表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/55

最終任務

 久方振りの来客。


 構成員は迷いなく、即座に発砲した。


 それは三つに分かれる拠点のうちの一つ、A-91-αだった。


 侵入と同時に押し寄せる弾丸を切り裂き、D-1082は正面に走り出す。


 構成員は僅かに動揺したが冷静さを失わないまま引き金を押し込み続ける。十秒間の犠牲者は六人。それでも生存者は正確な銃撃で敵の頭を狙う。


 普段の動きではいずれ殺される。


 D-1082は速度を上げた。最早目視不可能までになり、構成員はようやく焦りを見せ始めた。次々と犠牲者の頭が吹っ飛び、ばたばたと倒れていく。

 第一階層はいつも通り、いとも簡単に血と死体の池と化し、生臭い沈黙が立ち込めた。


 警報が鳴っている。

 どこかそれがくぐもって聞こえる気がした。




 残り二つの拠点にはF-6133とI-0759が侵入した。


 F-6133は銃弾を避けるなりロビーの中心で立ち止まり、床を殴った。するとそこには蜘蛛の巣状のひびが入り、衝撃波が構成員の体を空中へ投げ出す。姿勢が安定せず、攻撃を停止している隙に刀の柄を握り、全員の首を飛ばして絶命させる。


 I-0759が侵入したとき、それに気づく者は居なかった。突然開いた自動開閉式扉を怪訝そうに見詰め、いつの間にか胴を刻まれ、腕を落とされていた。不思議なことに、警報は鳴らなかった。



・・・



 第二階層に到達したD-1082は尚も変わらず、凄まじい速力で駆け、首に刃を通した。本職の軍人は今までの有象無象に比べれば手強いが対処できないほどではない。人外じみた実力に動揺する者が殆ど、冷静さを保っていても大した差は無い。


 上階からの刺客は大量の手榴弾とガスグレネードを投げ込んできた。刀の峰で弾き一か所にまとめ、柱の陰に隠れ爆発を逃れる。ガスグレネードは呼吸を止めれば防ぐことが出来た。機関銃片手に入ってきた構成員の額を黒い拳銃で撃ち抜き、第二階層の殲滅が済む。


 階段を上った瞬間、黒い球体が一つ目の前を横切った。


 第三階層には名の通った爆弾魔が、大量の小型爆弾を手に立っていた。

 大して顔の整っていない、大して背の高くない、若い男だった。


 男はD-1082をまじまじと観察した。


「んン? 女か? お前。いや男だろ! 畜生、女だったら生かして侍らせられたのによオ」


 その男は足元の、大量の大袋の一つの口を開いた。そして中から爆弾を取り出し、自暴自棄に投げ出した。

 D-1082はそれらを回避した。爆弾が衝撃を原因として爆発する物だったからだ。


 床に落ちたそれは、小規模の爆炎と爆風を引き起こした。


「避けてんじゃねえよオ! さっさとくたばれ野郎が!」裏返った声で男が叫んだ。


 男は次々と爆弾を投げ続ける。

 しかし未来を見通しているかのように、D-1082は軽くそれらを避け、ただ温度の高い風を浴びている。


 男は苛立ちを滲ませた顔を更に歪め、ついに嚙み締めた口の端から血が流れ始める。


「残念だが、自分でも曖昧だ」


 D-1082は投擲の準備の隙に、急激に接近した。

 刃が鞘から露になった。


「は? 手前……」


 言い終える前に、首が寸断された。


 床に倒れる前にD-1082は男の襟を掴み、反対側の扉の向こうへ投げ飛ばす。

 壁に男の死体が激突した。

 爆発音とともに炎の中に男が消えた。


 風が長い黒髪を弄び、弱まり、やがて消失した。


 入ってきた扉の先の壁には黒褐色の染みと、白金の火と、元は生物の形をしていた炭がこびりついていた。


 生臭い炭が壁から落ちる。


 その時既に、D-1082の姿はその階層には無かった。


 第四階層の軍人集団の中には、戦争期に暗殺者として暗躍した女が紛れていた。

 気配を消し、侵入者の視界外から拳銃と短刀を手に持ち接近する。


 背に迫ってきた刃物をD-1082は拳銃で受け止めた。

 足に力を込める女が後退する前に、短刀を銃で抑え込み前に流す。そしてもう一丁の拳銃をホルダーから取り出し一瞬のうちに喉下を撃ち抜く。


 女が口から血の泡を噴き出し、力なく倒れた。


 残った軍人は結局、為す術もなく頭を落とされて絶命する。

 女の死体は他の軍人の死体に埋もれて見えなくなった。暗殺術を披露することも、美しい死を迎えることも無く。


 血の海に沈む肉の塊の一つ一つに特徴など無かった。


 D-1082は階層を後にした。


 第五層は無人だった。


 侵入した瞬間に床の端から煙が噴射された。


 毒瓦斯だ。

 今更である。


 D-1082は呼吸を止めた。そして一気に走り過ぎた。


 侵攻は進む。

 足が止まることはなく、地獄が上へ上へと空間を飲み込んでいく。

 その女性は死神だった。瞳に血の色を映し、音もなく近づき標的の首を刈り取る、無慈悲な怪異。


 屍の数だけが増えていった。



・・・



 拠点の一つ、A-91-γ。


 腕を失い、腹から大量の血と肉の破片を零す死体が積み重なっている。


「かーごーめー、かーごーめー」


 小さな歌声が響く。

 美しい音色だった。人の心を狂わせ、喰らうような人魚の歌声。


「かーごのなーかのとーりーはー」


 その人物は死体を踏みつけ、広間を横切って歩く。

 何人かはまだ息があった。激痛に呻き、即死することも絶叫することもかなわず床でのたうち回っている。

 小さな、脳に囁く声は止まない。


「いーつーいーつーでーやーるー、よーあーけーのーばーんに」


 男が一人伏していた。

 胴体の損傷は他と比べれば少なく、腕も残っている。血を吐きつつも生きている。

 その片手には機関銃があった。


「つーるとかーめがすーべったー」


 男はぼやける視界の中、銃口を敵の背中に向ける。

 相手は背の高い、亡霊のような人物だった。

 引き金に指が掛かった。


「うしろのしょうめん、だーあーれ」


 男が指を押し込んだ。


 銃弾が発射される____その直後に、銃弾と、男の腕は細切れになった。


 男は絶叫する。しかしその舌は刃に貫かれていて、絶叫が激痛を走らせた。


 その人物が振り返る。

 それは、ぞっとするほど美しい、黒曜石の瞳の青年だった。


「素直に死んでいれば楽だったものを」I-0759は歌を辞めた。「まあ、そんなこと許しませんが」


 I-0759が階段を上がった。


 その先には、一人の老人が佇んでいた。


「侵入者か」老人は柄に手を置いた。「随分好きに殺してくれたものだ」


 I-0759も同様、刀に触れた。


「他のはどうしたのでしょう?」


「上階に避難している。巻き込んでしまうかもしれない」


 老人の声には揺らぎが無かった。細く、小柄な体躯はそれに見合わない殺気を発している。


 二人は柄を引いた。

 美しい銀刃が輝いた。


 正面に刀を構える老人。横に刀を下ろす青年。


 睨み合った次の瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。



・・・


 F-6133は冷たい表情のまま殺戮を続けていた。


 構成員の頭を殴り飛ばし、大量の血液を浴びる容貌に、構成員は息を呑んだ。


 間合いの外からの銃撃は切り伏せられ、次には頭に穴が空いている。

 第十五階層までの壁と床はひび割れ、巨人の跡が残っていた。その中心には偶に、頭部の潰れた死体がへばりついている。


 A-91-βの損傷が最も激しかった。


 周囲の生存者は全て床に転がり、機関銃を向ける構成員が、F-6133を中心に円を描いている。

 F-6133が膝を付いた。そして柄を握りなおした。


 キン、と甲高い金属音が響く。


 同時に、室内の構成員全員の頭が吹き飛んだ。


 赤い、円状の噴水が一斉に赤い模様を作った。


 死体が倒れ、立つ人間はF-6133のみになる。障害物がなくなる。


 その時、背後の窓の硝子が割れた。F-6133が左に飛ぶと同時に、先ほどまでその頭があった場所を何かが貫いた。


 狙撃銃。


 窓に視線を向け、軌道を確認する。狙撃手はαに居るらしかった。


 もう一発の弾が撃ち込まれる。

 それを回避し、F-6133は背広の内側から小さな短刀を取り出した。そして一発目が撃ち込まれた場所に走る。

 銃弾は、一度目に空いた窓の穴の、少し下を貫き、F-6133を狙う。穴は縦に長くなった。短刀の幅より広い穴。


 銃弾を避け、F-6133は短刀を持った片手を振り上げ、短刀を投げた。


 手から離れた短刀は真っすぐに窓の穴に飛ぶ。正確に穴を通り、短刀の勢いは衰えずにαの一点に向かう。


 狙撃手は壮年の男性だった。

 スコープを覗いていたその時、銀色の何かが迫って来る。銃弾のような速度で。

 何だ、と目を細めた瞬間、意識が鈍い痛みを伴って飛んだ。


 小窓から血液が零れ落ち、短刀が狙撃手の後頭部から飛び出していた。


 スコープに映る人影はもう居ない。


 F-6133は破壊を続ける。

 絶叫と鮮血と力が、黒い箱の中に閉じ込められていた。



・・・



 既にそこは第二一階層だった。

 D-1082は返り血で服を汚し、階段を駆け上がる。

 下階には首と胴を切り離された死体の山が大量に出来上がっていた。


 最大かつ最強と謳われていた組織の殲滅は、想定通りの難易度だった。

 爆弾魔、暗殺者、元強盗集団、退役軍人、目立って優れた者こそあったが殺しが困難な者は居ない。


 血臭を含む風がD-1082の後ろで吹く。

 上階からまた十数人が駆け下りてきた。


「これ以上、上がらせるな! 撃てえ!」


 大柄な男が叫ぶ。


 発砲前にD-1082が集団を斬り殺す。


 構成員の中に女は少ない。軍に駆り立てられたのは男性であり、女性は設立以前からの訓練を受けていない者が、国内では殆どであるためだ。


 何人もの構成員が侵攻を止めようと立ち塞がるが、一時的にその速度が落ちるのみ、壊滅は止まらない。

 階段下に転がり落ちる顔は、死を理解する一歩手前の表情で停止していた。


 I-0759に殺されたならば、その顔は悍ましいまでの、激しい苦悶だっただろう。しかしD-1082はさっさと殺してしまうこと以外はどうでも良かった。F-6133はそれすら考えていない。相手が死ぬならば何でもいい。


 構成員の数が着々と減っている。

 一方で、異臭を放つ血塗れの物体は増えていく。

 紅い瞳は何も宿さない。

 警報音が空しく鳴り、侵入者の元に次の犠牲者を運んでくる。


 手ごたえの無い相手の連続に、刀の振りが機械的になっていた頃。


 第二十二階層。そこには、裏の世界では有名な女が居た。


 何度も資料で見た顔。


 その女は九十人近い人間を葬った殺し屋だ。組織加入以前は依頼によって標的を殺害し、多額の報酬を使って生きていた。局の殺害対象だった時期もある。しかしどこからか局が狙っている情報を入手し、A-91という、最適の隠れ家に閉じこもっていた。


 女はD-1082を見るなり、拳銃を発砲した。

 D-1082は弾丸を避けた。


「珍しい、女の子じゃないの」


 女は優しい、機械音声じみた声で言った。

 D-1082はそっと引き金に指で触れた。


「局の人? 前に攻め込んで全滅したのに、えらい成長じゃない」


 女が口角を上げ、にこりと微笑んだ。

 それは酷く作り物じみていた。

 D-1082は答えない。


「他の人はどうしたの? まさか、こんな女の子一人残して死んじゃった?」


 憐れむように眉尻を下げる女の人差し指は引き金にかかったままだった。


 D-1082は不安を顔に貼り付けた。頼もしい仲間を失った、弱い女性の表情だった。


「だったら何だ。先輩方の分まで、私が殺せばいい」


 刀を握る手に力がこもった。

 女は、にい、と薄気味悪く笑った。


「そう。それじゃ、その人たちの所に送ってあげるからね……」


 女は人差し指に力を込める。

 相手は元居た場所から姿を消していた。

 D-1082は間合いに入り込み、刀を構えていた。そこには不安など浮かんでいなかった。


「え?」


 素っ頓狂な声を一つ残し、女の喉が裂けた。


 ほぼ即死。だが完全ではない。痛みに抗い、死までの僅かな時間で自分に虚言を吐いた敵に照準を合わせる。

 D-1082は軽く頭を下げて銃弾を避けた。


 心算だった。


 突然、激痛が頭に走り、動きが遅れた。D-1082は咄嗟に方向を転換し、頭部を横にずらす。


 女が放った銃弾は髪留めをかすった。


 喉から鮮血を噴く死体が前に傾く。


 血の池を作る隣で、D-1082は急な方向転換によって膝をついた。


 長い黒髪が下ろされる。

 頭痛の残響が未だに脳を揺らしている。

 視界が微かにぼやけていることに気が付いた。


 前兆だ。


 しかし止まる理由にはならない。

 D-1082は、黒髪を振って立ち上がった。



・・・



 老人とI-0759は鍔競り合いをしていた。

 幾度となく金属同士がぶつかり合い、耳障りな高音を立てる。


「貴様、今までに何人殺した」


「さあ、幾つだったでしょう」


 老人は刀を持ち上げる。一瞬I-0759の胴が空くが、狙おうとした時点で隙は消えていた。

 I-0759は音もなく刀を振るう。脇腹を狙って来たそれを刃で受け止めて弾く。


 攻撃に失敗した隙はすぐに消える。


 斬ろうとすれば流され、攻撃を受け止め、また仕掛ける。その繰り返し。


「若人が、よくそのように剣技を極められたものだ」老人はI-0759の首に向けて刀を振った。


「それはどうも」笑いながら老人の斬撃を峰で阻止する。


「貴様は何のために刀を使う」


「殺すためですよ?」


 老人は姿勢を低くする。下前方から繰り出される突き技を受け流し、I-0759の刀が真っすぐに老人の心臓を狙う。

 老人は素早く体を回転させて回避した。


「十年ほど前、傘下にあった小規模組織が全て壊滅した」


 低く、しわがれた老人の言葉には奇妙な重みがあった。

 気に留める様子もなくI-0759は首に刃を向ける。老人はそれを防ぎ、語り続ける。


「構成員十数名の、ここから派生した組織であった。故に貴様ら政府は組織の存在を認識していなかった」


「そうですね、この組織の派生なんて、資料に載っていませんでしたし」


「彼らの死に様は実に凄惨……いや、言葉に表すことすら憚られる」


「それはそれは」


 老人が急激に力を加え、I-0759の刀が横に弾かれた。


 頭を貫く突き技を放つも回避され、横に弾かれたI-0759の刀は胴を切り裂こうとする。上に飛び、I-0759の背後に移る。老人らしからぬ身体能力に驚くこともなく、斬撃を防御する。


 老人はI-0759を睨んだ。地獄の閻魔の眼光と威圧がI-0759に襲いかかる。

 怒気に満ちた問いかけだった。


「殺ったのは貴様だな?」


 重い、枯れた声に壁が震える。

 I-0759は微笑み、黙っている。


「下の階層からの恐怖と苦悶の気配。貴様の外見年齢。あの時、監視カメラに映った唯一つの映像。そこに映っていたのは子供だった」


 二人が刀を振り、何度も刃が激突する。


 未だにどちらの体にも傷一つ付いていない。老人は鋭く、I-0759は正確な剣術で相手を屠ろうとしている。

 計四度目の鍔競り合いが終わり、二人は相手の挙動の読み合い、睨み合いになった。老人とI-0759は摺り足で歩く。


「我らは仲間を殺した者を許さん。この十年間、あの子供を探し続けたが痕跡を掴むことは叶わなかった」老人は言葉を続ける。「刀を交えたところ、貴様は頭が回るらしい。その若さからして、十年前は少年だっただろう。少年ながら、あのような凄惨な方法で彼らを殺したのだ」


 I-0759はただ黙ってその話を聞いていた。まるで祖父の下らない昔話を聞く少年のように。


 老人は睨み合いを止め、斬りかかった。

 I-0759は受け流した。


「それと、貴様の生まれだ。もしやとは思っていたが、貴様はあの裁判官の子だな」


「おや、父を知っているのですか?」


 I-0759は目を小さく見開いた。

 疾風の如く斬りかかって来る老人を避け、隙を見つけては反撃を狙う。


「儂を裁いたのは其奴だ。あの裁判官は素晴らしい者だった。正義を体現したような男であった。儂は奴に動かされ、刑務所が破壊されなければ生涯をそこで終える覚悟が着いた」


「父が聞いたら、喜ぶでしょうね」


「奴はどうしている」


「十五年前に死にました」


「そうか」


 老人は大胆に間合いに入った。

 I-0759は体制を落とし、首を切り裂く刀を避ける。老人の足を切り落とそうとしたが、老人は後方に跳んで再び構える。


「何故あの父親の元に生を受け、貴様はそこまで非情なのだ」


 すかさずI-0759が走り、老人の腹を刺そうと刃の先を正面に向けた。老人はまた刀で流し、胴体を両断しようと腕を振り下ろす。脚に込めた力で床を蹴り、I-0759は攻撃範囲から逃れる。


 二人は互いに向き合った。


「非情?」


「それ以外に何と言う」


 老人はI-0759を睨み、莫大な殺気を放つ。常人は呼吸すら許されない、岩のような重みを持つそれが一人の青年にかけられる。


 I-0759は、ふっと笑った。

 そして刀を下ろした。


「非情だなんてとんでもない。それを言うなら父は物凄い人でなしになってしまうではありませんか」


 I-0759は美しく笑みを浮かべている。


「何だと?」


 老人が目を細めた。


「貴方が言う彼らは苦しんで死ぬべき罪を犯したのです。だから苦痛を与えて殺した。それだけです」


 老人は目を見張った。

 I-0759は朗らかに言った。


「あれらは何の罪のない人々を勝手な理由で殺して、呑気に生きていた。そんなことが許されていい訳がないでしょう? 死んで当然だったのです、あれらは」


 老人の額に青筋が浮かび上がった。

 殺気が強まり、嫌悪感が高まる。


「確かに彼らは人を殺した。それは消すことのできない事実だ。しかし彼らは国家の被害者だ。元の人格は弱く、優しい者たちだったのだ」


「人格の善悪が免罪符になるとでも?」


 I-0759は笑っていた。しかし声色は氷よりも冷たかった。


「それでも、あの死に様は惨たらしさが過ぎる」


 老人は叫び出しそうな怒りを抑え込んだ。相手は殺しを生業とする者、感情に任せて動くことはこれ以上ない自殺行為だ。

 目の前の青年は嘲笑うように笑い声を零した。


「どれのことでしょう?」


「黒い肩掛けの女が居ただろう」老人の声が震え始めた。「彼女は顔を剝がされていた。他の者は腸を刻まれて死んでいた」


「ああ、居ましたね。容姿に自信を持っていたようだったので、顔を剥いで、態々持ってきた鏡でその様を見せたら、叫んで動かなくなりました」


 友人と昨日の晩飯の話でもするかのように、I-0759は平坦に告げた。

 淡々とした物言いに、老人は奥歯を食いしばる。

 対してI-0759はにこにこと穏やかな表情を動かさない。


「あれらには救いの無い死に方が相応しい。あれらに殺された人々は何もしていないのに、理不尽に幸福を奪われた。あれらがそんな憐れな人と同じ苦痛を払って死ぬなんて、それこそ残酷以外の何物でもないでしょう」


 刀を握る手の握力が強まっていることに老人は気づいていなかった。

 この青年は危険だ。今日この瞬間、殺さなければならない。


 I-0759は深淵の黒い瞳で老人を見た。


「人の命は貴方が想像する何千倍も重い。奪ったからには、相応の報いが必要です」


 自分の三分の一すら生きていないであろう青年の言葉は重かった。


 それが嫌悪感と同時に恐怖を煽っている。

 老人はI-0759を斬ろうと走り出そうとした。この局面でのその行動が愚鈍以外の何物でもないことを必死に言い聞かせ、殺意を無理矢理制御する。


「貴様は」老人は重い口を開いた。「何故そのように我らを憎む」


 低められた声が反響した。


 冷たい静けさが一瞬、広間を流れた。


 I-0759は、そこで初めて感情を見せた。


 戦闘で張り詰めていた空間が、ひどく和やかなものに思えた。

 老人は呼吸を止めた。


 痩身の、美しい妖の青年が露にした感情_____それは空間すら歪んで見えるほどの、歴戦の軍人が青ざめて震えるほどの、絶大な狂気だった。


 老人はようやく気付いた。

 青年の瞳は「無だから」深淵なのではない。むしろそこにあるのは人間が宿すには大きすぎる感情。「狂っているから」それが歪に混ざり合い、真っ黒に渦巻いている。


「何故、ですか」I-0759は穏やかに笑って言った。「貴方が意味を知る日は永遠に来ないでしょうけれど」


 狂気はI-0759の中に消え、老人は無自覚に呼吸を再開した。

 I-0759は笑っていた。死にゆく民衆を憐れむような、無慈悲で優しい笑み。


「『彼』に不幸な運命を辿らせ、何も守れなかった。貴方がたのような罪人が憎くて仕方がない。人から何もかも奪っていく醜い虫が」


 聖女の囁くような響き。

 対して宿るのは狂気と憎しみ。

 

 I-0759は胸に手を置き、歌うように言った。


「『僕』は報復者。慈悲も救いも必要ない。あるべきは苦痛と悲鳴のみ。それが罪なき人々への唯一の償いなのですから」


 言葉の一音ごとに身を蝕む憎悪が乗り、脳を貫いた。

 老人は動くことが出来なかった。


 I-0759の表情は柔らかく、しかしどんな鬼の形相より恐ろしかった。


 心臓を握りつぶされるような感覚があった。


「さて、話過ぎました。僕は早い所次の階層に進みたいので」


 I-0759は刀を改めて構えた。

 老人はその気を失っていた。恐怖と怒りが脳内を埋め尽くし、精神を喰らいつくしていた。


「さようなら」


 I-0759の姿が消える。

 老人の腹から血が噴射し、腕が床に落ち、湿った音を立てた。



・・・



 βは文字通り半壊していた。

 上階で人間が歩けば下階の天井から欠片が降る。

 F-6133は敵の頭蓋を砕き、首を断ち、頭を撃ち抜くことを繰り返す。


 一人、F-6133より頭一つ分背の高い男が道を塞いだ。


「陸軍中尉か」


「ご名答」


 元中尉はF-6133の首を目掛けて軍用の短刀を振った。

 腰を落とし、回避したF-6133が内臓を殴り潰そうと拳を打ち出した。

 元中尉はそれを掌で受け止めた。


「中々の怪力だ」


 拳を掴んだまま中尉は相手の腕を引いた。


 背中が空く。元中尉は短刀を振り下ろす。F-6133が手で受け止める。

 短刀の先は止まり、その隙に中尉の手を振り払ってその場から逃れる。中尉はにやりと笑った。

 F-6133は刀を抜いた。


「こちらは素手と短刀だというのに、貴様は刀を使うのか」


「殺せるなら何でもいい」


「は、誇りは不要だと」


 F-6133は中尉に斬りかかった。

 短刀で斬撃を阻止するが、短刀は呆気なく切り裂かれた。


「何っ」


 斬撃は通り、中尉の腹に傷が走った。


 中尉は瞠目した。しかし歯を食いしばり痛みを堪え、膝でF-6133を蹴り上げる。


 F-6133は間一髪、手で蹴りの威力を殺した。

 本来ならば肋骨と内臓を潰していたであろう衝撃に腕が痺れる。


「ほう……軍属でないにも、関わらず……見事な…………」


 中尉は青ざめた顔に冷や汗を流し、浅い息をついていた。

 腹の傷が服を赤く染める。


「次は殺す」


 F-6133が薄い殺気を放った。

 中尉は腹を抑え、時折呻き声を発している。


 床を蹴り、F-6133は中尉の心臓を突いた。中尉は抵抗しなかった。


「動かないのか」


「抗うだけ無駄だ。負けの決まった戦いに全力を投じる理由も無い」


 中尉の口から血が流れた。

 F-6133は刀を心臓から抜こうとした。そこで異変が起こる。


 抜けない。

 筋肉で止められているのか。


「だが、こちらにも意地がある」


 中尉は不意に拳銃を取り出し、F-6133に向けた。

 F-6133は刀から手を放し、後ろに跳んだ。完全に回避するには僅かに遅かった。


「……っ…………」


 弾丸は鳩尾に直撃した。F-6133は息を詰まらせる。


「一矢報いることが出来ただろうか……」倒れた中尉が小さく呟いた。


 F-6133は息絶える様子を黙って眺めた。


 いつまで経っても鳩尾から出血が起きない。

 微かに息の残る中尉に、冷淡な声が一つ落とされた。


「銃弾の飛び交う中に突っ込む俺達が」F-6133が撃ち込まれた銃弾を床に捨てた。「何の対策もしないと思ったのか?」


 死にかけの中尉の頭にその言葉が突き刺さった。

 失血により、思考は霞み始めていた。


 その思考で単純な答えに辿り着いた中尉は眉を寄せた。


「防弾ベストか……成程、判断を間違えたわけだ」


 出血が円の形に広がっていく。

 F-6133は次の階層へ進もうと歩き出した。


「一つ言わせてくれ」


 それを中尉が呼び止めた。F-6133が振り返る。


 中尉は憎しみを露にした。


「地獄に落ちろ……政府の犬め……!」


 それだけを言い残し、中尉の生気は血だまりに沈んで溶けた。


 中尉の……中尉だった物の顔は満足げに微笑んでいた。


 F-6133は暫くそこに立っていた。

 死体を虚ろな目で眺め、F-6133は暗い声を零した。


「____安心しろ、元よりその心算だ」


 中尉の死体から前に視線を戻し、次の標的達を殺すために広間を出た。

 階段を上がっていたF-6133は何かを感じ取ったように顔を上げた。


 γ、死体に囲まれたI-0759はαに目を向けた。


登場人物プロフィールその5

I-0759

本名 ** **

偽名 曽賀谷 永

年齢 19歳

身長 183cm

体重 56kg

好きな物・・・(永)読書、料理、人の楽しむ顔、人の驚く顔、黒猫

       (I-0759)読書、裁縫、ハッピーエンド、黒猫

嫌いな物・・・(永)重苦しい事、お化け、辛い物

       (I-0759)自分、世界、下衆、残酷なこと

好きな言葉・・・(永)拍手喝采

        (I-0759)因果応報

恋愛的な好み・・・(永)優しい人

         (I-0759)どうなのでしょうね

特技・・・(永)手品、料理

     (I-0759)心理戦全般、物真似、悪戯

最近あった良いこと・・・(永)菊さんと歩いていたら猫が寄って来た

            (I-0759)また一歩、国が平和に近づいた

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ