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とある草原にて、二人の日常

 とある草原に佇む少女の肩の上で、漆黒の猫が盛大にあくびをした。

 威圧的ですらあるその口元から、どこか投げやりなため息が漏れる。


《……退屈だ。このだらだらとした平和が、余の魂を腐らせる》


「そうですか? 私は、風の音や鳥の声がとても心地よくて……」


《戦いの気配も野心の臭いもない。全くもってつまらぬ》


 黒猫から発せられている声は、少女の心中にのみ響き渡る。

 そしてその声には、尊大なものを感じさせるものがあった。

 

 それもそのはずで、この黒猫の正体は《魔王》――かつて世界に戦慄を走らせた、強さの頂きに君臨していた存在であるからだ。

 

 とある事情により、今は小さな黒猫の姿で、長閑な草原で退屈を嘆いている。

 その図式の滑稽さに、少女は思わず口元を緩めた。


「ふふ。戦いなんて無いことに越したことはないですよ。それより、お昼にしましょうか」


 そう言って少女はそばの木陰に腰を下ろし、布包みを開く。

 中から現れたのは、質素だがきれいに握られたおにぎりと、少し萎びた野草のサラダだった。


《……何だ、それは》

 

「昨夜泊めていただいた村の方が、お礼にと言ってくださいました。美味しそうでしょう?」


 少女は嬉しそうにおにぎりを一つ取り、黒猫の前に差し出す。

 猫はその米粒を、まるで未知の魔術具を検分するかのように、深紅の瞳でじっと見つめた。


《余に、米粒を食わせる気か?》

 

「ええ。あなたは今は猫ですから。小鳥を捕まえるよりはずっと良いと思います」

 

《ふん……》


 不満そうな鳴き声一つあげ、黒猫はしぶしぶとおにぎりに近づいた。

 しかし、一口味見するやいなや、その態度は一変した。


《……!? これは……》

 

「え? お口に合わないですか?」

 

《……い、いや……》


 黒猫はもぐもぐと咀嚼し、耳をぴくぴくと動かす。

 その仕草は、もはや尊大な魔王というより、食いしん坊の猫そのものだった。


《…………素朴ではあるが、悪くはない。米そのものの甘みが……うむ》

 

「良かった! じゃあ、もう一つどうですか?」


 少女は満足げに微笑み、もう一つおにぎりを割って差し出す。

 黒猫は照れくさそうに顔を背けながらも、しっかりと受け取った。


《……ま、まあ、この程度の施しであれば、受けてもやぶさかではない。感謝せよ》

 

「はい! ありがとうございます!」


 少女は自分の分のおにぎりを小さくかじり、その真紅に輝く瞳で穏やかに猫の食事を見守った。

 

 吹き渡る風が、彼女の長い黒髪を揺らす。


《……何をぼんやりしているのだ》

 

「あ、すみません。ただ……なんだか、不思議だなって」

 

《何がだ?》

 

「こうして、あなたと平和にご飯を食べていることが」


 少女はいたって自然に、そう呟いた。

 その言葉に黒猫は一瞬、言葉を失った。

 代わりに、黒猫はわずかに喉を鳴らし、少女の頬にそっと頭をこすりつける。


《……つまらん感慨にふける暇があるなら早く食え。次の村までまだ歩かねばならんのだ》

 

「はいはい、わかりました」

 

《“はい“は一回で結構! かつてお前は余を打ち倒した存在だろう! 少しは威厳というものをだな……!》


 ぶちぶちと苦言をする黒猫に、少女は苦笑をしながら穏やかに返答した。


「――私はもう、勇者じゃないですよ」

 

《……ふん、そうだったな》


 ──かつて、この少女の指先からは聖なる豪炎が迸り、肩には世界の命運が懸かっていた。

 この少女の正体は、かつて《勇者》だった存在。魔王を単騎で討滅した英雄であった。

 

 今、その指先は米粒を優しくほぐし、その姿はごく普通の村娘と同じにしか見えない姿となっている。

 そしてその肩には、毛並みを整えながらご飯粒を落とす小さな猫が乗っているだけ。


 

 ――これは、かつて世界の命運を賭けて闘い、そしてその世界から不要とされた二人の物語。

 二人が消えたと思われたその後の世界を、力を失くした者同士が絆を育み、歩んでいくお話である。

  

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