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贖罪を負う青年Ⅳ


 レオは全身がバラバラになりそうな痛みに意識を取り戻す。

 もはや薄目しか開けられず、狭まった視界は魔獣がゆっくりと接近してきているのを確認していた。

 まだ死んでいない。だが、それが幾許かのことであることは彼自身わかっていた。

 

 盾を構える力もない、それどころか指一本すら動くことすら叶わない現状、抵抗するだけ無駄であることを理解していたからだ。


「……なんだよ、こちらは早く楽にしてほしいというのに」

 

 おそらく数秒もすれば死の痛みが襲いかかってくるだろう。だが、できる限りのことはした。

 死ぬのは怖くなかった。

 むしろ、死ぬことであの少女に謝罪しに行けることができるのだから、これでよかったとさえレオは思った。


(勇者様……今、そちらへ逝きます)


 そう思うと、諦めが支配したかのように全身を脱力させ、再びゆっくりと目を閉じた。

 

 そして、ついに魔獣の大きく振り被った爪がレオの頭上に振り下ろされようとしていた。

 黄昏時の空気が一瞬で張り詰め、死の影がレオの全身を覆い尽くしていく。


 ――その時だった。

 

 突如、周囲に温かな風が柔らかく発生し、同時にまばゆい閃光が走った。

 そして同時に、極めて硬質で鋭い何かが切断されるような超大な響きが、レオの身体を揺さぶった。


(ッ!……なんだ?何が、起きた?)

   

 瞼を閉じているレオは、その光と音がナニモノかわからない。

 そして気がつけば、自分を襲うだろう死の痛みがいつまでも訪れないことを不思議に思い始めていた。

 すると、続いて何か大きな物体が側に落下し、大きな地響きが発生し、レオの身体にびくりと震えが生じた。


「グギャアアアッ!!!」


 間髪入れずに空気を揺るがすような魔獣の絶叫が響き渡り、レオは身体の芯から震え上がった。

 次々と予測だにしないことが閉じた視界の前で発生していることに彼は狼狽している中、急に冷たく粘性のある液体が顔に降り注いだ。

 そのあまりの生臭さに思わずレオは恐る恐る眼を開いてしまう。

 

 すると、開けた視界の先には、黄昏時の空を背景に神々しく輝く一人の銀髪の少女の姿があった。

 

 それはまるで天から差し込む啓示の光のように、闇を切り裂き、全てを浄化するかのような聖なる輝きを発していた。

 

 

「――もう、大丈夫ですよ」


 

 澄み渡る少女の声に、レオが驚いて目を見開いた。

 その声は戦場の喧騒を全て消し去るほどに清らかで、静かな確信に満ちている。


「………………!!」


 驚きで声が出ないレオは、現実感のない目の前の少女の姿をゆっくりと認識していく。その姿は間違いなく、先日村に来た旅人の少女だった。


 しかし、その長い髪は一本一本が月明かりを内蔵したかのように微かに青白い霊気を帯びている銀色となって揺らめき、黄昏時の中に優雅な光の軌跡を描いていた。

 真紅だった瞳は、今は冷徹なまでに澄み渡った黄金色に輝き、その眸には星々が宿っているかのようだった。


 全身からは圧倒的な威圧感と、どこか神聖なまでの力の波動が放たれ、周囲の歪んだ空気さえも浄化していくかのようだった。彼女の存在そのものが場の空気を変え、世界の色合いを一変させている。

 もはや以前の村娘の面影はなく、そこにいるのはかつて人々に崇め、讃えられていた存在――“勇者"そのものであった。


「ど……どうして……?」


 レオは声を詰まらせた。

 眼前の人物が炎に包まれ、消えゆく時の最期の笑顔をこの目で見た。ここにいる自身が、その儀式の警備をしていたのだから。


「……あなたは、あの儀式で、死んだはずでは……」


 エリスがレオを見下ろす黄金の瞳には、深い慈愛と何者にも揺るがない強固な意志が宿っている。

 そして彼女は優しく、そしてほんの少しだけいたずらっぽく口元に人差し指を立て、静かなジェスチャーで伝えた。


 ――内緒ですよ、と。


 その動作は村娘の名残を感じさせつつも、今の彼女には似つかわしくないほどの威厳と余裕に満ちていた。


「グオオオオオオッ!!」


 大地を震わせるような叫びが魔獣から発せられる。その腕から夥しい血が吹き出しており、飛び散った鮮血はエリスとレオを少しずつ赤く染め上げていった。

 側に落ちている魔獣の巨大な腕から察するに、彼女の手刀で寸断されたようだった。

 

 腕を失った痛みと怒りで狂乱状態に陥っている魔獣は、断ち切られた腕の断面から黒い瘴気を噴出させ、再びその姿を再生させていく。

 そして怒りによって両の腕で地面を激しく叩きながら無差別に周囲の破壊を開始した。

 

 その破壊衝動は眼前の銀髪の存在への畏怖と恐怖が引き金となった、絶望的なまでの暴れぶりだった。周囲の草木は瘴気に触れ、しおれて岩さえも腐食していく。


「危ない!」


 巨大な岩がエリスめがけて飛来する。

 しかし、彼女は微動だにせず、岩は彼女の目前で突然不可視の障壁に阻まれて、無音のうちに粉々に砕け散った。

 ――勇者の“自動防御“の完全なる作動に、レオは呆然とするしかなかった。


「あ、動かないでくださいね。怪我が身体に響いちゃいますから」

 

 エリスはレオを静止しながら人差し指を顎に添え、じっと彼の様子を確認している。

 まるで周囲の破壊と狂乱など存在しないかのように、彼女の黄金の瞳は地面に倒れたレオへと注がれていた。


 その銀髪は瘴気の渦巻く風にゆらめくが、表情には一切の動揺が見られない。むしろ、レオの無事を確認するその眼差しは、眼前の脅威よりもはるかに強い関心を示していた。


「よし、この程度なら大丈夫。すぐ快くなりますよ」

(こ、この程度……?……全身バラバラになりそうなんだが)

  

 呆気に取られるレオにエリスはゆっくりと右手をかざした。その掌から柔らかな黄金色の光が輝き始め、彼の身体を優しく包み込んでいく。

 光はその傷ついた身体に染み渡り、深い裂傷から流れる血は止まっていく。砕けた骨は修復され、蒼白だった顔には少しずつ血色が戻っていった。

 

 それは単なる傷の治癒を超え、消耗した生命力を回復させる深い治癒の術だった。


(なんだ、これ……温かくて、優しい)

 

 魔獣の猛攻は続くが、エリスはそれらを無視しながらレオの回復に集中する。

 レオはいつの間にか死を覚悟していた身体が、今では何の痛みもないことを理解した。むしろ傷と共に疲れさえも吹き飛んだようだった。

 

 そんな嘘のような快調ぶりに戸惑いながら、彼はエリスに感謝を伝えた。

 

「あ……ありがとう、ございます」


 これが勇者の力なのか、とレオは驚嘆するしかなかった。

 

 エリスは回復を終えると、そっとレオの傍らに歩み寄り、その可憐な見た目からはまるで理解不能な力強さでレオを優しく抱き上げた。


「うわっ!ちょ、ちょっと何を……!?」

 

 いきなり浮き上がったような己の身体とエリスの行動に叫び声をあげるが、エリスは気にせず羽のような軽やかさで後方へと跳び退いた。

 そして、魔獣が暴れ狂う場所からだいぶ離れた安全な位置に着地すると、そっとレオを地面に降ろした。


「少しだけ、お待ちしててくださいね」


 エリスは穏やかな笑みを浮かべてそう囁くと、再び魔獣の方へ向き直った。


「お、俺も手伝います!もう傷は治りましたから――ッ!?」


 レオは必死に起き上がろうとするが、エリスの優しく肩に置かれた手によってそっと押し留められた。


 エリスは首を軽く振り、静かな微笑みを浮かべると片目をパチリと閉じた。その仕草からは「大丈夫」という言葉が聞こえてくるようだった。

 信頼と安心感に満ちたその表情は、レオの焦りと不安を不思議と和らげていった。


 

 そして、エリスはゆっくりと魔獣の方へと歩き出していく。

 彼女の銀髪は風に揺れ、黄金の瞳は眼前の脅威を静かに見据えている。

 彼女の歩みは乱れることなく清らかな意志に満ちていて、魔獣との距離が縮まるにつれて彼女の全身からは、さらに強い光の波動が放たれ周囲の瘴気を浄化していく。


 

 その姿に、レオの身体に強い震えが走った。

 彼女の危機に想像したわけではない。また、彼女に恐怖したわけでもない。


 ――これは、身体が高揚しているのだ。

 

 今、まさに伝説の光景を目撃しようとしているのだということに、拳を握りしめた。


(勇者――それは、あの魔王の軍勢、そして魔王自身をも単騎で打ち滅ぼした人間。そんな存在が今、俺の目の前で、その力を解放させようとしている)

 

 勇者の戦う姿を目撃した者は数少ない。

 彼女はかつての魔王討伐時、旅の中では仲間を誰一人募ることなく単独で行動し、神域的な速度で敵を撃ち倒していった。

 人々に勇者の噂が広がっていく中でも、それは変わらなかった。

 

 その勇者が今、眼前で戦闘を繰り広げようとしている。

 

 レオは無力ながらも期待に震える身体と共に、エリスの背中を見つめながら、静かに見送った。

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