君は「回収対象」じゃない
僕は特務官――異世界に突然召喚されてきた人間の「回収」を任務としている。正式名称は長ったらしいが、要するにこの世界に来るべきではなかった者たちを本来の場所へ送り返す役目だ。
ある朝、いつものように記録端末のデータをチェックしていたとき、見慣れないログが飛び込んできた。
――存在登録されていない人物が、この世界に存在している。
僕の眉がピクリと跳ねた。存在記録に残らない“召喚者”――そんな例は聞いたことがない。だが確かに、座標位置はこの街の端にある古びた広場を示している。
僕は制服を整え、特務官用の杖を腰に差して外に出た。
午後の柔らかい日差しが街を包んでいた。街路樹の葉が揺れ、遠くで市場の呼び声が聞こえる。
「……本当に登録されてないやつがいるのか?」
僕は自問したまま、ログが示す広場へと足を運んだ。雑草が生い茂るその場所には、古い噴水がひっそりと佇んでいた。
噴水の縁に――一人の少女が座っていた。淡い色のワンピースに長い髪。豊かな森の緑に少女の姿がよく映えている。
「……君が?」
僕が声をかけると、少女はふっと顔を上げた。
大きな瞳が驚くほど澄んでいて、まるで光を湛えているようだった。
「こんにちは。えっと……あなたは?」
声は柔らかく、好奇心がこもっている。
まだこの世界の言葉に不慣れなはずなのに、自然に僕の言語を使っていた。
「特務官だ。存在登録がないと聞いた。君の名前と来歴を――」
「えっとね、名前はソラ。異世界から来たっていうことは確か……だけど、記録には残ってないんだ?」
ソラは首を傾げた。眩しい笑顔が風に揺れる。
「うん。でもね、ここに来た理由は――遊びに来ただけ、かな」
その一言に、僕は一瞬言葉を失った。
普通、召喚された者は混乱し、恐怖し、戻りたがる。だがソラは違った。
「遊びに……?」
「うん! だって、こんなに綺麗な街があるなんて思わなかったんだもん。空も森も、町の人たちも、ぜんぶ面白いよね!」
そんなことを言う少女は、まるで観光客のようだった。
僕は訝しげに眉を寄せた。
「……普通はありえない。ここに来る理由が“遊び”なんて」
「そう? 私はね、前の世界じゃずっと本ばっかり読んでたんだ。だから退屈で――冒険したかったのかもしれない」
ソラは噴水の水面を指で軽く叩いた。その波紋は静かに広がる。
「……君は一体どうやってここに?」
僕は問いを重ねる。回収対象なのか。だがどうしても――どこか引っかかるものがあった。
ソラの仕草、笑顔、そして何より――その目の奥にある純粋な好奇心。
「ふふっ、そんな真面目な顔しないでよ。ねぇ、こっちの世界ってどんな文化があるの?」
僕は思わず肩をすくめた。
僕の任務は“回収”だ。だが、ソラと話していると、不思議なくらい心が軽くなる。
第2章 ― 交流
数日後――ソラはまだそこにいた。正式な手続きとして、僕は彼女を一時保護施設へ連れて行った。だが書類の山を見ると、やはり記録が何一つ存在しない。
「だから、私は“ここにいる理由”だけ説明したいんだよ。ふつうの召喚じゃなくて、自分の意志で来たんだって」
ソラは真剣な顔で言った。
その言葉には嘘がない。僕は端末のスクリーンを見つめながら、答えに窮してしまった。
「……普通じゃないことは確かだ。でも、それが――どうして君のせいになる?」
僕はぼそりと呟いた。ソラは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
「だよね! そう思うなら、もっと私と遊んでよ!」
その日から、僕とソラは街を歩いた。
市場を見て回り、小さな雑貨屋で珍しい魔法アイテムを眺め、城下町のカフェで甘い飲み物を分け合った。
ソラは笑い、驚き、そしてこの世界を僕以上に楽しんでいた。
「ねぇねぇ、ここって面白いね。ほら、この魔法石、光るよ!」
「……光るね」
僕はソラの無邪気さに少しだけ笑みを返す。
彼女と過ごす時間は、僕の硬くなった胸の奥をじんわりと溶かしていった。
「アナタって、意外と笑うんだね」
ソラがふいに言った。
僕はかすかに目を細めた。
「……昔はもっと笑ってた。でも任務に追われてるうちに、忘れてたかもしれない」
ソラはそんな僕をじっと見つめて、小さく笑った。
「なら、思い出させてあげる! もっといっぱい遊ぼうよ」
その笑顔に、僕の心臓がほんの少しだけ早くなった。
第3章 ― 葛藤
そんなある日、上層部からの通達が来た。
――登録されていない存在は、規定により即時“抹消処理”対象。
その言葉を見るだけで、胸が締め付けられた。
ソラの笑顔、散策した道、笑い合った瞬間――すべてが鮮やかに蘇る。
「……抹消処理だと?」
僕は端末を握りしめ、深い呼吸をした。
命令を無視することはできない。だが――ソラを送ることもできない。
「ソラは……回収対象じゃない」
心の中で呟いた言葉は、確信めいていた。
ソラはただの“異常”ではなく、この世界で生きるべき存在――そう思った。
だが上層部は容赦しない。処理期限は翌日。
僕は決断を迫られていた。任務か――それとも――
第4章 ― 真実
決断の朝――僕はソラを噴水の広場に呼んだ。
「ソラ……君をどうするべきか、本気で考えた」
ソラは柔らかい笑顔でこちらを見ている。
「で……どうするの?」
「君は……この世界に“召喚”されたわけじゃない。君自身の意志で来た。それは認める。だが――記録が存在しない以上、僕は責任を問われる」
言葉が続かない。
胸の奥が痛むほど、答えが見えなかった。
「でもね――僕は君を“処理”したくない」
思わず僕は言葉を漏らした。
ソラの目が一瞬、大きく見開かれた。
「……本気?」
「……ああ。君がこの世界で生きるための策を探す。記録を作るんだ――君の存在を、この世界の歴史の一部にする」
ソラはゆっくりと微笑んだ。
「ありがとう。……じゃあ、もっと冒険しよ?」
その笑顔は少し照れくさくて、でも確かに喜びに満ちていた。
第5章 ― 記録を刻む日々
それから僕たちは奔走した。
上層部や学者、記録官――多くの人々と出会い、話をした。
「異世界からの来訪者――登録なし」
その言葉は初めこそ眉をひそめられたが、僕とソラの行動が人々の理解を変えた。
僕が彼女の存在理由を語り、ソラがこの世界の文化や生活を愛し、積極的に関わったことが、徐々に人々の心を動かした。
「君がこの世界を好きでいてくれるなら――記録すべきだ」
ついに、公式にソラの存在がこの世界の歴史に刻まれたとき、僕は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
「ねぇ、これで私は“回収対象”じゃなくなったんだよね?」
ソラは誇らしげに笑った。
その姿を見て、僕は自然と笑みを返す。
「……当然だよ。君は俺の大切な――仲間だからな」
ソラの目が一瞬だけ驚きで揺れたが、次の瞬間、ふっと赤らんだ。
「そっか……じゃあこれからも――一緒にいようね?」
「もちろんだ」
その日、噴水のほとりで僕たちは固い約束を交わした。
ありふれた冒険でもなく、ただの日常でもない――しかし確かに輝く“僕たちだけの世界”。
――終わりに
僕はもう、“特務官としての僕”だけじゃない。
ソラがくれた笑顔と日々が、僕を変えた。
そしてソラ自身――この世界の一部となった存在は、今日も柔らかい光を放っている。
「ねぇ、次はどこ冒険しよっか?」
僕は微笑みながら、ソラの手をそっと握り返した。
「……次は、あの森を目指そう」
甘くて、少し切なくて――でも確かなハッピーな日々が、ここから続いていく。




