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贖罪を負う青年Ⅲ


「――あなたの魔力を、ください」


 エリスのその言葉に、魔王は沸騰したかのように怒声を浴びせた。


《……何を戯けたことを!お前、今何を言ったか理解して――》

 

「骨が砕け,筋肉が裂け,血が凍るような痛みが来ることも。下手すれば、死ぬこともわかっています」


 エリスの声は震えていない。むしろ、恐ろしいほどに冷静で澄んでいた。

 それは、あの処刑場で民衆に笑みを向けていた時の静かな決意の声そのものであり、全てを理解した上での、覚悟の表明だった。


「ですが、もし私が痛みに耐え抜いたら……その力は私のものになる。もし耐えきれずに死んでしまい、力に身体が侵された時――その時は代わりにあなたがこの身体の主人格になる。……そうですよね?」

 

《……ッ!!》

 

 魔王は沈黙した。

 彼は知っていたのだ。もしエリスが魔力の奔流に耐えきれず死んだ場合でも彼の意識は消えず、むしろエリスの“器”をそのまま乗っ取り、新たな肉体を得られる可能性すらあることを。

 

 しかし、魔王としての誇りがそのような姑息な手段を許さなかった。エリスは正々堂々と戦い、敗れた相手だ。

 もし“器“を乗っ取ることができる状態になったとしても、こんな偶然発生した機会によるものであることを、望むわけがなかった。


 だが今、エリス自身がそれを望んでいる。

 全ては“どんなことがあっても他者を救いたい“という、彼女の揺るぎない意志のためだ。

 


「取引としては悪くない。――そう思いませんか?」


 

 エリスは、珍しく不敵な、危険な魅力を帯びた笑みを浮かべた。

 その笑顔は、死をも恐れない強固な意志の表れだった。


 

 魔王の心は激しく揺さぶられた。エリスが見せたこの姿――純真無垢でありながら、時にこれほどまでに強固で危険な意志を見せる姿に彼は惹かれ、そして翻弄されて来た。

 ――あの“永劫回帰の儀”で処刑される前から、そうだった。


《……ククク…………ハハハハハッ!!!》


 彼は低く、そして轟くように笑い出した。その笑い声は狂気と称賛が入り混じったものだった。

 黒猫である姿から放たれる言葉とは思えないほど、エリスの心の臓を揺さぶるような圧力を感じるくらいであった。

 

《面白い! ついにそんな顔も見せたか、エリス!》


 彼女が初めて見せた表情とその覚悟に魔王は興奮し、昂っていた。

 その取引、確かに悪くない。そう言っているかのようだった。


《ならば耐えて見せよ!》


 契約は成立した。

 黒猫の瞳が怪しく光り、その身体から黒の気が発せられた。


《そして、この試練を無事乗り越え、我が力を使役してみるがいい……できるものなら!》


 魔王から放出された黒の気はエリスの身体を覆っていく。

 そして次の瞬間、黒の気が彼女の全身を食い漁るかのように、想像を遥かに超えた激痛を発し始めた。


「あっ!?……が……はっ……!?……ッ!!」


 異質な魔の力が、一滴の水でさえ拒絶する乾いた砂のように、彼女の肉体を激しく破壊し始める。

 口から大量の鮮血が噴き出し、骨が軋み、砕ける音が体内に響き渡る。筋肉も引き裂かれ、神経が焼け爛れるような感覚が無限に彼女の脳を揺さぶっていく。


 地面にうずくまり、声も出せずにのた打ち回りエリスは土を掻き、その反動で爪は剥がれ、見開いた真紅の眼からは血涙が流れ落ちていく。

 視界は歪んで紅く染まり、意識はあちこちに飛び散りそうになる。

 ――魔王が警告していた通りの地獄の苦しみだった。


 

 レオにとどめを刺そうとしていた魔獣が周囲の異常を感知し、その動きを止めた。そして、振り向いたのは地面に蹲りながら苦しむエリスの方角だ。

 彼女を食い荒らしている魔王の力に反応し、かつて糧にしていたその強大な魔力を得るべく近づいていく。


 そして舌舐めずりをしながら、エリスに向けてその鋭い爪を振るおうとしたその時だった。

 急に彼女の周囲に黒い雷撃が迸り始め、一本の黒い雷撃は魔獣の足元を大きく抉り、深い窪みを創り出した。


“邪魔をするな、下郎”


 明らかに格上の存在に威圧されたかのように、魔獣はびくりと身体を震わせて後退りをする。

 逆らってはいけない。

 本能がそう告げたのか、恐怖により幾許かその足を止めたが、そのうち諦めたのか、再びレオへと意識を向けた。

 

 

《どうした? この程度の痛み、お前なら耐えられるだろうエリス》


 冷静な魔王の声が響く。


《余の買い被りではないことを証明して見せよ。お前の精神はこの程度では壊れない。そうだろう? エリス》


「……ッ!……が……ぐ……ぅ……!!」


 魔王が静かに、しかし緊張して見守る中、エリスは地獄の苦しみに耐え続けた。

 普通の人間なら激しい痛みによる脳神経の負担を回避すべく、意識を飛ばすのに対し、エリスは痛みを逃さず受け入れている。


 死の淵を彷徨うその極限状態で、彼女の強靭な意志と異常なまでの感受性は、流れ込む暴虐の魔力を、拒絶するのではなく、受け入れ、同化させていった。


 そして、拒絶から融合への危険極まりない化学変化がエリスの体内で起こり始めた。

 それは彼女の特性が、魔王の予想を超えて発動した瞬間だった。


「――――ッ!!!!」


 痛みが頂点に達し、声にならない叫びがエリスの口から吐き出される。

 すると今度は痛みの波が引いていくように和らいで行き、彼女の呼吸を落ち着かせていく。

 それは、魔の力に耐え切った証左であった。


 全身の至る部分が損傷し、文字通り生死の境をさまよっていたエリスの身体には未だ漆黒の気が覆っている。

 やがてそれらは体内に吸収されるかのように収束していくと変化が始まった。


 ――その黒髪は一本一本が月明かりのように輝く銀色へと変わり

 ――その瞳の深紅は、威厳と力に満ちた黄金色へと輝きを変えた


 崩壊したはずの全身は、その魔力によって一瞬で癒えており、静寂な様子ながらも圧倒的な力の波動が放たれている。


《――素晴らしい》


 魔王は眼前の現象に息を呑んだ。

 エリスの身体から放たれる力の波動が、あまりにも純度が高く、そして強力だったからだ。

 

 魔の力が単に通過するのではなく、エリスの肉体と魂という濾過器を通り、新たな性質を持った力へと昇華されている――彼女の存在そのものが魔王の力を浄化し、変換したのだ。


《この力の輝き……余を打ち破った“勇者”。いやむしろそれ以上だ!!》


 魔王は思わず興奮しながら呟いた。

 その声には、驚嘆と賞賛、そしてほのかな畏敬の念さえ込められていた。


 エリスはゆっくりと立ち上がった。

 その動きは、以前の村娘のそれとは似ても似つかぬ、優雅で力強いものだった。全身から漲る力に、ほんの少し目を見張りながらも、彼女の表情は静かな決意に満ちている。

 彼女の金色の瞳は眼前の魔獣を、そして地面に倒れる青年兵士を捉えた。


《ゆくがいい。我が力、存分に使役して見せよ》


 誇らしげな魔王の言葉にエリスは頷くと、その場に残像を残しながら、一瞬にして光の如き移動を開始した。

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