第一幕 ウェルダ教団
魔術の知識は異常の世界を映し出す。
その力は物体の存在根底を覆し、使用者さえも神の定めた『意味』に逆らわなければならない。
いずれその先に破滅があると解っていようと、人間は何故魔術の力を求めるのか…
奇跡を望む人間の性か、死を覚悟して魔の者に抗う意思の現れか
それが何を目指すものであれ、それは異常の理なのである。
地下深くに、長く続く廊下があった。
『ウェルダ教団』…不死の秘法を異常なまでに信仰し、研究を進める
科学宗教の蔓延する現代には珍しいとされる魔術組織、その総本山がこの場所…この地下施設だった。
そこを歩く男に付き添って歩く銀髪の少女、彼女は物心ついた頃からこの地下世界で育ってきた。
彼女には、この地下施設そのものが世界だった。
「『おとーさま』、おとーさま♪」
少女が嬉しそうに繰り返す言葉に、少女を先導する男は眉をひそめて問う。
「…何だ、その呼び方は…?」
「信者の人がね、教えてくれたの
自分を育ててくれる大事な人を、『おとーさん』って呼ぶんだって」
少女のの言葉に、男は「やれやれ…」とこめかみを押さえて頭を振る。
「ジュリア、それは人間同士の関係だ…忘れなさい」
「えっ……………でも……」
少女、ジュリアの反論を切って、男は続ける。
「ジュリア、我々は教団の頂きに立ち…この世の神になり替わる新たな神となる存在だ
信者には悪いが、『ニンゲン』の下らない人間関係を我々にあてはめるなど在ってはならない事だ
私は神となり、私が駄目になったその時はジュリアが後を継いで神となる…それだけだ」
男はそう言って手を翻すと、ジュリアの頭を愛おしそうに撫でる。
「期待しているのだ、俗世に染まるな…ジュリア=F=ヘンデル」
「………はい、教祖様…」
ジュリアは悲しそうに、本当に悲しそうに、頭を垂れた。
しかし、再び男に撫でて貰うとご機嫌そうに「にゃぁ…♪」と鳴いた。
それは『物語の始まり』から数えること4年前、彼女がこの地下施設から連れ出されるほんの少しの事だった。
それも、語り手の観測から外れた『開けられなかった箱の中身の世界』
箱の中の猫は、観測された出会いの時を待ちながら…待っていることにすら気付かないまま
孤独にただ生かされていた。
「魔術結社の掃討、今時珍しい指令も来たものだ…そうは思はないかね?」
ところ変わって、イギリスのさる屋敷のデスクに座る青年は金色の蝋印を押された指令書を片手に呟く。
ツンツンに跳ねた茶色い髪に、周囲の白人たちに比べて若干肌の色がある東洋系の人種
おおよそこの国この屋敷の雰囲気に合わない青年は、隣に立つ屈強な黒人の大男にその指令所を渡す。
「本当、19世紀の無茶のせいで今時魔術師も少数精鋭になってるというのに
とうとう『市国』の上層部は残り少ない魔術師の人数管理すらできなくなったのかしら?」
部屋の端にくつろぐ赤毛の女性が、何故か竹ぼうきを磨きながら問う。
「アルジェナ、問題発言だ」
指令所を持った大男が、アルジェナと呼ばれた赤毛の女性に短く告げる。
「あら、こちとら歴史あるペイガン学派の魔術師としてあいつらにろくな思い出がなくってね
貴方もそうでしょう、ロカ?」
ロカと呼ばれた大男は「そういう、問題ではない」と、眉をひそめてサングラス越しにアルジェナを睨む。
険悪な二人を取り持つように、デスクに座る青年は両手を出して二人に制止をかけた。
「待て待て待て、そもそも此処が何処なのかをよく考えてくれ
団長の俺の前で堂々と喧嘩するなお前ら」
「「………すんません(、)団長」」
二人の謝罪に納得したように、青年はデスクに肘をついて事の詳しい情報を語る。
「何にせよ、此処は壊滅さなきゃならないんだがね
度重なる人体実験、教団員に対する無節操な魔術知識譲渡、死者蘇生にそれの堂々としたパフォーマンス
これ以上人間を『魔術』にし続ければいずれ騎士団でも手に負えなくなる…そう『市国』は踏んだんだよ。」
「典型的な、都市魔術」
「魔術化して蘇生した人間を媒介に、地域一帯の『常識』を支配する…神作りでもする気?」
青年は、デスクから立ち上がって号令をかける。
「十字教薔薇十字騎士団統括団長、下院=K=無明が命じる
3日後以内に、ウェルダ教団本部をあぶりだして魔術の根幹を焼き払え」
青年…かつて無明 下院と名乗っていた青年は、躊躇も迷いもなく屋敷内の騎士団員全員に指令を通達した。
何処から聞いていたのだろうか、屋敷の至る場所より下院の紡ぐ言葉と同じ声があがる。
「「「不当の真実を叩き切り刻み捻じ伏せよ、不当の力に不当の力で以て、抗い壊し怖して潰せ
魔術に遺恨を抱き、魔術に寄って遺恨を埋める矛盾の魔術師達よ
薔薇の多重法円と、真理の十字の下に今こそ名乗りを上げよ
我ら十字教薔薇十字騎士団!!!!!!」」」
言い終えると同時に、下院は手に持った刃のない剣を、アルジェナは箒の取っ手を、ロカは黄金のナイフを、それぞれ机に叩きつけた。