早く、エリスの回し蹴りがその側頭部を捉えた。その巨体はまるで軽石のように吹き飛び後方の岩壁に激突すると、岩壁が蜘蛛の巣状に割れて魔獣はその中心にめり込んだ。


 魔獣はもはや正気を失い、涎を垂らしながら這い起き上がろうとする。しかし、その四肢はエリスの攻撃で破壊されまともに立つことすらできない。

 最早、這うことすらままならなかった。


 エリスは地面に落ちていたレオの剣を拾い上げた。そして、ただ自然に持つと、その剣身は彼女が触れた瞬間から微かに白い輝きを帯び始めた。

 まるで長年使い込まれた相棒のように、剣はエリスの手に馴染んでいる。

 

 そして、彼女は静かに剣を構えた。

 切先からは眩い光の粒子が迸り、虚空に向けて剣を一振りする。

 すると、光の粒子は幾重にも空間に波打ち魔獣の周囲を取り囲み始めた。

 

 光は魔獣の視界を遮り、やがて彼を包み込む光の檻へと変貌する。

 魔王との戦いでも披露した、勇者の聖なる極大魔法だった。


《出るか。お前の得意とする光術が――》


 魔王はその光景に得意げに鼻を鳴らした。まるで自身の力の成果を誇るかのように。


 魔獣は光の檻の中で暴れまわるが、檻の柵に触れる度に身体を焼かれ、黒い煙を上げて苦悶の呻きを漏らす。聖なる光はその瘴気の肉体を激しく痛めつける。

 檻の中からは肉が焼ける嫌な音と、魔獣の絶叫が響き渡った。


 間も無く、エリスは細い指をパチンと弾いた。

 その途端に光の檻は轟然と燃え上がり、青白い聖なる豪炎となって魔獣を飲み込んだ。熱波が広場を襲い、岩壁を焦がしていく。

 炎は魔獣の肉体を焼き尽くそうとするが、その生命力と魔力は並外れており完全には焼き切れない。


 炎の中心からかすかに、しかし執拗に動く影が確認できる。魔獣はまだ生きていた。

 最早原型を留めない肉塊と化したその塊が、最後の怨念を込めて蠢いている。


《ほう……なかなかしぶとい。だが、これで終局だ》


 魔王の言葉と共にエリスは魔獣にゆっくりと歩み寄っていく。

 燃え盛る聖炎を物ともせずに炎の中へと足を踏み入れたが、炎は彼女には一切の害を与えない。

 むしろ、彼女の銀髪と金色の瞳をより神々しく照らし出し、その姿を一段と神聖なものに見せた。

 

 炎の中でもがく魔獣の肉塊の眼前に立ち、エリスは静かに剣を掲げた。剣身は聖炎と自身の魔力で白く輝き、周囲の空間さえ歪ませている。


 魔獣の肉塊は最後の力を振り絞り、エリスに向かって疑似の口を大きく開けた。

 闇の魔力が収束していく。それは、自身の核を破壊することと引き換えに放つ、自爆的な最後の一撃だった。

 しかし、その動きはエリスには最初から読まれており、その一撃を発生させる前に彼女の銀閃が一閃、肉塊へと放たれた。

 

 空間そのものを断つような、あまりにも速すぎて目にも止まらない一撃に次の瞬間、魔獣の肉塊は真っ二つに切断され、塵と共に消えていった。

 聖炎もろとも、その存在は黒い塵と瘴気の残滓へと帰し、やがて風に吹かれて虚空へと消えていった。

 

 場に残ったのは、銀色の髪をたなびかせている少女のみ。

 一仕事終えたかのような軽さで、深呼吸をした。


「ふぅ……終わりました」

 

 戦闘は完全に終結した。

 広場には、聖炎の熱で溶けた岩盤と、巨大な斬撃痕という破壊の痕跡と静寂だけが残された。


 エリスは静かに剣を地面に置くと、その銀髪は風に揺れ、黄金の瞳は眼前の破壊の跡を、そして振り向き、地面に倒れたレオを静かに見下ろした。

 彼女の表情には勝利の誇りではなく、ただ彼の無事を安堵した微笑みが浮かんでいるようだった。


(これが、勇者……なんて強さだ……)


 レオは圧倒された。

 言葉を失うほどの絶対的な力の差。銀髪の勇者は変異した強大な魔獣を無傷で無力化した。その戦いぶりは戦いというより、完璧なまでの排除だった。

 

 彼女の力はもはやこの世界の常識を遥かに超越しており、そこには恐怖すら感じる余地がないほどの純粋な強さだけが存在している。

 

 そして、これこそが誰もが言葉にする伝説の存在なのであった。

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